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第17課 クラス準備資料:イエス・キリストが死に打ち勝たれたことに希望を見いだす


「第17課 クラス準備資料:イエス・キリストが死に打ち勝たれたことに希望を見いだす」『イエス・キリストとその永遠の福音 教師用資料』(2023年)

「第17課 クラス準備資料」『イエス・キリストとその永遠の福音 教師用資料』

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空になったイエス・キリストの墓

第17課 クラス準備資料

イエス・キリストが死に打ち勝たれたことに希望を見いだす

わたしたちの肉体は祝福です。少なくとも,健康なときはそのように感じられるものです。しかし,飢えや病気,けが,障害などを経験しているときはどうでしょうか。年を重ねて弱っていく家族の様子を目の当たりにしたり,愛する人の死に直面したことはないでしょうか。肉体的な苦しみや死について考える際,イエス・キリストと主の復活に対する信仰を深めることで,希望と平安がどのようにしてもたらされるのかを考えてみましょう。

セクション1

救い主の復活に関する記録を研究することで,信仰が強められるのはなぜでしょうか

イエス・キリストが十字架に架けられた後,イエスの体は墓に納められました。3日目の朝,マグダラのマリヤは墓が空であるのに気づいて涙を流しました。二人の天使が,なぜ泣いているのかと尋ねると,マリヤはこう答えました。「だれかが,わたしの主を取り去りました。そして,どこに置いたのか,わからないのです。」(ヨハネ20:13

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墓の外で泣くマリヤ
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ヨハネ20:14-18を読み,復活された救い主を初めて目にした証人になるというのは,どのようなものであったかを考えてみましょう。(「わたしにさわってはいけない」〔“Touch me not”〕という言葉は,ジョセフ・スミス訳〔英文〕では,“Hold me not”〔「わたしを引き止めてはならない」〕と表現されています。十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老〔1915-1985年〕は,主がマリヤに,「わたしは父のもとに昇るのだから,ここにわたしを引き止めてはならない」〔The Mortal Messiah: From Bethlehem to Calvary (1981), 4:264〕と言われたのではないかと示唆しています。イエスの復活についてさらに理解を深めるために,ビデオ「イエスはよみがえられた」〔4:01〕を見てもよいでしょう。)

贖罪の一環として,救い主はこの地上で最初に復活されました。主の霊は,完全かつ不死不滅の肉体と再び結合されました。末日の使徒たちは次のように証しています:「復活された主として,地上での生涯において愛した人々のもとをお訪ねになりました。また,古代アメリカの『他の羊』の間でもお教えになりました(ヨハネ10:16)。現代においては,御父とともに少年ジョセフ・スミスに御姿を現されました。」(「生けるキリスト—使徒たちの証」,ChurchofJesusChrist.org

イエス・キリストの復活は,聖文において最も注意深く記録されている出来事の一つです(ラッセル・M・ネルソン「死後の生活『聖徒の道』1987年7月号,8-11参照)。救い主の復活に対する証を深めるために,以下の証人たちの記録を一つ以上読むか,対応するビデオを見てください:

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数分時間を取り,これらの記録を一つ以上研究して思ったことや感じたことを記録に残してください。

セクション2

復活への理解を深めることで,天の御父とイエス・キリストを信じる信仰をどのように増し加えることができるでしょうか

皆さんの体は永遠にわたって重要であり,現世と来世における皆さんの幸福の鍵となるものです。主は預言者ジョセフ・スミスに,次のように告げておられます。「分離しないように結合した霊と元素は,満ちみちる喜びを受ける。これらが分離するとき,人は満ちみちる喜びを受けることはできない。」(教義と聖約93:33-34)ジョセフ・F・スミス大管長(1838-1918年)は,霊界に関する示現の中で,死者は「その霊が体から長い間離れていることを一つの束縛と考えた」(教義と聖約138:50)と述べています。神が御自分の子供たちのために備えられた計画にとって,復活がどれほど重要であるかを考えてみましょう。

使徒パウロは,コリントの聖徒たちへの手紙の中で,もしイエス・キリストが死者の中からよみがえらなかったとしたら,「わたしたちの宣教はむなしく,あなたがたの信仰もまたむなしい」(1コリント15:14)ものとなると教えています。

