インスティテュート
第10章:救いの計画における聖約,儀式,神殿


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救いの計画における聖約,儀式,神殿

はじめに

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー会長は,聖約と儀式の重要性について次のように教えています。

「すべての人にとって人生とは,日の栄えの王国におられる神のみもとへ帰る,故郷への旅なのです。

儀式と聖約は,神のみもとに行くための資格証明書になります。ふさわしくなってそれを受けることは,生涯の目標であり,その後それを守り続けることは,この世におけるチャレンジです。」(「誓約」『聖徒の道』1987年7月号,25)

十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン長老は,神殿と神殿の儀式の重要性について,次のように言っています。「神殿とは文字どおり神の宮であって,永遠にわたって意義のある儀式を行う場です。その儀式には,バプテスマ,結婚,エンダウメント,そして結び固めがあります。……

……神殿の儀式は不可欠なものです。わたしたちはそれらを受けずに,神の栄光に戻ることはできません。」(“Prepare for Blessings of the Temple,” Ensign,2002年3月号,17-18)

本章では,救いの儀式とそれに関連する聖約について概観します。それによって,こうした儀式と聖約が,自分や家族にとっていかに重要か,さらに深く理解できるようになります。これらの教えを学ぶことで,神との聖約を交わしそれを守りたいという望みがさらに強まり,亡くなった親族のためにこうした儀式を行いたいという気持ちがわき上がるよう,願っています。

注解

聖約とは,神の定められた条件に従って神と人との間で交わされる厳粛な合意のことである〔10.1〕

聖約とは神聖な合意のことである。〔10.1.1〕

「聖約とは神と人または一団の人々との間で交わされる神聖な合意のことです。神は特定の条件を定めて,人がその条件に従うならば祝福を与えると約束されています。戒めを守らなければ,祝福を受けることはできず,場合によっては不従順の結果としての罰を受けます。

人に救いを得させるすべての神権の儀式には必ず聖約が伴います。」(『真理を守る-福音の参考資料』130)

わたしたちと交わす聖約を神がお決めになる。〔10.1.2〕

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デニス・B・ノイエンシュワンダー長老

七十人名誉会員のデニス・B・ノイエンシュワンダー長老は,救いの聖約は神に由来するものであって,神の権能によって有効になると教えています。

「永遠の聖約を差し出す,あるいは提議することができるのは神のみです。そのような聖約はすべて神に由来するものです。それは神がそれらが墓を超えても有効であると保証する権能と力をお持ちの唯一の御方だからです。

『また主は言う。わたしによらずに,あるいはわたしの言葉によらずに定められる,世にあるすべてのものは,それが人によろうと,また王位や主権や力や何でも名のあるものによろうと,それは倒されて,人の死後,復活の時にもその後にも残ることはない,と主なるあなたの神は言う。』〔教義と聖約132:13

わたしたちがこのような聖約を設けることはできません。わたしたちにはそれらを保証する力がないからです。その結果,わたしたちにできるのは,神がわたしたちに差し出してくださる聖約に入ることだけです。そして,わたしたちは神が定めてくださった方法によってのみ聖約に入れるのです。」(「儀式と聖約」『リアホナ』2001年11月号,20-21)

聖約を守るかどうかは人生の重大な試しである。〔10.1.3〕

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ヘンリー・B・アイリング管長

大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は,神と交わすわたしたちの聖約がどれほど重要なものか,次のように説明しています。「末日聖徒は聖約の民です。バプテスマを受けた日から,人生における幾つかの霊的な通過点を通る度に,わたしたちは神に約束し,神もわたしたちと約束されます。神は正しい権能を持つ僕たちを通して与えられた約束を必ず守ってくださいます。しかし,神と約束を交わしてそれを守るかどうかはわたしたちの人生における試しであり,重大な意味を持っています。」(「神の証人」『聖徒の道』1997年1月号,35)

