2017
真の平安を見いだす方法
2017年4月


教会指導者からの答え

真の平安を見いだす方法

2013年4月の総大会でのお話から

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Jesus Christ in a crowd

世界中の善良な人々の義にかなった願いは,世に平和がもたらされることです。この願いがかなえられるという望みを,わたしたちは決して捨ててはなりません。しかし,ジョセフ・F・スミス大管長はこう教えました。「人類が神の真理と神の言葉を受け入れ,……神の力と権能を認めるまで,世に平和と愛の精神はもたらされないのです。」

わたしたちは全世界の平和を心から望み,祈り求めています。しかし,義にかなった人々に約束されているそのような平和を実現する役割は,わたしたち一人一人に,そして個々の家族にあります。この平和は,救い主の使命と贖いの犠牲によって約束された賜物なのです。

平和とは,単に戦争や暴力,対立,争いがなく安全であることではありません。わたしたちが何者であるかを救い主は御存じであって,深刻な試練や悲劇のさなかにあってさえ,わたしたちが主を信じる信仰を持ち,主を愛し,その戒めを守っているのを承知しておられることを知ることで,平安がもたらされるのです(教義と聖約121:7-8参照)。

「平和はいずこにありや。ほかに癒しなきとき,慰めはいずこにありや。」(Where Can I Turn for Peace? Hymns, 129番)その答えは救い主です。救い主こそ平和の神であり,「平和の君」であられるのです(イザヤ9:6)。

神の御前に自らへりくだり,常に祈り,罪を悔い改め,打ち砕かれた心悔いる霊をもってバプテスマの水に入り,イエス・キリストの真の弟子になることは,義にかなった人々の示す優れた模範であり,その報いとして永続的な平安が与えられます。

教会は,キリストに従う者たちが平安を得る避け所です。この世の若者の中には,自分は霊的ではあるが,宗教的ではないと言う人もいます。霊的な事柄を感じ取ることは,望ましい第一歩です。しかし,わたしたちが仲間から手を差し伸べられ,教えを受け,神の善い言葉で養われる場所は教会の中なのです。さらに大切なのは,家族を結び合わせる神聖な儀式や聖約を施し,わたしたち一人一人に日の栄えの王国におられる父なる神とイエス・キリストのみもとに戻る資格を得させてくれるのは,教会にある神権の権能であるということです。彼らが主と聖約を交わすことによって,これらの儀式が平安をもたらしてくれるのです。

神殿は,そうした神聖な儀式の多くが執り行われる場所であり,この世からの平安に満ちた避け所でもあります。神殿の敷地を訪れたり,神殿のオープンハウスに参加したりする人々も,この平安を感じます。

救い主は平和の真の源です。人生の様々な試練にもかかわらず,救い主の贖罪とその恵みのおかげで,義にかなった生活をすることで個人の平安が報いとして与えられます(ヨハネ14:26-2716:33参照)。