この神権時代を通して,大管長会と十二使徒定員会の一員は,神殿の儀式と聖約について,頻繁に語ってきました。下記は引用文の一覧で,テーマ別に整理されています。これを見ると,これらの神聖なテーマが様々な状況でどう論じられてきたが分かります。クリックすると,このコーナーを広げることができます。利用可能な地域では,提供されたリンクから文書の原本を見ることができます。
バプテスマと確認
ラッセル・M・ネルソン大管長
「だれかを助けるために何かを行うときはいつでも,それが幕のどちら側であろうと,神と重要な聖約を交わして,救いに不可欠なバプテスマと神殿の儀式を行うことに向かって進むのであれば,あなたはイスラエルの集合を助けています。それだけのことなのです。」
「シオンのつわもの」,青少年対象のワールドワイドディボーショナル,2018年6月3日
トーマス・S・モンソン大管長
「さて,10代の若い友人の皆さん,常に神殿を視野に入れておきましょう。神殿のドアを通って,神聖で永遠の祝福を受ける妨げとなることを一切してはなりません。学校へ行く前に死者のためのバプテスマを受けられるよう,早起きをして定期的に神殿を訪れている人を,わたしは称賛します。一日の最初にすることとしてこれ以上にすばらしいことはありません。」
「聖なる神殿—世界に輝くかがり火」参照,2011年4月総大会
デビッド・A・ベドナー長老
「わたしは教会の若い人々に,エリヤの霊について学び,経験するよう勧めます。学び,先祖を探し出し,亡くなった皆さんの親族のために主の宮で身代わりのバプテスマを行う準備をするように勧めます〔教義と聖約124:28-36参照〕。ほかの人々が家族歴史を確認するのを助けるように,皆さんに切に勧めます。皆さんが信仰をもってこの勧めに従うとき,皆さんの心は先祖に向かうでしょう。……救い主についての証と従いたいという気持ちが強くなり,不動のものとなるでしょう。わたしは約束します。 皆さんはますます強まるサタンの影響力から守られるでしょう。この聖なる業に参加し,これを大切にするとき,青少年の時代にも生涯にわたっても守られるでしょう。」
「子孫の心は向かうであろう」,2011年10月総大会
クエンティン・L・クック長老
「神殿の数が増え,科学技術が進歩しているおかげで,先祖のために家族歴史を進める神聖な責任を果たすうえで現代は,歴史上,最も祝福された時代となっています。特に,わたしは,索引を作成したり,先祖を見つけ出したり,神殿でバプテスマや確認を受けたりしている忠実な青少年をうれしく思います。皆さんは文字どおり,シオンの山の救い手として預言された者の一人なのです。」
「神殿の中の自分の姿を見る」,2016年4月総大会
ゲーリー・E・スティーブンソン長老
「大管長会は『成人会員は有効な神殿推薦状を持ち』,時間と事情が許すかぎり『もっと頻繁に神殿に参入する』よう,また,『幾つかの余暇の活動の代わりに神殿で奉仕するよう』会員に勧めました。また,『12歳以上の新会員や青少年が,代理としてバプテスマと確認を受けることによってこの大いなる業に貢献できるよう,ふさわしく生活する』ことを奨励しました。」〔大管長会からの手紙,2003年3月11日付〕
「聖なる家庭,聖なる神殿」,2009年4月総大会
リチャード・G・スコット長老
「若人の皆さんは,自分の生活からサタンの影響を排除するための確かな方法を知りたいと思いませんか。そのためには,先祖を探求することに深くかかわり,神殿で受けられる神聖な身代わりの儀式のために彼らの名前を準備し,それから神殿に赴いて,先祖の代理人としてバプテスマと確認の儀式を受けることです。もう少し年齢が上がったら,皆さんはほかの儀式にも同じように参加できるようになります。わたしは,自分の生活をサタンの影響から守るうえで,これ以上に優れた方法を思いつきません。」
「死者を贖う喜び」,2012年10月総大会
神殿ガーメントと儀式用衣料
ラッセル・M・ネルソン大管長
「神殿のガーメントを着ることには,深い象徴的な意味があります。これは,絶えず決意をしていることを表しています。救い主が,最後まで堪え忍ぶ必要があることを身をもって模範で示されたように,わたしたちも,神の不朽のよろいの一部として,忠実にガーメントを着ます。これにより,主を信じ,主がわたしたちと交わされた永遠の聖約を信じていることを実証するのです。」
「神殿の祝福を受けるための個人の備え」,2001年4月総大会
ラッセル・M・ネルソン大管長
「古代の神殿衣についてさらに知りたい人は,旧約聖書で自分で調べてください。旧約聖書には,神殿で着用される特別な衣装に関する記述がたくさんあります。」
Teachings of Russell M. Nelson, 372
ボイド・K・パッカー会長
「これらの儀式に関連して,神殿では正式にガーメントを着せられ,それに関連して得られるすばらしい祝福を約束されます。大切なのは,これらの儀式が執行されるときには,注意深く耳を傾け,約束された祝福と約束が実現するための条件を心に留めるようにすることです。」
神聖な神殿衣
