第7章
「清い信心」
家庭訪問による見守りと教え導く務め
イエス・キリストは地上におられたとき,どのように生きるべきかを示してくださいました。「〔主は〕道を示し,……導きます」とエライザ・R・スノー姉妹は書いています。1主はどのように教え導けばよいか,つまりどのように互いに見守り合い,強め合えばよいかを示してくださいました。主は一人一人を,一人ずつ教え導かれました。99匹を残しておいて,道に迷った1匹を救うべきであるとお教えになりました。2一人一人を
救い主はその務めにおいて御自分とともに働く弟子たちを召し,人々に仕えてさらに主のような者になる機会を彼らにお与えになります。扶助協会では,家庭訪問を通して,姉妹一人一人を見守り強める機会がそれぞれの姉妹にあります。中央扶助協会第15代会長であるジュリー・B・ベック姉妹は次のように述べています。「イエス・キリストの模範と教えに従っているわたしたちは,主の代わりに愛し,知り,仕え,理解し,教え,導くために与えられた,この神聖な割り当てを尊んでいます。」4
家庭訪問の始まり——寄付集めと組織的な奉仕
1843年,イリノイ州ノーブーでは人口の増加に伴って末日聖徒が4つのワードに分かれました。その年の7月28日に開かれた集会で,扶助協会の指導者は各ワードに4人の姉妹から成る訪問委員会を設けました。訪問委員会の責務で最もよく知られていたのが,人々の必要を見極め,寄付を集めることでした。
寄付には金銭のほか,食料や衣類も含まれました。毎週,訪問委員会は集めた寄付を扶助協会の会計係に渡します。扶助協会はこの寄付を用いて,助けを必要としている人を援助しました。
この責務を果たすことについて,ある姉妹は自らの信念を次のように述べています。「わたしたちの救いは貧しい人にどれだけ物惜しみしないかにかかっています。」別の姉妹はその考えに賛成して次のように述べています。「主はそれが真実であることを繰り返し示しておられます。主はわたしたちの慈愛の行いを喜んでくださっています。」5
ここの活動は20世紀に入っても続きました。通常,訪問を割り当てられた姉妹は手にかごを持って出かけて行き,マッチ,米,重曹,果物の瓶詰めといった品々を受け取りました。寄付の大半は地域の人々の必要を満たすために用いられましたが,何千マイルも離れた場所にいる人の援助に用いられることもありました。例えば,第二次世界大戦後,合衆国の扶助協会の姉妹たちは50万点以上の衣類を集め,分類し,修繕し,
寄付を集めるほかに,訪問委員会は訪問先の家庭がどのような必要を抱えているかを見極めました。その結果を扶助協会の指導者に報告し,指導者は助けるための取り組みを計画しました。
第6代大管長であるジョセフ・F・スミス大管長は,扶助協会の姉妹たちがある家族にキリストのような無私の愛を示すのを見たときのことについて,次のように語っています。
「最近わたしは,遠隔地にあるシオンのステークで,多数の病人が出ている開拓地を訪れる機会がありました。わたしたちは何日もの間旅をして,夜遅く開拓地に到着しました。ステーク会長に案内されて,病人を何人か見舞うことになりました。一人の姉妹がベッドに横たわっていました。非常に危険な状態でした。恐ろしい病に苦しむ妻のベッドの傍らに座っている夫は,気も狂わんばかりに悲しみ,大勢の幼い子供たちが母親を取り囲んでいました。極貧の状態にあえいでいる家族の様子がうかがわれました。
間もなく,落ち着きのある女性が家に入って来ました。苦しむその家族のために栄養価の高い食物とごちそうがいっぱいに入ったかごを抱えていました。尋ねると,ワードの扶助協会から指示を受けて,その夜,病気の姉妹を世話し看護するために来たとのことでした。幼い子供たちの世話をし,体を洗い,食べさせ,寝かしつけるために,また家を片付け,病気の姉妹と家族ができるだけ心地良くいられるようにしようとやって来たのです。わたしたちはさらに,翌日には別の善良な姉妹が同じように指示を受けてその母親を助けに来ることになっていることが分かりました。そして,来る日も来る日も,扶助協会の姉妹たちがやって来て,母親が苦痛から解放され健康を取り戻すまで,気の毒な家族のために心のこもった世話をしたのです。
