教義と聖約の学習
家庭におけるジョセフ・スミスの支援
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家庭におけるジョセフ・スミスの支援

教義と聖約第41123章

Smith Cabin, New York

1829年はジョセフ・スミスにとって不確かさに満ちて始まりましたが,個人の成長と将来の備えのためのすばらしい時期となりました。1828年6月,マーティン・ハリスによる「リーハイの書」の翻訳の紛失の直後,ジョセフはモルモン書の翻訳を6カ月間行いませんでした。ジョセフは冬の数か月をペンシルベニア州ハーモニーで過ごし,「自分の家族を養うために,妻の父から購入した小さな農場で自ら働きました。」12月に,ジョセフと妻のエマは,ジョセフの父と兄の温かい訪問を受けました。2

ジョセフにとって家族の支援は非常に重要でした。何年もの間,ジョセフは両親ときょうだいたちと経験を分かち合ってきていたからです。1823年にジョセフが天使モロナイの訪れを受けた翌日,彼は父にその出来事を話しました。3ジョセフの母は後に次のように書いています。その訪れを受けた後,「ジョセフは引き続き主から指示を受け,わたしたちはジョセフがそれについて話をするのを聞くために子供たちを毎晩続けて集めました。わたしの家族はかつてこの地上で生きたどんな家族に比べても風変わりな一面があったと思います。全員が輪になって座り,父親,母親,息子たち,娘たちが,人生でまったく聖書を読んだことのない18歳の少年に非常に深い注意を払って話を聞いていたわけですから。」4

ジョセフが金版を手に入れた後,家族はジョセフが金版を好奇心を持った人から盗もうとする人まで様々な人々から守ることができるように援助しました。5

ジョセフ・スミス・シニアのための啓示

息子をハーモニーに訪問した際,ジョセフ・スミス・シニアは回復における自分の役割に関して啓示を求めました。若い預言者はこうして他の人のために受けた初期の啓示の一つを受けました。この啓示が後に出版の準備のために複写されたとき,次の見出しが追加されました。「自分に主が何をするように望んでおられるのか知りたいと願った聖見者の父であるジョセフに与えられた啓示。以下が与えられたものである。」6現在教義と聖約4章となっている短い啓示は,聖書とモルモン書からの霊的な言葉が豊富に満ちていて,「驚くべき業」が始まろうとしていることを期待させ,「神の務めに出で立とうとする」人々の資質を列挙しています。7

マンチェスターに戻った後すぐに,ジョセフ・シニアは自分の家に下宿人としてオリバー・カウドリという学校教師を受け入れることに応じました。ジョセフ・シニアは,ジョセフ・ジュニアの示現と金版について噂を聞いていたカウドリが質問を浴びせ始めたときに躊躇しました。彼は,隣人や地元の聖職者から家族が受けていた嫌がらせのために躊躇したのかもしれません。初めの躊躇の理由が何であろうと,彼は啓示で求められたことに従って,ジョセフ・スミス・ジュニアの最初の示現の忠実な見証者としての務めを果たしました。

同じ頃,ジョセフ・スミスはエマ,兄のサムエル,およびマーティン・ハリスの助けを受けて翻訳を再び始めました。彼らはそれぞれ短い間筆記者としての働きをしました。4月の始めに,オリバー・カウドリがジョセフ・スミス・シニアとの会話で興味がそそられてハーモニーまで旅をして来ました。サムエル・スミスが旅に同行してやって来て,オリバーをジョセフに紹介しました。8オリバーは「主の御心はわたしが行くべきであり、またそこに自分が行うべき業がある」と自分の「体の奥底」で感じました。9彼はすぐにジョセフのために専任の筆記者となりました。このとても必要としていた助けにより,翻訳の業は非常に速いペースで前進しました。

サミュエル・スミスの改宗

翌月,1829年5月,ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは天使として訪れたバプテスマのヨハネからバプテスマを行う権能を受け,互いにバプテスマの儀式を行いました。この出来事のすぐ後に,最初にサミュエル,そしてもう一人の兄のハイラムの訪問を受けました。サミュエルの訪問中,ジョセフは自分の兄弟を改宗させるために働きました。ジョセフは自分の歴史の中で次のように書いています。

この頃兄のサミュエル・H・スミスがわたしたちを訪問してきました。わたしたちは主が人の子らのためにまさに行おうとなさっていることを彼に告げ,説いて聞かせ,福音の真理が完全に明らかにされようとしており,わたしたちが得た教義の真理を聖書に訴えかけていることを説得するために働きました。これらのことは容易には確信が得られなかったので,サミュエルは森の中に入って,自分で判断できるように慈悲深い神から〔知恵〕を授けてもらうためにひそかに熱心に祈りました。その結果,彼は啓示によりわたしたちが彼に伝えた教義が真実であると確信を得ました。福音の命ずるところに従って,彼はO・カウドリからバプテスマを受け,大いに祝福を受けて神をほめたたえながら,聖霊に満たされて家に帰って行きました。10