「聖なる神権のローブとして知られる,末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿のローブは,末日聖徒の神殿内でのみ着用され,信仰の至高の儀式のためにのみ用いられます。白は純粋さを象徴しています。記章や階級はありません。同じ方法で着ているときに,最高位の使徒と新しい会員の区別はつきません。男性も女性も同じような衣装を着ます。その簡素な衣装は,出エジプト記の古代の文書にある,昔を回想させる宗教上の象徴と結びついています。」
神聖な神殿衣
「多くの忠実な末日聖徒は,衣服の下に,宗教的に深い意味を持つガーメントを着ています。それは,デザインが普通の慎み深い下着に似ていて,上下に分かれており,通常「神殿ガーメント」と呼ばれます。……神殿ガーメントは,末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿で,神の戒めとイエス・キリストの福音を忠実に守るという神聖な約束を交わした教会の成人会員が着用するものです。教会員にとって,普通の衣服の下に着る慎み深い神殿ガーメントは,神殿礼拝時に着る象徴的な衣装とともに,神との神聖かつ個人的な関係と,善良で高潔な生活をするという自らの決意とを表すものなのです。」
エンダウメントのイニシャトリー —洗いと油注ぎ
ゴードン・B・ヒンクレー大管長
「肉体の復活をしのぐ,大きな目標があります。それは御父の王国に昇栄するということです。昇栄するためには神の戒めを従順に守っていくことが求められます。……それは,……神を永遠の御父として,そして御子を生ける贖い主として受け入れることから始まるのです。昇栄するためには,様々な儀式を受けなければなりません。それはどれ一つ欠かすことのできない重要なものばかりです。最初に受けるのが,水に沈めるバプテスマです。救い主は,この儀式を受けずには,だれも神の王国に入ることはできないと言われました。次に来るのが,御霊,聖霊の賜物による新生です。それからさらに,男性であれば神権への聖任,参入資格を備えた男女に与えられる神殿の祝福などが続きます。神殿の祝福の中には,主の前に清い者となるための洗いや油注ぎの儀式,また,教えを受けるためのエンダウメントの儀式もあります。エンダウメントに伴う義務と祝福は,わたしたちを福音の原則に沿って行動するよう促してくれます。さらに,地上でつなぐことを天でもつなぐ結び固めの儀式は,家族を永遠のきずなで一つにしてくれます。」
「神殿と神殿事業」,『聖徒の道』,1982年11月号
スペンサー・W・キンボール大管長
「ジョセフ・スミスは,自分自身が主から受けて保持していたすべての鍵と権威と権能を,十二使徒たちに授けました。ジョセフは,彼らにすべてのエンダウメント,それに洗いと油注ぎの儀式を執行し,また結び固めの儀式を施したのです。」
「感謝を神にささげん 予言者の導き」参照,1972年10月総大会
ボイド・K・パッカー会長
「洗いと油注ぎの儀式は,よく『イニシャトリー』と呼ばれます。この儀式については,次のように説明すれば十分でしょう。『エンダウメントに関連して洗いと油注ぎの儀式があります。これは非常に象徴的な儀式ですが,儀式を受けた後,具体的な形ですぐに現れる祝福と将来与えられる祝福の,双方を約束するものです。』」
ジェームズ・E・タルメージ長老
「バプテスマ室の北側には広くて使い勝手の良い兄弟用の更衣室があり,南側には同じように使いやすい姉妹用の更衣室があります。油注ぎという特定の儀式が行われる部屋には必要な備品も備えてあります。これらの儀式は女性が女性に,男性が男性に執行するという方式でのみ行われます。」
The House of the Lord [1976], 83
ロバート・D・ヘイルズ長老
「神殿内では救いの計画が説明され,神聖な聖約が交わされます。これらの聖約は, 神聖な神殿のガーメントを身に着けることをも含めて, エンダウメントを受けた人々に力を与え,彼らを悪魔の力から守ってくれます。自身のエンダウメントを受けた若い男性や若い女性は,神殿に参入して身代わりの儀式を受けます。生きている間に神権の祝福を受ける機会を得られずに世を去った人々にその祝福が及ぶようにするためです。」
「神権がもたらす祝福」,1995年10月総大会
エンダウメントの概要
ラッセル・M・ネルソン大管長
「神殿は文字どおり,真理に満ちあふれた場所です。御父の計画に関する真理が,明確かつ力強く明らかにされ,御父と御子とわたしたちとの関係について,神殿の聖約と儀式の中で真理の言葉が口にされます。神殿は,真理がわたしたちの心にしたたり落ち,理解の目を開かせてくれる啓示の家です〔教義と聖約109:15参照〕。わたしたちは永遠の見地から見た自分の本質と目的,それに,主の驚くべき約束について学びます。それらの約束は真実です。なぜなら,わたしたちの神は真理の神であり,偽りを言われることはないからです〔エテル3:2参照〕。……兄弟姉妹が強さと理解を求めて神殿に行くなら,苦しんでいるときに,最も必要とする真理を主御自身が教えてくださるでしょう。」
Teachings of Russell M. Nelson, 373
エズラ・タフト・ベンソン大管長