また,この扶助協会は非常によく組織され,訓練が行き届いていたので,開拓地内のすべての病人が同様の関心と世話を受け,慰めと安らぎを得ていたことが分かりました。そこで見た模範ほど,この偉大な組織の有用性とすばらしさをはっきりと示すものはほかにありませんでした。そしてわたしは,教会にこのような組織を設立するよう預言者ジョセフ・スミスに霊感をお与えになったことに,主の大きな恵みを感じたのでした。」6
霊的な務めとしての家庭訪問
訪問教師はいつの時代も個人や家族の物質的な必要に心を配ってきましたが,同時に,より高い目的もありました。中央扶助協会第2代会長であるエライザ・R・スノー姉妹は次のように教えています。「わたしは,教師の務めは気高く,聖なる務めだと思います。その仕事は単に貧しい人のために施しを求めることだと姉妹たちが思わないように願っています。神の
スノー姉妹は,訪問を受けた後で姉妹たちが「家の中の違いに気づく」ことを願っていました。7スノー姉妹は訪問教師に,物質的な必要とともに霊的な必要を見いだし,満たすことができるように,家庭を訪問する前に自らを霊的に備えるよう勧めました。「教師は,……家に入ってその中の霊的な状態を知ろうとするとき,必ず主の御霊を豊かに受けているようにするべきです。……その家の霊的な状態に対処できるように,〔御霊を〕得るために神と聖霊の前に懇願してください。……そうすれば,平安と慰めの言葉を語りたいと感じることでしょう。そして姉妹が寒さを覚えているのを知ったときには,子供を抱き締めて温めるようにその姉妹を温かく受け入れたいと感じることでしょう。」8
1860年代後半にワード扶助協会会長として働いたサラ・M・キンボールは,ワードの姉妹に同様の助言をしています。「教師には〔担当の姉妹〕を月に1度訪問し,会員たちが恵まれた幸せな生活を送っているかを尋ねる義務があります。そして,知恵と慰めと平安の言葉を語る義務があります。」9扶助協サラ・M・キンボール会の指導者は,訪問教師には「資金を集めるだけでなく,福音の原則を教え,説き明かす」務めがあることを強調しました。101916年,訪問教師は物質的な奉仕を行うほかに,毎月一つの福音のテーマについて話し合うよう公式に要請されました。1923年には,中央扶助協会会長会により毎月すべての訪問教師が同じメッセージを伝える方式が取り入れられました。
「新しい家庭訪問の誕生」—「女性にとってすばらしい経験」
教会の福祉計画(第5章参照)の実施から8年が経過した1944年,中央扶助協会第8代会長であるエーミー・ブラウン・ライマン姉妹は,寄付を集めるという訪問教師の従来の責務に疑問を抱くようになりました。ライマン姉妹と顧問たちはこの問題を検討し,管理ビショップリックに「資金集めの件……は扶助協会よりも教会の中央幹部によって解決されるべき」であると提言しました。
管理ビショップであったリグランド・リチャーズビショップはその提言を大管長会に報告しました。大管長会と管理ビショップリックは「扶助協会は訪問教師による慈善基金集めを取りやめることが望ましい」と感じたと,リチャーズビショップは後に述べています。11
当時ライマン姉妹の第二顧問として働いていたベル・S・スパッフォード姉妹は,家庭訪問に関するこの変更について次のように語っています。
「幹部の兄弟たちがこう言いました。『扶助協会の訪問教師による慈善基金集めはもう行いません。皆さんは慈善救済活動の資金を調達する組織ではなく,奉仕を行う組織になるのです。』
……ある日,扶助協会の会長会と書記,そして2,3人の役員で集会を行ったときのことをよく覚えています。一人の姉妹が言いました。『家庭訪問の
それは終焉を告げる鐘とはなりませんでした。以降,このプログラムはとても活発に行われるようになり,以前は参加していなかった女性も訪問教師になることを希望しました。」12
スパッフォード姉妹は後に中央扶助協会第9代会長として働き,家庭訪問が扶助協会のすべての姉妹の生活にもたらす恵みについて無数の例を目にしました。スパッフォード姉妹は次のように証しています。
