2010–2019
回復の聖なる地
戻る 次へ

回復の聖なる地

パルマイラは,約2,000年の時を経て御父の御声が響いた回復の舞台でした。

親しくしていた教会員の友人は何年もの間,わたしに永遠の家族の福音を教えようと努力してくれました。しかし,わたしが永遠の家族に関する教義に初めて感動を覚えたのは,1978年10月に開かれたサンパウロ神殿のオープンハウスに行き,結び固めの部屋に入ったときでした。これが真の教会かどうか知るために何日も祈りました。

わたしにはあつい信仰心はありませんでしたが,信仰深い両親に育てられたので,他の宗教の良いところは知っていました。その当時,それらの宗教は全て神に受け入れられていると思っていました。

神殿のオープンハウスを訪れた後,どれが地上における神の教会であるのか神は答えてくださるという信仰と確信をもって,祈りを通して答えを求めました。

苦しい霊の格闘を経て,ついに確かな答えを受けたわたしはバプテスマを勧められました。わたしのバプテスマは,サンパウロ神殿の奉献式の前日,1978年10月31日の夜に行われました。

主がわたしを御存じで,主はわたしの祈りにこたえてくださるほどにわたしを大切に思っておられることを知りました。

翌朝,妻とわたしはサンパウロに行き,神殿の奉献式に出席しました。

その場にはいましたが,まだその機会のすばらしさを十分に味わうほどではありませんでした。次の日は地域大会に出席しました。

わたしたちの教会での旅が始まりました。そこには,人生の転換期にあったわたしたちを温かく迎えてくれるすばらしい友人たちがいました。

毎週日曜日にわたしたちが出席したそれぞれの新会員クラスもすばらしく,わたしたちを知識で満たしてくれました。そうした霊の栄養をもっと取れる日曜日が待ち遠しくて,1週間が早く過ぎないかと思ったほどです。

妻とわたしは,神殿で家族が永遠に結び固められるのを熱心に待ち望んでいました。それは,わたしのバプテスマの1年と7日後に実現しました。すばらしい瞬間でした。あたかも永遠が,結び固めの前に起こったことと,その後に起こったこととに分かれたように感じました。

わたしは合法的に数年間アメリカ合衆国の東海岸で暮らしたことがあったため,その町々の幾つかについては知っていました。それらはほとんどが小さい町でした。

最初の示現に至る出来事について読んだり聞いたりするときに何度も,大勢の人々のことが出てきます。わたしにはそれが不思議でした。

そこで,疑問が湧いてきました。教会が回復されたのがブラジルやわたしの祖先の地であるイタリアではなく,なぜアメリカ合衆国でなければならなかったのだろうか。

それらの大勢の人々,つまり,宗教復興や宗教の混乱に関わった人たちはどこから来たのだろうか。こうしたことがこんなにも平和で静かな場所で起こったのだろうか。

多くの人に尋ねてみましたが,答えを得ることはできませんでした。できる限りあらゆるものをポルトガル語で,そして英語で読みましたが,気持ちを静めるものは見つかりませんでした。それでも調べ続けました。

1984年10月,わたしはステーク会長会の顧問として総大会に出席し,その後,ぜひ答えを見つけたいと,ニューヨーク州パルマイラに行きました。

パルマイラに着き,次のことを理解しようとしました。なぜ回復はここで起きなければならなかったのか。なぜあのような宗教騒動が起こったのか。ジョセフの記録の中で述べられている人々はどこから来たのか。なぜ,そこだったのか。

当時,わたしにとって最も合理的な答えは,アメリカ合衆国憲法が自由を保障していたから,というものでした。

その朝,モルモン書の初版が印刷されたグランディン・ビルディングを訪れました。聖なる森に行き,一生懸命に祈りました。

そのパルマイラの小さな町の通りに人はほとんどいませんでした。ジョセフが語った大勢の人々はどこにいたのでしょうか。

その日の午後,ピーター・ホイットマーの農場に行くことにしました。そこに着くと,丸太小屋の窓の所に一人の男性がいました。強い輝きのある目をした人でした。わたしは彼に挨拶すると,同じ質問をし始めました。

