歴代大管長の教え
第26章:主の来臨に備える


第26章

主の来臨に備える

「主の道を備え,その道筋をまっすぐにせよ。主の来臨の時は近いからである。」(教義と聖約133:17

ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から

一団の末日聖徒にジョセフ・フィールディング・スミス大管長が言いました。「世の終わりが来るよう祈っています。それが明日なら,うれしいですね。」その言葉を聞いた一人の女性が,ほかの人たちにも聞こえるほどの大きな声で言いました。「とんでもない,わたしはそうならないことを願うわ。」

後にこの経験について話しながら,スミス大管長は次のように教えました。

「皆さんは世の終わりが来ることを望まないのですか。

ほとんどの人は世の終わりの意味を間違って解釈しています。……

……キリストが来られる時がこの世の終わりです。……いかなる戦争も,いかなる混乱も,ねたみもうそもなくなります。つまり,邪悪なことがすべてなくなるのです。そのとき,人は主を愛して主の戒めを守ることを学びます。もし,学ばなければ,ここにはいないでしょう。それが世の終わりです。弟子たちが主のもとに来て『わたしたちにも祈ることを教えてください』と言ったときに救い主が祈られたのは,このことでした。主は何をなさいましたか。主は教えを授けられたのです。『父よ, ( ) ( ) があがめられますように。 ( ) ( くに ) がきますように。みこころが天に行われるとおり,地にも行われますように。』〔ルカ11:1-2参照〕

わたしはそれを祈っています。主は世の終わりが来ることを祈っておられました。わたしもそうしています。」1

説教や執筆物の中でスミス大管長は,末日に関して,また主の道を備えるジョセフ・スミスの役割と,栄光に満ちた救い主の来臨に関する聖文の預言を度々引用しています。また,ユタ州オグデン神殿の奉献の祈りの中で,これらの預言に対する深い思いを伝えています。

「おお,わたしたちの神よ,あなたが御存じのように,わたしたちはこの終わりの時に生を受けています。時のしるしが示されつつあり,あなたは ( ) ( わざ ) を早め,わたしたちはすでに『主の道を備えよ,その道筋をまっすぐにせよ』と荒野で呼ばわる者の声を聞きました〔マタイ3:3参照〕。……

おお,御父よ,平和の君が来られ,地は休みを得,地の面に義が再び認められる日をわたしたちは待ち望んでいます。そして, 謙遜 ( けんそん ) で悔いる心が発するわたしたちの祈りは,わたしたちがその日に堪え,今もとこしえに栄光と,誉れと,力と,威勢ある王の王,主の主として立つように定められたお方とともに住むことがふさわしいと認められることです。2

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Frontal head and shoulders portrait of Jesus Christ. Christ is depicted wearing a pale red robe with a white and blue shawl over one shoulder. Light emanates from His face.

「わたしたちは平和の君が来られる日を待ち望んでいます。」

ジョセフ・フィールディング・スミスの教え

1

主の来臨は近い

わたしたちは主の大いなる日,あの「慰め」の時に急速に近づきつつあります。それは,主が天の雲の中を来られて神を敬わない者に報復し,進んで主の律法にとどまるすべての者のために地を備えて,平和な統治を受けられるようにされる日です〔使徒3:19-20参照〕。3

これまで多くのことが起きました……それは教会の忠実な会員に,主の来臨が近いという事実をはっきり理解させるためでした。福音が回復されました。教会が完全に組織されました。神権が人に授けられました。最初からの様々な神権時代が示され,それらの ( かぎ ) と権能が教会に授けられました。イスラエルはシオンの地に集められ,現在も集められつつあります。ユダヤ人はエルサレムに戻って来ています。あらゆる国に対する ( あかし ) として,世界中で福音が ( ) べ伝えられています。神殿が建設されており,生者とともに死者のための儀式がその中で執行されています。子孫の心はその先祖に向けられ,子孫は亡くなった先祖を探求しています。主が,末日にイスラエルと交わすと約束された聖約が明らかにされ,集まった何千ものイスラエルの民が聖約に入っています。こうして主の業は進んでおり,これらすべてが,わたしたちの主の来臨が間近に迫っていることのしるしです。……

