セミナリー
ヘブル2-4章


ヘブル2-4章

救い主は,困難なときに助けてくださる

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自分の人生で経験することをほんとうに理解してくれる人がいるだろうかと考えたことはありませんか。ヘブル人への手紙の教えには,イエス・キリストが天の御座から降られたのは,地上の死すべき人間として生き,わたしたちのために無限の贖罪を務めるためだと書かれています。そのために,主はわたしたちのことを完全に御存じであり,どのように助けることができるかも完全に御存じなのです。この課は,イエス・キリストが困難なときに助けてくださるという確信を強めてくれます。

御霊を招くために音楽を活用する。音楽,特に教会の賛美歌は,生徒が福音を学ぶ際に聖霊の影響力を感じられるようにするのに,重要な役割を果たします。レッスンに直接関連した賛美歌の歌詞を一つか複数歌うことで,生徒たちは福音の原則の学習や学んだ原則を復習する備えができます。

生徒の準備:マスター教義聖句 アルマ7:11-13 を復習し,この聖句を理解することが有益だと思う理由をクラスで発表する準備をしてもらいましょう。

学習活動案

救い主はわたしを理解しておられます

わたしたちに慰めと平安を与えてくださる救い主の力についての賛美歌を歌い,クラスを始めるのもよいでしょう。生徒には,一緒に歌いながらイエス・キリストについての考え方に耳を傾けてもらいましょう。

絶えず頼り主求む」(賛美歌 53番)の歌詞読むか,歌うか,聞いてください。

英語のビデオ「Where Can I Turn for Peace?(どこに平安を見いだせるのか?)」(4:03)を見ることもできます。このビデオは,https://www.churchofjesuschrist.org/study/video/ysa-face-to-face-events/2019-09-3000-face-to-face-with-elder-ulisses-soares-1080p-jpn?lang=jpn(01:02-05:05)で見ることができます。

  • この賛美歌のメッセージを自分の言葉でどのように説明しますか。

学習帳に,あなたの人生でほんとうに助けが必要なことを書いてください。

パウロはヘブル人への手紙で,イエス・キリストについて,また直面している状況で主がどのように力を与えてくださるかについて,聖徒たちに教えました( ヘブル4: 16 参照)。イエス・キリストが,あなたをどのように助けてくださるか,学びながら探してください。

下に例示した欄をホワイトボードに書いてもよいでしょう。答えの聖句を探すときに,生徒に見つけたものを該当する欄に書き込んでもらいます。

学習帳に,以下のような表を書いてください:

イエス・キリストは,なぜわたしを理解することがおできになるのでしょうか。

イエス・キリストはわたしを理解しておられるがゆえに,どのような祝福を与えてくださるのでしょうか。

ヘブル2:9-10,13-184:12-16 を読んで,表の質問への答えを探してください。該当する見出しの下に答えを書いてください。なお ヘブル2章9節 と16節 が,イエス・キリストは地上の死すべき人間として生きられるために,天の御座から降りてこられたことに言及している点に留意しましょう。

  • イエス・キリストについて学んだことの中で,あなたやほかの人を助けることができるのはどのようなことだと思いますか。

生徒がクラスで発表する際には,注意深く耳を傾けながら観察してください。そして聖霊の導きを求め,生徒たちの必要を見極めましょう。聖文の語句についてより詳しく話し合うために,必要に応じて以下の質問やその他の質問をしてください:

  • イエス・キリストが「〔わたしたちの〕心の思いと志」を見分けることがおできなると知ることで(ヘブル4:12),慰められるのはなぜでしょうか。

  • 「試練の中にある者たちを助けることができる」という言葉から(ヘブル2:18),何が分かりますか。「試練を受け〔た〕(tempted)」という単語は,「試された」または「裁判にかけられる」の意味もあることに留意しましょう。助ける(succorいう単語は,だれかを助けるために駆けつけることを意味します。