「訪問教師と扶助協会会長によって,非常にすばらしい業が行われます。受けている召しの精神の下に出かけて行く彼女たちは,扶助協会の使者だからです。……彼女たちは母親であり,ほかの女性とその悲しみを人として理解しています。ですから,わたしたちは社会福祉の概念を飢えている人や貧しい人に限定するべきではありません。救い主は心の貧しい人を思い起こすようにおっしゃらなかったでしょうか。また,富んでいる人も貧しい人と同じように病気にならないでしょうか。そして看病してくれる人がなかなか見つからないことがないでしょうか。……それこそ扶助協会が行っているべきことです。訪問教師が召しを果たすことによって家庭の問題を軽くする見事な働きをした話なら,幾つでも紹介できます。」13
特権,義務,決意——家庭訪問のビジョンを世界中で共有する
大管長会の顧問であるヘンリー・B・アイリング管長は,家庭訪問は世界中の人々に助けを与えるための主の計画の一部であると証しています。
「とても多様な世の中にあって,とても大きな教会のあらゆる場所で支援し慰められる唯一の方法は,助けの必要な人の近くにいる個々の
主は一つの規範を設けられました。二人の扶助協会の姉妹が,別の姉妹を訪れるという割り当てを主からの召しとして受け入れます。それは最初からそのとおりでした。……
扶助協会の会員は,常に神権を持つ地元の羊飼いの信頼を受けてきました。すべてのビショップとすべての支部会長には,信頼できる扶助協会会長がいます。そして扶助協会会長には,すべての姉妹が直面している試練と抱えている必要を知る訪問教師がいます。訪問教師を通じて,個人と家族の心の内を知ることができます。必要を満たし,ビショップが個人と家族を養うという召しを果たすのを助けることができます。」14
アイリング管長が述べているように,家庭訪問は世界規模で成長する教会に大変適しています。この見守りの制度を通して,末日聖徒の女性一人一人に主の手に使われる者となる機会があります。
扶助協会の姉妹は,世界中で家庭訪問を確立するために熱心に働いてきました。例えば,ブラジルで教会が
サンパウロ〔にある〕小さな支部から始めることにしました。支部は町の工業地区にあり,住民の大半は貧しい人でした。会長会は支部の数少ない姉妹たちに,『この日の晩,この時刻にわたしたちが借りた建物に来てください』と事前に連絡しました。」
バンガーター姉妹と顧問の一人は「1,200万人が住む町を車で横断しました。二人が支部に着くと,そこには……7人の謙遜な女性がいました。」
歌と祈りで集会を始めた後,バンガーター姉妹の顧問が家庭訪問について教えるために立ち上がりました。「その姉妹は小さな紙を持っていましたが,とても震えていたので紙も揺れていました。姉妹は立ち上がり,メッセージを読み上げました。5分ほどで終わりました。
顧問の姉妹が座ると,全員が〔バンガーター姉妹〕の方を見ました。バンガーター姉妹は『わたしはポルトガル語ができません』と言いましたが,皆,彼女から学びたいと思っていました。部屋には英語を話す人はいません。バンガーター姉妹は立ち上がると,知っているポルトガル語をすべて言いました。4つの文から成る短い話でした。
『“Eu sei que Deus vive.” わたしは神が生きておられることを知っています。
“Eu sei que Jesus é o Cristo.” わたしはイエスがキリストであられることを知っています。
“Eu sei que esta é a igreja verdadeira.” わたしはこの教会がまことの教会であることを知っています。
“Em nome de Jesus Cristo, amém.” イエス・キリストの
これがその支部で開かれた最初の扶助協会の集会でした。すなわち,訪問教師がいたことも,訪問教師を見たことも,訪問教師になったこともない姉妹による家庭訪問についての5分間の話と,福音についての証でした。
……その小さな集まりや,同じようなほかの集まりから,ブラジルで活気と信仰に満ちたすばらしい女性の組織が育っていきました。彼女たちは有能で,教養があり,
