ガラテヤ人への手紙六
    脚注

    第六章

    兄弟きょうだいたちよ。もしもあるひと罪過ざいかおちいっていることがわかったなら、れいひとであるあなたがたは、柔和にゅうわこころをもって、そのひとただしなさい。それと同時どうじに、もしか自分じぶん自身じしん誘惑ゆうわくおちいることがありはしないかと、反省はんせいしなさい。

    たがい重荷おもにいなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法りっぽうまっとうするであろう。

    もしあるひとが、事実じじつそうでないのに、自分じぶんなにえらものであるようにおもっているとすれば、そのひと自分じぶんあざむいているのである。

    ひとりびとり、自分じぶんおこないを検討けんとうしてみるがよい。そうすれば、自分じぶんだけにはほこることができても、ほかのひとにはほこれなくなるであろう。

    ひとはそれぞれ、自分じぶん自身じしん重荷おもにうべきである。

    御言みことばおしえてもらうひとは、おしえるひとと、すべていものをいなさい。

    まちがってはいけない、かみあなどられるようなかたではない。ひと自分じぶんのまいたものを、ることになる。

    すなわち、自分じぶんにくにまくものは、にくからほろびをり、れいにまくものは、れいから永遠えいえんのいのちをるであろう。

    わたしたちは、ぜんおこなうことに、うみつかれてはならない。たゆまないでいると、ときればるようになる。

    一〇 だから、機会きかいのあるごとに、だれにたいしても、とくに信仰しんこう仲間なかまたいして、ぜんおこなおうではないか。

    一一 ごらんなさい。わたし自身じしんいまふでをとって、こんなにおおきいで、あなたがたにいていることを。

    一二 いったい、にくにおいてえをかざろうとするものたちは、キリスト・イエスの十字架じゅうじかのゆえに、迫害はくがいけたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼かつれいけさせようとする。

    一三 事実じじつ割礼かつれいのあるもの自身じしん律法りっぽうまもらず、ただ、あなたがたのにくについてほこりたいために、割礼かつれいけさせようとしているのである。

    一四 しかし、わたし自身じしんには、わたしたちのしゅイエス・キリストの十字架じゅうじか以外いがいに、ほこりとするものは、だんじてあってはならない。この十字架じゅうじかにつけられて、このはわたしにたいしてに、わたしもこのたいしてんでしまったのである。

    一五 割礼かつれいのあるなしは問題もんだいではなく、ただ、あたらしくつくられることこそ、重要じゅうようなのである。

    一六 この法則ほうそくしたがってすす人々ひとびとうえに、平和へいわとあわれみとがあるように。また、かみのイスラエルのうえにあるように。

    一七 だれも今後こんごは、わたしにわずらいをかけないでほしい。わたしは、イエスのいんびているのだから。

    一八 兄弟きょうだいたちよ。わたしたちのしゅイエス・キリストのめぐみが、あなたがたのれいともにあるように、アァメン。