あなたが発見した一つの真理は,恐らくイエス・キリストはすべてのことにおいて苦しみ,誘惑を受けられたので,わたしたちのことを理解しておられ,必要なときに助けることがおできになる,ということでしょう。モルモン書の預言者アルマもこの真理を教えています。マスター教義聖句 アルマ7:11-13ヘブル2:18 を相互参照するとよいでしょう。

「生徒の準備」で考えたことを発表してもらいます。

十二使徒定員会のデビッド A・ベドナー長老が,救い主があなたを理解し助けてくださる力をよりよく理解する方法を説明しています。ChurchofJesusChrist.orgでビデオ「 容易に重荷に耐えられるように」 (16:23)のタイムコード12:15-13:21を見るか,以下の言葉を読むとよいでしょう。

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Elder David A. Bednar, Quorum of the Twelve Apostles official portrait. 2020.

「わたしたちが現世で直面する肉体的な痛み,霊的な傷,苦悩や心痛,病や弱さのうち,救い主が経験なさらなかったものは一つもありません。自分の弱さに悩むとき,『この苦しみはだれにも分からない』と声を上げることがあるかもしれません。しかし,神の御子はすべてを完全に理解しておられます。わたしたち一人一人の重荷を負われたからです。そして主は無限にして永遠の犠牲をささげられたので( アルマ 34:14 参照),わたしたちの気持ちを完全に理解し,憐れみの腕を伸べることがおできになります。主は手を差し伸べ,触れ,助け,癒し,強め,わたしたちが自分でなれる以上の者にしてくださり,自分の力では決してできないことをできるようにしてくださいます。」

(デビッド・A・ベドナー「容易に重荷に耐えられるように『リアホナ』2014年5月号, 89-90 )

  • アルマ7:11-13 やべドナー長老の話は,あなたを助ける救い主の力をよりよく理解するためにどのように役立ちますか。

わたしたちの体験やわたしたちに必要なことを,救い主は完全に理解されていることを示す例を,あなたの人生やほかの人の人生,または聖文から考えてください。例を思い浮かべるのに助けが必要な場合は, ヨハネ11:21-27,32-36モーサヤ24:11-15教義と聖約122:5-9 を研究してみましょう。

  • その例は,あなたがイエス・キリストに頼るうえでどのように役立つでしょうか。

生徒に,見つけた例を発表してもらいます。生徒が発表することをためらったら,個人的な経験を分かち合うか,推奨されている聖句の一節について話し合うのもよいでしょう。

はばかることなく恵みの御座に近づく

ヘブル4:16 を読み,わたしたちが必要な助けを得るために何をするようパウロが勧めているか,探してください。そして見つけたものに印をつけましょう。

わたしたちがどのように恵みの御座に近づくことができるのか,その幾つかの例として,ChurchofJesusChrist.orgにあるビデオ「信仰を持って手を伸ばす」(3:54)を見てください。

  • 「はばかることなく恵みの御座に近づ〔く〕」とはどういう意味だと思いますか。

わたしたちが神の御前に立つときは,恭しく身をかがめ,敬虔に礼拝し,そして悔い改めの嘆願が必要なことを指摘すると有益でしょう。わたしたちが自信を持つことができるのは,わたしたち自身の善良さや能力のためではなく,イエス・キリストの功徳のためであり,それが神の御前に立つことを可能にするのです( 2ニーファイ2:8 参照)。

  • 神の御前に近づくとき,わたしたちはどのようなことに自信を持つべきでしょうか。

  • 「はばかることなく恵みの御座に近づ〔く〕」とはどういうことで,どのように感じることだと思いますか。

イエス・キリストとその贖罪に対する個人的な証を分かち合ってもよいでしょう。必要なときに強さと助けを得るために,はばかることなく恵みの御座に近づくように生徒を促しましょう。

注釈と背景情報

イエス・キリストの謙遜さとはどのようなものでしょうか

十二使徒定員会のクエンティン L・クック長老は,次のように教えています:

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Official portrait of Elder Quentin L. Cook. Called to the Quorum of the Twelve Apostles on 6 October 2007.