サミュエル・スミスは教会初期の福音を宣べ伝える宣教師として伝道に行きました。1830年の夏,彼は教えを説き,モルモン書を売るために近くのニューヨーク州メンドンまで短い旅をしました。

ハイラム・スミスのための啓示

サミュエルの後,間もなくしてハイラムがジョセフを訪問しました。ジョセフは次のように思い返しています。「彼の熱心な要請で,わたしはウリムとトンミムを通して彼のために主に伺い,次の啓示を受けました。」11この啓示は現在教義と聖約11章となっています。初めの文章は1829年に与えられた啓示と似た言葉ですが,文章は主の業が開かれるうえでハイラムの役割に関してヒントとなる個人的な勧告,約束,および忠告が続けて記されています。

主は,他の事柄とともに,ハイラムに次のように訓告されました。「見よ,わたしはあなたに命じる。あなたは召しを受けるまで,教えを説くために召されたと思うには及ばない。あなたは……わたしの言葉……を得るまで,もう少しの間待ちなさい。……わたしの言葉を告げようとしないで,まずわたしの言葉を得るように努めなさい。そうすればその後,あなたの舌は緩められる。」12教義と聖約11:15-16,21参照)

その後間もなく,1829年6月,ジョセフ・スミス・シニア,サミュエル・スミス,およびハイラム・スミスは,モルモン書の8人の見証者の一人となり,自分たちが金版を見て,ジョセフがそれを翻訳し,「神がそのことを証される」ことを「確かに」知っていることを世に証しました。13再度,ジョセフの家族の忠実さと支援がジョセフの継続する働きにおいて非常に重要であったことが分かりました。

『自分たち個々の義務を知りたいと願う』

モルモン書は,今や翻訳が完成し,印刷の準備が整い,1830年3月に出版されました。1830年4月6日,ニューヨーク州フェイエットにて,ジョセフ・スミスは当時キリストの教会と呼ばれた教会を正式に組織しました。その後間もなく,ジョセフはオリバー・カウドリ,ハイラム・スミス,サミュエル・H・スミス,ジョセフ・スミス・シニア,およびジョセフ・ナイトから「この業に関して自分のそれぞれの義務を主から教えてもらいたい」と求められました。14ジョセフは彼ら一人一人に短い個人的な啓示を与えました。内容,長さ,言葉において似ていますが,啓示は一つ一つ与えられたように思われます。筆記者として働いたジョン・ホイットマーは,それぞれが別々の啓示であると記録していますが,1835年版の教義と聖約が出版されたときに,これらは一つにまとめられました。これらは現在教義と聖約23章にあります。15

似ていますが,それぞれの啓示は受けた人の名前,義務,役割および期待されていることについての具体的な勧告が述べられています。一つの顕著な違いは最初の4つの啓示はオリバー,ハイラム,サミュエルおよびジョセフ・シニアがバプテスマを受けていたので,啓示を受けた人に対して「何ら罪の宣告を受けていない」と述べられていることです。最後の啓示を受けた,ジョセフ・ナイトはまだバプテスマを受けていなかったので,その代わりに「まことの教会に加わ〔る〕……のがあなたの務めである」と勧告されています。16教義と聖約23:7参照)

ハイラムに与えられた啓示の言葉は,以前与えられた啓示以来,彼が主の言葉を得て,今は「舌〔が〕緩められ」説き勧めるように召されたことを暗示しています(教義と聖約23:3参照)。1830年10月にはハイラムはニューヨーク州マンチェスターの彼の父の家で回復された福音とモルモン書の教えを説いたことが知られています。ハイラムの安息日の説教がエズラ・セアの心に響き,彼を改宗に導きました。セアは後に次のように回想しています。「全ての言葉がわたしの奥底の魂に触れました。わたしは全ての言葉が自分に対してのものだと思いました……そして涙が頬を伝って流れました。」17

その後何年も,ジョセフの家族は宣教師として奉仕し,神権指導者としての責任を引き受け,個人の犠牲を払い,彼を支援し続けました。彼らの道と成功,困難や失敗も一緒に時間とともに展開していきました。しかし,1830年,教会が組織されたとき,彼らはジョセフ・スミスによって明らかにされた主の御心を理解して熱心に仕えました。