2010–2019
罪というわなを避ける
2010年10月


罪というわなを避ける

強くあってください。良い選択をして命の木の実を食べてください。

よく晴れたある美しい朝,もうすぐ8歳になる孫娘ビッキーを連れて,市の貯水池となっている湖の近くまで散歩に出かけました。

小道のわきを流れる澄んだ小川のせせらぎを聞きながら,楽しく歩きました。両側には青々とした美しい木々が茂り,香りの良い花が咲き乱れていました。鳥のさえずりも聞こえました。

わたしは,青い目をした陽気であどけない孫娘に,バプテスマのためにどんな準備をしているのか尋ねました。

すると,答えではなく質問が返ってきました。「おじいちゃん,罪ってなあに。」

わたしは霊感を求めて心の中で祈りながら,できるだけ分かりやすく答えようとしました。「罪というのは,神様の戒めにわざと従わないことだよ。それは天のお父様を悲しませるし,苦しみや悲しみを味わうことになるんだよ。」

孫娘は見るからに不安そうな顔をして尋ねました。「どうしたらわたしたちは罪に負けてしまうの。」

こう尋ねた孫娘の純心さがよく分かりました。同時に,彼女が罪とかかわらないためにはどうしたらよいのかと心配していることも分かりました。

孫娘がもっとはっきり理解できるように,まわりの自然を例に取って説明しました。小道を先へ歩いて行くと,有刺鉄線のさくを支えるかなり大きな石の支柱がありました。重そうな石でしたが,周りには草花が伸び,小さな木の茂みができていました。時がたつと,これらの植物は支柱よりも大きく育つことでしょう。

わたしはもう少し先に行った所に,すでに植物に覆われてしまっている支柱があるのを思い出しました。知らず知らずのうちに少しずつ,そして完全に覆われてしまったのです。強固だった支柱は,自分がか細い植物に囲まれて壊されるなどと思っていなかったのでは,とわたしは想像しました。こう思っていたかもしれません。「問題ないよ。わたしは強くて大きいし,こんな小さな草木なんかどうってことないさ。」

そのため,そばにあった木が成長しても,支柱は初めのうちは気に留めません。そして日陰ができたので喜んでいました。しかし木は成長し続け,最初は弱々しかった2本の枝が支柱の周りに伸びていき,やがては巻きついてしまいました。

それでも支柱はまだ何が起こっているのか気がつきません。

歩き続けて間もなく,その支柱の前に来ました。地面から引き抜かれた状態でした。孫娘は感心した様子で尋ねました。「おじいちゃん,これが罪の木なの。」

そこでわたしは,これはどうしたら罪に負けてしまうのかを示すただの象徴,またはたとえなのだと説明しました。

この会話が孫娘にどんな影響を与えるかは分かりませんが,わたしにとっては,罪が様々な形を取ることについて,また,わたしたちが許すときに罪がどのように生活の中に忍び込んでくるかについて考える機会になりました。

わたしたちは注意を怠ってはなりません。早寝早起きをしているととても良いことが起きるように,小さな選択が大きな結果をもたらすからです。教義と聖約第88章124節はこう教えています。「……あなたがたの体と精神が活気づけられるように,早起きをしなさい。」早く寝る人は,従順であるためによく休むことができ,体と精神が活気づけられ,主の祝福を受けて目覚めるのです。

夜遅くまで起きている,祈ることなく一日を終える,断食をしない,安息日を破るというような,たいして重要とは思えない事柄,ほんのちょっとした間違いを犯すことで,徐々にわたしたちの感性は鈍くなり,さらに重大な罪を犯すことになるでしょう。

わたしが10代のころ門限は午後10時でした。では,その時間に夜遊びに出かける人もいます。しかしわたしたちは,最悪の出来事がよく起きるのは夜中であることを知っています。このような夜更けに,ふさわしくない環境に身を置く青少年がいます。こうした場所には,聖霊をとさせないような音楽や歌詞があります。そして彼らは,このような状況下で罪の格好のえじきになってしまうのです。

