家族のリソース
第16課:家族の祈り,家族の聖文研究,家庭の夕べ


第16課

家族の祈り,家族の聖文研究,家庭の夕べ

応用のための提案

あなた自身の必要や状況に合わせて以下の提案に従ってください。

  • あなたの家族が家族の祈りや家族の聖文研究,家庭の夕べを定期的に行っていれば,その中の一つ以上についてさらに改善するには何ができるかを考える。行っていなければ,これらの活動をあなたの家庭に取り入れる方法を考える。

  • 家族で行う活動を考える。『家庭の夕べアイデア集』(31106 300)279-354ページを参考にする。

  • 『教師,その大いなる召し』(36123 300)137-139ページを復習する。

読書課題

以下の記事を研究する。既婚者の場合は伴侶はんりょと一緒に読んで話し合う。

家族の祈りがもたらす祝福

第一副管長
ゴードン・B・ヒンクレー

使徒パウロは,テモテに次のように語っています。

「しかし,このことは知っておかねばならない。終りの時には,苦難の時代が来る。

その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,

無情な者,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,

裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者〔となるであろう。〕」(2テモテ3:1-4

現代では,誠実さ,道徳心,高潔さを以前にも増して強調する必要があります。わたしたちが真の成長に不可欠な美徳を生活の中に築いていくときにのみ,現代社会の風潮を変えていくことができるのです。そこで皆さんは「では一体,何から始めればよいのだろう」という疑問に直面するのではないでしょうか。

わたしが確信しているのは,まず,神を永遠の御父として,また自分自身を神の子として認識することから始める必要があるということです。すなわち神を至高者と認め,意思疎通を図り,自らの問題に対して日々御父の導きを祈り求めることから始めるのです。

家族の祈りを必ず行うようにもう一度勧めたいと思います。家族の祈りは基本的なことですが,社会の道徳心をむしばむ恐ろしい病気を食い止める治療薬の一つなのです。たった1日でその奇跡を起こすことはできないでしょうが,皆さんの子供が大人になるころには奇跡を生み出せるでしょう。

1,2世代前までは,世界中のクリスチャンの家庭において,家族の祈りは食事と同様に日々の生活の中で重要な位置を占めていました。そのような習慣が失われていくにつれ,使徒パウロが語った道徳の衰退が始まりました。

父親と母親,そして子供たちがともにひざまずいて朝な夕なにささげる祈りに勝るものはありません。厚いじゅうたんやきれいなカーテン,美しく彩られた壁や家具にも増して麗しく,優れた家庭を築くために必要なものは,家族の祈りなのです。

ひざまずくという姿勢そのものの中に,パウロが「高慢な者,……乱暴者,高言をする者」と表現した人々の態度とは正反対の大切なものが潜んでいるのです。

父親と母親,そして子供たちがひざまずいてともに祈るというその習慣自体の中に,パウロが言う「親に逆らう者,……無情な者」の芽を摘み取る大切なものが含まれているのです。

神に話しかけるという行為の中に,神を冒瀆ぼうとくしたり,「神よりも快楽を愛する者」となったりする傾向を抑える大切なものがあるのです。

パウロが述べたような神聖を汚す者,恩を知らぬ者になる傾向をなくすには,家族が集まって,日々の暮らしと平安に対して,そして与えられているすべてに対して,主に感謝の祈りをささげることです。家族が互いのことを主に感謝するとき,家族一人一人に対する理解や尊敬,愛情を新たにし,家族の中でさらに深めることができます。

聖文の中で主は次のように言われています。「あなたはすべてのことについて,主なるあなたの神に感謝しなければならない。」(教義と聖約59:7)そして再びこう言われました。「……神の手を認めない者……のほかに,人はどのようなことについても神を怒らせることはない,すなわち,ほかのどのような人に向かっても神の激しい怒りは燃えない。」(教義と聖約59:21

家族が主の前にひざまずき,貧しい人々,乏しい人々,そして苦しんでいる人々を心に留めるとき,人に対する無私の愛や尊敬の気持ち,人の必要を満たすために働きたいという望みを,知らず知らずのうちに,でも現実にはぐくんでいるのです。苦しむ隣人に助けが与えられるように神に願うとき,人は必ずその隣人を援助するために自ら行動するよう強い気持ちに駆られます。利己心を乗り越え,自分を忘れて人々に奉仕するなら,世の子供たちの生活にどれほど大きな奇跡が生じるでしょう。保護と豊かな実りを結ぶこの木の種が最もよく植えられ,養われるのは日々ささげられる家族の祈りの中なのです。

