2000–2009
お父さん、起きていますか?
脚注

Hide Footnotes

テーマ

お父さん,起きていますか?

皆さんの息子は,自分にとって非常に重大な事柄に衡して,父親が眠っていると思っていないでしようか。

この問,ペイス長老,コンディー長老の三人で大管長会の会合に出かけました。部屋に入るとヒンクレー大管長はわたしたちをまじまじと見詰め,笑ってこう言いました。「白髪頭の老人3人が,教会の若い男性会長会とはねえ。」わたしたちは,こう答えるほかありませんでした。「大管長,あなたに召されましたものですから。」

若い男性の皆さん,皆さんは「アロン神権神への務めを果たす」プログラムに張り切って取り組んでいることと思います。このプログラムは,全世界のアロン神権組織で導入されています。その目的は,皆さんが霊的,肉体的,社交的,精神的な面で祝福を受けられるようにすることです。達成証明書を受けるための条件は価値あるもので,皆さんの能力を最大限に伸ばしてくれるでしょう。両親や立派な指導者たちの協力を仰ぎながら個人の目標を立て,達成することができます。このプログラムについては,教会全体が期待しています。すべての若い男牲の皆さんが目標を達成して,念願の「神への務め達成賞」を獲得できるよう,願っています。

何年も前のことですが,一人息子を連れてキャンプに行きました。息子にとっては初めてのキャンプで,釣りが目的でした。息子が子どものころのことです。渓谷の斜面は急で,川のある所まで下って行くのは大変でしたが,楽しい釣りができました。手ごたえが来る度に,わたしは釣り竿ざおを息子に渡します。待ってましたと言わんばかりに息子はリールを巻きます。歓声とともに見事なますが釣り上げられました。夕闇ゆうやみが迫り,肌寒くなってくると,わたしたちは来た道を帰り始めました。切り立つ崖がけを登ったのですが,息子は先にさっさとよじ登って行き,挑戦してきたのです。「競走だよ,お父さん。ぼく絶対,お父さんより先にてっぺんに着くからね。」その言葉は聞こえましたが,応じなくて良かったと思います。息子の小さな体は文字どおり舞うように,あらゆる障害物をよけたりくぐったりして進んで行きます。わたしがもう一歩も歩けないほどへとへとになったころには,息子は頂上にたどり着いてわたしを声援していました。夕食の後,わたしたちはひざまずいて祈りました。一日の終わりに,息子のかわいい声は天に届きました。その後,わたしと息子は二人用の寝袋にもぐり込んで,少しの問押し合いへし合いしていましたが,息子の小さな体がすり寄ってきたかと思うとぴったりとわたしに寄り添いました。その方が,夜は暖かく,安心できたのでしょう。傍らの息子を見ていると,不意にいとおしさが込み上げてきて,はからずも涙ぐんでしまいました。ちょうどその瞬間,息子は細い腕でわたしに抱きついて,こう聞いたのです。

「お父さん。」

「何だい。」

「起きてるの。」

「うん,起きてるよ。」

「お父さん,ぼくお父さんのこと大大だあい好き。」

そう言ったかと思うと,息子は眠りに就きました。ところがわたしはいつまでも寝つけず,小さな男の子の形を取ってやって来たこのすばらしい祝福に,深く感謝をささげ続けたのでした。

今ではその息子も大人になり,男の子が一人います。時々,息子と孫と3人で釣りに行くのですが,赤毛の小さな孫が父親に寄り添っているのを見ると,はるか昔のすばらしい瞬間が脳裏によみがえってきます。何げない質問ですが,「お父さん,起きてるの」という言葉は,今でも心の中に響いています。

すべての父親たちにも,この鋭い問いかけをします。「父親の皆さん,起きていらっしゃいますか。」皆さんの息子は,自分にとって非常に重大な事柄に関して,父親が眠っていると思っていないでしょうか。幾つかの分野について提示しますので,自分の息子の目から見てわたしたち父親が「起きている」か「眠っている」か考えてみてください。

1一神を愛し,家長として神の戒めを守る役割を受け入れる。数年前,ステーク大会の後で,神権者を訪問したいという気持ちに駆られました。教会から離れている兄弟でした。訪ねて行くと庭仕事の最中でしたので,そばに行って声をかけました。「愛する兄弟,わたしは主イエス・キリストから遣わされた者で,ハモンド長老と申します。主の僕しもべです。」

「アブラッソ」(訳注:スペイン語‘abrazo’は「抱擁」の意味)と呼ばれるラテン式のあいさつをして,わたしたちはこぢんまりとした心地よい家に招き入れられました。兄弟が妻と子どもたちを呼ぶと,ハンサムな青年二人と美しい少女一人が父母の両わきに腰かけました。わたしは子どもたちに尋ねました。「今,世界中でいちばん欲しいものは何ですか。」長男が答えました。「家族そろって教会に行けさえしたら,どんなに幸せでうれしいかと思います。」わたしたちは家族の皆さんに伝えました。「救い主は皆さんをどれほど必要としておられることでしょう。救い主は皆さんを愛おられます。」わたしたちは証あかしを述べ,家族の皆さんとともにひざまずいて祈りました。父親が祈ったとき,母親は涙を流しました。この家族は今では完全に教会に戻り,溶け込んでいます。子どもたちは父親を誇りに思い,家族一同幸せです。

