重荷から解放される
    脚注

    重荷から解放される

    救い主がその命をささげおれたのは,わたしたちが生活の中で必要な変化を逐げられるようにするためであるということを信じなければなりまぜん。生活を変えることで,平安が得られるようになるのです

    主の癒いやしの力に対して心を開かないために,不必要な重荷に苦しんでいる人たちが多くいます。このメッセージを通して,皆さんが聖霊の促しを感じ,生活を変えることによって抑圧的な重荷から解放されるように願っています。救い主はこう約束されました。「またわたしは,あなたがたの肩に負わされる荷を軽くし,……その荷が感じられないほどにしよう。わたしがこのようにするのは,……主なる神であるわたしが,苦難の中にいる自分の民を訪れるということを,あなたがたが確かに知ることができるようにするためである。」1初めに,自らの誤った選択によって苦しんでいる人々に向けてお話をします,次に,人の仕打ちによって苦渋を味わっている人々に助言を呈したいと思います。

    打ちひしがれ,頭を抱え込んだ男性が,わたしの向かいに座っていました。神の戒めを繰り返し破った当然の報いを受け,むせび泣いていました。男性は苦しんでいました。「どうしたらよいか分かりません。すべてが重くのしかかってくるのです。もう逃げるのには疲れました。平安も幸福もありません。祈っても,だれも耳を傾けてはくれません。祈る意味がないのです。」

    わたしはこの男性をずっと以前から知っていました。両親やほかの人々が助言を与えようとしましたが,彼は耳を傾けませんでした。この男性の選択は,助けとなる真理から自身を遠ざけてきたのです。男性は主と祈りの力に対する信仰を養ってきませんでした。欲望を容易に満足させるものばかりを選択していました。問題は無視するか,うそをついてその場をしのぎます。チャレンジに真っ向から向き合うことなく,両親や友人たちの善意を踏みにじってきました。自分の決断が,明日にどのような影響を及ぼすかなど考えてはいないのです。

    悲しく思いながらも,わたしはこの男性が,世の中の真の姿を見ていないことに気がつきました。すなわち,世の中とは喜びと幸福,そして真の友情が存在する場所であり,イエス・キリストへの信仰をもってその教えに忠実であれば,聖霊が正しい決断ができるように助けてくださるのです。この男性は,サタンの力に支配された環境に生活していました。健全な勧告に耳を傾けてこなかったのは,それが自分の住んでいる世界ではとうてい役に立ちそうもなかったからです。そのようなゆがんだ人生観がこの男性の現実なのです。サタンの巧妙な誘惑に屈する度に,この男性の人生観が形作られました。「やってみるがいい。だれにも分からないさ。自分の人生なのだから,好きなように生きればいい。だれにも強制なんかはできない。君には善悪を選ぶ自由があるんだ。」

    禁じられたものへの好奇心とこのような誘惑が,うっとりするほど魅力的に見える道へとこの男性をいざなったのでした。当然の結果を無視して物欲と情欲の高波にさらわれたために,必然的に神の律法と衝突する時がやって来ました。彼は苦しみ,良心の呵責かしゃくを感じて後悔しました。するとサタンは逆の方向に誘ったのです。「もう後戻りはできないのだから,今までどおりでいいじゃないか。変わろうとしても無駄だよ。」罪のゆえに,この男性は過ちから立ち直るきっかけをつかめないでいました。今いる環境では,新たな生活を始めるのに必要な手偉を見つけることはできません。悲惨で束縛されたその世界は,永遠の律法を犯したために築かれてきたのです。それは,願望を即座に満たしたいという動機によるものでした。

    皆さんは似たような状況にないでしょうか。しなければよかったと後悔していることがあるでしょうか。問題を解決する糸口が見つけられないのではないでしょうか。どれだけ望んでも逃れられない,過酷な重圧に押しつぶされそうになってはいないでしょうか。激しい感情や刺激によって,苦痛から開放されたと感じることがあるかもしれません。しかしながら,静かに自己を内省する時が必ず訪れ,自分の生活が望んでいるものと違うことに気づかされるのです。友人や,主からさえも見捨てられたのだと,公然と不平を言うかもしれません。けれども冷静に考えると,見捨てたのは自分自身であったことに気づかされるのです。罪がもたらす一時の快楽と,その結果訪れる苦しみとむなしさを捨て,その空白を埋めるすがすがしい平安と喜びのもとに戻ることを今決意してください。「悪事は決して幸福を生じたことがない」2 と教える聖文の言葉を,皆さんは身をもって知っているはずです。清潔で目的のある生活を送り,今こそ永続する喜びを手に入れてください。3