「イエス・キリストの教会の特定の儀式に表されている日の栄えの律法には,自発的な意志で聖約を交わして従います。この律法は霊的なものです。そのため,天の御父は神殿と呼ばれる聖なる場所を定め,そこでこの律法の十分な説明が受けられるようになさいました。この律法には,従順と犠牲の律法,福音の律法,純潔の律法,奉献の律法などがあります。」
A Vision and a Hope for the Youth of Zion, Brigham Young University devotional, April 12, 1977
ボイド・K・パッカー会長
「資格を得た教会員は,人類に啓示された最も高尚で神聖な贖いの儀式に参加できます。人は神殿で,洗いと油注ぎ,教えとエンダウメントを受け,結び固められます。そして,自分自身のためにこれらの祝福を受けたら,同じ機会に恵まれなかった死者のために儀式を行うことができるのです。」
「神殿に参入してください」,『リアホナ』,2007年10月号
ロバート・D・ヘイルズ長老
「聖餐に加えて,神殿推薦状を受けるにふさわしくなるとき,天の御父のみもとに戻りたいという望みが強まります。……そして,エンダウメントを受け,神殿推薦状を持つ者として,わたしたちはキリストのように生活するという規範を確立します。この規範には従順,戒めを守るために犠牲を払うこと,互いに愛し合うこと,思いと行いを清くすること,神の王国の建設のために献身することが挙げられます。救い主の贖罪と,これら忠実さの基本的な規範に従うことにより,『高い所から力を』授かり人生の問題に立ち向かうことができます。わたしたちは今この神聖な力をかつてなく必要としています。それは神殿の儀式を通してのみ受けられる力です。
「本心に立ち返る:聖餐,神殿,奉仕による犠牲」,2012年4月総大会
ジェームズ・E・タルメージ長老
「現代の神殿で執行されている神殿のエンダウメントには,過去の神権時代の重要性と順序に関連した教えが含まれています。……この教えの過程では,創造の期間のおもな出来事,わたしたちの始祖の,エデンの園での状態,始祖の不従順と,その結果としての幸福な状態からの追放,労働と汗によって生きる宿命のわびしく荒涼とした世界の状態,大いなる背きを贖うことのできる贖いの計画などが語られます。」
The House of the Lord [1976], 84. 『聖徒の道』,1992年6月号,9参照
ジェームズ・E・タルメージ長老
「エンダウメントの儀式は人が果たす特定の義務を具現化しています。その義務とは,貞操と純潔の律法を厳格に守り,慈愛,慈善,寛容,純真の諸徳を持ち,真理の伸展と人々の高揚のために自分の持てる才能と財産をささげ,真理のために献身し,この地上が地上の王である主イエス・キリストを迎えるために,あらゆる方面から大いなる備えをする努力を惜しまないなどという聖約および約束です。聖約を交わし,義務を負う度に,条件に忠実に従った場合に頂く,約束された祝福が宣言されます。」
The House of the Lord, 100. 『聖徒の道』,1992年6月号,9参照
従順による祝福
トーマス・S・モンソン大管長
「兄弟姉妹の皆さん,この人生の大きなテストは,従順であることです。主はこう言われました。『わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。』救い主はこう宣言されました。『わたしから祝福を受けたいと思う者は皆,その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は,創世の前から定められたものである。』わたしたちの救い主以上に従順の模範はおられません。パウロはこう述べています。『彼は御子であられたにもかかわらず,様々の苦しみによって従順を学び,そして,全き者とされたので,彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源とな〔られた。〕』」
「従順は祝福をもたらす」,2013年4月総大会
ゴードン・B・ヒンクレー大管長
「皆さんに証します。末日聖徒の幸福,末日聖徒の平安,末日聖徒の進歩,末日聖徒の繁栄,そして,この民の永遠の救いと昇栄は,神の神権者の勧告に従って歩むことにあります。」
「もしあなたがたが快く従うなら」,1971年10月総大会
ジェームズ・E・ファウスト管長
「従順は真の自由をもたらします。啓示された真理に従えば従うほど,わたしたちはもっと自由になります。……秩序は,暗黒でむなしい地球に命と美しさを与えたときと同じように,わたしたちにも働きます。従順は,わたしたちが天の御父から望まれている可能性を十分に伸ばして,いつの日か日の栄えの者としてみもとで生活するのにふさわしくなれるように助けてくれます。」
「従順—自由への道」参照,1999年4月総大会
ジェフリー・R・ホランド長老
「従順は天の第一の律法なだけではありません。従順はすべてのことにおける第一の律法なのです。わたしの知っている大切な事柄にはすべて,主の言葉と御心に従うという最初の決意が必要です。それが,神殿で最初に交わす聖約なのです。」
