2000–2009
元気を出しなさい
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元気を出しなさい

元気を出してください。未来は皆さんの信仰と同じく希望に満ちています。

兄弟姉妹の皆さん,皆さんへの愛をお伝えします。皆さんに話す責任にへりくだる思いですが,この機会に感謝しています。

6か月前に総大会に集まって以来,世界の情勢は必ずしもわたしたちの望むとおりではないという状態が続いています。6か月前には減速傾向に見えた世界経済は急激に悪化したように思え,見通しはここ何週間も暗い状況にあります。さらに,社会の道徳基盤は揺らぎ続けており,そうした基盤を守ろうとする人々はあざ笑われることが多く,時には抗議や迫害を受けることもあります。戦争や自然災害,個人的な災難は後を絶ちません。

もしわたしたちが世の中や生活の暗い面のみをくよくよと考えるなら,将来に失望し,懐疑的になったり,さらにはこれから先の出来事を恐れたりするのはたやすいことでしょう。しかし,今日きょうわたしは周囲の問題から考えや注意をそらし,教会員として受けている祝福に心を向けたいと思います。使徒パウロはこう宣言しています。「神がわたしたちに下さったのは,臆おくする霊ではなく,力と愛と慎みとの霊なのである。」1

人生で問題や課題に直面しない人はいません。時には悲劇や災難に遭います。人生の大半は,そのような出来事から学び成長するために過ごすのです。苦しむ時,嘆き悲しむ時があるのをわたしたちは知っています。しかし,こう言われています。「アダムが堕落したのは人が存在するためであり,人が存在するのは喜びを得るためである。」2

では,わたしたちが直面するあらゆる問題にかかわらず,人生で喜びを得るにはどうしたらよいでしょうか。再び聖文を読みましょう。「元気を出しなさい。恐れてはならない。主なるわたしはあなたがたとともにおり,あなたがたの傍らに立つからである。」3

この時満ちる神権時代における教会歴史は,苦闘しながらも,揺らぐことなく,元気を出した人々の経験で満ちています。彼らはイエス・キリストの福音を生活の中心としていました。この姿勢は人生でどんなことに遭っても堪え忍ぶ力となります。問題を取り除いてくれることはありませんが,わたしたちが難題と向き合い,勇敢に取り組み,打ち勝つための力を与えてくれます。

困難な状況に直面しながらも,あきらめず,打ち勝った人の例は枚挙にいとまがありません。福音と救い主を信じる信仰が,必要な強さを与えたのです。今朝はそのような例を3つ挙げたいと思います。

最初に,わたし自身の家族の例です。常にわたしを鼓舞してくれる感動的な経験です。

わたしの母方の曾祖父母のギブソン・コンディーとセシリア・シャープ・コンディーは,スコットランドのクラックマナンに住んでいました。家族は炭鉱の仕事をしていました。親戚しんせきや友人に囲まれ,好きな土地で快適な家に住み,平穏な生活を送っていました。そして,末日聖徒イエス・キリスト教会の宣教師のメッセージを聞き,心の底から帰依しました。シオンへ集まるようにという呼びかけを聞き,その声にこたえなくてはならないと分かりました。

1848年ごろ,二人は財産を売り,大西洋を渡る危険な船旅の準備をしました。5人の幼い子供がいた家族は,所持品をすべて一つの小さなトランクに詰めて,帆船に乗り込みました。約5,000キロの航海です。危険な海を渡る8週間の長く疲れる船旅でした。ひたすら海のかなたを眺めながら,乏しい食糧と水で過ごしました。その小さな船の外から助けを得ることはできませんでした。

このような試練の中で,幼いナサニエルが病気になりました。医者はおらず,苦痛を和らげる薬を買える店もありません。見守り,祈り,泣きながら待ちましたが,病状は日ごとに悪くなっていきました。とうとう彼の目が永久に閉じたとき,家族の心は張り裂けんばかりでした。さらに悲しみに追い打ちをかけるように,海洋法に従わなければなりませんでした。麻布でくるみ,鉄の重りを付けて,幼い少年の遺体は海に葬られました。船がその場を離れて行くとき,両親は子供を亡くした親にしか分からない痛烈な悲しみに胸を痛めていました。4しかし,真理に対する深い確信と主への愛から生まれた信仰により,両親は堪え忍びました。主の御言葉みことばに慰めを見いだしたのです。「あなたがたは,この世ではなやみがある。しかし,勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。」5

故郷の家を離れシオンへ旅する信仰を持ち,とうてい想像もできない犠牲を払ってくれた先祖に心から感謝しています。ギブソン・コンディーとセシリア・シャープ・コンディーがわたしとすべての子孫に信仰と勇気と決意の模範を示してくれたことを天の御父に感謝しています。