子供たちの愛国心をはぐくむ最良の方法は,両親が子供たちの前で自分たちの暮らしている国のために祈ることです。自由と平和が保たれるよう,全能の主の祝福を祈り求めるのです。子供たちの心に,権威ある者への大切な尊敬の念を築く最良の方法は,政治の重責を執行する各国の指導者について,日々家族の祈りの中で思い起こすことです。

以前,次のように書かれた屋外広告の看板を見かけました。「祈る国家に平和あり。」そのとおりだと思います。

ともに祈るなら,家庭内の張り詰めた雰囲気が大いに和らげられます。不思議な方法で,子供たちは親に対する尊敬の念から従順になるでしょう。過ちを悔いる精神が生じ,多くの場合,それが家庭の崩壊という暗い影を遠ざけてくれるでしょう。ともに祈り,主の前に自らの弱さを告白し,家庭とそこに住まう家族一人一人の上に主の祝福を請い求めること以上に,これらの祝福をもたらすものはありません。

亡くなって久しいある人の言葉が,長い間わたしの心に残っています。ジェームズ・H・モイルが自分の家で行った家族の祈りについて孫たちに書き送った言葉です。「おじいちゃんたちはひざまずいて神様から導きと承認を願い求めずに眠りに就いたことはなかった。どんなに堅固な家庭でも意見の食い違いはあるものさ。しかし,そんなものは祈りの心があれば吹き飛んでしまうよ。……祈りには,人々の心に働きかけてもっと正しく生きるように促す作用があって,それが一致や愛,ゆるし,奉仕につながるものだからさ。」

初期の聖徒たちがアイオワ州で苦難の日々を送っていたときや,合衆国の軍隊がソルトレーク盆地に到来したときもわたしたちの力強い味方になってくれたトーマス・L・ケイン大佐が,1872年に妻と二人の息子を伴って再び西部にやって来ました。ケイン大佐たちはブリガム・ヤングとともに,夜になると教会員の家に立ち寄りながらセントジョージまでの旅を続けました。ケイン夫人はフィラデルフィアに住む父親に向けて何通もの手紙を書き送りました。ある手紙の中で夫人は次のように書いています。

「この旅の途中泊めてもらった家ではどこでも,皆が夕食を終えるとすぐに祈り,そして朝食の前に再び祈るのです。家族みんなが喜んで祈りに加わります。……モルモンの人々は……家長や主賓が声に出して祈っている間,ともにひざまずいています。神を賛美する飾り立てた言葉にはほとんど時間をかけません。その代わり,自分たちに必要なものを請い求め,主が与えてくださったものに感謝をささげています。……神が自分たちの愛称や敬称を知っておられるかのように祈り,〔名前をあげて特定の個人〕のうえに祝福があるように願い求めています。……慣れてしまうとわたしもこのような祈り方が好きになりました。」

開拓者の先祖にとってこのように重要であった家族の祈りを,わたしたちが一つの民としてしっかり習慣づけられるように心から願っています。家族の祈りは,タバナクルで開かれた集会同様に,彼らの礼拝にとって重要な位置を占めていました。この日々の祈りがもたらす信仰によって,荒地を開墾し,乾いた土地に水を引き,砂漠に花を咲かせ,愛をもって家族を治め,互いに穏やかに暮らし,自らを忘れて神に仕え,自分の名前を不朽のものとしました。

社会は家族という基本単位により成り立っています。祈りの習慣を持つ家族こそ,より良い社会を築く担い手なのです。「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに,主を尋ねよ。」(イザヤ55:6

家庭をいっそう美しい場所にできるでしょうか。できます。あらゆる真の美の源である御方に向かって,家族で祈るときにそれができるのです。社会を強め,もっと住みよい場所にできるでしょうか。できます。家族でともにひざまずき,全能者に向かってその愛しておられる御子の名によって祈りをささげ,堅固な家庭生活を築くことによってそれは可能になります。

