2022
愛し,分かち合い,招く
2022年5月


愛し,分かち合い,招く

愛し,分かち合い,招くときに,メシヤの再臨に地球を備える,偉大で栄えある業に携わることができます。

少しの間,ガリラヤの山に立って,復活された救い主が弟子たちを訪れておられる,不思議と栄光を目の当たりにしていると想像してみてください。主が弟子たちに厳かに命じられました。「それゆえに,あなたがたは行って,すべての国民を弟子として,父と子と聖霊との名によって,彼らにバプテスマを施し〔なさい〕。」1それは主への畏れを感じさせるものだったことでしょう。この言葉は確かに力があり,それは使徒だけでなくわたしたちも鼓舞し,突き動かします。実際,使徒たちは,残りの生涯の間ひたすらまさにこの言葉どおり行ったのです。

面白いことに,イエスの言葉を心に留めたのは使徒だけではありませんでした。初期の教会員は,新会員も経験豊富な会員も,自分たちが出会い,知ることになった人々に,福音の良い知らせを伝えるという,救い主から託された偉大な務めを果たしました。イエス・キリストの証を伝えるという決意は,主が新たに建てられた教会が大きく成長する助けとなりました。

わたしたちもキリストの弟子として,主が初めてそれを宣言されたガリラヤの山にいるかのように,今日主の声に耳を傾けるよう招かれています。1830年,同じことがまた始まりました。ジョセフ・スミスがイエス・キリストの教会の初期の宣教師として弟のサミュエルを任命したときのことです。3それ以来,150万人以上の宣教師が世界中に出て行って,あらゆる国民を教え,回復された福音の良い知らせを受け入れる人にバプテスマを施してきました。

これがわたしたちの教義であり,心からの望みです。

わたしたちは子供からお年寄りまで,救い主の招きを聞き,世界の国々に福音を宣べ伝えられるときを待ち望んでいます。昨日預言者が,救い主が使徒たちに呼びかけられたのと同じように招いたとき,若い男性と女性の皆さんも専任宣教師として奉仕する備えをするようにとの勧めを力心に強く感じたことでしょう。

スタート地点に立つスプリンターのように,わたしたちはレースの開始を伝える,預言者のサイン入りの公式な招きを心待ちにします。この望みは気高く霊感されたものですが,次の質問について考えてみましょう。「全員が今から始めてはどうでしょうか?」

「ネームタグなしにどうやって宣教師になれるのだろう」と思う人がいるかもしれません。あるいは,「専任宣教師はこの業を行うために任命されるものだ。手伝いたいけれど,生活がもう少し落ち着いたらにしよう」と思っているかもしれません。

兄弟姉妹の皆さん,そんなに難しいことではありません!有難いことに,救い主から託されている偉大な務めは,子供のころから教えられてきた,単純で簡単で理解しやすい原則を通して達成できます。愛し,分かち合い,招くことです。

愛する

わたしたちができる一つ目のことは,キリストのように愛することです。

この激動のときに世界中で見られる,人間の苦しみや高まる緊張のために,わたしたちの心は重くなっています。しかし,家を追い出され,家族と別れ,ほかの悲しみや落胆を経験するなどして,社会から取り残されている人々に手を差し伸べようという動きに見られる思いやりや人道主義に影響を受けることもできます。

最近のニュースで,ポーランドの母親の一団が,必死に避難する家族たちを心配して,電車の駅のホームに,装備の整ったベビーカーをきれいに並べたということを聞きました。避難してくる親子が電車を降りた後で国境を越えるのに必要な,ベビーカーを準備したのです。確かに,天の御父はこういった無私の慈愛の行いを見てほほえんでおられます。わたしたちは互いの重荷を負い合うときに,「キリストの律法を全うする」のです。4

言葉を使わなくても,隣人にキリストの愛を示すことで,福音を宣べ伝えることができます。

人々への愛は,隣人を愛しなさい,という二番目の偉大な戒めを表しています。5御霊がわたしたち自身の心の中で行われる清めのプロセスを示しています。人々にキリストの愛を示すことにより,自分の良い業を見る人々が「天にいます〔わたしたち〕の父をあがめる」かもしれません。6

わたしたちは,見返りを期待せずにこれを行います。

もちろん,わたしたちの愛とメッセージを受け入れてもらえることを望みますが,人々の反応は変えられません。

しかし,自分の行いや,自分がどのような者となるかは変えられます。

人々へのキリストのような愛を通して,わたしたちはキリストの福音が,栄えある,人生を変えるものであることを伝え,主から託された務めに積極的に携わることができます。

分かち合う

わたしたちが二つ目にできることは,分かち合うことです。

新型コロナのパンデミックで最初の数か月の間に,タイのウィサン兄弟はモルモン書を研究して学んでいることについて,気持ちや印象をソーシャルメディアで分かち合うよう促しを受けました。特に個人的な気持を綴った投稿で,アルマとアミュレクという,モルモン書の二人の宣教師の話を分かち合いました。

兄のウィナイには自分の宗教がありましたが,この投稿に心を動かされ,思いがけずこう尋ねました。「タイでその本は手に入るの?」

ウィサンは賢明にも,二人の姉妹宣教師にモルモン書を届けてもらう手配を整えました。この姉妹宣教師たちが兄を教え始めました。

ウィサンはオンラインのレッスンに参加して,モルモン書について感じていることを伝えました。ウィナイは,真理を求めるために祈り,研究し,真理を受け入れるようになりました。数か月後,ウィナイはバプテスマを受けました!