教会では,すべての父親は家族の長です。父親は霊的な面で,率先して家族を指導しなければなりません。この義務を母親に委任したり,放棄したりしてはなりません。父親は家族の祈り,家庭の夕べ,家族の聖文学習,時宜にかなった父と子の面接をすべきです。父親は家族を保護し,守り,優しく訓練する者なのです。父親こそ,家族という組織を導き,まとめ,強める役割を担う者です。.そのためには,神から与えられた神権を受け入れ,神権の権能に関係する召しを果たし,その特権を行使しなければなりません。父親が神と御子イエス・キリストとの間に正しい関係を築いていれば,それがかがり火となり,息子娘たちは様々な障害を乗り越えて,人生の荒海を越えて行くことができるのです。

父親がイエス・キリストのまことの弟子であれば,息子たちはその模範に倣うでしょう。それは火を見るよりも明らかです。「父親の皆さん,起きていらっしゃいますか。」

2――子どもたちの母親である妻との関係。何にも増して,妻に対するわたしたち夫の態度が,息子たちの人格形成に大きな影響を与えます。父親が言葉による虐待であれ肉体面での虐待であれ,伴侶はんりょを虐待するという罪を少しでも犯すならば,息子たちは憤り,父親を軽蔑けいべつさえすることでしょう。しかし,非常に興味深いことですが,そうした経験を持つ子どもたちが大人になって結婚すると,父親がしたような虐待を妻に加えるようになる可能性が高いのです。妻を敬い,思いやりのある親切な態度で接する夫を,今の世の中は早急に必要としています。

最近ある父親の話を聞きました。その父親は,知的で美しい妻をこともあろうに「ばか」「まぬけ」と呼ばわり,非常に侮辱ぶじょくささい的な態度で,妻の些細ささいな失敗をとがめたのです。子どもたちは父親が母親をどなる声を聞いてうろたえ,脅えました。母親が,最愛の子どもたちの目の前でさげすまれたのです。父親は後で妻に謝り,赦しを得たということですが,それでも,思いやりのない行為に傷ついた心や自尊心は癒いやされませんでした。

伴侶に腹を立てたり冷たくしたり,つらく当たったりするようでは,主の御霊みたまの祝福にあずかることはできません。わたしたち父親が正しい模範を示さなければ,息子たちは母親を敬い大切にする態度をはぐくむことができないでしょう。デビッド・0・マッケイ大管長はこう語っています。「父親が子どもたちにできる最良のことは,子どもたちの母親を愛することです。」(リチャード・L・エバンズ,Quote Book, Salt Lake City, Publishers Press,1971年,11で引用)「父親の皆さん,起きていらっしゃいますか。」

3――愛にかなった愛あるしつけ。わたしたちは自分のいらいらや弱さから,つい,手を上げて子どもをたたいてしまうことがあります。このような場合,たいていわたしたちは意固地なまでに我を通そうとしているのです。どの子どもにもしつけが必要です。必要であるばかりか,子どもたちはしつけられることを望み,求めているのです。しつけは子どもたちに指針を与え,自制することを教えますが,しつけには義にかなった判断と純粋な愛が欠かせません。

小さいころ,わたしは夫を亡くした母からこれ以上はないと思われるほど厳しいしつけを受けました。母は目に涙をためて,こう言ったのです。「あなたには,ほんとうにがっかりしたわ。」わたしは心が痛み,耐えられないほどでした。たとえ千回鞭むち打たれたとしても,これほど深く傷つくことはなかったでしょう。こんなふうにしかれるのは,わたしを心底愛しているからだと分かりました。なぜなら,わたしが確信していることが一つあるとしたら,それは母がわたしを愛しているということだったからです。わたしは心に決めました。もう二度と,天使のような母を失望させるようなことはしないと。以後,この決意は貫き通しています。

しつけに関してはいかがでしょうか。「父親の皆さん,起きていらっしゃいますか。」

父親の皆さん,もし息子たちに霊的にも情緒的にも成熟してほしいと望むなら,これまで述べてきたチャレンジにこたえなければなりません。そうするならば,息子たちは父親を恥じることも,自分自身を恥じることもないでしょう。息子たちは誇りある,尊敬に値する男性に成長し,愛にあふれ,進んで主に仕え,自分の思いを主の思いに従わせるようになることでしょう。そのときわたしたちは,息子たちが永遠にわたしたちのものであるという事実を知って,喜びに満たされるのです。息子たちはこう言うことでしょう。「お父さん,起きていますか。」

そのとき,わたしたちは答えるのです。「ああ,起きているよ。」

イエス・キリストの御名みなによって申し上げます。アーメン。