2000–2009
地上に信仰が見られるであろうか
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地上に信仰が見られるであろうか

わたしたちの信仰が天の御父のにかなうときに初めて,望みどおりの祝福を受けることが可能となるのです。

崇高な曲を非常に美しい歌声で聞かせていただきました。「悩める旅人」は預言者ジョセフとその兄ハイラムが愛した曲です。オーケストラが奏でる曲に合わせて歌う聖歌隊の歌は実にすばらしいものでした。

この大会の期間中ともにある主の御霊みたまがわたしに注がれ,教会の会員と会員でない皆さんのために有益なことをお話しできるように祈っています。この役目について考えるととても謙遜けんそんになります。

わたしは今日きょう,救い主が約2,000年前に尋ねられた質問をしたいと思います。「人の子が来るとき,地上に信仰が見られるであろうか。」1

福音の第一の原則

真の信仰とは何でしょうか。信仰とは「神を信じ,信頼すること,また神に忠節を尽くすこと,……証拠がない何かを固く信じること」と定義されています。2 わたしたちは「信仰とはまだ見ていない真実のことを待ち望み,…』…なおかつイエス・キリストを中心にしたものでなければならない」と信じています。実際に,わたしたちは「イエス・キリストを信じる信仰は,福音の第一の原則である」と信じています。3

やもめ女の信仰

信仰について教えてくれる人々がいます。わたしたちが心と思いを開きさえすれば彼らは教えてくれます。そのような人,の中に,夫を亡くした一人の女性がいます。一人で息子を育てなければならなくなってから,彼女は生計を立てる方法を探していろいろと努力しました。しかし,当時その地は,ひどい飢饉ききんに見舞われ,食糧が底をついて,多くの人が飢え死にしていました。

食糧が少なくなるにつれて,生き延びる可能性も低くなっていきました。彼女は一日一日と,わずかな食糧が次第に少なくなっていく様子を手の施しようもなく眺めていました。

助けの手が差し伸べられることを期待していましたが,助けてくれる人はいません。そしてある日,最後の1食分を残して食糧がなくなってしまうという日が,とうとうやって来ました。

そこへ見知らぬ人が訪ねて来て,とんでもないことを言いました。「手に一口のパンを持ってきてください。」

彼女は男の方を向いて言いました。「あなたの神,主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ,かめに一握りの粉と,びんに少しの油があるだけです。」彼女は自分と息子のために最後の食事を作って,「それを食べて死のうとしている」と言いました。

彼女は目の前の人が主から遣わされた預言者エリヤだとは知りませんでした。信仰の原則を理解していない今日こんにちの人々は,この預言者が次に言った言葉に驚くかもしれません。

「恐れるにはおよばない」と彼は言いました。「しかしまず,それでわたしのために小さいパンを,一つ作って持ってきなさい。その後,あなたと,あなたの子供のために作りなさい。」

彼女が何を考えたか想像できるでしょうか。どのような気持ちを抱いたでしょうか。彼女が答える聞もなく,男は続けて言いました。「『主が雨を地のおもてに降らす日まで,かめの粉は尽きず,びんの油は絶えない』とイスラエルの神,主が言われるからです。」

預言者の約束を聞いた女性はそれを信じて,エリヤから指示されたとおりにしました。「彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。主がエリヤによって言われた言葉のように,かめの粉は尽きず,びんの油は絶えなかった。」4

今日の常識からすれば,この預言者が求めたことは不当であり,利己的に映るかもしれません。今日の常識からすれば,この女性の取った行いは愚かで,ばかげているように見えます。なぜこのように映るかと言えば,わたしたちは目に見えるものに基づいて判断することが多いからです。目の前にある証拠や当座の利益に基づいて判断してしまうのです。

しかし,「信仰とは,望んでいる事がらを確信し,まだ見ていない事実を確認すること」です。5信仰とは闇やみの向こうにある光を見通すことです。「あなたがたの信仰〔は〕人の知恵によらないで,神の力によるもの」でなければなりません。6

信仰の行使を怠ること

今日のわたしたちは,信仰に頼るよりも,自分の判断力や問題解決能力に頼ることがあまりにも多すぎます。病気になったら,現代医学が癒いやしの奇跡を起こしてくれます。わずかな時間で,遠くまで旅行することができます。わたしたちがいとも簡単に入手している情報が500年前に手に入れば,最も貧しい人でさえ王子になれたことでしょう。

真の信仰

「信仰による義人は生きる」7と聖文にあります。もう一度問います。信仰とは何でしょうか。

信仰が存在するとき,人は見ることのできないものに対して絶対の信頼を置き,その行動は天の御父の御心みこころに完全に従ったものとなります。第1に絶対的な信頼,第2に行動,第3に絶対的な従順,この3つの要素が備わっていない信仰は偽物です。力のない,役に立たない信仰です。信仰に欠かせないこの3つの要素それぞれについてお話ししましょう。

第1に,わたしたちは見ることのできないものに対して信頼を置かなければなりません。トマスは,復活された救い主の釘跡くぎあとに触れ,わきに手を差し入れた後でなければ,信じませんでした。