ウィサンは後でこう言いました。「わたしたちには,神の手に使われる器となる責任があり,自分を通して主に,いつでも主の業を主の方法で行っていただけるように,備えていなければなりません。」ウィサンが自然な方法で福音を分かち合ったため,彼らの家族に奇跡が起きました。

だれもが人とよく物を分かち合います。それも頻繁に行います。好きな映画や食べ物,目にした面白いもの,訪れた場所やすばらしい美術品,自分を高めてくれた言葉などを分かち合います。

分かち合っているもののリストに,イエス・キリストの福音への愛を加えるにはどうすればよいでしょうか。

ディーター・F・ウークトドルフ長老はこのように説明しています。「週末はどうだったかと尋ねられたら,ためらわずに,教会で経験したことについて話してください。人々の前に立ってイエス様のようになる方法について熱心に歌う,幼い子供たちについて話してください。高齢者施設で高齢者の個人史の作成を手伝っている青少年について話してください。」7

分かち合うことは,福音を「売る」ことではありません。説教を書いたり,だれかの誤った認識を正したりする必要はありません。

伝道について言うと,神はあなたに裁く人になることではなく,共有する人となるよう求めておられるのです。

福音にまつわる良い経験を分かち合うことにより,わたしたちは救い主に託された偉大な務めを果たすのを助けることができます。

招く

わたしたちにできる3つ目のことは,招くことです。

マイラ姉妹はエクアドルで最近改宗しました。バプテスマの後で,ソーシャルメディアを通して周りの友人や愛する人たちを招くと,彼女は福音の喜びをますます強く感じました。彼女の投稿を見た大勢の家族や友人が,質問をしてきました。マイラは彼らとつながり,何度も自宅に招いて宣教師とともに過ごしました。

マイラの両親やきょうだい,おば,二人のいとこ,そして何人かの友達がバプテスマを受けました。マイラが勇気をもって,「来て見る」ように,「来て奉仕する」ように,「来て一員になる」ようにと招いたからです。マイラの普通で自然な招きを通して,20人以上がバプテスマを受けてイエス・キリストの教会の会員になるようにという招きを受け入れました。それは,マイラ姉妹がただ,教会員として自分が感じた喜びを経験するよう人々を招いたために起きました。

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マイラ姉妹と,福音の喜びを経験するよう彼女が招いた人たち

人を招く方法は何百通りとあります。聖餐会やワードの活動に「来て見る」ように,またイエス・キリストの福音を説明するオンラインビデオを見るように勧めることができます。モルモン書を読んだり,奉献前のオープンハウス期間中にできたばかりの神殿に「来て見る」よう勧めることもできます。時折,自分自身を招くこともあります。周りにある様々な機会に気づき,見て,行動に移すよう自分を招くのです。

このデジタルの時代にあって,会員はよくソーシャルメディアを通してメッセージを分かち合います。分かち合う価値のあるものは,何百,何千とあります。このようなコンテンツは,「来て見てください」「来て奉仕してください」「来て一員になってください」と招きます。

イエス・キリストの福音について学ぶよう人に勧めるとき,主から託された務めを行うようにという救い主の招きに応じているのです。

まとめ

愛する兄弟姉妹の皆さん,今日は,だれにでもできる簡単な3つのことについて話しました。あなたにもできます!もしかすると,無意識のうちにすでに行っているかもしれません。

愛し,分かち合い,招く方法を考えてみてください。そうするときに,愛する救い主の言葉に従っているという大きな喜びを感じるでしょう。

これは,新しいプログラムではありません。これまでにも聞いたことのある原則だと思います。これは教会の「次の大きなプロジェクト」ではありません。この3つのことは,わたしたちがイエス・キリストの弟子として身につけている人格の延長線上にあります。

ネームタグも手紙も,

正式な召しも必要ありません。

この3つのことが自然と自分の人格や生活の一部になるとき,自然に,自分から,本物の愛を示せるようになります。

2000年前にガリラヤで主から学ぶために集まった,キリストの弟子のように,わたしたちも救い主の命じられたことを受け入れ,全世界に出て行って福音を宣べ伝えることができます。

愛し,分かち合い,招くときに,メシヤの再臨に地球を備える,偉大で栄えある業に携わることができます。

救い主の招きに耳を傾け,主から託された業に携わる努力ができるよう,イエス・キリストの御名により祈ります,アーメン。

  1. マタイ28:19

  2. 初期の教会の成長の原因は何か。ある歴史家はこのように示唆している。「信仰の性質に関する真剣な探求を引き起こした最初のものは,他の信者との個人的な交わりであった。……イエス・キリストに従う人々の傍らで生活し,働き,間近で彼らの行いを目にし,日々の通常の活動のさなかに彼らが福音について語るのを聞くことにより,生活の変化の証拠を目の当たりにしたのだった。そういう意味では,クリスチャンの信仰の力を引き出すのは,最も著名な代表者の公式の宣言というよりはむしろ,ごく普通の,イエスの礼拝者のもの静かな証だと言えよう。自身の高潔さと一貫性,人に対する寛容性により,その献身の信頼性が示されるのだ。」 (Ivor J. Davidson, The Birth of the Church: From Jesus to Constantine, A.D. 30–312, [2005], 108–9)

  3. See Lucy Mack Smith, History, 1845, page 169, josephsmithpapers.org.

  4. ガラテヤ6:2

  5. マタイ22:39参照

  6. マタイ5:16

  7. ディーター・F・ウークトドルフ「伝道活動―心の中にあることを伝える『リアホナ』2019年5月号,17