次に話すのは,イエス・キリストの福音が生活にもたらす平安と喜びを模範によって示した,一人の穏やかで信仰あふれる男性についてです。

太平洋に浮かぶある島での出来事です。夜も更けたころ,1隻の小さな船が粗末な桟橋にひっそりと着きました。メリ・ムリポラは,二人のポリネシア人女性の助けで,ボートから降り,村の大きな通りへと続く古い小道を進みました。女性たちは真夜中の空に瞬く星の明るさに驚きました。月の光に導かれながら,3人は道を進みました。ところが,メリ・ムリポラは,このような月や星,そして空といった自然のすばらしさを味わうことができませんでした。目が見えなかったからです。

ムリポラ兄弟の視力は運命の日まで正常でした。パイナップル農園で働いていたとき,光が突然暗闇くらやみに,昼が明けない夜に変わってしまったのです。彼はすっかり意気消沈してしまいましたが,後に,イエス・キリストの福音という「良い知らせ」について学びました。彼は教会の教えに従った生活を送り,再び希望と喜びを感じられるようになりました。

ムリポラ兄弟と彼の愛する人たちは,神の神権を持っている人が太平洋諸島を訪問していると聞いて,この長い船旅をして来たのです。彼は祝福を受けたいと望みました。わたしはもう一人のメルキゼデク神権者とともに,その祝福を授ける特権にあずかりました。祝福を終えたとき,視力を失った彼の目から涙があふれ,褐色の頬ほおを伝って,着ていた民族衣装にこぼれ落ちました。彼はひざまずいて祈りました。「おお神よ,あなたはわたしの目が見えないことを御存じです。あなたの僕しもべは,視力が戻るようにわたしを祝福してくれました。あなたの知恵により,わたしの目が光を取り戻すことになろうと,一生暗闇の中にとどまることになろうと,今こうして真実の福音を理解できること,またその福音が人生に光を与えてくれることを永遠に感謝します。」

彼は立ち上がり,ほほえんで,わたしたちが施した祝福に感謝しました。そして夜の静寂の中に消えて行きました。彼は静かにやって来て,静かに去って行きました。しかし,彼の存在をわたしは決して忘れないでしょう。わたしは主の御言葉を深く思い巡らしました。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう。」6

兄弟姉妹の皆さん,わたしたち一人一人に主の命の光が与えられています。わたしたちの歩む道がどれほど暗くても,独りで歩くわけではないのです。

わたしは,M・ルイーズ・ハスキンスの次の詩が好きです。

時の門に立つ者に向かい,わたしはこう言った。

「未知の世界へ安心して行けるように光を下さい。」

彼は答えた。

「暗闇に入り,あなたの手を神の手にゆだねなさい。

光に照らされた明るい道を歩むより,その方があなたのためになり,歩き慣れた道を歩むより安全である。」7

絶対的に困難な状況の中であきらめず,ついに困難に打ち勝った人の最後の例を紹介しましょう。第二次世界大戦後の東プロセインでの話です。

戦後まだ1年もたっていない,1946年3月ごろのことでした。当時十二使徒定員会の会員だったエズラ・タフト・ベンソンはフレデリック・W・バベルとともに大戦後のヨーロッパを訪問する特別な割り当てを受けました。目的は,聖徒たちに会って必要なものを調べ,援助することでした。ベンソン長老とバベル兄弟は,政府による統制が取られなくなった場所におる,ある教会員の姉妹の証あかしを聞き,後にその経験談を紹介しました。

彼女は夫と,東プロセインで穏やかな生活を送っていました。そのようなとき,第二次世界大戦が勃発ぼっぱつしました。まだ年若い愛する夫は,故郷で続いた恐ろしい戦いの終わりに殺され,彼女は残された4人の子供を一人で育てなければならなくなりました。

占領軍は,東プロセインのドイツ人はドイツ西部に移住して新しい住居を探すようにと定めました。ドイツ人である彼女はその地を立ち去る必要がありました。目的地までは1,600キロを超える道のりで,しかも移動手段は徒歩しかありませんでした。持ち物は,木製の車輪の付いた小さな荷車に載るだけの,最低限の生活必需品しか許されませんでした。子供たちとわずかな持ち物に加えて,彼女が携えて行ったのは神を信じる強い信仰でした。末日の預言者ジョセフ・スミスに啓示された福音を深く信じていたのです。

子供とともに旅を始めたのは夏も終わりに近づくころでした。持ち物はわずかで,食べ物もお金もありません。日々の食べ物は,行く先々の野原や森の中で集めるしかありませんでした。パニックに陥った難民や,兵士による略奪の危険と常に隣り合わせでした。

数日,数週間,数か月と旅を続けるうちに,気温は氷点下にまで下がるようになりました。赤ん坊だった末の子を腕に抱き,来る日も来る日もいてつく地面をよろめきながら進みました。ほかの3人の子供も母親の後を何とかついて行きます。最年長の7歳の子が,所持品を載せた小さな木製の荷車を引いていました。全員,破れてぼろぼろになった麻の布を足に巻き付けていました。靴は大分前に壊れてしまっていて,足を保護するものはこれしかなかったのです。また,寒さをしのぐものは,薄くてぼろぼろの服の上に着た,薄くてぼろぼろの上着しかありませんでした。