Elder Jeffrey R. Holland Visits Philippines, Shares Message on Love, Newsroom.ChurchofJesusChrist.org
L・トム・ペリー長老
「まず,主の律法に従順であるべきです。これは,アダムとエバに与えられた最初の教えです。つまり,従順が信仰をもたらすということです。また従順は天の祝福ももたらしてくれます。これに対し,不従順がもたらすのは,心痛と絶望だけです。従順の律法に続いて求められているのは,天の御父の子供たちへの奉仕です。同胞を益するために,自らの持てる物をささげることは,福音に含まれる大いなる試しといえます。現世での生涯の目的の一つは,わたしたちが救い主の次のような教えに従うかどうかを試されることです。『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば,これらのものは,すべて添えて与えられるであろう。』〔マタイ6:33〕」
「主は大きな驚嘆すべきことをわたしに教えたもうた」,1992年10月総大会
ジョセフ・B・ワースリン長老
「わたしたちは,皆さんがすべて,人生で成功を収め,神の最大の賜物である日の栄えの王国での永遠の生命を得るにふさわしくなってほしいと願っています。現世で目標を達成し,永遠の祝福を受け継ぐふさわしさがあることを証明するために,従うことを学んでください。ほかに方法はありません。従順は皆さんの生活に大きな力と強さを与えてくれます。」
「従順な人生」参照,1994年4月総大会
犠牲の律法
ラッセル・M・ネルソン大管長
「わたしたちはさらに犠牲をささげるように命じられていますが, それは動物の血を流すことではありません。わたしたちがささげることのできる最大の犠牲は, 自分自身をさらに神聖で清いものにすることです。これは神の戒めを守ることによってできることです。このようにして神の従順と犠牲の律法は, あやなす糸のように互いにからみ合っています。知恵の言葉,安息日を清く過ごす,什分の一を正直に納めるといった戒めに従うことを考えてください。こうした戒めに従うとき,何かすばらしいことが起きます。わたしたちは自分をコントロールすることができるようになります。つまり主の弟子になることができるのです。そしてさらに神聖で清くなり,主に似たものとなるのです。」
「イヴからの教訓」参照,1987年10月総大会
ハロルド・B・リー大管長
「わたしたちの教会の現在の福祉計画は,教会員がこの協同制度という計画に従って生活するのにどの程度準備ができているかを知るための,いわば『予備訓練』とでも言うべきものです。この原則を踏み行った一つの実例として,モルモン書と呼ぶ古代の聖典の中には,このアメリカ大陸でこれを喜んで実現した民の記録が書かれています。この民は,皆,改宗して主を信じたため,『物持ちも貧しい者も,束縛された者も自由な者もなく,皆……天の賜物にあずかる者となった。』全地で『彼ら以上に幸せな民は確かにあり得なかった。』(4ニーファイ1:3,16)それは犠牲と奉献の律法に完全に従って生活したためです。」
「救いの福音を教えなさい」,1972年10月総大会
M・ラッセル・バラード会長
「普通人々が『モーセの律法』と聞いて最初に思い浮かべるのは動物の犠牲です。それは血による犠牲という身の毛のよだつような性質を持っているため,次のような疑問を抱く人もいます。『そのような行為は愛の福音と一体どのようなかかわりがあるというのだろうか。』犠牲の律法が持つ二つの主要な目的を理解すればその答えをよく理解することができます。アダム,アブラハム,モーセ,新約時代の使徒たちはこれらの目的のために犠牲をささげました。そして,わたしたちが犠牲の律法を受け入れて従うときに,それらの目的は今日のわたしたちにも当てはまるものなのです。犠牲の律法が持つ二つの主要な目的は,わたしたちを試してその本質を明らかにすること,そしてキリストのもとへ来るよう助けることです。」
「犠牲の律法」『リアホナ』,2002年3月号参照
L・トム・ペリー長老
「これは少しも驚くに当たりませんが,主は時の始めから,この地上の神の子供たちの心に主の計画が深く刻まれるよう願ってこられました。アダムとエバに与えられた律法の中で,犠牲の律法は時の中間に起こる偉大な出来事を思い起こすために定められました。……このときから救い主が地上に来られるまで,神権が存在するときはいつも,犠牲がささげられました。それは人の子が地上に来て全人類のために至高の犠牲をささげることを思い出させるものです。」
「主の晩餐の聖餐」,1996年4月総大会
ニール・A・マックスウェル長老
「個人の犠牲として,祭壇に動物をささげることはしません。代わりに,わたしたちの中の動物的な欲望を祭壇の上において,焼き尽くすのです!それは犠牲として主にささげる『打ち砕かれた心と悔いる霊』であり(教義と聖約59:8),神を知るために『一切の罪』を捨て,十字架を負ううえで必要なことです(アルマ22:18)。自分を捨ててから,主を完全に受け入れることができるからです。」
「すべて神の御心に背くことを捨てよ」,1995年4月総大会
福音の律法
ラッセル・M・ネルソン大管長