「イエスは彼に言われた,「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は,さいわいである。』」8ペテロはキリスト・イエスを信じる信仰を表した初期の弟子たちをたたえて,このように言いました。

「あなたがたは,イエス・キリストを見たことはないが,彼を愛している。現在,見てはいないけれども,信じて,言葉につくせない,輝きにみちた喜びにあふれている。それは,信仰の結果なるたましいの救すくいを得ているからである。」9

第2に,信仰によって状況を変えるためには行動が必要です。力の限りを尽くして,受身的な信仰を積極的な行動を伴う信仰へ変えなければなりません。「信仰も,……行いを伴わなければ,それだけでは死んだもの」10 だからです。

1998年,ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこの教会の聖徒たちと世界の人々に対して警告の声を上げました。大管長は昨夜の神権部会でも同じことを警告しました。警告の声はこう言っています。「皆さんに申し上げたいのは,家を整える時期が来ているということです。……ぎりぎりの生活をしている人が多くいます。中には借金生活の人もいます。……わたしが懸念しているのは,教会員も含めて国中に広がっている消費者割賦購入による負債のことです。」11

兄弟姉妹の皆さん,預言者がこの言葉を発したとき,忠実な教会員は信仰を用いて従いました。彼らは今,そのときの行動を心から喜んでいます。一方,預言者の言葉の真実性を認めながらも,行動に移す信仰に欠けていた人々もいました。彼らにはからし種一粒ほどの信仰もありませんでした。結果として,彼らは経済的苦境に陥り,個人また家族として苦しみを受けています。

第3に,わたしたちの信仰は天の御父の御心(これには御父が定められた自然界の法則も含まれます)と一致しなければなりません。ハリケーンの中を飛ぶすずめは嵐あらしの中でもうまく飛べると思っているかもしれません。しかしいずれは,それが間違いであったと思い知るでしょう。

わたしたちはこのすずめよりも知恵があるでしょうか。世間では信仰とはすべてをうのみにすることだと考えているようです。悲しいことに,一時的な流行や理論を信じ込み,永続するイエス・キリストの福音の原則を否定し,注意を向けない人がいます。悲しいことに,愚かで倫理にもとる行動に走っていながら,その行動が当然招く悲劇から,神がどうにかして救い出してくださるだろうと考える人もいます。そのような人々は,自分の行いが天の御父の御心に反していると知りながら,天の祝福を求めているのです。

自分の信仰が天の御父の御心にかない,自分の望みが御父の目にかなっていることを知るには,どうすればよいでしょうか。神の御言葉みことばを知らなければなりません。わたしたちが聖文に没頭する理由の一つは,天の御父が時の初めから人をどのように扱ってこられたかを知るためです。心に望んでいることが聖文と一致していなければ,それ以上追及すべきではありません。

次に,末日の預言者たちが霊感によって与える勧告に耳を傾けることです。

それに加えて,深く考え,祈り,そして御霊の導きを求めなければなりません。わたしたちがそのように行うならば,主はくだ「あなたに降くだってあなたの心の中にとどまる聖霊によって,わたしはあなたの思いとあなたの心に告げよう」と約束されました。12

わたしたちの信仰が天の御父の御心にかなうときに初めて,望みどおりの祝福を受けることが可能となるのです。

力の原則

信仰は,正しく理解し,行使するときに,偉大で輝かしい永遠の力となります。それはわたしたちの理解を超える大きな力です。「信仰によって……この世界が神の言葉で造られたの〔です。〕」13信仰によって水が分かれ,病人が癒え,悪人が沈黙し,救いが可能となりました。

信仰は,わたしたちの霊的な生活全体を支える基盤です。生活の中で最も大切な財産です。信仰とは単に何かを信じることではありません。わたしたちの生活そのものなのです。

救い主が語られた次の御言葉を思い起こしてください。「信ずる者には,どんな事でもできる。」14「わたしを信じる者は,またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか,もっと大きいわざをするであろう。」15

原則を教える

信仰によって歩む者は天の光と祝福に囲まれていると感じることでしょう。ほかの人たちには理解できないことを理解し,味わうことでしょう。信仰によって歩まない者には霊にかかわることは愚かに思えます。霊にかかわることは霊によってしか識別できないからです。16

天からの示現は,信じない者たちの手に届かないように封じられます。モロナイはこう述べています。「もしも人の子らの中にまったく信仰がなければ,神は人の子らの中で何の奇跡も行うことがおできにならない。したがって,彼らが信じてからでなければ,神は御自身を現されなかった。」17

しかし歴史を通じ,暗黒の時代にあっても信仰の目で暗黒を貫き,物事の真実の姿を見た人々がいました。モロナイはそのことをこう教えていま㍉「非常に深い信仰を持っていた人々が多くおり,これらの人は幕の内側を見るのを禁じられなかったので,彼らは実際に自分の目で様々なものを見た。それらのものは,彼らがすでに信仰の目で見ていたものである。そして,彼らは喜んだ。」18