家庭訪問は世界中の末日聖徒の女性が愛し,養い,仕えるための手段,すなわちジョセフ・スミスが教えたように,「神が植え付けられた思いやりの精神に従って行動」するための手段となっています。16
献身的な訪問教師は,キリストのような奉仕を行うようにという末日の預言者の呼びかけにこたえます。第12代大管長であるスペンサー・W・キンボール大管長は次のように教えています。「神は人を心に留め,見守っておられます。しかし,神が人の必要を満たされるのは,通常はほかの人を介してです。だからこそ,神の王国にあって互いに仕え合う必要があるのです。」17第16代大管長であるトーマス・S・モンソン大管長は次のように述べています。「わたしたちの周りには,……わたしたちの注目,励まし,支え,慰め,親切を必要としている人が大勢います。わたしたちは地上で主の
今日 の家庭訪問——イエス・キリストに従うための絶え間ない努力
末日聖徒の女性がイエス・キリストに従うという聖約を果たすとき,家庭訪問の物語はあらゆる地にいる姉妹の生活の中でさらに続いていきます。大管長会の顧問であるディーター・F・ウークトドルフ管長は次のように述べています。「すばらしい姉妹の皆さんは,自分の利益を求める代わりに,周囲の人々に哀れみ深い奉仕を行っています。こうして救い主の模範に従っているのです。救い主は,王でありながらも,地位を求められませんでした。また,人の目に留まるかどうかに関心を示されませんでした。人との競争で頭を悩ますこともなさいませんでした。救い主の思いは,常に,周囲の人を助けることに向いていました。救い主は,教え,癒し,言葉を交わし,人の話に耳を傾けられました。真の偉大さは社会的な成功や地位とはほとんど関係ないことを御存じでした。次の教義を教え,御自身の生活でも実践されました。『あなたがたのうちでいちばん偉い者は,仕える人でなければならない。』」19
長い年月の間に,姉妹たちは家庭訪問には決意と献身と犠牲が求められることを学んできました。御霊の導きの下で訪問する必要があることを学んできました。真理を教え,証を述べるときに,愛をもって物質的な助けを与えるときに,また,進んで担当の姉妹とともに悲しみ,慰め,重荷を負うのを助けるときにもたらされる力を目にしてきました。
決意,献身,犠牲
キンボール大管長は,訪問教師には完全な決意と献身が求められると強調しました。大管長は次のように述べています。「皆さんの義務は多くの点で〔ホーム〕ティーチャーの義務と相通じるものがあります。簡単に言えば,『常に教会員を見守り』—1か月に20分間ではなく常にです—『彼らとともにいて彼らを強め』─ドアをノックすることではなく,彼らとともにいて,彼らを高め,励まし,力づけ,強めるのです─『罪悪がないように,……かたくなになることのないように……,陰口,悪口のないように取り計らう』のです。」20キンボール大管長は妻のカミラがそのように献身的に働くのを見ていました。カミラ姉妹は訪問教師としての自分の取り組みについて次のように述べています。「温かい言葉をかけ,寛大な行いをしたいという気持ちにいつも素直であるように努めてきました。」21
家庭訪問は生涯の割り当てであり,決して終わりがありません。訪問教師はしばしば犠牲を払い,落胆を乗り越えるように求められることがあります。努力してもまったく前進していないように思えるときは特にそうです。キャシー・ハンフリーの話を紹介しましょう。
「初めて訪問教師に召されたときのこと〔です。〕……教会に来ていない若い姉妹を訪問するよう割り当てられました。……わたしは毎月忠実に彼女の家を訪ね,戸をたたきました。彼女はいつも内側の扉だけ開き,網戸を閉めたままにしてい〔ました〕。そして決して口を開こうとせず,ただ玄関にじっと立っていました。わたしはできるだけ快活にこう言うのでした。『こんにちは。訪問教師のキャシーよ。』そして何の反応も得られないまま続けます。『
訪問は気が進みませんでした。……けれども従順でいたかったので……訪問していました。このような訪問が7,8か月続いた後,ビショップから電話がありました。