救いの聖約と儀式は日の栄えの王国で昇栄するために必要ある〔10.2〕

儀式と聖約により神のもとに戻ることができる。〔10.2.1〕

「教会において,儀式は神権の権能を通して行われる神聖で外形的な業です。儀式の中には昇栄に不可欠なものもあります。これらの儀式は救いの儀式と呼ばれています。その中には,バプテスマ,確認,(男性の場合)メルキゼデク神権への聖任,神殿のエンダウメント,結婚の結び固めが含まれます。これらの儀式のいずれに関しても,主と厳粛な聖約を交わします。……

儀式と聖約は自分が何者なのかを思い出させてくれます。神への務めを思い起こさせてくれます。主はわたしたちが御自分のもとに来て永遠の命を受けられるように,これらの儀式と聖約を与えてくださいました。それらを尊ぶとき,主はわたしたちを強めてくださいます。」(『真理を守る』46)

儀式と聖約は昇栄に不可欠である。〔10.2.2〕

ハワード・W・ハンター大管長(1907-1995年)は,神殿の儀式と聖約の重要性について,次のように要約しています。

「神殿の儀式によって,永遠の家族の基が正しく築かれるのです。この教会には,社会の基盤である家庭を守り保護する責任と権能があります。

神権によって執り行われるこれらの神殿の儀式はすべて,天の御父の子供たちの救いと昇栄に欠くことのできないものです。……

福音を宣べ伝え,聖徒を完全な者とし,死者を贖うためにわたしたちがささげるあらゆる努力は聖なる神殿に通じているのです。それであるからこそ,神殿の儀式は絶対に必要であり,わたしたちは神殿の儀式なしに神の前に戻ることができないのです。」(「神殿に心を向ける民」『リアホナ』2004年3月号,42,45)

永遠の聖約にはそれに伴う儀式がある。〔10.2.3〕

デニス・B・ノイエンシュワンダー長老は,救いの聖約に関連する儀式の重要性について,次のように教えました。

「神聖な儀式と,儀式を執行する神の権能は,福音の回復や1830年の近代の教会の設立とともに始まったものではありません。救いと昇栄の条件である福音の神聖な儀式は,『創世の前から定められたもの』でした〔教義と聖約124:33〕。福音においてこれらは常に変わらない部分でした。預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。『人の救いのために,神権によって,創世の前に天において定められた儀式は,変更されるはずがないのです。すべての人は同じ原則に基づいて救われなければならないのです。』〔Teachings of the Prophet Joseph Smith,ジョセフ・フィールディング・スミス選(1976年)308〕

……神聖な福音の儀式は厳粛な聖約を神と交わす手段です。儀式と聖約を切り離して理解することはできません。わたしたちは儀式によって聖約に入り,聖約によって儀式を受けます。子供の命名と祝福,病人への癒しの祝福,慰めの祝福など,聖約を伴わない儀式もあるにはありますが,儀式とかかわりのない永遠の聖約というものはありません。わたしたちが神に近づく重要なステップは,神聖な儀式によって始まり,それらの儀式に関連する聖約の条件によって定められるのです。」(「儀式と聖約」『リアホナ』2001年11月号,19-20)

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水の中に入る

バプテスマは神と交わす聖約の基本である。

バプテスマは神と交わす最初の聖約である。〔10.2.4〕

バプテスマは昇栄へ至る途上で神と交わす最初の聖約です。十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老は,次のように説明しています。

「わたしたちは神権の儀式によって聖約に入ります。この神聖な儀式は,わたしたちが決意を表明するために神が定められたものです。基本的な聖約,例えばキリストの御名を進んで受けると初めて約束する聖約は,バプテスマの儀式によって確認されます。聖約は,個人がそれぞれ自分の名前で交わします。この儀式により,わたしたちは主の聖約の民の一員となり,神の日の栄えの王国の相続人となります。

ほかの神聖な儀式は,まさにそれを行う目的で建てられた神殿で行われます。神殿で交わす聖約を忠実に守るなら,わたしたちは日の栄えの王国を受け継ぐだけでなく,天の王国の最高の栄光である昇栄を受けます。さらに,神がお与えになれる神聖な可能性をすべて得ます(教義と聖約132:20参照)。」(「聖約の力」『リアホナ』2009年5月号,20)

