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JSマタイ16


JSマタイ16:25-29。マタイ16:24-26と比ひ較かく

イエスは、「自じ分ぶんの十じゅう字じ架かを負おう」とはすべての不ふ信しん心じんとあらゆる世よの欲よくを捨すて、主しゅの戒いましめを守まもるということであると説せつ明めいされる。

25それから、イエスは弟で子したちに言いわれた。「だれでもわたしについて来きたいと思おもうなら、自じ分ぶんを捨すて、自じ分ぶんの十じゅう字じ架かを負おって、わたしに従したがって来きなさい。

26ところで、人ひとが自じ分ぶんの十じゅう字じ架かを負おうとは、すべての不ふ信しん心じんとあらゆる世よの欲よくを捨すて、わたしの戒いましめを守まもることである。

27自じ分ぶんの命いのちを救すくうためにわたしの戒いましめを破やぶってはならない。この世よで自じ分ぶんの命いのちを救すくおうと思おもう者ものは、来きたるべき世よでそれを失うしなうからである。

28そして、わたしのためにこの世よで自じ分ぶんの命いのちを失うしなう者ものは、来きたるべき世よでそれを見みいだすであろう。

29だから、世よを捨すてて、自じ分ぶんの命いのちを救すくいなさい。全ぜん世せ界かいを手てに入いれても、自じ分ぶんの命いのちを失うしなったら、何なんの得とくになろうか。人ひとはどんな代だい価かを払はらって、その命いのちを買かい戻もどすことができようか。