喜びを探す
毎日少なくとも一つ幸せな瞬間を探すと,神の祝福が見えてきます。
幸せを感じるのが難しいことがあります。一日24時間,週7日,幸せを感じていられないことでがっかりしたことがあるとしたら,浮き沈みを経験するのは問題ありませんし,普通のことだということを知っておいてください。実際,それが人生なのです!
ニーファイ第二書第2章25節で,わたしたちは次のことを学んでいます。「アダムが堕落したのは人が存在するためであり,人が存在するのは喜びを得るためである。」何とすばらしい知らせでしょう!この地上にわたしたちが存在する大きな理由は,喜びを得るためなのです。しかし,落ち込んでいるときに,どうすればそれができるのでしょうか。
日々の幸せな瞬間
日によって,ほかの日よりも少し気持ちが明るく,わくわくすることがあるかもしれません。しかし,どんな日にも喜びの瞬間を見つけることができます。十二使徒定員会のディーター・F・ウークトドルフ長老は次のように説明しています。
「探していないものを見つけることはめったにありません。
皆さんは喜びを探していますか。
特につらい日や週に,わたしが喜びを探す助けとなっているのは,毎日一つ幸せな瞬間を認めることです。
そのような瞬間は,大きなものや,人生を変えるようなものや,すばらしいものである必要はありません。例えば,友達から親切なメッセージを受け取った,きれいな夕焼けの鮮やかな色に気づいた,自分のためだけに書かれたように思える聖句を読んだ,大好きなおやつを楽しんだ,などです。
毎日少なくとも一つの「幸せな瞬間」を探し出し,認めるとき,もっと喜びを感じ,大小を問わず神が与えてくださるたくさんの祝福に気づくことができます。
毎日一つ幸せな瞬間を見つけるようにするとよいでしょう。そのような瞬間のリストを作り始めましょう。リストが増えていくにつれて,喜びも増していくことでしょう。