『キャシー,君が訪問しているあの若い姉妹が出産したんだが,赤ちゃんが数日で死んでしまったんだ。ご主人と二人で略式の葬儀をするので,君に参列してもらえないか聞いてほしいと彼女に頼まれたんだよ。君は彼女のたった一人の友人だそうだね。』わたしは葬儀に参列しました。墓地にいたのは,彼女と夫,ビショップとわたし,それだけでした。
彼女に会うのは毎月1度,それもほんの数分間にすぎませんでした。網戸越しだったので,妊娠していることにすら気づきませんでした。けれども,十分とは言えないものの望みを持ち続けた訪問は,彼女にもわたしにも祝福となっていたのです。」22
霊的な導きを求める
忠実な訪問教師は霊的な導きを求め,幾度も導きを受けてきました。ブラジルのある扶助協会の姉妹は,主の助けを受けたときのことを次のように語っています。
「姉妹たちに電話で連絡を取ることはできません。わたしたちには電話がないのです。ですから,その週に自分を必要としている姉妹を見いだすために,ひざまずいて祈ります。そうすると必ず見つかります。〔例えば〕,ワードの若い姉妹は,生まれてくる赤ちゃんに着せる服を持っていませんでした。わたしは出産の予定日は知りませんでしたが,もう近いことは知っていました。そこで姉妹たちに集まってもらい,赤ちゃんの服を作りました。彼女が赤ちゃんを新聞紙に包んで帰宅せずに済むようにしたかったのです。電話はできないので,祈りました。すると,いつこの服を病院に持って行けばよいかを告げられました。病院に着くと,姉妹はちょうど出産を終えたところで,扶助協会の姉妹たちからの服をプレゼントすることができました。」23
姉妹たちの状況はそれぞれ異なるため,訪問教師は個々の姉妹を助ける最善の方法を知るために聖霊から具体的な導きを受ける必要があります。ナイジェリアのフローレンス・チャクウラーは,ある姉妹の訪問教師に割り当てられたときにそのような導きを受けました。「その姉妹は夫婦関係と家庭に問題を抱え,自宅で訪問を受けることができなかったため,市場で家庭訪問を行わなければなりませんでした。姉妹が直面する試練について話を聞き,状況を把握したチャクウラー姉妹は,苦境に立つこの姉妹を助ける方法を知るために夫に神権の祝福を求めました。祝福の後,チャクウラー姉妹は
数か月後に,この姉妹の環境に劇的な変化が訪れ〔ました〕。娘は奨学金を受け,高校を卒業することができました。夫はビショップの助けで教会に活発に集うようになり,教会の責任を引き受けました。そして夫婦で協力して家計と夫婦関係を改善し,やがて周りの人々を霊的に鼓舞するまでに至りました。」24
真理を教え,証を述べる
キンボール大管長は,訪問教師は福音と自分の証を分かち合うときに,担当の姉妹が救い主に従うのを助けることができると教えています。
「姉妹たちには二人で家庭を訪れるすばらしい特権があります。……
わたしの見るところ,このプログラムには何の強制もありません。あるのはただ励ましと愛のみです。わたしたちの愛によって改心し,愛によって励みを得る人々が多いことに,ただ目を見張るばかりです。わたしたちは主が啓示の中でおっしゃっているように,『警告し,説き明かし,勧め,教え,またキリストのもとに来るように……招』かなければなりません(教義と聖約20:59)。……
ただ訪問し,友人になるだけで満足してはなりません。もちろん友情は大切です。しかし,友情を築くのに,命と救いの永遠の原則を教えることに勝る方法が果たしてあるでしょうか。
あなたの証が強力な手段となります。……いつも改まった形で証をする必要はありません。証にはいろいろな仕方があります。
訪問教師は……活力とビジョンと真心において,また証において,卓越した女性となることが必要です。」25
ある若い母親は,福音に従った生活に戻れるように助けてくれた訪問教師への感謝の気持ちを次のように述べています。
「わたしを愛し,決して裁かなかった訪問教師に今でも感謝しています。二人はわたしがほんとうに大切な存在であることを感じさせてくれました。また,教会に行けば歓迎されることを確信させてくれました。
二人が我が家を訪問してくださる度に,いろいろなことを話し合いました。……彼女たちは……毎月メッセージを残していきました。
