2010–2019
主はお忘れになっていません
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主はお忘れになっていません

天の御父と救い主イエス・キリストはわたしたちを御存じで,愛しておられます。……わたしたちは苦しいさなかでも御二方の愛と思いやりを感じることができます。

世界中で姉妹たちに会うとき,わたしたちは皆さんの証の強さに驚嘆しています。皆さんの多くは教会員として最初の世代あるいは2世の方たちです。多くの姉妹たちが複数の召しを果たし,遠くから教会へ通い,神殿で神聖な聖約を結んでそれを守るために犠牲を払っていることを知っています。わたしたちは,皆さんに敬意を表します。皆さんは,主にあって働く現代の開拓者です。

最近,夫のメルとオーストラリアのある博物館を訪れたとき,モリー・レンソルというボランティアガイドに会いました。70代のこのすてきな女性モリーには子供がおらず,生涯独身だったということが分かりました。彼女は一人っ子で,両親は随分前に亡くなっていました。最も近い親戚は,別の大陸に住む二人のいとこでした。すると突然,わたしはまるで天の御父が語りかけてくださっているかのように証する,御霊に圧倒されました。「モリーは独りではない!モリーはわたしの娘である!わたしは彼女の父親である!彼女はわたしの家族の非常に大切な娘であって,決して独りではない

救い主の生涯の中でラザロの話はわたしの大好きな話の一つです。聖文に「イエスは,マルタとその姉妹〔マリヤ〕と〔兄弟の〕ラザロとを愛しておられた」1と記されています。ラザロが病気だという知らせがイエスのところへ送られましたが,イエスはすぐに行こうとはなさいませんでした。主は「この病気は……神の栄光のため,また,神の子がそれによって栄光を受けるためのものである」と言い,さらに2日間そこへ行こうとはなさいませんでした。2

イエスが来られたと聞き「出迎えに行った」63マルタは,何があったかを主に話しました。ラザロは「すでに四日間も墓の中に置かれてい〔ました〕。」4悲嘆に暮れるマルタは,主がおいでになったことをマリヤに知らせようと家まで走って行きました。5悲しみに打ちひしがれたマリヤはイエスに駆け寄り,足もとにひれ伏して泣きました。6

聖文には「イエスは,〔マリヤが〕……泣いているのをごらんになり,激しく感動し,また心を騒がせ」,ラザロをどこに置いたかお尋ねになったと記されています。

「彼らはイエスに言った,『主よ,きて,ごらん下さい。』」7

次に,「イエスは涙を流された」8という,聖文の中で最も哀れみ深い愛の言葉が記されています。

使徒ジェームズ・E・タルメージはこのように書いています。「この二人の女がそれほど悲しみに打ちひしがれ……ているのを見て,イエスは〔彼らとともに〕悲しみを覚え,心を騒がせまた激しく感動〔された〕。」9このことは,わたしたちが人生で経験する苦しみや罪,逆境,痛みに打ちひしがれる度に救い主と天の御父がわたしたち一人一人のために感じてくださる,哀れみと思いやりと愛について証しています。

愛する姉妹の皆さん,天の御父と救い主イエス・キリストはわたしたちを御存じで,愛しておられます。わたしたちが多少なりとも痛みを感じたり,苦しんだりするとき,御二方はそれを御存じです。「今は苦しくても大丈夫です,すぐにすべてはうまくいきますから。あなたは癒されます。ご主人の仕事は見つかります。道を踏み誤った子供は戻って来ます」などとは決しておっしゃいません。御二方はわたしたちの苦しみの深さを感じておられ,わたしたちは苦しいさなかでも御二方の愛と思いやりを感じることができます。

アルマはこう証しています。

「そして神の御子は,あらゆる苦痛と困難と試練を受けられる。これは,神の御子は御自分の民の苦痛と病を身に受けられるという御言葉が成就するためである。……

また神の御子は,……御自分の心が憐れみで満たされるように,また御自分の民を彼らの弱さに応じてどのように救うかを……知ることができるように,彼らの弱さを御自分に受けられる。」10

救い主と天の御父はほんとうにわたしたちのことを御存じなのだろうか,あるいは,わたしたち個人をどれほどよく御存じなのだろうかと疑問に思うとき,救い主がオリバー・カウドリに語られた言葉を思い出すとよいかもしれません。