    人を支配しようとする悪魔の影響力から,また生活を縛りつける威圧的な鎖から逃れられることをわたしは確信しています。開放されるには,現在の自分の経験からは程遠い解決策を受け入れる必要があります。わたしたちを愛しておられる天の御父への信仰を働かせることが求められるのです。今はその理由が分からないかもしれません。しかし,救い主がその命をささげられたのは,わたしたちが生活の中で必要な変化を遂げられるようにするためであるということを信じなければなりません。生活を変えることで,今までどうしても手の届かなかった平安と幻のような成功が得られるようになるのです。より良い生き方があると信頼することで,現在置かれている憂うつな環境を克服できると信じてください。理解力があり,良い生き方をしている人々に助けを求めなければなりません。そのためには主の教えを学び,従うことが求められます。一度完全に決意すれば,生活を改善することが今思っているより難しくないことが分かるはずです。

    罪の結果として生じる苦しみは,憐あわれみ深い御父の,幸福の計画の一部として意図的に組み込まれました。わたしたちが人生において,破滅的な道をたどる必要がないようにするためです。罪人はこの世で苦しみを受けるだけではありません。真の悔い改めによる罪の赦ゆるしを受けていなければ,とばりを超えてからも苦しみを被るのです。4

    サタンは,罪を隠すことができると説得しようとします。しかし,罪が最悪の状況で人目にさらされるように画策するのはサタンなのです。サタンの目的は神の子らを隷属させることです。魅力的で心奪うような誘惑が例外なく根底で企てているのは個人の破滅です。わたしたちは常に悔い改め,従順になる必要があります。過失や怠惰によるわたしたちの小さな過ちに対する正義の要求でさえも,救い主の賜物たまものが満たすようにするためです。

    救い主は,罪が引き起こす結果を御自身の身に背負ってくださいます。そのためには,今悔い改めなければなりません。しかし,悔い改めの時期を逸すると,自分自身の身に苦しみを受けるのです。

    監督に助けを求めてください。監督は悔い改めの方法を教え,助けてくれるでしょう。祈って行動を起こすなら,手を差し伸べてくれる人々のもとに導かれるはずです。5悔い改めは清めの過程です。楽ではありませんが,終わりがあります。その輝かしい終着点には,平安と新しい息吹を与えてくれる赦しが,そして新たな始まりという奇跡が待っているのです。ふさわしくない行為を告白することは重要な段階ではありますが,それだけでは真の悔い改めとは言えません。何をすべきかは,監督が詳しく説明してくれるでしょう。大いなる癒しの力を生む,悔い改めの二つの局面についてお話ししたいと思います。一つは,主が語られた次の言葉に示されています。

    「主なるわたしは,ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはないからである。

    それでも,悔い改めて主の戒めを守る者は赦されるであろう。」6

    この聖句は,主が罪を見過ごしにはなさらないこと,しかし,その全き愛のゆえに,悔い改めた罪人をお赦しになることを力強く語っています。また,自分が破った戒めを守ることだけが重要なのでなく,すべτの戒めを守ることで,悔い改めの過程を支える力が増し加えられることも教えています。

    悔い改めのきわめて重要なもう一つの局面は,主の贖あがないを通して救い主の役割を認識することにあります。実際,悔い改めを可能にするのは,順いそのものだからです。イエス・キリストの役割がわたしたちの救い主,蹟い主であることに思いをはせて祈るとき,悔い改めの助けとなる力強い動機と励ましを得ることができます。アルマの次の模範に倣ってください。

    「わたしは……激烈な苦痛と苦悩にさいなまれ,主イエス・キリストに憐れみを叫び求めるまでは,決して罪の赦しを受けなかった。しかし見よ,主に叫び求めたところ,自分の霊に安息を得た。

    ……このことをあなたに話したのは,あなたが知恵を得るため,また人が救われるのはただキリストにより,キリストを通じてだけであり,決してほかの方法や手段はないことを,……学べるようにするためである。見よ,キリストは世の命であり光であられる。」7

    モルモン書の中で,アルマは不従順な息子コリアントンを戒めた際に,悔い改めの必要性と,その実を結ぶ方法について説明しました。8 この偉大な教えを学ぶことは,わたしたちの助けとなるでしょう。幸福の計画への信頼と,約束を果たされる救い主の力により,わたしたちが主の方法に従うなら,罪によって生じる暗闇くらやみは取り払われます。そして,愛する人々の信頼とともに,ふさわしい生活から生まれる喜びが再び戻って来ます。自分の過ちを人のせいにしないでください。へりくだって悔い改めてください。このように記されています。「メシヤは律法の目的を達するため,打ち砕かれた心と悔いる霊を持つすべての人のために,罪に対する犠牲として御自身をささげられる。このような人々のためにしか,律法の目的は達せられないのである。」9 どうぞ,今,悔い改める決心をしてください。