毎月訪ねて来る度に,わたしは自分がほんとうに価値ある人間であり,二人がわたしのことを心から心配しており,わたしを愛し,認めてくれているのを感じました。
わたしたちを毎月訪問してくださるこの二人によって,今こそ教会へ戻るべきだと決意しました。どのようにして教会に戻ったらよいかが分からなかったわたしに,二人は訪問して,手を差し伸べることによって,その方法を与えてくれました。
主はわたしたちを愛しておられます。たとえわたしたちがどのような者であってもです。わたしたちはそのことをはっきり理解する必要があります。わたしの訪問教師はそれがほんとうのことであると教えてくれました。
今では夫とわたしは神殿で結び固めを受けています。」26
家庭訪問はイエス・キリストの福音を姉妹とその家族の生活にもたらす手段です。中央扶助協会第13代会長であるメアリー・エレン・スムート姉妹は次のように述べています。「姉妹の皆さんにお願いしたいのは,電話や毎月あるいは四半期ごとの訪問がきちんと行われるかについて心配するのはやめ,何よりも,芽生えたばかりの柔らかな霊を養うことに心を尽くしていただきたいということです。わたしたちの責任は,彼らの心にともった福音のともしびが明るく燃え続けるように見守り,助けることです。わたしたちに託された責任は,いなくなった羊を見つけ出し,彼らが救い主の愛を感じられるように助けることです。」27
キンボール大管長は次のように教えています。
「ぼろを着ている姉妹たち,すなわち霊のぼろを着ている姉妹たちが大勢います。……彼女たちは豪華な霊の礼服を着るに値する人々です。……皆さんには,家庭を訪問してぼろを礼服と交換する特権があるのです。……
……皆さんが訪問する目的は人を救うことなのです。また,皆さんの訪問を受けて,新たな視野と新たな理解を得たおかげで,
お分かりのように,皆さんはこの姉妹たちを救っているだけでなく,恐らくその夫や家庭をも救っているのです。」28
愛をもって物質的な助けを与える
訪問教師による物質的な奉仕と見守りの根底にあるのは慈愛です。姉妹とその家族は,しばしば自分たちだけでは物質的な必要を満たすのが難しい状況に直面することがあります。子供が生まれたときや,家族が病気になった,あるいは亡くなったときかもしれません。ノーブーの姉妹たちやソルトレーク盆地に向かって西へと旅していた姉妹たちなど,初期の扶助協会の姉妹たちはだれよりも先に困っている人の助け手となりました。現代の訪問教師も同じです。そのような助けを受けた姉妹の一人に,ベアラ・ファイフという姉妹がいます。両足を切断しなければならないと医者に診断されたときのことでした。
「ファイフ姉妹は他人の重荷になるまいと決意しました。家族の人たちは車いすをうまく扱えるようファイフ姉妹を励ましましたが,家事や食事の用意が心配でした。
ある日,娘のノーダ・エメットが手伝いに来ると,訪問教師が来ていたことを知りました。訪問教師は家をきれいに片付けてくれていました。ファイフ姉妹は声も明るく,元気づけられた様子でした。ノーダは訪問教師に働かせてしまったことを恥ずかしく思いました。母親に,掃除してくれる人を家族で雇うから訪問教師に手伝わせてはいけないと説明しました。
ノーダと話をした訪問教師は,家族の気持ちを理解しました。その後,自分たちがどれほど楽しくファイフ姉妹を訪問しているかを説明しました。ファイフ姉妹の前向きな態度を通して,二人はより高い所から物事を見られるようになっていました。また,ファイフ姉妹に系図を手伝ってもらっていました。『どうかこの祝福を奪わないでください』と,訪問教師は言いました。」29
ファイフ姉妹の訪問教師は,ファイフ姉妹が自分ではできない肉体労働をすることで愛を示しました。そして仕え合うことで,皆が情緒的にも霊的にも強められたのです。
悲しむ者とともに悲しみ,慰め,重荷を負うのを助ける