「あなたはこれ以上の証を望むならば,これらのことが真実であるのを知ろうとして心の中でわたしに叫び求めた夜のことを思い出しなさい。」11

その前に救い主は,「あなたの心の思いと志を知っている者は神のほかにだれもいない」12とも言っておられます。」12

救い主はオリバーに,御自分がその嘆願の祈りを事細かに知っておられるばかりか,その夜の正確な時間まで覚えておられることを指摘されたのです。

何年も前のことですが,夫が珍しい病気で重体になったことがありました。数週間が過ぎ,容態が悪化すればするほど,わたしは夫が死ぬのだと確信していきました。自分が感じている恐れについてはだれにも言いませんでした。わたしたちにはまだ幼い子供が大勢いて,わたしたち夫婦は永遠の結びつきの中で愛し合っていました。夫を失って独りで子供を育てることを考えると,わたしは寂しさと絶望でいっぱいになり,怒りすら感じました。恥ずかしいことに,わたしは天の御父に背を向けるようになりました。何日も,祈ることも計画することもやめ,ただ泣きました。そして,ようやく独りではどうにもできないことに気づいたのです。

ほんとうに久しぶりに,わたしは天の御父に心を注ぎ出し,御父に背を向けたことを赦してくださるように願い求めました。そして 胸の内をすべて打ち明け,最後に,もしこれが真に主がわたしに求めておられることなら,それを行いますと叫びました。それに従おうと思いました。主はわたしたちの人生についてご計画をお持ちに違いないと知っていたからです。

引き続きひざまずき思いを注ぎ出していると,この上なく好ましく,平安と愛に満ちた気持ちを感じました。まるで愛の毛布に包まれているようでした。あたかも天の御父が「それを知りたかったのです」とおっしゃっているかのように感じました。わたしはもう二度と主に背を向けまいと決心しました。驚くべきことに,夫の容態は徐々に快方に向かい,ついに完治したのです。

それから何年もして,夫とわたしは17歳の娘のそばにひざまずき,娘の命を救ってくださるよう嘆願しました。今度の答えはノーでしたが,救い主が約束された愛と平安は前と同じように力強く感じられました。天の御父は娘を天の家に呼び戻されるけれども,何も心配するには及ばないことを知っていました。わたしたちは主に重荷を負っていただくことの意味が分かり,主がわたしたちを愛しておられ,わたしたちが悲しみ苦しむときに共感してくださることを知るようになりました。

モルモン書の中で最も心温まる父と息子の場面は,息子アルマがその息子ヒラマンに証を伝える場面です。アルマは神の御前に行って自分の多くの罪を裁かれることを考えるだけで感じた「言いようのない恐怖」について語りました。3日3晩,自らの罪の重さを感じた後で悔い改め,救い主に憐れんでくださるように嘆願したのです。アルマは,「二度と」罪を思い出して苦しむことがなくなったという「ほかにあり得ないほど麗しく,また快い」喜びについてヒラマンに語って聞かせました。神の御座の前に来ることを考えるだけで感じた「言いようのない恐怖」の代わりに,アルマは「神が御座に着〔く〕」示現を見て,「そこに行きたいと切に望んだ」と言明しています。13

愛する姉妹の皆さん,わたしたちも同じように感じないでしょうか。わたしたちが悔い改め,天の御父と救い主の愛と憐れみと,わたしたちが感じる感謝の念について考えるとき,御二方の愛の御腕に再び抱かれるために「そこに行きたいと切に望〔む〕」のではないでしょうか。

主がその大切な娘であるモリー・レンソルをお忘れになっていないとわたしに証してくださったように,主は皆さんをもお忘れになっていないと 証します 。皆さんにどのような罪や弱さや苦痛があろうと,どのような困難や試練を経験していようと,主はその瞬間にそれらを御存じであり,理解しておられます。主は皆さんを愛しておられるのです。そのようなときには,マリヤとマルタにしたように,皆さんを支え,助けてくださいます。皆さんを救う方法を知るために主は犠牲を払ってくださったのです。主に重荷をゆだねてください。天の御父に自分の思いを伝えてください。抱えている苦痛を主に打ち明け,主にゆだねてください。日々聖文を探求してください。そこにも大いなる慰めと助けを見いだすでしょう。

救い主はこう尋ねておられます。

「女が乳飲み子を忘れ,自分の産んだ子を哀れまないことがあろうか。まことに,たとえ女たちが忘れようとも,……わたしはあなたを忘れない。

……わたしはあなたを,わたしの手のひらに彫り刻んだ。」14

「また,あなたがたが見たように,わたしはあなたがたのだれにも立ち去るように命じることなく,むしろわたしのもとに来て,触れるように,また見るように命じた。あなたがたも世の人々にそのようにしなさい。」15

これがわたしたちに与えられた責任です。わたしたちはまず自分で触れて,自分で見なければなりません。それから天の御父の子供たちが皆,触れて,見て,救い主がわたしたちのあらゆる罪だけでなく,痛みと苦しみと悲嘆を御自分の身に負われたことが分かるように助けなければなりません。主がそのようになさったのは,わたしたちが何を感じており,どのようにわたしたちを慰めたらよいかをお知りになられるためだったのです。主について,イエス・キリストの御名によって証します。アーメン。