神殿では,神聖な儀式を受け,昇栄に不可欠な聖約を交わす〔10.3〕

神殿の第一の目的は,救いの儀式を提供することにある。〔10.3.1〕

神殿は人生の様々な目的に応じてはくれますが,十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,神殿の第一の目的について,次のように説明しています。

「神殿に参入し,そこで交わす聖約を身に受ける機会は,現世で授かる最高の祝福の一つです。……

神殿の第一の目的は日の栄えの王国における昇栄に必要な儀式を行うことです。神殿の儀式はわたしたちを救い主へと導いてくれ,イエス・キリストの贖罪を通してもたらされる祝福を与えてくれます。神殿は人に知られている中で最も偉大な学び舎です。」(「神殿の祝福」『リアホナ』2009年10月号,12,14)

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神殿の前の新婚夫婦

儀式は死者にとって不可欠なものである。〔10.3.2〕

救いに関する儀式は皆,それが生者のためであれ死者のためであれ,正しい神権の権能のもとで執行されます。生者のためのバプテスマ,確認,メルキゼデク神権への聖任は,神殿の外で,普通はワードやステークの建物で執り行われます。一方,死者のための救いの儀式はすべて神殿の中で執り行われます。以下に,現在神殿の中で執り行われている重要な儀式について,その概要を短く紹介しておきます。

バプテスマと確認。死者のために執り行う福音の救いの儀式は,水に沈める身代わりのバプテスマと,聖霊の賜物を授けるため按手によって教会員として確認されることから始まります(信仰箇条1:4-5参照)。生者のためのバプテスマと確認は,神殿の外で執り行われます(普通は,ステークセンターのバプテスマフォントか,適切な神権の権能を持つ者が承認したそれ以外の場所です)。死者のためのバプテスマは代理の生者によって,神殿内のバプテスマフォントでのみ執行されます。

メルキゼデク神権への聖任。亡くなった男性のためのメルキゼデク神権の聖任は,神殿内で身代わりで執り行われます。

洗いと油注ぎ。洗いと油注ぎに関連した聖句は旧約聖書に見られます(出エジプト28:2-3,4129:4-740:12-13レビ8:6参照)。「洗いと油注ぎの儀式は,よく『イニシャトリー』つまり最初の儀式と呼ばれます〔この儀式によってエンダウメントが始まるからです〕。この儀式については,次のように説明すれば十分でしょう。『エンダウメントに関連して洗いと油注ぎの儀式があります。これは非常に象徴的な儀式ですが,儀式を受けた後,具体的な形ですぐに現れる祝福と将来与えられる祝福の,双方を約束するものです。』

この儀式を受けるときは,神殿の中で正式にガーメントを着せられますが,それに伴うすばらしい祝福も約束されます。」(『聖なる神殿に参入する備え』32-34。教義と聖約124:39も参照)

エンダウメント。教会員は普通,専任宣教師として奉仕する準備をしているときか,神殿で結婚の結び固めを受ける準備をしているときか,いずれかの場合にエンダウメントを受けます。自身のエンダウメントを受ける人は,霊的に成熟していることが重要です。エンダウメントとは知識を授けられることであって,そこには神聖な聖約が伴います。この聖約によって,エンダウメントを受ける人は自分の受ける知識の賜物に従って生活すると約束します。英語の“endow”とは「繁栄する」,すなわち価値あるものを継ぐなどして繁栄するという意味もあります。「endowとは『豊かにする』『だれかに永遠に続く高価なものを与える』という意味です。」(『聖なる神殿に参入する備え』31)

ブリガム・ヤング大管長(1801-1877年)は,神殿のエンダウメントを次のように定義しています。「あなたのエンダウメントとは,主の宮においてこれらすべての儀式を受けることです。これらはあなたがこの世を去った後に,番人として立つ天使たちの前を通って御父の前に行くために必要な儀式です。」(『歴代大管長の教え-ブリガム・ヤング』330-331)