家庭は,信仰をはぐくむ場所です。母親と父親は子どもに信仰の原則を教えます。祖父母もそれを助けます。わたしは,家族が集まるときに,事情が許せば孫たちと一対一の時間を持つようにしています。ひざを交えて,わたしは孫に聞きます。「元気でやっている。」「学校はどう。」

それから,わたしにとってきわめて大切なこと,つまり真の教会についてどう思っているか聞きます。そうすると孫たちの信仰と証あかしの深さが分かります。確信を持っていない分野に気づいたときには,こう尋ねます。「おじいちゃんが目標をあげたいのだけれど,頑張ってみるかい。」

それから,毎日聖文を読むことを提案します。そして,毎日朝晩ひざまずいて両親とともに,また個人で祈ることを勧めます。また,聖餐せいさん会に行き,いつも自分を清く清潔に保ち,集会に必ず出席するように助言します。そして最後に,特に大切なこととして,主のささやきの御声みこえにいつも注意を傾けるように勧めます。

さて,あるとき8歳の孫のジョセフと話をしました。話が終わると,ジョセフがわたしの目をじっと見て,はっとするような質問をしました。「おじいちゃん,もう行ってもいい?」ジョセフはわたしの腕から走り去りました。わたしはこう自問しました。「はたしてジョセフの役に立っただろうか。」確かに役に立っていたことが分かりました。なぜなら次の日に孫のジョセフがこう言ったのです。「昨日のお話ありがとう。」

叱責しっせきではなく愛によって手を差し伸べるならば,孫たちは信仰を強めることでしょう。孫たちが,救い主と主の聖なる教会を愛している人の影響と証に触れるからです。

誠し

時々,世界が暗く感じることがあります。わたしたちの信仰は時々試されます。諸天が閉じてしまったかのように感じることがあります。しかし絶望してはなりません。決して信仰を捨ててはなりません。また,希望を失ってはなりません。

何年か前に,わたしは自分の周りが暗くなりだしたことに気づきました。やっかいなことでした。聖文の文字を読むという単純なことが次第に難しくなったからです。電球の品質が下がったのではないかと思いました。昔はよいものを作っていたのに最近のメーカーはどうしたというのでしょう。

そこで明るい電球に取り替えました。それでも薄暗いままです。照明器具や電球の設計が悪いのだと思いました。しかし,太陽までもだんだん薄暗く感じるようになりました。そうなると,部屋に光が少ないのが問題なのではなく,わたしの目そのものが問題なのではないかと思うようになりました。

眼科医へ行くと,世界は暗くなっていないことが分かりました。白内障のせいで薄暗く感じていたのですこれで皆さんにわたしの年齢が分かってしまいましたね。わたしはその専門医の技術を信じることにしました。水晶体の濁った部分が取り除かれました。そして生活に再び光がさし込んできました。光は少しも減ってはいませんでした。光を見るわ、たしの能力が減退していただけでした。

この経験から深遠な真理を学びました。世界が暗くなったと感じるとき,天を遠くに感じるとき,人は周囲のあらゆるものを責めようとしますが,暗闇が生じた真の原因は信仰の薄さかもしれないのです。

快活であってください。信仰と確信を持ってください。主はあなたをお見捨てにはなりません。

主は約束してくださいました。「熱心に探し,常に祈り,そして信じていなさい。あなたがたがまっすぐに歩〔む〕ならば,万事があなたがたの益となるようにともに働くであろう。」19

いにしえのアルマが語ったように「神に頼る者はだれであろうと,試練や災難や苦難の中にあって支えられ,また終わりの日に高く上げられる」ことを,わたしは知っています。20

天の御父は力を持ち,動かし,導かれる御方です。たとえ悲しみや苦痛,嘆きの重荷を負うことがあろうとも,避けられない信仰の試しを味わおうとも,人生が暗く.わびしく感じられようとも,信仰があれば,愛にあふれる天の御父がわたしたちの味方であられることを心から確信することができます。

使徒パウロはこう約束しています。「このように,わたしたちは,信仰によって義とされたのだから,わたしたちの主イエス・キリストにより,神に対して平和を得ている。」21

そして暗黒のかなたにはっきりと光を見る日が来ることでしょう。そのとき,御父の永遠の計画,憐あわれみ,愛が理解できるのです。

「人の子が来るとき,地上に信仰が見られるであろうか。」

教会の会員たちが心から主を信頼し,希望と確信に基づいて実際に行動し,主の御心に従うように努めるならば,2,000年前に救い主が尋ねられたあの質問に答える声は,こう鳴り響くことでしょう。「はい,そのときには地上に信仰が見られるでしょう。主の御名みなを受けている者たちの間に信仰が見られるでしょう。主の聖なる原則に従う者たちの間に信仰が見られるでしょう。」

わたしたちの預言者,聖見者,啓示者であるゴードン・B・ヒンクレー大管長を通して,今日,主であり救い主であるイエス・キリストがわたしたち全員に語っておられることを証します。預言者ジョセフ・スミスを通して福音が完全に回復されたことを証します。信仰は永遠の力であり,天の御父が全人類にお与えになった賜物たまものです。これは永遠の真理です。イエス・キリストの御名みなによって,わたし自身の証として申し上げます。アーメン。