家族の祈り,これは家族の礼拝を回復することですが,これをこの国と世界中に押し広げていけば,わたしたちを破滅に至らせる深刻な問題をわずか1世代で大幅に取り除けるでしょう。家族の祈りが人々の心に高潔,互いへの敬意,感謝の精神を回復してくれるからです。

主はこう言われました。「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。捜せ,そうすれば,見いだすであろう。門をたたけ,そうすれば,あけてもらえるであろう。」(マタイ7:7

もし家族の祈りを心から行っていくならば,必ず祝福があることをあかしいたします。変化はすぐには表れないかもしれません。その変化はきわめて微妙なものです。しかし,確実に起こります。神は「ご自身を求める者に報いて下さる」(ヘブル11:6)からです。

末日聖徒が家族で祈りをささげ,周囲の人々にも同様の習慣を持つように勧めて,世の人々の前に忠誠の模範を示せるよう願っています。

「善い両親から……教えを受けた」

十二使徒定員会
L・トム・ペリー

善い両親

モルモン書の冒頭は,次のような言葉で始まっています。「わたしニーファイは善い両親から生まれたので,父が学んだすべてのことの中から幾らかの教えを受けた。」(1ニーファイ1:1)天の御父の子供一人一人が記す個人の日記が,善い両親を持ち,彼らの教えを受けたという,同じような言葉で始まっていたら,この世界は今とはどんなに違っていたでしょう。

わたしたちは歴史上きわめて特異な時代に生きています。主の福音がこの時代に完全な形で回復されているからです。教会の宣教師たちは質的にも量的にも向上し,福音はこれまで以上に多くの国へ,いっそう多くの言語で伝えられ,かつて見られなかったほど大勢の人々が福音に耳を傾けています。ほぼ世界中にワードやステークが組織されるにつれ,発明の才を持った人々が霊感を受けて通信機器を開発し,預言者の教えはもっともっと大勢の人に伝えられるようになっています。福音の善い知らせは,今や急速に広められ,永遠の平和の希望を人類の心にともしています。

危機にある家庭生活

福音の偉大なメッセージの一つは,家族という単位の永遠性に関する教義です。教会は家庭生活の価値と重要性を世の人々に宣言していますが,今日こんにちの世の中に見られる混乱や困難の多くは,家族の崩壊に起因しています。子供たちが愛情ある両親から教えやしつけを受けるという,家庭での体験が減っているのです。

両親と子供がともに学び,遊び,働いて心を通わせるという家庭生活は,今や電子レンジで手早く作った食事を一人で取り,テレビの前で夜を過ごすという生活に変わっています。1991年に全米郡協会がソルトレーク・シティーで会合を開き,家庭の影響が薄れ,国家的な危機にまで発展しているとの見解に立って,会議の中で様々な懸案事項を討議しました。会議では成功に至る機会をどの家族に対しても増す5つの基本的な概念が明らかにされました。

第1に,家族の活動を通して関係を強めること。第2に,無理のない規則と期待水準を設けること。第3に,自尊心を築くこと。第4に,達成可能な目標を決めること。第5に,家族の長所と必要な事柄を定期的に評価することです。

世の初めからわたしたちの預言者が発してきた差し迫った警告の声が,今になって急に特別なかかわりを持つようになってきたのです。わたしたちはこれまで勧告され,励まされてきたように,わたしたち自身の家族に注意を向けて,ほかの人々が真理の知識を得,家族単位の重要性を理解できるように,伝道活動を一段と活発に行わなくてはなりません。

アダムとエバは親の義務を学ぶ

まさに世の初めに,主は親の責任をアダムとエバに明確に教えられました。役割がはっきりと定められたのです。主から教えを受けた後,二人は主の勧告に従い,このように述べたことが分かります。

「その日,アダムは神をたたえ,満たされて,地のすべての氏族について預言し始めて言った。『神の御名みながたたえられるように。わたしの背きのゆえに,わたしの目は開かれた。わたしはこの世で喜びを受け,再び肉体にあって神にまみえるであろう。』

彼の妻エバは,これらすべてのことを聞き,喜びながら言った。『わたしたちの背きがなかったならば,わたしたちは決して子孫を持つことはなく,また善悪も,あがないの喜びも,神がすべての従順な者に与えてくださる永遠の命も,決して知ることはなかったでしょう。』

