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第22課 クラス準備資料:多妻結婚


「第22課 クラス準備資料:多妻結婚」回復の礎 教師用資料

「第22課 クラス準備資料」回復の礎 教師用資料

第22課 クラス用準備資料

多妻結婚

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「マムレ平原におけるアブラハム」グラント・ロムニー・クラウソン画

主はアブラハムに,死すべきこの世の目的の一つは,神の子供たちを「試し,」「何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見る」ことであると言われました(アブラハム3:25)。神の戒めの中には非常に難しく見えるものがあります。文化的な規範や自分の予想に反する場合は特にそうです。学習を進めながら,多妻結婚を実施するようにという主の命令に従った,預言者ジョセフ・スミスや初期の聖徒たちのたぐいまれな信仰と従順から学べることは何か,深く考えましょう。

セクション 1

預言者ジョセフ・スミスや,ほかの多くの初期の聖徒たちは,なぜ多妻結婚をしたのか

1831年にはすでに,ジョセフは古代の預言者たちやイスラエルの王たちの幾人かが多妻結婚をしていた理由を理解するために祈っています(教義と聖約132章の前書きと1節参照)。これは,旧約聖書の霊感訳に取り組んでいたときのことです。主は,預言者ジョセフ・スミスに一つの啓示を与えられました。

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教義と聖約132:34-37を読んでください。

37節にある「そばめ」という言葉は,旧約聖書の時代,男性と合法的に結婚していたものの,妻よりも社会的地位の低かった女性を指しています。そばめは,わたしたちの神権時代における多妻結婚では存在しませんでした。

主はジョセフ・スミスに多妻結婚の原則を明らかにされた後しばらくして,この原則に従って生活し,ほかの人にも教えるよう,預言者にお命じになりました。わたしたちは,教会初期に多妻結婚を始められた神の目的をすべて理解しているわけではありませんが,多妻結婚の導入は「万事」を元通りにする末日の業の一部でした(教義と聖約132:40,45使徒3:19–21も参照)。

セクション 2

多妻結婚に関する預言者ジョセフ・スミスの体験について,どんなことが分かっているか

ジョセフ・スミスと親しかった人たちの話によると,ジョセフには1834年から1842年にわたって一人の神の天使が3度も現れ,多妻結婚の原則に従うよう命じたと言っていたとのことです。「ジョセフ・スミスが天使の最初の命令に従い,1830年代半ばにオハイオ州カートランドで多妻結婚の妻ファニー・アルジャーをめとったことが,断片的な証拠により示唆されています。……この結婚についてはほとんど知られていませんし,アルジャーに関するジョセフとエマの間の会話についてもまったく知られていません。アルジャーとの結婚が離別に終わった後,教会がイリノイ州ノーブーに移るまで,ジョセフは多妻結婚の件を棚上げにしていたようです。」(「福音のテーマ」「カートランドとノーブーにおける多妻結婚」の項,topics.churchofjesuschrist.org

1841年以降,預言者ジョセフ・スミスは,主の戒めに従ってさらに別の女性たちとも結婚し,限られた数のほかの教会員に多妻結婚の原則を紹介しました。

エライザ・R・スノーは預言者ジョセフ・スミスに結び固められ,後に中央扶助協会第2代会長として働いた女性ですが,彼女はこう述べています。

預言者ジョセフは,……多妻結婚の導入に際して自分が感じた嫌悪感に対する心の葛藤について話しました。ジョセフは神の声を知っていました。万能の神から与えられた戒めは,実践するべきだと知っていました。……ジョセフは,自分自身の偏見や先入観〔信条〕だけでなく,すべてのキリスト教界の人々の注目にさらされる状況にも立ち向かい,打ち勝たなければならないことを承知していました。しかし,すべてのものの上にまします神がお命じになったのです。ジョセフは従わなければなりませんでした。(Eliza R. Snow, in Biography and Family Record of Lorenzo Snow [1884], 69)

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こうした難しい戒めに従う意志があったことから,預言者ジョセフ・スミスの信仰と性格についてどのようなことが分かりますか。