十二使徒定員会のジェームズ・E・タルメージ長老(1862-1933年)は,エンダウメントに関連した聖約の概要を次のように説明しています。「エンダウメントの儀式は各個人に課する一定の義務を包含している。すなわち,寛大で情け深く,寛容でしかも清くあるために純潔と徳の律法を厳密に守ること,真理を広めたり人々の精神を高揚するために才能と財産をささげること,真理の大義に献身し続けること,この世の王である主イエス・キリストを地球に迎えるための大いなる備えに貢献しようと努めることなどの聖約と約束がエンダウメントの儀式に含まれている。それぞれの聖約を交わし,責任を果たせば,聖約の条件を忠実に守った報いとして約束された祝福が与えられる。」(The House of the Lord,改訂版〔1976年〕84)

結び固め。家族をこの世においても永遠にわたっても結び固める力は,神殿における最高の経験です。ハワード・W・ハンター大管長は,神殿の結び固めについて次のように教えています。「神殿で行われるもう一つの儀式に,夫婦を永遠に結び固める日の栄えの結婚の儀式があります。言うまでもなく,民事結婚は死をもって終わります。しかし,神殿で行われる永遠の結婚は,永続するのです。永遠の結婚をした夫婦の間に生まれた子供は,自動的に両親と永遠に結び固められます。夫婦の結び固めが行われる前に生まれた子供については,親子を永遠に結ぶ力を持つ神殿の結び固めの儀式が行われます。同様に,子供は身代わりの儀式によって,すでに世を去った両親との結び固めを受けることができます。」(「神殿に心を向ける民」『リアホナ』2004年3月号,42)

亡くなった先祖のための儀式は,神殿でしか施すことができない〔10.4〕

死者のためのバプテスマは末日に回復された。〔10.4.1〕

預言者ジョセフ・スミスは,1840年8月15日に行われたシーモア・ブランソンの葬儀で,死者のためのバプテスマという教義を初めて紹介しました。教会員はそれに驚くとともに,喜びました。この出来事を契機に,幹部の兄弟たちはこの新しい教義について説教で度々触れるようになり,聖徒たちは近くのミシシッピ川で亡くなった愛する人々のために身代わりにバプテスマを施し始めたのです(ジョセフ・フィールディング・スミス,Essentials in Church History, Classics in Mormon Literature Series〔1979年〕252-253;『時満ちる時代の教会歴史 生徒用手引き』251参照)。

1841年10月にイリノイ州ノーブーで開催された教会の総大会の席で,預言者ジョセフ・スミスは,聖徒が主の宮(ノーブー神殿)で施せるようになるまで,死者のためのバプテスマの執行をやめるよう主が望んでおられると宣言しました。1841年11月8日,当時十二使徒定員会会長であったブリガム・ヤング大管長は,未完成の神殿の地下に置かれたフォントを奉献し,教会員はそこで死者のためのバプテスマを施し始めました(History of the Church,第4巻,426,446,454参照)。

教義と聖約第127章と128章には,死者のためのバプテスマに関して預言者ジョセフ・スミスからさらに詳しい指示が与えられたことが記されています。以来,死者のための救いの儀式はすべて神殿の中だけで行われています。

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神殿の階段を下りる青少年

西アフリカ,ガーナの神殿を出る青少年の一団

わたしたちには死者のための儀式を執り行う責任がある。〔10.4.2〕

エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,わたしたちには亡くなった先祖のために昇栄の儀式を提供する責任があるとして,次のように教えました。

「この末日においてわたしたちが主から託された業の一つに,自ら救いの儀式を受けた人は,福音を受け入れる機会なくこの世を去った先祖のためにその儀式と結び固めの働きをなすという責任があります。わたしたちは,霊界で闇の中に閉じ込められているかもしれない死者が,福音の光を受けてわたしたちと同じ条件で裁きを受けられるように,彼らのために救いの扉を開く特権を与えられているのです。そうです。福音の救いの儀式にあずかる機会を人々に与えるという,『わたしのしているわざをする』のです。どれほど多くのわたしたちの血族が,この結び固めの儀式をいまだに待ち続けていることでしょうか。