アダムとエバは神の名をたたえ,息子,娘たちにすべてのことを知らせた。」(モーセ5:10-12

子供を教え,訓練する

主は確かに世の初めに,地上で最初の両親に指示を与えて,子供を教えるという親の責任を教えられました。

教会が現代に回復されたときに与えられた啓示の中でも,主は子供を教え訓練する義務について,両親に再び勧告しておられます。また,教義と聖約第93章では,何人かの兄弟たちが家庭での責任をおろそかにしていることを叱責しっせきされました。聖典にはこう記されています。

「しかし,わたしはあなたがたに,あなたがたの子供たちを光と真理の中で育てるようにと命じた。……

あなたは,戒めに従ってあなたの子供たちに光と真理を教えてこなかった。そのために,あの邪悪な者は今なおあなたを支配する力を持っている。あなたが苦難を受けてきた原因はこれである。

さて,わたしは戒めをあなたに与える。すなわち,あなたは救い出されたいと望むならば,自分自身の家を整えなければならない。あなたの家には,正しくないことがたくさんあるからである。」(教義と聖約93:40,42-43

家庭の夕べの重要性

教会は何年も前に,毎週家庭の夕べを開くよう,すべての親に勧告しました。今日こんにち,その勧告は教会員の家庭で一つの行事となっています。月曜日の夜は家族とともに過ごす晩として,ほかの週日と区別されています。この夜には教会の活動も,社交上の約束も避ける必要があります。家族がこの点を忠実に守るなら,大きな祝福が約束されています。

ハロルド・B・リー大管長はかつて次のように勧告しました。

「さて,以下のことを心に留めていただきたい。エリヤの使命が余すところなく理解されるならば,子の心は父に向き,父の心は子に向くであろう。それは幕の彼方かなただけでなく,こちら側についても言えることである。もしもわたしたちが家族をおろそかにして家庭の夕べを行わなかったり,自己の責任を果たさなかったりするならば,その怠慢のゆえに愛する人を失った場合,天国はどのようなものと映るであろうか。天国は,主がわたしたちの血統を通して送られた人々の救いのために,できることをすべて行わないかぎり,天国とはならないのである。」

さらにこう続けています。

「したがって,父親であり母親であるあなたがたは,エリヤの真の精神を持っており,しかもそれは幕の彼方かなたの人々にだけ適用されると考えていないのならば,直ちにその心を子供たちに向けなければならない。子供たちに心を向け,彼らを教育しなさい。しかもそれを,訓練を受け入れることのできる若いときに行いなさい。もしあなたがたが家庭の夕べを怠るならば,系図探求を怠ると同じように,確かにエリヤの使命の芽を摘み取ってしまうことになるであろう。」(「扶助協会テキスト1978-79」2で引用,強調付加)

わたしは子供がまだ小さくて,家にいたころの楽しかった日々を思い出すことがよくあります。当時を思い返し,もう一度その時期を過ごす機会が与えられるならば,家族をまとめ,指導する際に,次のような変更をしたいと考えました。わたしたちの家で小さな子供を育てる特権が再び与えられれば,ぜひとも改善したい点が二つあります。

第1に,夫婦で構成する家族の管理委員会にもっと多くの時間を使って,親の役割をより効果的に果たすために学び,話し合い,計画し,家族を組織します。

第2にしたいことは,もう一度あの当時に帰れるなら,家族と一緒にもっと多くの時間を使うことです。その中には,さらに一貫性があり意義のある家庭の夕べを開くことも含まれます。

成功するために青少年は貢献できる

家庭の夕べを計画,準備する責任を親だけが負ってはなりません。わたしが目にした最も良い成功例は,青少年が積極的に参加した場合です。

立派な執事,教師,祭司の皆さん,ビーハイブ,マイアメイド,ローレルの皆さん,家庭の夕べを成功させるために,大いに貢献してください。多くの家庭で,皆さんは家族の「良心」になることができます。結局,この経験から最も多くのものを得るのは皆さん自身なのです。皆さんが平和で,安全で,機会に満ちた世界に住みたいと願うならば,皆さんの貢献する家族は実に全世界の福利をさえ増し加えることができるのです。

