2010–2019
預言者の言葉に従って生活する
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預言者の言葉に従って生活する

天の神聖な目的に沿うために,わたしたちは預言者を支持し,預言者の言葉に従って生活することを選びます。

天の御父は御自身の全ての子供たちを愛し,彼らが幸福の計画を知って理解するように望んでおられます。そのために,御父は預言者を召されました。彼らは御父の子供たちを救うために聖任されており,神の御名によって行動する力と権能が授けられています。彼らは義の使者であり,イエス・キリストとその贖罪の持つ無限の力を証する証人です。預言者は地上における神の王国の鍵を持ち,救いの儀式を執行する権限を与えます。

主の真の教会で,「この力とこの神権の鍵を授けられる者は,地上において同時期にただ一人しかい〔ません〕。」1わたしたちはトーマス・S・モンソン大管長を預言者,聖見者,啓示者として支持します。大管長は主の御言葉を明らかにし,教会全体を導き,管理します。J・ルーベン・クラーク管長が説明したとおり,「教会全体のために啓示を受ける権能を有するのは大管長だけです。」2

生ける預言者について,主は御自身の教会の会員たちにこう命じておられます。

「彼がわたしの前を完全に聖く歩み,わたしの言葉と戒めを受けるとき,あなたがた教会員は,彼があなたがたに与えるそれらのすべてを心に留めなければならない。

あなたがたは忍耐と信仰を尽くして,あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。

これらのことを行えば,地獄の門もあなたがたに打ち勝つことはないからである。」3

天の神聖な目的に沿うために,わたしたちは預言者を支持し,預言者の言葉に従って生活することを選びます。

わたしたちはまた,モンソン大管長の顧問と十二使徒定員会の会員を預言者,聖見者,啓示を受ける者として支持します。彼らは大管長の管理の下,〔主の〕思いや御心を宣言する権利と力と権能を持っています。4彼らはキリストの御名によって話し,キリストの御名によって預言し,イエス・キリストの御名によって全てのことを行います。彼らが話す言葉に,わたしたちは主の声を聞き,救い主の愛を感じます。「そして,何であろうと聖霊に感じて語ることは,聖文となり,……救いを得させる神の力となる」5のです。主御自身がこう語っておられます。「わたし自身の声によろうと,わたしの僕たちの声によろうと,それは同じである。」6

わたしたちは教会に感謝しています。それが「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられたものであって,キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である」7からです。主の家は秩序の家であり,わたしたちは疑問の答えを求めるべきところについて惑わされたり,誰の声に聞き従うべきか不安に思ったりする必要はありません。「様々な教の風に吹きまわされたり,もてあそばれたりする」8ことがないのです。神は御自身の言葉を聖任された僕に明らかにし,「聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ,キリストのからだを建てさせ,わたしたちすべての者が,神の子を信じる信仰の一致と〔御子〕を知る知識の一致とに到達〔する〕」9ようになさいます。預言者の言葉に従って生活することを選ぶなら,わたしたちは永遠の完成へと通じる聖約の道を歩んでいるのです。

飢饉の時を生き延びようと苦労していたひとり親の女性から,預言者を支持するとはどういうことかを学ぶことができます。主は預言者エリヤにザレパテに行くよう命じ,そこで,神が彼を養うよう命じられた一人のやもめに会うだろうと言われました。エリヤが町の外に近づくと,薪を拾っている女が見えたので,声をかけて言いました。「『器に水を少し持ってきて,わたしに飲ませてください。』10

彼女が行って,それを持ってこようとした時,彼は彼女を呼んで言った,『手に一口のパンを持ってきてください。』

彼女は言った,『あなたの神,主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ,かめに一握りの粉と,びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二,三本を拾い,うちへ帰って,わたしと子供のためにそれを調理し,それを食べて死のうとしているのです。』

エリヤは彼女に言った,『恐れるにはおよばない。行って,あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず,それでわたしのために小さいパンを,一つ作って持ってきなさい。その後,あなたと,あなたの子供のために作りなさい。』」11

預言者がこの飢えた母親に頼んでいることがどれだけ困難なことか少し想像してみてください。当然,神は御自身で忠実な僕に食べ物を与えることがおできになったはずです。しかし,エリヤは,主の御名によって命じられたとおりに行い,神の愛する娘に預言者を支え養う(sustain)ために自分の持っている物を犠牲にするよう頼んだのです。

しかし,エリヤは従順に対する祝福も約束しました。「『……かめの粉は尽きず,びんの油は絶えない』とイスラエルの神,主が言われるからです。」12主は,預言者の言葉を信じて従うことを選ぶ機会をこのやもめにお与えになったのです。

義の飢饉と霊の飢餓にさらされる世にあって,わたしたちは預言者を支持する(sustain) ように命じられています。預言者の言葉に耳を傾け,それを守り,支持するとき,わたしたちは主の御心と英知に,そして主の時に,へりくだって自らを委ねる信仰があることを証明するのです。