次のように自問してみてください。『自分は幕のこちら側にいる者としてできることを,すべて果たしているだろうか。自分自身の先祖の救い主となっているだろうか。』

わたしたちは,先祖なしには完全になれません。昇栄は家族のきずなを基とした祝福なのです。」(「わたしが生きるので,あなたがたも生きるからである」『聖徒の道』1994年4月号,7)

天の御父のすべての子供たちに救いの儀式が提供される。〔10.4.3〕

ボイド・K・パッカー長老は,死者のための業の最終的な目的は,受け入れるすべての人に救いの賜物を提供することにあると説明しています。

「自らをふさわしく整えた教会員は,神殿において,人類に啓示された最も貴い贖いの儀式を受けることができます。この神聖な式典において,わたしたちは洗われ,油を注がれ,様々な事柄を教えられ,エンダウメントを受け,結び固めの儀式を受けます。こうして自分自身の祝福を受けた後は,このような祝福を受けることなく世を去った人々のために,儀式を執行できます。神殿の中では,この地上の人々と同様,すでに世を去った人々に対してもこの神聖な儀式が行われます。

……いつの日か,生者も死者も福音を聞き,神殿で行われていることを受け入れるか拒むかの機会を得ます。」(「聖き宮居」『聖徒の道』1992年6月号,14,17参照)

すべての人には,身代わりの儀式を受け入れるか拒むかの選択の自由がある。〔10.4.4〕

教会が亡くなった人のために身代わりのバプテスマをしていることに対して懸念を口にする人もいます。そのような懸念の一つは,死者の望みに反するのではないかという疑問です。D・トッド・クリストファーソン長老は,教会の立場を明らかにして,わたしたちは亡くなった人のために神殿で儀式を執り行うけれども,本人の選択の自由は尊重されると言っています。「ある人々は誤解して,死者は知らない間にモルモンの教えに改宗させられるとか,生前に別の宗教に属していた人をモルモンとして生活したことにするといったようなことができると考えています。わたしたちには,どうしたわけか,人に信仰を強要する力があるとする見方です。もちろんそれは違います。神は初めから人に選択の自由を与えられました〔モーセ7:32参照。アルマ5:33-3642:27も参照〕。悔い改める死者は,神の宮の儀式に従って,贖いを受けることができますが,それは儀式を受け入れたときだけです〔教義と聖約138:58〕。教会はそうした人々を出席簿に載せてもいなければ,会員数に加えてもいません。」(「死者の贖いと,イエスへの証」『リアホナ』2001年1月号,10)

わたしたちは神殿での礼拝を通じて祝福を受ける〔10.5〕

神殿参入に備える。〔10.5.1〕

「神殿で行われる儀式は,単純明快なものです。また,美しく神聖なものです。そして,準備のできていない人々に施すことがないよう,秘密にされています。好奇心を抱くことは,準備ではありません。深い関心を寄せることも,それだけでは準備ではありません。儀式を受けるための準備とは,信仰を持ち,悔い改め,バプテスマを受け,確認を受け,ふさわしい生活をし,主の宮に招かれる賓客にふさわしく成熟し,尊厳を備えるという基本的なステップを踏むことなのです。」(『聖なる神殿に参入する備え』2-3)

神殿は啓示の場所である。〔10.5.2〕

十二使徒定員会のジョン・A・ウイッツォー長老(1872-1952年)は,忠実に神殿へ行って礼拝する者は,啓示を受けることが期待できると言っています。「人々が神殿に参入し,よく目を見開いて,象徴や聖約を心に留め,その完全な意味を理解するようたゆまず努力していくならば,神は実際にその御言葉を伝え,啓示を与えてくださるでしょう。……わたしは,いろいな悩みや問題を抱えながら……忙しく働いている人は,ほかのどこよりも主の宮においてそれらをもっとよく,また速やかに解決できると信じています。もしも人がそうした問題をそのまま後に残して,自分のため,また死者のために神殿の業を行うならば,この世を去った人々に大いなる祝福をもたらすとともに,自分も祝福にあずかることになります。なぜなら,神殿の内外を問わず,最も予期しないときに,啓示として,心を悩ませている問題への解決が与えられるからなのです。これこそが,ふさわしい状態で神殿に参入する人々への賜物なのであって,神殿こそ啓示が期待できる場所だからなのです。」(“Temple Worship,” The Utah Genealogical and Historical Magazine1921年4月号,63-64)