「あなたもわたしも一教会員として,主『御自身の道』にかかわっています。少なくとも月に一度断食して祈り,ビショップが援助できるように惜しみなく献金します。これは福音の律法の一部です。わたしたちは皆,どこにあっても,貧しく困っている人を助けることができます。そしてわたしたちもそのようにすることによって,祝福され,背教から守られます。」
「主の道にかないて」,1986年4月総大会
エズラ・タフト・ベンソン大管長
「わたしたちは,福音の律法に従って生活するという聖約を交わします。福音の律法には,わたしたちの昇栄に必要なすべての律法と原則,儀式が含まれています。わたしたちはイエス・キリストを信じる信仰を行使することと,打ち砕かれた心と悔いる精神から生まれる心からの悔い改めを行うことに同意します。バプテスマと確認を受け,引き続き信仰と祈りを欠かさずにいるならば,救い主の贖罪の犠牲の力が及んでわたしたちは罪が赦され,あらゆる不義から清められます。……福音の律法は,救いの計画に対する理解だけではありません。それには,儀式を受け,最終的に人が永遠の命に結び固められる,結び固めの力にあずかることが含まれます。『再び生まれることは,儀式を通じて神の御霊によってもたらされ』ると,預言者ジョセフ・スミスは言っています。」
Teachings of Ezra Taft Benson, 337
ジョン・テーラー大管長
「しかし,アダムは福音の律法に従い,それを遵守し,守らなければならなくなりました。そして,同じ昇栄にあずかることになるその子孫も,同じ律法を守り,遵守しなければならくなったのです。」
The Gospel Kingdom, 279
ウィルフォード・W・ウッドラフ大管長
「キリストの福音の原則を受け入れてそれに従うすべての人は,そうすることによって救われます。律法を守る者は律法によって守られるのです。福音の律法に従う人は,そうすることによって救われ,昇栄と栄光を受けます。」
The Discourses of Wilford Woodruff,22
ブルース・R・マッコンキー長老
「この世の生涯が終わるとき,神の福音は聖文の記録の死んだ文字ではなく,聖徒たちの人生に刻まれています。人の作ったペンとインクではなく,信仰深く従順な人の行動と行いで,各人の命の書に記されるのです。それは,日の栄えの律法に従って生活する人の肉と骨と筋に刻み込まれます。日の栄えの律法とは福音の律法です。それはほかの人に読まれるためにそこに書かれています。まずは聖徒たちの良い行いを見て天の御父をほめたたえる人によって読まれ(マタイ5:16参照),最終的には,すべての人の人生が開かれた本に書かれて,大いなる裁き主に読まれるのです。」
Our Gospel Came Not Unto You in Word Only…, 1968年10月総大会参照
純潔の律法
ラッセル・M・ネルソン大管長
「人生に関する救い主の方法はすばらしいものです。結婚前の純潔と結婚後の完全な貞節は主の方法です。主の方法は,わたしたちが永続する幸せを味わう唯一の方法です。主の方法は,わたしたちの霊に持続する慰めを,またわたしたちの家庭に永続する平安をもたらします。とりわけ,主の道は,わたしたちを主と天の御父のもとに,すなわち永遠の命と昇栄に導きます。これが神の業と栄光の本質なのです。」
「永遠のための決断」,2013年10月総大会
ダリン・H・オークス管長
「この世の生命を生み出す力は,神がその子供たちに賜った力の中でも最も気高い力です。その力の活用については,アダムとエバに与えられた神の最初の戒めの中で定められました(創世1:28参照)。 しかし,その力の誤用を禁じるため,ほかにも重要な戒めが与えられました(出エジプト20:14;1テサロニケ4:3参照)。わたしたちが純潔の律法を強調する理由を説明するなら,それは神の計画を達成するうえで生殖の力が果たす目的をわたしたちが理解しているからです。男女の結婚のきずなの外で,いかなる形であれ,生殖の力を用いることは,確かに罪深いことであり,子供たちの昇栄のために立てられた神の計画に反することでもあります。」
「ほかに何ものをも神としてはならない」,2013年10月総大会
デビッド・A・ベドナー長老
「純潔の律法に従うならば,現世では幸福が増し,永遠の世では進歩が可能になると約束します。純潔と徳は現在も,これまでも,そしてこれからも常に,『あらゆるものに勝って最も大切で貴いもの』です(モロナイ9:9)。」
「わたしたちは純潔を信じる」,2013年4月総大会
ニール・L・アンダーセン長老
「教会のシングルアダルトの中には,年齢の進んだ皆さんも大勢います。今の生活が自分が予期していたものと違っていても,純潔の律法を守っています。これも信仰の試しになり得ます。そのようなキリストの弟子に対して,深い尊敬と感嘆の念をお伝えします。」
「信仰の試し」,2012年10月総大会
家族―世界への宣言
