2018年ディボーショナル
死すべき世の旅


死すべき世の旅

ディーター・F・ウークトドルフ長老との夕べ

ヤングアダルト対象のワールドワイド・ディボーショナル:2018年1月14日:カンファレンスセンター

愛する若い友人の皆さん,兄弟姉妹の皆さん,皆さんに十二使徒定員会からの愛と祝福を贈ります。

トーマス・S・モンソン大管長がいないことを寂しく思います。モンソン大管長はわたしの愛する大切な友人であり,指導者,相談相手でした。しかし,主御自身が,この教会,御自分の教会,すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会の頭であられることは確かです。主は神聖な計画を用意し,御自分の教会が常に預言者,聖見者,啓示者によって導かれるようにされました。

わたしたちは皆さんのことをいつも考え,祈り,愛し,尊敬しています。

世界中でこれまで,そしてこれからも行われる,ともに集い分かち合うという機会は,皆さんの善い行いのほんの一例にすぎません。皆さんのような何万人ものヤングアダルトがすばらしい方法で参加し,困っている人を助け,歌を通して天に声を上げてきました。皆さんはソーシャルメディアなどを通して,また,皆さん個人の模範によって,イエス・キリストの福音の良い知らせを分かち合っています。皆さんが,神と同胞に仕える意志を示してくださっていることに感謝します。

今日皆さんとここにいて,皆さんの思いや強さ,活力を感じることができ光栄です。また,妻の話を聞くことができ,とてもうれしく思います。ハリエットはわたしの人生にとって,まさに太陽の光です。彼女を知る人は皆,彼女が大好きです。彼女は周りの人を向上させ,幸せにします。わたしは確かにその恩恵にあずかりました。

わたしたちはつい最近,結婚55周年を迎えました。わたしたちの2人の子供とその伴侶,6人の孫とその家族,3人のひ孫を見るとき,この人生がどれほどすばらしい冒険であったかということに驚かされます。

答えがすぐに得られる時代

今日の集会のために準備をしていたとき,面白い考えが浮かびました。わたしが18歳から30歳だった時期は,もうバックミラーで見えないほど遠い過去ですが,自分の今の年齢の割には,中身はまだ若く感じます。実際,年配の人の多くは自分のことを,とても長い間生きている若者だと感じています。

年配の世代と皆さんの世代には,皆さんが思っている以上に共通点があるのです。年齢にかかわらず,天の御父の子供たちには違いよりも共通点の方が多くあるのだと思います。例えば,皆さんの中の多くは神や自分のことについて疑問を持ったことがあるはずです。それらは皆さんよりずっと年配の人々が持っていた疑問と同じような深く,根本的なものです。

「神はほんとうに存在し,わたしに関心をお持ちだろうか。」

「わたしは正しい道にいるのだろうか。」

「なぜ時々,虚しさや不安,疎外感,孤独を感じるのだろうか。」

「なぜ神はわたしの人生にかかわられないのだろうか。

なぜ祈りにこたえてくださらなかったのだろうか。」

「なぜ神はこの悲しみ,病気,不幸を経験することをお許しになったのだろうか。」

これらの疑問に答えるのはとても難しいことです。

すぐに答えが得られ,確かだと思える情報がグーグルで検索できるこの時代では,自分にとって最も個人的で重要な差し迫った疑問に対する答えが遅いと,苛立ってしまいます。天に向かって心を高めた結果得られるのは,苛立たしいくるくると回る「待機中のカーソル」のように思えます。

わたしたちは待つのが好きではありません。

検索に数秒以上かかると,接続が切れているか故障していると考えます。苛立ちのあまり,検索を諦めてしまうかもしれません。しかし,永遠に関する疑問や霊にかかわる事柄の場合,もっと忍耐強くならなければなりません。

すべての答えに同じ価値があるわけではありません。この世の知恵や世論から答えを得るのは簡単ですが,新しい理論や流れが生まれたときにすぐその価値を失ってしまいます。天からの答え,すなわち永遠の答えはかけがえのないものです。このような答えを得るには,往々にして犠牲や努力,忍耐が必要です。

これらは待つ価値のある答えです。

今日のわたしの目的は,天の御父が皆さんを御存じで,皆さんの声を聞き,決してお見捨てになることはないという確かな証を述べることです。皆さんが主に心を傾け,主の道に従うよう努力するならば,主は皆さんの人生に影響を与え,この死すべき世の大冒険を旅する中で導きを与えてくださるでしょう。

点と点をつなげる

現代の偉大な革新者であるアップル社のスティーブ・ジョブズはこのような考えを持っていました。「先を見通して点と点をつなぐことはできない。点をつなぐことができるのは後で振り返ったときだけだ。だから,将来何らかの形で点がつながると信じなければならない。」1

それはどのような意味なのでしょうか。一つの例を使って考えてみましょう。19世紀末に芸術家のジョルジュ・スーラとポール・シニャックは後に新印象派として知られる新しい様式の絵を描き始めました。彼らの技法はキャンバスに小さな色の点を乗せるというものでした。近くで見ると,つながりのない無造作な点が見えます。しかし,絵全体を見ると,点が混ざり合って色を作り出し,その色が形を成し,美しい模様が現れます。一見無造作で,混沌としていたように思えたものが意味を成し始めるのです。人生は時に,新印象派の絵のようです。日々の瞬間や出来事を形造る色の点は,時にはつながりのない無秩序なものに見えるかもしれません。それらに秩序があるのかどうか,あるいは何らかの目的があるのかどうかは分かりません。