ジョセフ・スミスの多妻結婚の実践に関するわたしたちの知識が限られている理由の一つは,ノーブーで多妻結婚を実践したジョセフやその他の人たちが,多妻結婚に関する記録をほとんど書面で残していないことです。多妻結婚の実施に関する多くの詳細は内密のままであり,歴史的な記録をひも解いてもわたしたちの疑問がすべて解消するわけではありません。

多妻結婚についての「福音のテーマ」の論文から,以下のことを知ることができます。

多妻結婚が実施された時代に,末日聖徒は,この世と永遠にわたる結び固めと永遠だけの結び固めを区別していました。この世と永遠にわたる結び固めには,現世を通しての義務と関係が伴い,一般に性的な関係も伴う可能性がありました。永遠だけの結び固めは来世だけの関係を意味していました。……

ジョセフ・スミスに結び固められた女性の何人かは後に,自分の結婚はこの世と永遠にわたるものであったと証言しており,また自分の関係は永遠だけのものであったと述べた人々もいました。

ジョセフ・スミスに結び固められた人々のほとんどは,結び固められたときに20歳から40歳の間でした。最年長のファニー・ヤングは56歳でした。最年少は……ヘレン・マー・キンボールで,15回目の誕生日の数か月前にジョセフに結び固められました。このような年齢の結婚は今日の標準では不適切ですが,その時代には合法的であり,女性の中には10代半ばで結婚した人々もいました。ヘレン・マー・キンボールは,ジョセフとの結び固めについて,「永遠だけの」ものであったと語っています。つまり,その関係は性的な関係を伴わなかったと示唆しているのです。……

……ジョセフ・スミスは,……既婚者であった何人かの女性と結び固めを受けました。この女性たちもジョセフもこれらの結び固めについて多くを説明していませんが,数人の女性が,それは永遠だけのものであったと言っています。……

この制度について幾つかのことを説明できます。これらの結び固めは,ジョセフの家族と教会内の他の家族の永遠のきずなやつながりを生み出す一つの方法を提供しました。……

これらの結び固めについては,ジョセフが多妻結婚を行うのを渋ったことからも説明できます。それが妻のエマに悲しみを与えることになるからです。ジョセフは,既婚女性との結び固めは,普通の夫婦関係を持つことを求められることなく,主の命令に従うものであると信じていたのかもしれません。……

別の可能性としては,寿命が現在よりも短い時代であり,忠実な女性たちは神権の権能によって結び固められるのをすぐにも必要なことと感じていたということです。これらの女性の何人かは末日聖徒以外,あるいは元末日聖徒と結婚しており,後に複数の女性が当時の自分の結婚は不幸であったと述べています。離婚するのが難しい時代に生きていたこの女性たちは,ジョセフ・スミスとの結び固めによって,そうしなければ来世で得られないであろう祝福を得られると,信じていたのかもしれません。……

……ジョセフの死後,彼に結び固められた女性たちのほとんどが,聖徒たちとともにユタに移り住み,忠実な教会員として生活を続け,多妻結婚とジョセフの両方を擁護しました。(「カートランドおよびノーブーにおける多妻結婚」,topics.ChurchofJesusChrist.org

セクション 3

多妻結婚の原則に教会員はどうこたえたか

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Every Trial Can Bring Greater Faith(「試練のたびに大いなる信仰がもたらされる」),by James Johnson

多妻結婚の実践は,現在の教会員同様,初期の多くの聖徒たちにとってもなじみのない困難なものでした。「世界の多くの地域で,一夫多妻制は社会的に容認され,法律上許されていました。しかし合衆国の大半の国民は,その慣習は道徳的に誤っていると考えていました」(「福音のテーマ」「『声明』と多妻結婚の終決」の項,topics.ChurchofJesusChrist.org)。多妻結婚の実践という戒めは,「ジョセフ自身とそのほかの教会員にとって,回復における最も受け入れるのが難しい事柄の一つでした。……ジョセフ・スミスの妻エマにとって耐えがたい試練でした。……多妻結婚についての彼女の見方は揺らぎ,彼女がそれを支持することもあれば,非難することもありました」(「カートランドとノーブーにおける多妻結婚」,topics.ChurchofJesusChrist.org)。