「神がアダムとエバに授けられた最初の戒めは,彼らが夫婦として親になる能力を持つことに関連したものでした。わたしたちは宣言します。すなわち,増えよ,地に満ちよ,という神の子供たちに対する神の戒めは今なお有効です。またわたしたちは宣言します。生殖の神聖な力は,法律に基づいて結婚した夫婦である男女の間においてのみ用いるべきです。わたしたちは宣言します。この世に命をもたらす手段は,神によって定められたものです。わたしたちは断言します。命は神聖であり,神の永遠の計画の中で重要なものです。」
青少年の強さのために
「性的に清いとき,あなたは神殿で聖約を交わし,神聖な聖約を守る備えをしているのです。また結婚を強いきずなで結ばれたものとし,愛に満ちた永遠の家族の一員として子供たちをこの世に招く準備をしているのです。結婚というきずなの外でほかの人と性的な親密さを持つことから来る霊的・感情的なダメージからも守られます。また有害な病気からも守られます。いつも性的に清くあることで,あなたは自信と真の幸福を得,現在と将来にわたり,正しい決定を下す能力を高めることができます。性的な清さに関する主の標準は明確で不変です。結婚する前にどのような性的な関係も持ってはなりません。結婚した後は伴侶に対して完全に忠実であってください。……性的な思いを刺激するような話に加わったり,そのようなメディアにかかわったりしないでください。どんなものであれポルノグラフィーにはかかわらないでください。」
奉献の律法
エズラ・タフト・ベンソン大管長
「わたしたちは,奉献の律法に従って生活するという聖約を交わします。この律法は,この地上に神の王国を築き,シオンを確立するために,自分の時間,才能,力,財産,金銭をささげるというものです。人が従順,犠牲,福音,そして純潔の各律法に従うまでは,日の栄えの王国にかかわる律法である,奉献の律法に従うことはできません。『あなたがたは,わたしから日の栄えの世界で一つの場所を与えられることを望むならば,わたしがあなたがたに命じ,あなたがたに求めてきたことを行うことによって,自らを備えなければならない。』」
Teachings of Ezra Taft Benson, 121
スペンサー・W・キンボール大管長
「指導者から要請されたとき,そして御霊のささやきに促されたときに,時間と才能と財産を奉献します。わたしたちは,福祉部門のみならず,教会においても,自分の持つすべての能力,義なる望み,思慮に富んだ行動力を発揮することができます。ボランティア,父親,ホームティーチャー,ビショップ,隣人,あるいは訪問教師,母親,主婦,友人,そのいずれであっても自分のすべてをささげる機会は豊富にあります。わたしたちは犠牲をささげるときに,犠牲が天の祝福をもたらすことを知ります。(『賛美歌』16番参照)そして最後に,それが決して犠牲でないことを理解するのです。」
「心の清い者となる」,1978年4月総大会
D・トッド・クリストファーソン長老
「この世の生涯は,創造主が下さった時間と選択の自由を管理するためにあるのです。管理をするという言葉は,主の奉献の律法を思い出させます(例として,教義と聖約 42:32,53参照)。それは財政的な側面もありますが,それ以上に,この世の生涯で日の栄えの律法を適用することなのです(教義と聖約 105:5参照)。奉献とは,聖なる目的にささげるために,何かを神聖なものとして任命または聖別することです。この世の生涯における真の成功は,自分の生涯,つまり時間と選択を神の目的のために奉献することからもたらされます(ヨハネ 17:1,4;教義と聖約 19:19参照)。そうするときに,神がわたしたちを最高の高みにまで上げることが可能になるのです。」
「奉献された生活についての熟考」,2010年10月総大会
ニール・A・マックスウェル長老
「神聖にする,つまり神から何かをささげるように命じられた場合,わたしたちは物質的な財産を提供する意味だと考えがちです。しかし究極的には,自分自身を神にささげることにほかならないのです。キリストは『心や精神,思い』という言葉を鍵として第一の戒めをまとめておられますが,これは,気が向いたときだけでなく常に求められていることです(マタイ22:37参照)。これを守ればその結果として,わたしたちの行うことは神聖なものとなり,自分自身に永遠の幸いをもたらすものとなるでしょう(2ニーファイ32:9参照)。」
「あなたがたの行うことを神聖にしなさい」,2002年4月総大会
ヘンリー・B・アイリング管長
「天の御父は全世界に住む御自身の子供たちがささげる祈りを聞いておられます。……人を地上に置かれて以来,主はそれらの嘆願を聞いてこられました。……
主は彼らの叫びを聞き,彼らに対する皆さんの深い哀れみを感じておられます。 そのようなわけで,時の初めから,主は御自身の弟子たちに人々を助ける方法を提供してこられました。主は主の子供たちに時間,財産,そして自分自身を奉献するように招いておられます。主とともに人に仕えるためです。人を助ける主の方法は,時折,奉献の律法に従った生活と呼ばれてきました。」
「善を行う機会」,2011年4月総大会
デビッド・A・ベドナー長老