預言者の言葉は速やかに成就しつつありますが,自然の原則に基づいて行われているために,ほとんどの人が見逃しています。

主がすべての肉なる者のうえにその霊を注がれ,息子,娘が預言し,老人たちは夢を見,若者たちは幻を見るとヨエルは預言しました〔ヨエル2:28-29参照〕。……

知識が増すことも終わりの時のしるしです。ダニエルは次のように命じられました。「……あなたは ( おわ ) りの時までこの言葉を秘し,この書〔彼の預言〕を封じておきなさい。〔その日〕多くの者は,あちこちと探り調べ,そして知識が増すでしょう。」〔ダニエル12:4〕今人々は,世界の歴史にかつてなかったほど「あちこち探り調べ」ていないでしょうか。……

……知識は増していないでしょうか。世界の歴史の中で,これほど多くの知識が人々に注がれた時代があったでしょうか。しかし悲しいことに,人々は「常に学んではいるが,いつになっても真理の知識に達することができない」と言ったパウロの言葉は正しいのです〔2テモテ3:7〕。……

たくさんの戦争のうわさがありませんでしたか〔教義と聖約45:26参照〕。戦争はありませんでしたか。それもこれまで世界が見たことのないような戦争です。現在,国家に騒乱があり,国の統治者は苦悩していませんか。王国が転覆し,国々で大きな変化が起こりませんでしたか。全地が混乱しています。方々で地震が起こっていると,毎日報道されています〔教義と聖約45:33参照〕。……

しかしそれでも古い世界はこれまでの生活を続け,主の言葉にも,与えられたしるしと兆候にも心を留めることはほとんどありません。人々は心をかたくなにし,「……世の終わりまでキリストは来臨を延ばされる」と言うのです〔教義と聖約45:26〕。4

しばらく前,主が来られるときが分かるかどうか聞かれました。「分かります」と答えました。今も「分かります」と答えます。主がいつ来られるかわたしは知っています。主は明日来られます。主御自身の言葉があります。それを読んでみましょう。

「見よ,今,人の子の来臨までは 今日 ( きょう ) と呼ばれる。まことに,今日は犠牲の日であり,わたしの民が ( じゅう ) ( ぶん ) の一を納める日である。什分の一を納める者は,主の来臨の時に焼かれないであろう。」

今日,什分の一に関する十分な説教があります。

「今日が過ぎると,焼き払いがある。これは主の言い方である。まことに,わたしは言う。明日,すべて高ぶる者と悪を行う者は,わらのようになる。わたしは彼らを焼き尽くそう。わたしは万軍の主である。わたしはバビロンにとどまる者をだれも容赦しない。」〔教義と聖約64:23-24

ですから主は来られます。しかも明日です。ですから,備えをなそうではありませんか。5

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The resurrected Jesus Christ (wearing white robes with a magenta sash) standing above a large gathering of clouds. Christ has His arms partially extended. The wounds in the hands of Christ are visible. Numerous angels (each blowing a trumpet) are gathered on both sides of Christ. A desert landscape is visible below the clouds. The painting depicts the Second coming of Christ. (Acts 1:11)

「わたしたちは主の大いなる日,『慰め』の時に急速に近づきつつあります。その日,主は天のの雲の中を来られます。」

2

キリストが来られるとき,裁きがある

主が教えられた麦と毒麦のたとえは,終わりの時について述べたものです。次のような話です。種まきが良い種を畑にまきましたが,眠っている間に敵が来てその畑に毒麦をまきました。芽が出てきたので, ( しもべ ) は行って毒麦を抜きたいと思いましたが,毒麦を抜こうとして麦も一緒に抜いてしまわないよう,主は麦も毒麦も収獲の時期まで一緒に成長させるようお命じになりました。その後収獲の最後の時が来たら,出て行って麦を集め,毒麦は束ねて燃やすよう命じられたのです。このたとえを説明しながら,主は弟子たちに言われました。「収獲とは世の ( おわ ) りのことで,刈る者は ( ) 使 ( つか ) いたちである。」〔マタイ13:24-30,36-43教義と聖約86参照〕6