ある年のクリスマス休暇に起こった一つの例を思い出します。孫たちと一緒に遠出をしたときのことです。家族の一体感を味わうために,ワゴン車を手配して一緒に旅行に出かけました。ワゴン車にはわたしたち老夫婦と,息子と,3人の年長の孫が乗っていました。息子の妻は幼い子供たちと家に残りました。わたしが運転する番になり,妻は道案内役で隣に座っていました。後ろの座席で長女のオードリーが父親と相談しているのが聞こえてきます。彼女はこう言っています。「お父さん,今年の目標の一つは,家族の勉強会でモルモン書を終わらせることだったわね。今日は今年最後の日よ。計画どおり終わらせるために,最後のところを読みましょうよ。」

わたしの息子と3人の孫がモロナイ書の最後の章を順番に声に出して読み,モルモン書を読み通すという目標を達成するのを聞くことは,何と特別な経験だったでしょう。忘れないでいただきたいのは,この提案をしたのが親ではなく,若い女性だったということです。

青少年へのチャレンジ

皆さんは,人類の歴史の中でこの特別な時代のために取っておかれた,選ばれた世代です。皆さんの家族をますます成長発展させるために,皆さんは与えるものをたくさん持っています。家庭で福音がほんとうに生かされるように,青少年の皆さんのその特別な熱意あふれる精神をもって,家族の中で積極的に行動するようチャレンジします。ジョセフ・F・スミス大管長が述べた,次の勧告を忘れないでください。

「預言者ジョセフ・スミスを通してこの末日に地上に回復された神の知識ほど大切なものは世界中を探してもほかに何もないことを,自分の子供たちとシオンのすべての子供たちに知ってもらいたいと思います。それを失ったときに,埋め合わせることのできるものはありません。イエス・キリストの知識が持つすばらしさに肩を並べられるものは地上に存在しません。したがって,シオンの両親は皆,子供たちを見守り,福音の原則を教えてください。機械的に行うのではなく,また強要されるからでもなく,両親のみならず自分にとっても喜びとなるために義務を果たすよう,子供たちの心に真理の霊と福音に対する変わらぬ愛を吹き込むように力を尽くしてください。」(ブライアン・H・ステュイ編,Collected Discourses Delivered by President Wilford Woodruff, His Two Counselors, the Twelve Apostles, and Others,全5巻〔1987年-1992年〕5:436で引用)

家庭の夕べに新たな活力を与える

家庭の夕べは,両親のそろった家庭であろうと,片親の家庭であろうと,また教会員が一人だけの家庭であろうと,すべての人のためにあります。ホームティーチャーの皆さん,定期的な訪問の際,家庭の夕べを開くことに新たな活力を吹き込み,励ましてください。

現代の預言者エズラ・タフト・ベンソン大管長は,家庭の夕べを開くことの必要性と家庭の夕べを成功させる要素について,再度,わたしたちの注意を喚起し,こう述べています。

「家族を強め,守るために用意された教会の家庭の夕べというプログラムは,父親と母親が息子,娘たちを集め,ともに夕べを過ごせるよう,毎週一晩を取っておくことを定着させるものです。祈りをささげ,賛美歌などの歌を歌い,聖文を読み,家族の問題を話し合い,才能を披露し,福音の原則を教えるのです。ゲームに興じたり,手作りのおやつを食べたりすることもよくあります。」(Conference Report, Philippine Islands Area Conference,1975年,10で引用)

家庭の夕べで行うべきことについて預言者が述べたこの提案を,一人一人が書き留めるように願っています。

大管長はさらにこう述べています。「家庭の夕べを毎週開く人々に対して,神の預言者は次のような祝福を約束しています。『聖徒たちがこの勧告に従うなら,大きな祝福が得られることを約束します。家庭の中に愛が増し,子供たちは親に対していっそう従順になります。イスラエルの若者は心に信仰を培い,周囲の悪い影響や誘惑と戦う力を身に付けます。』」(同上。Improvement Era,1915年6月号,734も参照)

預言者の勧告に従うよう,皆さん一人一人にお勧めします。教会のすべての家族は,定期的に家庭の夕べを開くという点で,どれほど進歩しているか改めて自己評価してください。このプログラムを適用すれば,それが現代の諸悪を防ぐ盾と守りになり,個人としても家族全体としても,この世と永遠の世にわたって,さらに大きく豊かな喜びを味わうことでしょう。

神の祝福がわたしたちのうえにあり,家族でともに話し合うとき,このきわめて大切なプログラムに新たな活力を吹き込み,強化することができますように。