中央扶助協会第12代会長であるイレイン・L・ジャック姉妹は次のように教えています。「わたしたちは家庭訪問によって互いに手を差し伸べます。わたしたちの手は,口で伝えられないことを時には伝えることができます。優しい抱擁は多くのことを伝えます。ともに笑うことがわたしたちを一つにしてくれます。分かち合うひとときが心を活気づけてくれます。わたしたちは必ずしも,苦しむ人の重荷を持ち上げて軽くしてあげられるわけではありません。けれども,重荷に耐えられるようにその人を高めることはできます。」30
ある姉妹は,夫を亡くしたときにともに悲しみ,慰めてくれた訪問教師に感謝しました。次のように書いています。「わたしはだれかと話したくて,だれかに話を聞いてもらいたくてたまりませんでした。……彼女たちは聞いてくれました。慰めてくれました。一緒に涙を流してくれました。そして抱き締めてくれました。……独りぼっちになって最初の数か月間,深い落胆と絶望から抜け出すのを助けてくれました。」31
別の女性は,訪問教師から真の慈愛を示してもらったときの気持ちを次のように述べています。「自分が彼女にとって単なる訪問記録の数字以上の存在であることが分かりました。大切に思ってくれていることが分かりました。」32
家庭訪問が訪問教師にもたらす祝福
訪問教師として人に仕える姉妹は自身も祝福を受けます。中央扶助協会第11代会長であるバーバラ・W・ウインダー姉妹は次のように教えています。「どの姉妹にも訪問教師がいることが重要です。つまり自分が必要とされていて,だれかが愛と関心を持っていると感じさせてくれる人が必要なのです。しかし,訪問教師自身にとっても慈愛をはぐくむ良い方法であるということも同様に大切な点です。女性に家庭訪問をするよう割り当てることは,人生で最も大いなる祝福であるキリストの純粋な愛を養う機会を与えることなのです。」33
ある姉妹は,担当の姉妹に仕えたときに自分に注がれた祝福について次のように語っています。
「結婚して間もなく,わたしたち夫婦はニュージャージー州に引っ越しました。医学部1年生だった夫は,午後11時半よりも前に帰宅することはめったにありませんでした。……わたしはすぐには友人ができませんでした。引っ越して以来,孤独でつらい日々を送っていました。
新しいワードのビショップから,ワードにいるスペイン語を話す会員のためのプログラムの責任者になるよう頼まれました。
その責任に加えて,扶助協会会長から家庭訪問の訪問先として12人の姉妹の名簿を渡されました。町の向こう側にある,スペイン語を話す人々の居住地に住む姉妹たちです。正直なところ,この新しい割り当てにあまり乗り気ではありませんでした。ほかの召しで忙しかったですし,どのように手を差し伸べればよいのか分からず不安だったのです。……それでも家庭訪問の約束を取ったわたしは,気がつけばドゥメズ家の居間に座っていました。
『あなたがわたしの訪問教師ですか。』部屋に入って来たドゥメズ姉妹が尋ねました。『よく来てくださいました。2年間訪問教師がいなかったんです。』ドゥメズ姉妹はメッセージに熱心に耳を傾けてくれました。わたしたちは雑談し,彼女は訪問に対して何度も礼を述べてくれました。
帰り際に,ドゥメズ姉妹は5人の子供を呼び,みんなで『神の子です』をスペイン語で歌ってくれました。そしてわたしを抱き締め,手をぎゅっと握ってくれました。……
初めての訪問はどこも思ったよりうまくいきました。それ以降,姉妹たちに快く迎えてもらっているうちに,訪問が楽しみになりました。でも,このすばらしい人たちと知り合う中で耳にする悲劇や逆境の物語に,わたしはショックを受けました。彼女たちの多くは経済的に苦しい状況にあったので,せめて姉妹たちと家族の人たちがもっと快適に暮らせるように助けようと決意しました。訪問するときには料理を持って行くようにしました。また,家族の外出に付き合い,車で病院や食料品店に連れて行きました。
人のために働いていると,孤独だったことはすぐに忘れてしまいました。最初は自分とはまるで違うと思っていた姉妹たちが,大好きな友人になりました。どんな小さな行いにも感謝してくれる,誠実で忠実な友人でした。そしてわたしに必要なものを察してくれました。心のこもった電話や贈り物を度々もらいました。ある姉妹はレースの花瓶敷きを編んでくれました。誕生日に詩を作ってくれた姉妹もいました。