福音と一致しない標準を持つ友達を選んだことがきっかけで,罪のえじきになってしまう人が大勢います。そうした人々は,仲間に好かれ受け入れられようと,福音の原則や律法を曲げるようになり,その結果道を外れてしまいます。その先には,本人と愛する人に苦痛と悲しみをもたらす結果しかありません。

わたしたちは自分の周りで罪が枝を伸ばさないよう警戒しなければなりません。罪は様々な形で,どこにでも頭をもたげます。コンピューターや携帯電話も例外ではありません。このような技術は有益であり,多大な恩恵をもたらすことができます。しかしこれらを不適切な方法で使って,長い時間ゲームをしたり,肉欲や快楽に引きずり込むような番組を見たり,ポルノグラフィーのようなさらに悪い事柄に手を染めたりすると破滅が訪れます。ポルノグラフィーは人格を破壊し,かかわる人を不潔な泥沼に引きずり込みます。大きな助けがなければ,この泥沼から這い出すことはできません。

この恐ろしい怪物は,当人だけでなく,罪のないその人の子供たち,伴侶,父親,母親,そのほかの愛する人々にも痛みや苦悩を与えます。肉欲や快楽の実は苦汁と悲しみです。従順と犠牲の実は甘美と永遠の喜びです。

どの標準に従うかという決断は,誘惑を受けるときではなく,その前にしておかなければなりません。以下を基準にして,行うことと行わないことを決めてください。

  • 正しくて,主から出たものであり,幸福をもたらすものなら,わたしは行う。

  • 真理から,主から,忠実で従順な者に約束された永遠の幸福から自分を引き離すものなら,わたしは行わない。

御父はわたしたちが間違った選択をすることを御存じだったので,すばらしい愛の計画を立てられました。そして悔い改める人,助けと慰めとしを求めて主のみもとに来る人,進んでイエス・キリストのを受ける人のすべての罪をうため,世の救い主を備えてくださいました。

もしわたしたちが罪を犯したなら,直ちに助けを求めなければなりません。先ほどの話に出てきたさくの支柱が自力では自由になれないのと同じように,わたしたちも独りでは罪の罠から逃れることはできないからです。死の危険のある罠から逃れるには助けが必要です。

皆さんの親が助けてくれます。そしてビショップはわたしたちを助けるために神から召されています。心を開いてビショップに話してください。

教義と聖約第58章42節から43節にはこう説明されています。

「見よ,自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。

人が罪を悔い改めたかどうかは,これによって分かる。すなわち,見よ,彼はそれを告白し,そしてそれを捨てる。」

湖の近くを散歩してから数か月後,孫娘は父親であるビショップからバプテスマの面接を受けました。面接の後,どうだったか尋ねると,わたしをいさめるかのような口調で言いました。「おじいちゃん,面接は秘密なのよ。知ってるでしょ。」

ビショップの皆さん,この答えを真剣に受け止めてください。孫娘は短い間にたくさんのことを理解して成長したようです。

先ほど話した木が悲しみ,苦痛,苦悩,束縛をもたらしたように,別の木はその逆のものをもたらします。そのことはニーファイ第一書第8章10節から12節に書かれています。

「そして,一本の木が見えたが,その実は人を幸せにする好ましいものであった。

そこで,行ってその木の実を食べると,それは,今までに味わったどんな実よりもずっと甘いことが分かった。またその木の実は白く,今までに見たどんな白いものにも勝って白かった。

そしてその木の実を食べると,わたしの心は非常に大きな喜びに満たされた。」

愛する兄弟姉妹の皆さん,強くあってください。良い選択をして命の木の実を食べてください。もし,何かの理由で間違いを犯したり,道をそれたりすることがあったら,わたしたちは手を差し伸べてこう言います。「来てください。希望があります。わたしたちはあなたを愛し,あなたが幸せになるように助けたいのです。」

天の御父はわたしたちを心から愛しておられるので,独り子であるイエス・キリストを与えてくださいました。

イエス・キリストはわたしたちを心から愛しておられるので,わたしたちの罪の贖いのために御自分の命を与えてくださいました。

清くなって,その喜びを得るために,わたしたちは喜んで何を差し出しますか。

この真理を聖なるイエス・キリストの御名によってします。アーメン。