「奉献は犠牲と関連していて,犠牲の上に築かれます。奉献という言葉は,『神聖な目的のために献身し』,成長するという意味があります。犠牲は,わたしたちがささげるもの,明け渡すもの,放棄するもの,あるいは諦めるものです。それに対して奉献とは,神聖な目的のために献身し,十分に成長するという意味になります。奉献の律法に従って生活するときに,福音のために自分が所有するものは何でも,そしてすべてを喜んで差し出すだけではありません。自分の時間,才能,とめどなく増大していく自分の能力を使って,神の王国を地上に築くために最善を尽くして献身し,成長することも約束するのです。ですから,わたしたちの立てる誓いは次のようになります。『わたしは自分自身を,そしてわたし自身がなり得るすべてをささげ,イエス・キリストの福音のために生きます。』犠牲の原則はそれよりも低い律法で,奉献の原則の準備となります。奉献には犠牲のほかにも多くのものが含まれます。……真の奉献は慈愛によって動機付けられて,奉仕したいという望みが高まります。この末日には,金銭,物質的なものや時間よりもさらに多くのものが聖約にあずかる者であるわたしたちに求められています。わたしたちは主に,魂を含めた自分のすべてを奉献する必要があるのです。」
BYUアイダホ校ディボーショナルにおける説教からの抜粋。“Your Whole Souls as an Offering Unto Him,” David A. Bednar, January 5, 1999
結び固め
ラッセル・M・ネルソン大管長
「兄弟姉妹の皆さん,財産や世の誉れはいずれ消えていきます。しかし妻や夫,家族としての結びつきは違うのです。家族関係がどのくらい続くかに関して,人の心の最高の望みを満たしてくれるものはただ一つ,永遠です。永遠の結婚の祝福を得るためには,大きすぎる犠牲などありません。求められるのは,神の御心に添わないものを拒み,神殿の儀式を尊ぶことだけです。神聖な神殿の聖約を交わし守ることによって,神と伴侶への愛と,まだ生まれていない子供たちを含む子孫への真の関心を証明するのです。家族はこの生涯における最大の業と喜びの中心です。そして『王位,王国,公国,……力,主権,……昇栄と栄光』を受け継ぐとき,家族は永遠にわたってその中心であり続けることでしょう。今すぐ家を整え忠実に福音につかまっているなら,これらのかけがえのない祝福を得ることができるのです。」
「あなたの家を整えなさい」,2001年10月総大会
ダリン・H・オークス管長
「末日聖徒イエス・キリスト教会の目的は,すべての神の子供たちが自らの可能性を理解し,神が備えられた最も輝かしい光栄に到達できるよう,助けを与えることです。この教会は,神の息子娘に,日の栄えの王国の救いに入る手段を提供するために存在しています。この教会は教義的な面でも実践的な面でも,家族をその中心に置いています。永遠の父なる神の属性と御心に関してわたしたちが得ている知識は,わたしたちの行く末について,また神の永遠の家族とわたしたちとの関係について明らかにしています。わたしたちの神学は,天の両親にその始まりがあります。わたしたちの最高の望みは, 天の父母のようになることです。御父の憐れみ深い計画の下,御父の独り子,主なる救い主イエス・キリストの贖罪を通して,このすべてが可能となります。わたしたちはこの地上における親として,神の霊の子供に肉体を与えることにより,福音の計画に関与しています。永遠の救いは,すべての家族のためのものです。」
「背教と回復」1995年4月総大会
ヘンリー・B・アイリング管長
「わたしたちは日の栄えの結婚を最大の目的としてすべてを行います。神殿で永遠の伴侶との結び固めを受けるために努力すること然り,夫婦と子供たちが,この世から永遠にわたって結ばれるために必要な聖約を交わして守るように,人々を励ますこと然りです。」
「永遠の家族」,2016年4月総大会
ボイド・K・パッカー会長
「教会のすべての活動の究極的な目的は,夫と妻と子供が家庭で幸福に暮らし,福音の原則と律法によって守られ,永遠の神権の聖約によって間違いなく結び固められるようにすることです。」
「小さいわらべに導かれ」,2012年4月総大会
ディーター・F・ウークトドルフ管長
「わたしは結婚生活と家庭を大切にする教会の会員であることに感謝しています。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員は,非常にすばらしい結婚と家族を持っていることで,世界中に知られています。それは『結婚と家族は永遠である』という,ジョセフ・スミスにより回復された真理のおかげであるとわたしは信じています。家族はこの世での生活をより快適にするためだけに設けられているのではなく,天に帰ったら投げ捨てられるものでもありません。そうではなく,家族は天の秩序なのです。それは日の栄えの規範に従い,神の永遠の家族に倣うものです。」
「救う人々をたたえ」,2016年4月総大会
「家族――世界への宣言」
「神の幸福の計画は,家族関係が墓を超えて続くことを可能にしました。聖なる神殿において得られる神聖な儀式と聖約は,わたしたちが個人として神のみもとに帰り,また家族として永遠に一つとなることを可能にするのです。」
神殿参入による祝福
ラッセル・M・ネルソン大管長