その人に「時間がありますか」と尋ねられ,「あります」と答えました。

彼の説明はこうでした。その地域には,エリー湖とオンタリオ湖,そしてそのずっと東にはハドソン川があります。

1,800年代初頭,航路を開くための運河を建設することが決定されました。運河はその地域を横断し,ハドソン川まで長さ300マイル(480キロメートル)以上に及び,当時としては非常に大掛かりな事業でしたが,頼れるのは人力と動物の力だけでした。

パルマイラはその建設の拠点だったのです。建設者たちが必要としたのが技術者,専門家,家族と友人たちです。運河工事に従事するために,近隣の町々から,そして,例えばアイルランドなど,遠くから,人が大挙してやって来るようになりました。

わたしはとうとう大勢の人たちが誰だったかを突き止めました。神聖で霊的な瞬間でした。彼らは自分たちの習慣や自分たちの信条を持ち込みました。その男性から,彼らそれぞれの信条の説明を受けたとき,神はわたしに理解する心を与え,霊の目を開いてくださいました。

神がその無限の知恵を用いた計画の中で,年若いジョセフ・スミスを登場させる場所を用意され,パルマイラでのこうした宗教騒動の真っただ中に置かれたことを,わたしはそのときようやく理解しました。そこクモラの丘は,モルモン書の大切な版が隠されていた場所だったからです。

そこは回復の舞台でした。すばらしい示現の中で,少年ジョセフ・スミスに語る御父の声が2,000年の時を経て聞こえました。ジョセフは聖なる森に行って祈り,「これはわたしの愛する子である。彼に聞きなさい」1と言われた声を聞いたのです。

そこでジョセフは,筆紙に尽くし難い輝きと栄光を持つ二人の御方を見ました。そうです。神は再び御自身を人に現されたのです。地を覆っていた暗闇が消え始めました。

回復に関する預言が成就し始めました。「わたしは,もうひとりの御使が中空を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に宣べ伝えるために,永遠の福音をたずさえてき〔た〕。」2

数年の短い期間で,ジョセフは,古代の預言者が残した預言と聖約と儀式の記録,つまり,わたしたちの愛するモルモン書に導かれました。

イエス・キリストの教会は,イエス・キリストについてのもう一つの証であるモルモン書で明らかにされている永遠の福音なくしては回復され得ませんでした。そのキリストこそ,神の御子,神の小羊であり,世の罪を贖ってくださった御方です。

エルサレムでキリストは御自分の民に言われました。

「わたしにはまた,この囲いにいない他の羊がある。」3

「わたしはよい羊飼であって,わたしの羊を知り,わたしの羊はまた,わたしを知っている。」4

ホイットマーの農場を去るときに別れの挨拶をしたかどうか記憶にありません。覚えているのは,後から後から涙が頬を流れていたことだけです。美しい空では,太陽が沈みかけていました。

わたしの心には,大きな喜びがありました。平安で心が穏やかになり,感謝で満たされました。

今わたしはその理由がはっきりと分かります。主は再びわたしに,知識と光を与えてくださったのです。

家に帰るまでの間ずっと,聖文の言葉が心に響いていました。父アブラハムの子孫の全ての氏族が祝福を受けるであろうという,約束の言葉でした。5

その約束ゆえに,死が分かつときまでではなく,家族をともに永遠に一つとするために,もう一度地上で神の力が人に授けられるよう,神殿が建てられます。

「終わりの日に次のことが起る。主の家の山は,もろもろの山のかしらとして堅く立ち,もろもろの峰よりも高くそびえ,すべての国はこれに流れ〔こむ〕」。6

わたしの話を聞いている皆さん,心に何か疑問があっても諦めてはいけません。

ヤコブの手紙第1章5節を読んだ預言者ジョセフ・スミスの模範に倣ってください。「あなたがたのうち,知恵に不足している者があれば,その人は,……惜しみなくすべての人に与える神に,願い求めるがよい。」

クモラで起こった出来事は回復の重要な一部分です。ジョセフ・スミスがモルモン書の版を受けたことと同様です。この本は地上における他のどの本よりも,わたしたちがキリストに近づく助けとなります。7

主がこの末日に主の王国を導くために預言者,聖見者,啓示者を立てられたこと,また,主の永遠の計画の中で,家族は永遠にともにいるよう意図されていることを証します。主はその子供たちを大切に思っておられます。主はわたしたちの祈りにこたえてくださいます。

イエス・キリストは大いなる愛をもってわたしたちの罪を贖ってくださいました。主は世の救い主であられます。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。