「救い主の謙遜の模範と全人類のために払ってくださった犠牲は,歴史上,最も深い意味を持つ出来事です。救い主は,神会の御一方でありながらも,慎ましやかな幼子として進んで地上に生を受け,御自分の兄弟や姉妹を教え,癒し,最終的には,ゲツセマネと十字架上で言い表せないほどの苦痛に耐え,贖罪を完成されました。キリストによるこの愛と謙遜の行為は,キリストが御自身を低くされたこととして知られています。キリストは,神がこれまでに創造された,またこれから創造されるすべての人のためにこのことを行われました。」

(クエンティン・L・クック「永遠の中の日常『リアホナ』2017年11月号,52)

ヘブル4:15 。イエスはほんとうに「わたしたちと同じように試練に会われた」のでしょうか

ハワード W・ハンター大管長(1907-1995年)は次のように教えています:

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Howard W. Hunter

「次のことを心に留めておくことが大切です。それは,イエスは罪を犯すこともおできになったし,誘惑に負けておられたかもしれないということ,そしてそのために命と救いの計画が無に帰していたかもしれないということです。しかし,主は最後まで忠実であられたのです。もしもイエスがサタンの誘いに乗る可能性をまったく持っておられなかったとしたら,そこに真の試しは存在せず,結果として真の勝利は得られなかったでしょう。罪を犯す能力をことごとく取り去られていたならば,イエスは自由意志そのものをも取り去られていたはずです。人間の自由意志を擁護し,確実なものとされたのはイエス御自身でした。したがって,そう望まれたのであるから,罪を犯す能力も持っていなければならなかったはずです。パウロはこう書いています。『彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによって従順を学び』( ヘブル5: 8 ),『罪は犯されなかったが,すべてのことについて,わたしたちと同じように試練に会われたのである。』( ヘブル4: 15 )主は完全で罪のない御方でした。しかしそれは,そうでなけれはならなかったからではなく,イエスが明確に,断固としてそうなることを望まれたからなのです。」

(ハワード・W・ハンター 「キリストが受けたもうた誘惑『聖徒の道』1977年2月号,51-52)

ヘブル 4:16 。「恵みの御座」にはどのような重要性がありますか

多くの古代文化では,招かれることなく王座に近づくことは命を危険にさらす行為でしたが,王に招かれたならば,自信をもって王座に近づき,話すことができました。 「はばかることなく」神に近づくとは,わたしたちが神の御座に近づくことを神が求めておられ,神の助けを受けるという自信を持つという意味です(New Testament Student Manual 〔2018年〕 477)。

神がわたしたちに与えてくれる慈悲について,十二使徒定員会のジェフリー R・ホランド長老は次のように教えています:

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Official Portrait of Elder Jeffrey R. Holland. Photographed January 2018.

「神御自身が最も喜ばれるのは,憐れみを受けることを期待していない人やその資格がないと感じている人に,憐れみを施されるときであり,このたとえが言わんとしていることは,まさにそれを表しているのです。」

(ジェフリー・R・ホランド「ぶどう園の労働者たち『リアホナ』2012年5月号,32)

補足学習活動

わたしの試練は,ほかの人を理解し助けるのに役立つ

わたしたちを理解される救い主の力について話し合った後,十二使徒定員会のジョセフ B・ワースリン長老(1917-2008年)の次の言葉を分かち合ってください:

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Last official portrait of Elder Joseph B. Wirthlin of the Quorum of the Twelve Apostles, 2004. Died December 1, 2008.

「イエス・キリストは大いに苦しまれたので,人の苦痛と悲しみを理解しておられます。わたしたちも試練を受けることによって,さらに人を思いやり,理解できるようになります。」

(ジョセフ・B・ワースリン「どんな出来事も愛しなさい『リアホナ』2008年11月号,27 )

生徒がこの言葉を振り返られるように,次のように質問しましょう:「あなたと同じような経験をした人から慰められたのはいつですか?」「自分が経験した試練によって,どのようにほかの人をよりよく理解するようになりましたか?」