    皆さんの中には,ひどい仕打ちを受けたことで心を傷つけられ,苦しみを負っている人がいることでしょう。その行為の反動で理性がゆがめられ,苦しみから開放されるには,相手が赦しを請いに来るまで待ち続けて当然だと感じているかもしれません。救い主は,そのような思いが間違っていることをお教えになりました。救い主はこう命じられました。

    「それゆえ,わたしはあなたがたに言う。あなたがたは互いに赦し合うべきである。自分の兄弟の過ちを赦さない者は,主の前に罪があるとされ,彼の中にもっと大きな罪が残るからである。

    主なるわたしは,わたしが赦そうと思う者を赦す。しかし,あなたがたには,すべての人を赦すことが求められる。」10

    傷つけられたことを,これ以上重荷にしないでください。自分は間違ったことを一切していないように感じていても,加害者に心から赦しを求めてください。その努力によって確実に平安が与えられ,深刻な誤解は解かれ始めるでしょう。

    皆さんが深刻な罪に捕らわれていないのでしたら,』他人の罪の結果に不必要に苦しむことはありません。妻や夫,親や愛する者として,わたしたちは罪を犯したことで苦汁の中にいる人に哀れみを抱きます。しかし,その人が罪を犯したことに責任を感じる必要はないのです。愛する者を助けるためにできる限りの努力をした後は,救い主の足もとに重荷を降ろしてください。主は,わたしたちを無用の悩みや憂うつから解放してくださるために,御自身のみもとに来るように招いておられるのです。11 主のみもとに重荷を降ろすとき,平安を見いだすだけではなく,主の力への信仰,すなわち愛する者が悔い改め従順になることで重荷を取り去ってくださる主の力に対する信仰を表しているのです。

    ここで,虐待という忌まわしい罪悪によって傷を受けた人々にお話しします。精神的,身体的,性的虐待は,主の癒しがないかぎり,長く深刻な影響を与えます。恐怖心を覚え,落胆し,罪悪感と自己嫌悪にさいなまれ,人間不信に陥るのです。こういった感情は癒しへの障害となります。虐待は,他人の邪悪な仕打ちによって,選択の自由が強引に奪われたことによるものです。正義に照らして,主はわたしたちが,虐待によって生じた破壊的な結果を克服できるよう道を備えられました。まず,両親や神権指導者の助言,そして必要であれば有能な専門家の助けを受けることができます。カウンセリングを生涯受け続ける必要はありません。完全な癒しは,イエス・キリストへの信仰によって,また主の力と能力,および照いを通して与えられます。不義によって強いられてできた傷を癒すのです。現在の心境ではとても信じられないことでしょう。けれどもわたしは,救い主がこの方法で,極度な虐待によって傷ついた人々を癒されたのを見てきました。順いの力を思い巡らしてください。12蹟いがどのように癒しを与えてくれるのか理解できるように祈ってください。13監督に助けを求めてください。主は皆さんを,望みもしないこの重荷から開放してくださるでしょう。

    最後に,自分自身か,もしくは他人が原因で背負い込んだ重荷から解放されたいと感じることがあれば,その気持ちは照い主の呼びかけによるものです。今すぐ行動に移してください。主は皆さんを愛しておられます。皆さんが不必要な重荷から解放されるように,主は御自身の命を犠牲にされたのです。主が助けてくださいます。主は皆さんを癒す力を持っておられます。今すぐ始めてください。イエス・キリストの御名みなによって,アーメン。

    1. .モーサヤ24:14

    2. .アルマ41:10

    3. .教義と聖約82:10参照

    4. .教義と聖約19:4,15-24参照

    5. .ハロルド・B・リー,Stand Ye in Holy Places,(1974年),220-221参照。スペンサー・W・キンボール『赦しの奇跡』(1969年)13章,15章,22章も参照

    6. .教義と聖約1:31-32,強調付加

    7. .アルマ38:8-91

    8. .アルマ39-42章参照

    9. .2ニーファイ2:7。詩篇34:18も参照

    10. .教義と聖約64:9-10。マルコ11:25-26;ルカ6:37;モーサヤ26:29-32;3ニーファイ13:14-15も参照

    11. .マタイ11:28-30参照

    12. .ジョン・テーラー,The Mediation and Atonement (1882年)参照

    13. .リチャード・G・スコット「忌まわしい虐待の傷を癒す」『聖徒の道』1992年7月号,35-37参照