「この地上に来るすべての人は脈々と続く先祖の子孫として誕生します。わたしたちは生来,先祖との結びつきを求める気持ちを持っています。この願望は年齢にかかわらず人の心に宿っています。祖母が家族の情報をコンピューターに入力するのを若い女性が助けるとき,あるいは若い男性が国勢調査記録から曽祖父の名前を見つけるときに築かれる霊的な結びつきについて考えてください。心を先祖に向けるとき,わたしたちの内部に何かの変化が起きます。自分より偉大な何かの一部を感じます。わたしたちは神殿の聖なる儀式を通して先祖と結ばれるときに,家族との結びつきを求める生来の切なる思いが満たされます。」
「先祖と愛によって結ばれる」,2010年4月総大会
トーマス・S・モンソン大管長
「神殿の祝福を受けるためになぜそれほど多くの人が多くのものを喜んで犠牲にするのでしょうか。神殿のもたらす永遠の祝福を理解している人は,これらの祝福を受けるためにいかなる犠牲,いかなる代価,いかなる苦労もいといません。どこまでも旅をして,あらゆる障害を克服し,どれほどつらいことにも彼らは耐えます。いつの日か永遠の家族として天の御父のみもとに戻れるようにし,高い所から祝福と力を授けてくれる神殿の救いの儀式には,あらゆる犠牲と努力を注ぐ価値があることを彼らは知っています。」
「聖なる神殿—世界に輝くかがり火」,2011年4月総大会
ゴードン・B・ヒンクレー大管長
「教会員は,主の宮に入って神殿の祝福にあずかるまでは,教会が提供する最高のものに到達したとは言えません。」
「神殿,改宗者の定着,伝道活動について」,1997年10月総大会
ハワード・W・ハンター大管長
「この精神の下に,末日聖徒の皆さんが主の神殿を教会員であることの崇高な象徴とするようにお勧めします。わたしの心からの願いは,すべての教会員が神殿に参入するふさわしさを身につけることです。すべての成人会員が有効な神殿推薦状を受けるにふさわしくあり,しかもそれを所持するなら,主は喜ばれることでしょう。神殿推薦状にふさわしくあるためには,すべき事柄と,してはいけない事柄がありますが,それらの条件はまさに,わたしたちが個人として,また家族として,幸福になるのを約束する事柄でもあるのです。神殿に参入する民となりましょう。状況が許すかぎり頻繁に神殿に参入しましょう。子供たちの目に触れるように,家の中に神殿の写真を飾ってください。主の宮の目的について子供たちに教えましょう。子供たちが幼いうちから神殿に参入することを計画し,その祝福を受けるふさわしさを保てるように助けてください。」
「尊く,大いなる約束」,1994年10月総大会
デビッド・A・ベドナー長老
「エリヤの霊は教会員と教会員でない人の双方に影響を与えています。しかしながら,キリストの回復された教会の会員であるわたしたちは,自分の先祖を探し出し,先祖のために福音の救いの儀式を行うという,聖約を伴う責任を負っています。『わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはな〔く〕』(ヘブル11:40。『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』,475参照),『わたしたちの死者なしには,わたしたちも完全な者とされることはないのです。』(教義と聖約128:15)そういうわけで,わたしたちは家族歴史の探求を行い,神殿を建て,身代わりの儀式を執行しています。そのために,地上でも天でもつなぐ結び固めの権能を回復するためにエリヤが遣わされたのです。わたしたちは救いと昇栄の業における主の代理人であり,主が再び戻って来られるときに『全地がのろいをもって打たれる』ことのないようにしなければなりません(教義と聖約110:15)。それはわたしたちにとっての義務であり,大いなる祝福なのです。」
「子孫の心は向かうであろう」,2011年10月総大会
クエンティン・L・クック長老
「家族歴史と神殿の業にかかわる家族の教義は明確です。啓示を通して言われた最初の教えの中で主は,『あなたがたの死者のためのバプテスマ』と言われました。わたしたちは自分自身の先祖に対して教義上の義務を負っているのです。なぜなら,天上の日の栄えの組織は家族に基づいているからです。大管長会は教会員,特に青少年やヤングシングルアダルトに,自分自身の先祖の名前や,自分のワードやステークの会員の先祖の名前を探して,家族歴史と神殿の儀式の業に努めるよう励ましています。わたしたちは自分の根と枝の両方に結ばれる必要があります。永遠の世界において結ばれるというのは,実にすばらしい考えです。」
「根と枝」,2014年4月総大会
ボイド・K・パッカー会長
「国籍や人種,性別,職業,学歴を問わず,また生まれた時代にかかわらず,すべての人にとって人生とは,日の栄えの王国におられる神のみもとへ帰る,故郷への旅なのです。儀式と聖約は,神のみもとに行くための資格証明書になります。ふさわしくなってそれを受けることは,生涯の目標であり,最後までそれを守ることは,この世におけるチャレンジです。自分自身と家族のために儀式と聖約を受けた人は,亡くなった親族のために,ひいては全人類のために,身代わりの儀式を行う責任があります。」
「誓約」『聖徒の道』1987年7月号