主の御霊の影響がわたしたちの生活の隅々まで及ぶ。〔10.5.3〕

七十人のロイデン・G・デリック長老(1915-2009年)は,神殿での礼拝には様々な祝福が伴うとして,次のように証しています。「主の宮は,忠実な会員が自分自身の生活とその直系傍系の親族の生活を霊的に豊かにし,気高いものとするための源として利用している場所です。教会員が定期的に神殿に参入するようになると,心の中には平安がもたらされ,主の御霊の影響が生活の隅々まで及び,愛と尊敬の気持ちが家族の間で深まります。問題がはっきりと認識できるようになり,解決策がもっと明確になり,家族同士の気持ちがもっと穏やかになります。教会の中で離婚が著しく減少し,参入者やその周りの人の生活が霊的に豊かになります。子供は良い友達と付き合う可能性が増し,親ともっと言葉を交わすようになり,セミナリーやインスティテュートに出席し,伝道に出て,教会に活発になり,福音の原則をもっとよく理解し,永遠の家族関係にふさわしい者となります。」(Temples in the Last Days〔1987年〕156)

エンダウメントはわたしたちにとって守りとなる。〔10.5.4〕

主と交わす聖約には常に約束が伴います。ジョセフ・フィールディング・スミス大管長は,神殿の聖約に伴う,守りという主の約束について,次のように述べています。

「神殿に入ると,わたしたちは手を挙げて主に仕え,主の戒めを守り,また世の悪に染まらないようにすると聖約する。わたしたちが自分の聖約しているそれらのことをよくわきまえるなら,エンダウメントは生涯わたしたちを守るものとなるだろう。この守りは神殿に行かない者は受けることができない。

わたしの父〔ジョセフ・F・スミス大管長〕は,試練や誘惑のときには,主の宮で交わした約束や聖約に思いをはせると言ったことがある。それが父にとっては守りだったのである。……

これらの儀式はこの守りを与えるためにもある。これらの儀式を敬い貴ぶならば,わたしたちはこの世において救いを得,次の世においては昇栄を受けるであろう。わたしはこの守りが与えられることを知っている。自らの義務を覚える大勢の人々と同様,わたしもそれを実感しているからである。」(Doctrines of Salvation第2巻,252-253)

神殿に参入することで正しい生活が送れるようになる。〔10.5.5〕

ゴードン・B・ヒンクレー大管長(1910-2008年)は,神殿で礼拝するようになると,滅びをもたらす中毒を避けることができると教えています。「主の宮を訪れることを習慣としてください。神殿参入ほど,正しい生活を保証するものはありません。神殿参入を通して,ポルノグラフィーや麻薬の乱用,霊性の低下などの悪影響をはねのけることができます。神殿参入は結婚と家族の関係を強めてくれるのです。」(「結びの言葉」『リアホナ』2005年5月号,102参照)

個人的な祝福は死者のための業を行うことでもたらされる。〔10.5.6〕

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メアリー・エレン・スムート

元中央扶助協会会長のメアリー・エレン・スムート姉妹は,死者の身代わりの働きをするために神殿に行く人には,幾つかの報いが与えられると指摘しています。「わたしたちは神殿の祝福に喜びを見いだしている姉妹たちにお会いします。聖約を交わしてそれを守り,亡くなった親族のための業を行い,それによって重荷が軽くなり,誘惑に立ち向かう力を強めている姉妹たちです。自らの神聖な行く末を理解している神の娘たちは,自らの可能性へのビジョンを持ち,弱点を克服することに集中しています。」(「シオンの娘よ,喜び歌え」『リアホナ』2000年1月号,113)