毒麦と麦は一緒に育ち,何年も同じ畑で成長しました。しかし,麦が集められ,毒麦も燃やされるために集められる日はそこまで来ています。義人と悪人が分けられる時が来ます。したがってわたしたち一人一人が主の戒めを守り,心に悔い改める必要があれば,罪を悔い改め,正義に心を向ける義務を負っています。7

教会員の神への信仰を築き,強めてください。どうしてもそうしなければなりません。ほかならぬ教会員のただ中に非常に多くの力があり,わたしたちを分裂させようとしています。それはやって来つつあります。麦と毒麦が分けられる日が近い将来やって来ます。わたしたちは麦か毒麦のどちらかです。どちらかの仲間になるのです。8

この世界がわたしたちのものでなくなる日が来ます。世界は変わります。わたしたちはもっと良い世界を得ます。キリストが来られて地球を清められるので,わたしたちは義にかなった世界を手にするのです。

聖文に書かれていることを読んでください。主御自身が言われたことを読んでください。主が来られるとき,すべて邪悪なものをこの地球から一掃されます。そして教会について主は, ( ) 使 ( つか ) いを遣わすと言われました。御使いは主の王国,つまり教会から,すべてのつまずきとなるものを集めます。〔マタイ13:41参照〕9

〔この〕大いなる恐るべき日とは,イエス・キリストが来られて,地に住む義人の間に権能をもって王国を打ち立て,すべての邪悪から地を清められる日以外にはありません。それは義人の心に不安を与える恐怖の日ではなく,罪深い者にとっての不安と恐怖の大いなる日です。わたしたちは,救い主がその弟子たちに教えたときに語られた主御自身の言葉からこのことを知りました〔マタイ24ジョセフ・スミス-マタイ1参照〕。10

キリストが来られるとき裁きが行われます。そこでは数々の書物が開かれて,死者はその書物に書かれていることに基づいて裁かれ,その書物の一つが命の書であるとわたしたちは知らされています〔黙示20:12参照〕。わたしたちは書物の内容を見,今のありのままの自分を見るのです。義の理解力を備えたわたしたちは,神の王国に行き……これらの栄光に満ちた祝福を受けるのか,それとも追放されるのかのいずれであっても,自分に下された裁きが公正で間違いのないものであると理解するでしょう。11

わたしは末日聖徒に対し,揺らぐことなく立ってすべての義務を忠実に果たすよう,また主の戒めを守り,神権を敬うよう切に願っています。それは,主が来られるときに-そのとき,わたしたちが生きていようと死んでいようと,それは問題ではありませんが-わたしたちがその日に堪え,この栄光を受けられるようになるためです。12

3

主の来臨に備えるために常に目を覚まして祈り,家の秩序を整えておかなければならない

今世界では,主の大いなる日が近づいていることを示す多くの出来事が起こっています。その日,福千年統治の準備として義による王国を建設するために, ( あがな ) い主が再び来られます。その大いなる栄光に満ちた日が到来するまでの間,知識を求め,研究と信仰によって自らを備えることが教会員の義務です。13

わたしたちは,キリストが来られる時と季節について心配する必要はありませんが,常に目を覚まして祈り,備えをしていなければなりません。14

教会の長老たちの中に,わたしたちすべてが十分に義にかなった者となって主をお迎えできるようになったときに主が来られる,と言う人がいますが,わたしはそれを聞いて心配になることがあります。主は,わたしたちが義にかなう者となるのを待ってはくださいません。主が来られる準備ができたときに主は来られます。それは罪悪の ( さかずき ) が満ちるときです。もしそのとき,わたしたちが義人でなければ,ただ残念と言うしかありません。わたしたちは神を敬わない者と見なされて,悪人は耐えることができないと主が言われるように,わらのように地の面から掃き出されます。15

主が警告としてお与えになったことを完全に無視し,無関心のまま,うつらうつらしていましょうか。皆さんに申し上げます。「だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,わからないからである。

