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神が約束しておられる「満ちみちる喜び」を味わう
福音に従って生活することで,ほんとうにより幸せになれるのでしょうか。
福音は,幸福の探求について独特な観点を与えてくれます。神とイエス・キリストと個人的な関係を持つことで,ほんとうの幸福とは何か,喜びに満ちるとはどういう意味かについての理解が深まります。
でもわたしにとって,この世の幸せと永続する喜びは別のものです。
この世の幸せは一時的な満足や楽しみに基づいており,その時々の状況に影響を受けます。ひたすらうれしい気持ちになることもあれば,大声で笑ってしまうこともあります。しかし,このような幸せはつかの間のものかもしれず,保つのが難しい場合があります。
一方,キリストを中心とした喜びは,状況に左右されない,長期にわたる充足と平安の状態です。心と魂に触れ,この世の幸せよりもはるかに長く続きます。
この二つの感情を比較したとき,自分自身の経験について考えさせられ,イエス・キリストの福音がどのようにしてわたしたちの生活に,より深く,永続する喜びをもたらしてくれるかについて考えさせられました。
救い主に従い,主の戒めを守り,聖約の道にとどまることによって,深い喜びを得るためのより大きな能力が解き放たれます。この世の幸せはしばしば外的要因への反応であるのに対し,喜びは試練のさなかにあってさえも存在し得る,深遠で内面的な状態であると理解することが大切です。
この世のつかの間の満足と,福音の永続する喜び
わたしは福音を知る前から幸せでした。両親はわたしの知る限り常に優しさと無私の心,愛の最高の模範であり,わたしは良い人生を送っていました。人生に福音がなくても,人は幸せになれるとわたしは信じています。
しかし,18歳で教会に入って以来,福音は永続する喜びを味わう能力を広げてくれることを学んできました。この世が与えることのできるどんなものをも超えた喜びを感じられるのは,福音を知っているからなのです。
この世は一時的な満足を通して幸福を与えますが,福音はあらゆる状況を超越する喜びにあずかるようわたしたちを招いています。十二使徒定員会のディーター・F・ウークトドルフ長老は次のように教えています。「この世の幸せは長続きしません。できないのです。この世のすべてのものは本来,必ず古くなり,朽ち,くたびれ,腐ります。しかし,神の喜びは永遠です。神は永遠であられるからです。」
ここ数年,特に大変な時期があり,明るい気持ちを保つのに苦労しました。そうした困難にもかかわらず,祈りや個人研究,奉仕の瞬間に感じる喜びの火花は深遠なものでした。わたしの喜びは激しい,分かりやすい感情によって現れるのではないことに気づきました。そうではなく,心の中の深く,尽きることのない平安と充足感を通じて喜びを感じることが多かったのです。
そのような瞬間に,わたしは救い主が約束しておられる喜びを味わうことがどういうことかを心から理解しました。
永続する真の喜びは,神の計画に沿った生活を送ることによって得られます。トーマス・S・モンソン大管長(1927-2018年)が証しているように,「その計画に不可欠な存在が,救い主イエス・キリストです。主の贖いの犠牲がなければ,すべては失われます。」この世が与える幸福は通常,外的な状況から生まれますが,主が与えてくださる幸福や喜びは,キリストを中心とした生活から得られる永遠の状態です。
キリストによって見いだす永続する喜び
福音がもたらす喜びは,周りに伝わっていくものです。それは自分自身の生活だけでなく,周りの人の生活も変えます。永遠の喜びという約束は,福音のメッセージの中心を成すものです。第3ニーファイ第28章10節で,わたしたちは御父と御子の前で「満ちみちる喜び」を得ると約束されています。
この永遠の喜びは,自分の神聖な目的を果たし,神のようになることによって訪れます。地上での経験を超えた喜びであり,愛する人との永たち遠にわたる幸福な未来を約束するものです。
だれもが浮き沈みを経験しますが,イエス・キリストの福音は永遠の喜びに至る道を備えてくれています。救い主に従い,主の教えに従って生活しようと努めることによって,深く,永続し,根本から変わる喜びを味わうことができます。
ラッセル・M・ネルソン大管長が述べているように,「わたしたちが感じる幸せは,生活の状況ではなく,生活の中で何に目を向けるかにかかっているのです。」
永遠の喜びという約束は,単なる遠い希望ではありません。今この場で経験できる,今日の現実です。福音に従って生活することによって,つかの間の幸せを永続する喜びに変えることができます。ですから,幸福を求め,喜びを追い求めてください。福音を受け入れてください。永遠の喜びという約束を,あなたの道の指針としましょう。永遠の喜びは,生活に神がいてくださることから生まれます。
この世の幸せは来ては去るかもしれませんが,キリストによって見いだす喜びは永遠です!
筆者はスコットランドのグラスゴー在住です。
注