間もなく雪が降り始めると,昼夜を問わず,旅は悪夢となりました。夕方になると,母親と子供たちは屋根のある場所を探します。納屋や物置のような所が見つかると,荷車から薄い数枚の毛布を持って来て上からかぶり,身を寄せ合って暖を取りました。

彼女は,目的地に着くまでに死んでしまうのではないかという恐怖を振り払おうと常に闘っていました。

ある朝,信じられないことが起こりました。目が覚めると,3歳の娘の小さな体が冷たく,動かなくなっていたのです。心臓が凍りつきました。娘は死んでいたのです。悲しみに打ちひしがれながらも,残る子供たちを連れて旅を続けなければなりませんでした。しかし,その前に,唯一の道具であるテーブルスプーンで凍った土を掘り,大切な子供の小さな体を納めました。

しかし,旅の間,死は彼女のもとへ何度も忍び寄りました。7歳の息子が飢えか寒さ,あるいはその両方が原因となって亡くなりました。シャベルの代わりはここでもスプーンでした。何時間もかけて墓穴を再び掘り,息子の亡骸なきがらをそっと埋葬しました。次に5歳の息子が亡くなりました。再びスプーンをシャベルの代わりにしました。

絶望は極限に達していました。小さな赤ん坊の娘だけが残りましたが,そのかわいそうな赤ん坊にも死が迫っていました。そして彼女の旅路が終わりに近づいたとき,赤ん坊は母親の腕の中で息を引き取りました。しかし,もうスプーンはありませんでした。彼女は凍った地面を,素手で何時間も何時間も掘り続けました。耐えようのない悲しみでした。雪の中で,最後の子供を埋葬した墓地の傍らにひざまずくことなどどうしてできるでしょうか。彼女は夫とすべての子供を失いました。この世の持ち物,家庭,そして故郷さえも失ったのでした。

悲しみと混乱が極限に達したこの瞬間,彼女は胸が文字どおり張り裂けようとしているのを感じていました。絶望の中で,どのようにして自分の命を絶つかを考えました。彼女と同様に故郷を追われて旅をしている多くの人がそうしていました。近くの橋げたから飛び降りるか,走って来る列車に飛び込んだら,どんなに楽だろうかと考えました。

こうした考えに襲われているときに,胸にささやく声がありました。「ひざまずいて祈りなさい。」彼女はそれを無視していましたが,ついにその声を否定できなくなりました。彼女はひざまずくと,生涯でかつて経験したことがないほど熱烈な祈りをささげました。

「愛する天のお父様,これからどうしていけばよいのか分かりません。すべてを失いました。あなたへの信仰しかありません。お父様,荒れ果てた心に感じるのは,御子イエス・キリストが果たされた贖あがないの犠牲に対する,圧倒されるばかりの感謝の気持ちです。御子への愛を十分に表すことができません。御子が苦しみ,亡くなられたおかげで,再び家族と一緒に暮らせることを知っています。御子が死の鎖を断ち切ってくださったおかげで,子供たちと再会して,育てる喜びにあずかれることを知っています。今は生きる希望をなくしていますが,家族が再び一つになり,お父様のみもとへ一緒に帰るために,生きていきます。」

目的地であるドイツのカールスルーエに着いたとき,彼女はひどくやせ衰えていました。バベル兄弟によれば,彼女の顔は血の気が引き,目は充血して腫れ上がり,関節は突き出ていました。文字どおり,ひどい飢餓状態にありました。それから程なく開かれた教会の集会で,彼女はすばらしい証を述べ,悲しみに満ちた故郷の,病気に苦しむ人々の中でも,自分は最も幸せな者の一人だと言いました。神が生きておられ,イエスがキリストであり,わたしたちが再び生きるために主が亡くなり,復活されたことを知っているからでした。最後まで忠実であり,誠実であるなら,死んでいった家族と再会して,神の日の栄えの王国で救われることを証しました。8

聖文にはこう記されています。「しかし見よ,義人,すなわちイスラエルの聖者の聖徒たち,イスラエルの聖者を信じてきた者たち,世の十字架を堪え忍んできた者たち,……これらの人々は,……神の王国を受け継ぐ。そして彼らの喜びは,とこしえに満たされるであろう。」9

わたしたちには計り知れないほど大きな祝福が約束されていることを証します。暗雲が立ち込めても,大雨に襲われるとしても,まっすぐに歩み,戒めを守るならば,福音の知識と,天の御父と救い主の愛はわたしたちを慰め,支え,心に喜びをもたらしてくれます。世のいかなるものもわたしたちを打ち負かすことはできません。

愛する兄弟姉妹,恐れてはなりません。元気を出してください。未来は皆さんの信仰と同じく希望に満ちています。

神は生きておられ,わたしたちの祈りに耳を傾け,こたえてくださることを宣言します。御子イエス・キリストは,わたしたちの救い主,贖い主です。天の祝福がわたしたちを待ち受けています。イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。