けれども,召しを受けて数か月たつと,友人たちの暮らしをもっと安全で快適にしてあげられない自分の無力さに
特に落胆していたある晩のこと,わたしはひざまずいて祈り,進むべき方向を示してくださるよう主に嘆願しました。すると,主がわたしに望んでおられるのは,姉妹たちがもっと自立して互いに仕え合えるように助けることだと感じました。正直に言うと,こんなに大変な重荷を負っている人たちに,互いに高め合えるだけの力があるだろうかと疑問に思いました。それでも導きに従う必要があることは分かっていました。
まず,スペイン語を話す人たちの扶助協会の家庭訪問プログラムを再編することにしました。忠実な友人の一人であるモレイラ姉妹が,独りで6人の姉妹を訪問すると買って出てくれました。わたしは初め反対しました。『車がなければとても回れませんよ。歩くには遠すぎます。』でも,姉妹たちが互いに仕え合えるようにしなさいと感じたことを思い出しました。そこで6人の姉妹全員をモレイラ姉妹の新しい家庭訪問リストに入れました。
まるでマラソンコースのように長い距離を歩いて家庭訪問を行ったモレイラ姉妹は,訪問から戻ると電話をくれました。彼女は御霊に満たされていました。……足は痛くても,主が彼女の重荷を軽くし,心を晴れやかにしてくださっていました。
モレイラ姉妹はさらに何度か訪問した後,一緒に歩いてくれる姉妹を見つけました。……
わたしは一度探し始めると,姉妹たちが自ら困難を切り抜け,また互いに助け合えるようにする様々な方法を見いだすことができました。……
ワードの会員の間にすばらしい霊的な成長を見ることができたちょうどそのとき,わたしたち夫婦が引っ越すことになりました。……すばらしい友人たちと離れるなど,考えたくもありませんでした。一緒に働き続けたいと切に願いました。わたしたちは互いにとても多くのものを与え合っていました。でも少なくとも,姉妹たちの生活の中で福音の大義が力強く推し進められ,彼女たちが互いに世話をし合っているのを見ることができました。しぶしぶ畑で働き始めたわたしでしたが,たくさんの束を背に戻ることができたのです。」34
ロレンゾ・スノー
第5代大管長であるロレンゾ・スノー大管長は,扶助協会の姉妹たちは清い信心を実践していると教えています。大管長は次のように述べています。「使徒ヤコブはこのように言いました。『神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない。』扶助協会の姉妹たちはこの言葉が真実であると受け入れて,清く汚れのない信心を生活でまさしく実践しています。姉妹たちは苦しんでいる人のために奉仕し,父のいない子供や夫を亡くした人に大きな愛を示し,自らは世の汚れに染まらずに生活しています。わたしは扶助協会の姉妹たちほど純粋で神を
清く神を畏れる扶助協会の姉妹たちは,ノーブーでの初期の時代から今日に至るまで,愛と霊感に満ちた家庭訪問を通して互いに見守り合い,強め合ってきました。それは一人ずつ,心から心へと伝えられていく務めなのです。
救い主はどのように見守り合い,強め合えばよいかを模範によって教えてくださいました。
訪問委員会は地域の人々の必要を満たす手助けをするために寄付を集めました。
訪問教師は訪問先の姉妹の霊的および物質的な必要を満たそうと常に努めてきました。
担当の姉妹を訪問しに行く中央アフリカの訪問教師
ジェラルディン・バンガーター姉妹(前列左)と,ブラジルで扶助協会の確立に貢献した地元の姉妹たち
思いやりに満ちた奉仕を行うことによって,扶助協会の姉妹はイエス・キリストの模範に従います。
訪問教師と彼女たちが仕える人々は,強め合い,高め合うことができます。
訪問教師は真理を分かち合い証を述べることによって人々が救い主に従うのを助けます。
訪問教師は助けを祈り求めるときに聖霊の導きを受けることができます。
献身的な訪問教師は「清い信心」を実践します(ヤコブの手紙1:27参照)。
家庭訪問を通して,扶助協会の姉妹は自分のことを気にかけてくれる友人がいることを知ります。
家庭訪問を通して,扶助協会の姉妹は互いに仕え合うことで喜びを見いだすことができます。
「あなたがたが