それが不合理で,不都合で,居心地悪く感じられても,わたしたちは預言者の言葉に聞き従います。世の標準から見れば,預言者に従うのは不人気だったり,不適切だったり,あるいは社会的に受け入れられないことだったりするかもしれません。しかし,預言者に従うことは常に正しいのです。なぜなら,「天が地よりも高いように,わが道は,あなたがたの道よりも高く,わが思いは,あなたがたの思いよりも高い。」13「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない」14とあるからです。

主は預言者の言葉に聞き従う人たちをたたえ,目をかけてくださいます。ザレパテのやもめの場合,エリヤへの従順さは彼女の命を救っただけでなく,最終的に息子の命をも救うことになりました。預言者が約束したとおり,「彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。……主がエリヤによって言われた言葉のように」15なったのです。

「主は主を信頼する人たちを養ってくださいます。」16わたしたちの魂にとって,預言者の言葉はマナのようなものです。それを食べるとき,わたしたちは物心両面で祝福され,守られ,必要が満たされます。 その言葉をよく味わうとき,キリストのもとに来て生きる方法を学ぶことができます。

ブルース・R・マッコンキー長老は次のように記しています。預言者を通して「主は救いに関する真理を明らかにしてくださいます。救いはキリストにあり,キリストが永遠の命に通じる進路を決められます。どのような時代にも,主の民が危機に瀕したときは,主が彼らに必要な導きを与えてこられました。将来にもきっと,天から降り注ぎ,預言者の口から発せられる神の英知によらなければ,神の民が救われない時がやってくることでしょう。」17

ローレルの教師が教えてくれた預言者の言葉が,聖約によって結び固められた結婚生活についてのビジョンをわたしに与えてくれました。預言者の言葉は,自分も幸せな家庭生活のために備え,それを手に入れることができるという信仰と希望を与えてくれました。古代と現代の預言者の教えを学び続けることによって支えられ,わたしは 7人の子供を産み,教え,育てるという非常に困難で,疲労困憊することの多い年月を乗り切ることができました。預言者の言葉は,聖典にあるものも説教壇から教えられるものも,わたしたち全員に慰めと愛と力と元気を与えてくれます。

預言者の言葉に従うとき,わたしたちは永遠に変わることのない確かな土台の上に家庭と生涯を築くことができます。その土台は「神の御子でありキリストである贖い主の岩の上〔の〕基〔であり〕,……悪魔が大風を,まことに旋風の中に悪魔の矢を送るときにも,まことに悪魔の雹と大嵐があなたたちを打つときにも,それが不幸と無窮の苦悩の淵にあなたたちを引きずり落とすこと〔がありません〕。」18

わたしたちは選ぶことができます。聖任された主の僕によって語られるキリストの御言葉を無視したり,軽んじたり,踏みにじったり,それに敵対することを選ぶこともできます。しかし,救い主はそのようなことをする人は主の聖約の民から絶たれると教えておられます。19

キリストを信じる信仰をもって,誠心誠意,祈りの気持ちで預言者の神聖な言葉を読んで研究するとき,聖霊がわたしたちの思いと心に真理を語ってくださいます。神の奥義が明らかになるよう,耳と心と思いを開いて聞き,理解することができますように。20

ジョセフ・スミスが過去も現在も神の預言者であり,地上にイエス・キリストの福音と神権を回復したことを証します。現在モンソン大管長という,神の真の預言者にわたしたちが導かれていることを証します。わたしたちが預言者とともに立ち,彼らの言葉に従って生活することを選び,信仰によって結ばれ,キリストにあって聖められ,神の御子の知識で満たされますように。イエス・キリストの聖なる御名によって,アーメン。

  1. 教義と聖約132:7;『手引き 第2部―教会の管理運営』 2.1.1も参照。こう書かれている。「イエス・キリストは御自身の教会にかかわるすべての神権の鍵を持っておられる。主は地上における神の王国にかかわるすべての鍵を御自身の使徒一人一人に授けてこられた。生ける先任使徒,すなわち教会の大管長は,神権のすべての鍵を行使することが許されている地上で唯一の人物である」

  2. J・ルーベン・クラーク・ジュニア,“When Are the Writings and Sermons of Church Leaders Entitled to the Claim of Scripture?”(セミナリーおよびインスティチュートの職員への説話,ブリガム・ヤング大学,1954年7月7日)

  3. 教義と聖約21:4-6;強調付加

  4. J・ルーベン・クラーク・ジュニア“When Are the Writings and Sermons of Church Leaders Entitled to the Claim of Scripture?”参照

  5. 教義と聖約68:4

  6. 教義と聖約1:38

  7. エペソ2:20

  8. エペソ4:14

  9. エペソ4:12-13

  10. 列王上17:10

  11. 列王上17:11-13;強調付加

  12. 列王上17:14

  13. イザヤ55:9

  14. 箴言3:5

  15. 列王上17:15-16

  16. ロジャー・ホフマン“Consider the Lilies of the Field”(1991年)

  17. ブルース・R・マッコンキー“A New Witness for the Articles of Faith” ( Deseret Book Company,1985年),478;句読点の用法のみ修正;許可を得て使用。

  18. ヒラマン5:12

  19. 3ニーファイ20:23参照

  20. モーサヤ2:9参照