しかし,そのような生活をすることがすべての末日聖徒に求められたわけではありません。それに,多妻結婚の原則に苦しんだ教会員の中には,霊的な証という祝福を受けて多妻結婚を行う勇気を授けられた人たちもいました。そのような体験をした二人の会員の話の要約を以下に挙げます。

ブリガム・ヤングは,多妻結婚のことを知ると,こう言いました。「人生で初めて死に場所を求めました。」「必死に祈りました」と彼は続けます。「わたしは信仰を働かせ,主はそれは真理だと啓示してくださり,それにわたしは満足したのでした。」……

ルーシー・ウォーカーは,ジョセフ・スミスから妻になるようにと言われたときの心の動揺を回想して,次のように記録しています。「わたしの魂のあらゆる感覚がそれに対する不快感を示しました。」しかし,数日眠れない夜を過ごして度々ひざまずいて祈った後,部屋が「まばゆい日の光」に似た「聖なる力に包まれ,」彼女は安らぎを覚えました。「わたしの魂はかつて一度も味わったことのない穏やかで心地良い平安に満たされました」と,彼女は述べています。「わたしの全身はこのうえない幸福感に包まれました。」

すべての人がこのような経験をしたわけではありません。末日聖徒の中には,多妻結婚の原則を受け入れずに教会を去った人々もいますし,多妻結婚することを拒みながらも忠実であり続けた人々もいました。それでも,多くの男女の最初の嫌悪感と苦悩は,苦闘と決意に変わり,最終的には光と平安に至ったのでした。神聖な経験をすることで,聖徒たちは信仰をもって前進することができたのです(「カートランドおよびノーブーにおける多妻結婚」,topics.ChurchofJesusChrist.org

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ジョセフ・スミスが多妻結婚をしていながら霊感を受けた神の預言者として行動していたと言えるのかどうか疑問に思っている人にとって,初期の教会員のこのような体験談はどんな助けになるでしょうか。

セクション 4

末日聖徒イエス・キリスト教会における多妻結婚の実施は,どのような経緯で終わりを迎えたのか

1844年,預言者ジョセフ・スミスの死後間もなく,聖徒たちは合衆国西部のソルトレーク盆地に移住し,そこで教会員たちは多妻結婚を公に行うようになりました。1860年代から1880年代にかけて,合衆国政府はその実践を禁ずる法律を可決し,最終的には,投獄も含め,従わない者には厳罰を科しました。主に導きを求め,主から指示を受けたウィルフォード・ウッドラフ大管長は,1890年9月に「声明」(公式の宣言一)を作成し,この「声明」によって,最終的に教会員による多妻結婚の実施に終止符が打たれました。

少数の末日聖徒は,「宣言」が与えられた後も引き続き,新たに多妻結婚をしていました。1904年4月の総会で,スミス大管長は第二の「宣言」を発表し,「すべての〔多妻〕結婚は禁止されており,教会のいかなる役員,会員といえどもそのような結婚を挙行または執行するならば,……破門されるであろう」という公式の声明を発表しました(in Conference Report, Apr. 1904, 75)。この方針は今日でも続いています。

セクション 5

多妻結婚は昇栄に必要か

七十人のマーカス・B・ナッシュ長老は,次のように教えています。

一部に,多妻結婚が昇栄に必要であると〔聖文を誤解〕している人がいます。……しかし,この考え方には啓示の裏付けがありません。……永遠の命は神権の権能により結び固められ,聖約を守る一夫一婦の夫婦に約束されています。それに付け加える条件はありません〔教義と聖約132:19参照〕。……教会は,主の預言者を通して主が正当であると認めて命じられるときを除き,一夫一婦制が結婚に関する神の標準であると断言しています。教会は,多妻結婚を行うことが昇栄に必要であるとは教えていません(「The New and Everlasting Covenant,” Ensign, Dec. 2015, 44, 46)。

わたしたちは,教会の初期に多妻結婚を導入した神の目的をすべて理解しているわけではありません。しかし,末日聖徒は現在,神の命令に従って多妻結婚をした聖徒たちの犠牲と努力に敬意を抱いています。

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多妻結婚をしたことから,この神権時代の初期の聖徒たちのどのような信仰や信頼,主への愛が分かるでしょうか。これまで学んだことに基づいて考えてください。