このことをわきまえているがよい。家の主人は,盗賊がいつごろ来るかわかっているなら,目をさましていて,自分の家に押し入ることを許さないであろう。

だから,あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」〔マタイ24:42-44

主がお与えになったこの警告に心を留め,家の秩序を整え,主の来臨の備えができますように。16

4

末日聖徒は神の手に使われる者となり,人を主の来臨に備えさせることができる

主が再臨して悪人に報復し,地上から罪を一掃し,平和の統治を始めるに際し,前もって道を備えさせるための ( ) 使 ( つか ) いを遣わされないとすれば,それはきわめておかしなことではないでしょうか。主はまず始めに世に警告し,悔い改める者が皆逃れられる道を備えないで,いきなり世を裁かれると考えるのははたして自然でしょうか。

ノアは洪水の警告をするために世に送られました。もし民が耳を傾けていたら,逃れることができたでしょう。イスラエルを約束の地に導き,アブラハムへの約束が成就されるように,モーセが送られました。バプテスマのヨハネは,キリストの来臨に先立って道を備えるために遣わされました。いずれの場合も,天が開かれて警告の声が発せられました。イスラエルとユダの散乱と捕囚の前に,イザヤ,エレミヤ,その他の預言者が遣わされて民に警告しました。民が耳を傾けていれば,歴史の記述は違っていたでしょう。彼らには聞く機会がありました。警告が与えられた彼らには逃れる方法があったのです。しかし,彼らはそれを拒みました。

再臨の前にも人類に対していにしえと同じように関心を寄せることを主は約束なさいました。17

ジョセフ・スミスはこの再臨の道を備えるために遣わされて完全な福音を宣言し,罪と背きから逃れる方法をすべての人に与えました。18

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The Prophet Joseph Smith sitting on his bed in the Smith farm house. Joseph has a patchwork quilt over his knees. He is looking up at the angel Moroni who has appeared before him. Moroni is depicted wearing a white robe. The painting depicts the event wherein the angel Moroni appeared to the Prophet Joseph Smith three times in the Prophet's bedroom during the night of September 21, 1823 to inform him of the existence and location of the gold plates, and to instruct him as to his responsibility concerning the plates.

天使モロナイが年若いジョセフ・スミスのもとを訪ねたとき,救い主の再臨を預言した。〔ジョセフ・スミス-歴史1:36-41参照〕

パトモス島にいたヨハネは,終わりの日に「ひとりの ( ) 使 ( つかい ) ( なか ) ( ) を飛ぶのを見た。彼は地に住む者,すなわち,あらゆる国民,部族,国語,民族に ( ) べ伝えるために,永遠の福音をたずさえて」来ることを示現で見ました。〔黙示14:6

ジョセフ・スミスは,かつてこの大陸に住み,今は復活している古代の預言者モロナイが彼に福音を教え,キリストの来臨に先立ってすべてのものの回復について指示を与えたと宣言し,この約束は成就しました。そして主は言われました。「見よ,主なる神は,天のただ中で叫ぶ天使を遣わして,このように言わせる。『主の道を備え,その道筋をまっすぐにせよ。主の来臨の時は近いからである。』」〔教義と聖約133:17

末日聖徒はこれを真実であると受け入れ,諸天との交通が近代になって確立されたことを信じています。そして今,キリストが来られるに先立ち,世に対する ( あかし ) として「 ( ) ( くに ) の福音」は全世界に宣べ伝えられています。〔マタイ24:14参照〕19

この聖句〔マタイ24:14〕を成就するようにとの呼びかけを受けたと信じている末日聖徒は,奇妙で変わった民だと思われているかもしれません。しかし,主が確かに語られたという確信をもって,聖徒は熱心に宣教師を全地に送っているのです。さらにこの終わりの時に明らかにされたとおりに,すべての国がこのメッセージを聞いたそのとき,わたしたちは主である救い主イエス・キリストの来臨を待ち望みます。なぜならその日,主の約束に従って世界に遣わされた御使いによって,すべての国が警告を受けたからです。20

福音はすべての人のためにあり,教会はあらゆる場所,あらゆる国,世界の果てにまで建てられます。それは,人の子の再臨に先立って実現します。……

……主は,イスラエルを教会に集める2度目の業に着手し,今回,主はすべての国で聖徒たちの会衆をお立てになります。21

ユタ州オグデン神殿の奉献の祈りから:

おお,御父よ,義が勝利する日を早めてください。その日,福音が ( ) べ伝えられるために国々の統治者が国境を開き,あらゆる人々の中から正直な者,正義の者のために救いの扉が開け放たれます。

わたしたちは真理が広まることを祈ります。伝道の大義が成るように祈ります。わたしたちは,力と人手と手段を求めます。あらゆる国,あらゆる部族,そしてあらゆる国語を話すさらに多くのあなたの子供たちに,あなたの永遠の真理を宣べ伝えるためです。……

……わたしたちの望みは,御子の来臨に人々を備えさせるために,あなたの ( ) ( ) に使われる者となることです。22

5

福千年は平和の時となり,主の業に働く時となる

主の来臨に義人は歓喜します。地には平和が,人には義が訪れるからです。そして,かつてこの大陸を200年間覆っていた同じ平和と喜びと幸福の精神〔4ニーファイ1;1-22参照〕が再び人々の中に確立されて最後には普遍的なものとなり,キリストが主の主,王の王として千年間統治されます。わたしたちはそのときを待ち望んでいます。23

平和で幸福の時は千年の間続き,時が至って地上に住むすべての人は教会の群れに導かれます。24

地に住むすべての人々が心から受け入れるまで,福音は福千年の間,はるかに熱心に,より大きな力で教えられます。25

福千年は休息のときではなく,すべての人が働きをなすときです。怠惰は見当たらず,より良い方法が用いられ,日常生活の営みにあまり多くの時間は使われず,より多くの時間が王国にかかわる事柄に充てられます。聖徒たちは,全地に建てられる神殿で忙しく働きます。そのように忙しく働くために,神殿ではほとんどいつも儀式が行われるほどです。26

死者の救いという大いなる業を達成するために,この千年間も地の面には死すべき状態の人々がいます。平和な千年の間,神殿では主の大いなる業が執行されます。人々は神殿に参入し,救いにかかわる儀式を待っている死者のために働きます。それらの儀式は,死すべき状態のまま地に住む人たちが死者に代わって行います。27

死者を救うことはわたしたちの義務であり,この祝福を受ける資格あるすべての人々がエンダウメントを受けて結び固められるまで,福千年の間この業は続きます。28

キリストにあって死んだすべての人は,主の来臨とともに死からよみがえり,福千年の間地上におられるキリストと同様この地に住みます。彼らはその千年の間ずっと地上にとどまっているわけではなく,まだ死すべき状態でここにいる人たちと交流します。この復活した聖徒と救い主は,教えと導きを与えるために来て,わたしたちが知るべき事柄をわたしたちに示し,ふさわしい人の救いに必要な業を行えるように,主の神殿の業に関する知識を伝えます。29

すでに他界して復活した人が,死者の業を完成させるために必要なすべての知識を,死すべき体を持つ人に直接伝える,と主は ( しもべ ) を通して言われました。このようにして死者は,自ら望み,また受ける資格ある事柄を知らせる特権にあずかります。こうして,一人も忘れられることなく,主の業は完成します。30

わたしは,主が主の業を早めてくださるよう毎日祈っています。……より良い世界を望んでいるわたしは,世の終わりが来るよう祈っています。キリストの来臨を願っています。平和の統治を望んでいます。すべての人が平安に,信仰と 謙遜 ( けんそん ) と祈りの精神をもって生活できる時が来ることを願っています。31

研究とレッスンのための提案

質問

  • 「ジョセフ・フィールディング・スミスの生涯から」に書かれていることは,世の終わりに対するあなたの気持ちにどのような影響を与えるでしょうか。

  • 第1項に書かれている預言は,わたしたちが主の来臨に備えるうえでどのような助けとなるでしょうか。

  • 第2項にある,麦と毒麦のたとえに関するスミス大管長の教えを復習してください。わたしたちが「麦」の一人となるために何ができるでしょうか。家族やほかの人たちを助けるために何ができるでしょうか。

  • 主の来臨への備えをするとき,「常に目を覚まして祈りなさい」とはどのような意味だと思いますか。「家の秩序を整える」はどのような意味だと思いますか。〔第3項参照〕

  • スミス大管長は「わたしたちの望みは,御子の来臨に人々を備えさせるために,あなたの御手に使われる者となることです。」と祈りました(第4項)。どのように助けることで,ほかの人たちが主の来臨に備えることができるでしょうか。