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1コリント15:17-222ニーファイ9:8-9を読み(ビデオ「死者の復活」〔1:38〕を見てもよいでしょう),イエス・キリストが復活されなかったら,わたしたちはどうなっていたかを考えてみてください。

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「500人に御姿を現されたイエス」グラント・ロムニー・クローソン画

十二使徒定員会のD・トッド・クリストファーソン長老の次の言葉は,復活に関する教義的な意味合いをさらに理解できるよう助けてくれます:

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D・トッド・クリストファーソン長老

「ナザレのイエスの真の姿および人生についての哲学的な論駁や疑問を決定的に解明するうえで,復活の持つ意義について,少しの間考えてみてください。もしイエスがほんとうに文字どおりに復活されたのなら,疑いもなく,主は神なる御方であるということになります。普通の人間が死んだ後に自分の中に再び生きる力を持つことはありません。イエスは復活されたので,単なる大工,教師,律法学者,もしくは預言者であったということはあり得ません。イエスは復活されたので,神,まさに御父の独り子でなければならなかったのです。

それゆえ,主が教えられたことは真実です。神はうそをつくことがおできになりません。

それゆえ,主が言われたように,主は地球の創造主なのです。

それゆえ,主が教えられたように,天と地獄は実在するのです。

それゆえ,主が亡くなられた後に訪れた霊界があるのです。

それゆえ,天使が告げたように,主は再び来られて,『自ら地上を統治される』(信仰箇条1:10)でしょう。

それゆえ,すべての人に復活と最後の裁きとがあるのです。」(「「イエス・キリストの復活『リアホナ』2014年5月号,113)

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「主は生きておられる」サイモン・デューイ画

エズラ・タフト・ベンソン大管長(1898-1994年)は,救い主の復活を永遠の観点から捉えて,次のように教えています:

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エズラ・タフト・ベンソン大管長

「歴史上最も大いなる出来事とは,最も多くの人々に,最も長い歳月にわたって影響を及ぼすものを指すのではないでしょうか。この影響力の規模という基準で考えれば,一人一人の人間や様々な国民にとって主の復活に勝る出来事はあり得ません。」(「復活祭の意義『聖徒の道』1993年4月号,3)

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イエス・キリストの復活の重要性を踏まえて,主の復活に対する理解と証を強めるために何ができるでしょうか。

セクション3

復活に対する証は,平安や希望をどのようにもたらしてくれるでしょうか

自分や身近な人が直面した,あるいは現在直面している身体的な問題について考えてみてください。また,亡くなった家族や親しい友人について考えてみてください。七十人のポール・V・ジョンソン長老は,こうした現世における困難な経験について,次のような見解を述べています:

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ポール・<strong>V</strong>・ジョンソン長老

「わたしたちはだれしも肉体的,精神的,情緒的な限界や弱さを抱えています。このような試練—今はとても手に負えないように思える幾つかの問題も,いつかは解決します。復活した後は,このような問題に悩まされることはありません。……

……復活の奇跡,つまり完全な治癒は現代医学の力では及びませんが,神の力で及ばないことではありません。……

……子供を墓に横たえ,伴侶のひつぎを前に涙し,親や愛するだれかの死を悼んだことのあるすべての人にとって,復活は大きな希望の源です。霊としてではなく,復活した肉体を持って愛する人々と再会することは,何と力強い経験になることでしょう。」(「もはや,死もなく『リアホナ』2016年5月号,122,123)

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女性に手を差し伸べる救い主

使徒パウロは,復活されたキリストを目にした証人として,救い主が死に打ち勝たれたことを喜びました。

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1コリント15:53-55を読み,救い主の復活を信じることで,死のとげをどのように取り除くことができるかを考えてください。

注:ここでの「朽ちないもの」という言葉は,わたしたちの体が腐敗や死の影響を受けなくなることを意味します。

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復活について学んだことを,自分の証を強めるためにどう生かすことができるでしょうか。救い主の復活についての皆さんの思いや気持ちを聞くことで,祝福を受けられるような人を知っていますか。その人に自分の思いや気持ちを分かち合うことを考えてみてください。