  • 第5項を復習してください。福千年で何が起こるかを知ることは,今のわたしたちにどのような益となるでしょうか。

関連聖句

詩編102:16イザヤ40:3-5ヤコブ5:7-8教義と聖約1:1239:20-2145:39,56-59

教えるヒント

「福音を教えることによって,確信と改心をもたらす最も偉大な力が発揮されるのは,霊感にあふれる教師が『わたしは聖霊の力と聖なる ( ) ( たま ) の啓示がわたしの心に与えられたので,わたしが教えている教義が真実であることを知っています』と語るときである。」(ブルース・R・マッコンキー『教師,その大いなる召し』43)

  1. The Signs of the Times(1943年),103-105

  2. “Ogden Temple Dedicatory Prayer,”Ensign,  1972年3月号,10-11

  3. The Restoration of All Things (1945年),302

  4. Conference Report, 1966年4月,12-14

  5. Conference Report, 1935年4月,98;Doctrines of Salvation, ブルース・R・マッコンキー編,全3巻(1954-1956年),第3巻,1も参照

  6. “Watch Therefore,” Deseret News,  1941年8月2日付,Church欄,2;Doctrines of Salvation, 第3巻,15も参照

  7. Conference Report, 1918年4月,156-157;Doctrines of Salvation, 第3巻,15-16も参照

  8. “How to Teach the Gospel at Home,” The Signs of the Times  1931年12月号,688;Doctrines of Salvation, 第3巻,16も参照

  9. Conference Report, 1952年4月,28;斜体は原文のまま。

  10. “The Coming of Elijah,” Ensign,  1972年1月号,5

  11. “The Reign of Righteousness,” Deseret News,  1933年1月7日付,7;Doctrines of Salvation, 第3巻,60も参照

  12. Conference Report, 1935年4月,99;Doctrines of Salvation, 第3巻,38も参照

  13. Answers to Gospel Questions, ジョセフ・フィールディング・スミス・ジュニア編,全5巻(1957-1966年)第5巻,ⅹⅱ

  14. “A Warning Cry for Repentance,” Deseret News,  1935年5月4日付,Church欄,6

  15. “A Warning Cry for Repentance,” 8

  16. Conference Report, 1966年4月,15

  17. “A Peculiar People: Modern Revelation—The Coming of Moroni,” Deseret News,  1931年6月6日付,Church欄,8;Doctrines of Salvation, 第3巻,3-4も参照

  18. “A Peculiar People: Prophecy Being Fulfilled,” Deseret News,  1931年9月19日付,Church欄,6

  19. “A Peculiar People: Modern RevelationThe Coming of Moroni,” 8;Doctrines of Salvation, 第3巻,4-5も参照

  20. “A Peculiar People: Prophecy Being Fulfilled,” Deseret News,  1931年11月7日付,Church欄,6;Doctrines of Salvation, 第3巻,6も参照

  21. Conference Report, British Area General Conference 1971年,176

  22. “Ogden Temple Dedicatory Prayer,” 9,11

  23. “The Right to Rule,” Deseret News, 1932年2月6日付,Church欄,8

  24. “PriesthoodDispensation of the Fulness of Times,” Deseret News,  1933年8月19日付,4;Doctrines of Salvation, 第3巻,66も参照

  25. “Churches on Earth During the Millennium,” Improvement Era,  1955年3月号,176;Doctrines of Salvation, 第3巻,64も参照

  26. The Way to Perfection (1931年),323-324

  27. “The Reign of Righteousness,” 7;Doctrines of Salvation, 第3巻,58も参照

  28. “Question Answered,” Deseret News,  1934年1月13日付,Church欄,8;Doctrines of Salvation, 第2巻,166も参照

  29. “The Reign of Righteousness,” 7;Doctrines of Salvation, 第3巻,59も参照

  30. “Faith Leads to a Fulness of Truth and Righteousness,” Utah Genealogical and Historical Magazine,  1930年10月号,154;原文にあった斜体は正体にした;Doctrines of Salvation, 第3巻,65も参照

  31. The Signs of the Times,  149