しかし,遠ざかって永遠の視点から見るとき,そしてイエス・キリストの福音という枠組みを通して人生を見るとき,様々な点同士のつながりが見え始めてくるのです。まだ絵全体は見えないかもしれませんが,美しくすばらしい絵があるいうことを信じるに十分なだけは見えるでしょう。そして,神を信頼し,その御子イエス・キリストに従うよう努力するならば,いつかわたしたちは完成した作品を目にし,神の手が歩むべき道を示し,導いてくださっていたことを知るでしょう。

また,偉大な芸術家であられる神が,一連の無造作な点に対して初めから計画をお持ちだったことを知るでしょう。そして,主がわたしたちの才能を高め,機会を用意し,自分では想像や達成すらできないほど栄光に満ちた可能性へと導いてくださったことを知るでしょう。

わたしは人生で確かにこのことを目にしました。

わたしの死すべき世の旅

皆さんの多くはわたしがとても若かったころ,わたしの家族が2度,家やすべての持ち物を捨てて逃げなければならなかったことを知っていると思います。どちらのときも,移住先の人々はわたしたちを「劣っている」人たちだと捉えました。同年代の子供の間では,わたしは訛りがあるせいで部外者扱いされ,からかいと笑いの格好の対象になりました。

両親は家族を養うのに苦労をしました。母はクリーニング店を始め,わたしは放課後に自転車とカートを使ってその店の「宅配スペシャリスト」として働きました。

移住によるトラウマやストレスのせいで勉強がおろそかになり,1年留年してしまいました。

東ドイツで,わたしは第二言語としてロシア語を学びました。難しかったですが,なんとか習得しました。そして,西ドイツでは今度は英語を学ばなければなりませんでした。

わたしは不可能だと思いました。わたしの口は英語に向いていないと思っていました。

わたしは10代のころに,美しく大きな茶色い目をしたこの上なくすばらしい女の子に一目惚れしました。残念ながら,ハリエットはわたしに少しも興味がないようでした。何をしても,手がかりがつかめませんでした。彼女の方の話も皆さんは聞いたと思います。

戦後のドイツに住み,成功する可能性のない取るに足りない貧しい若者。それが当時のわたしでした。

しかし,良いことも幾つかありました。

家族はわたしを愛していました。学校と教会では,目標を常に高く持つよう励ましてくれる教師がいました。ある若いアメリカ人の宣教師が教えてくれたことを今でも覚えています。「もし,神が〔あなた〕の味方であるなら,だれが〔あなた〕に敵し得ようか。」2

その言葉には,何か大きな力が宿っている気がしました。もしそれがほんとうなら,恐れる必要はもうないと思いました。

そこで,わたしは信じました。そして神を信頼しました。

いっときの間,わたしは実習生でした。ある教師がわたしに,目標を高く持ち,夜間学校で機械工学を学ぶようチャレンジしました。人一倍努力する必要がありましたが,そのおかげで航空学への強い情熱に気づくことができました。そしてそのとき,パイロットになるには英語が必要だということが判明したのです。しかし,わたしはパイロットになりたいと願っていました。そして,どういうわけか奇跡的にわたしの口に変化が起きて,英語はもはや不可能な言語ではなくなりました。

新たな動機と,努力するための新たな決意,そして天の御父への信頼をもって,わたしは一歩ずつ進み,それが自信につながりました。

もちろん,物事がいつも順調にいったわけではありません。

わたしは19歳のときに,空軍のパイロットの訓練を始めるためにテキサス州サンアントニオに向かいました。飛行機の中で,わたしはきついテキサス訛りの男性の隣に座りました。そこでわたしは,自分が懸命に努力して学んだ英語は,恐ろしいことに,テキサスの英語とは別物だということに気づきました。

パイロットの訓練学校でも苦労しました。訓練プログラムは,皆が首席の座をねらう非常に競争の激しいものでした。わたしはすぐに自分が不利であるということが分かりました。クラスメイトのほとんどは英語を母国語としていたからです。

訓練学校の教官たちは,もう一つ不利となり得ることについてわたしに警告しました。わたしが教会で多くの時間を過ごしていたことです。地元の会員たちは支部や自分の家にわたしを迎え入れ,ビッグスプリングで教会堂も一緒に建てました。教官たちは,そのような活動が上位の成績を取る妨げになるのではないかと懸念しました。わたしはそう思いませんでした。わたしは神を信頼し最善を尽くしました。

やがて,わたしは(今でも学んでいますが)英語を習得し,(クラスで1番の成績で)パイロットの訓練を終え,戦闘機のパイロットになり,その後は航空機長になりました。そして,あの美しい憧れの茶色い目をした女の子はというと,今ここにわたしと一緒にいます。

小さなことを完璧にこなす

ここに教訓は含まれているでしょうか。わたしは幾つかあると思います。

一つは,人生の大きな難しい課題に押しつぶされないように,ということです。「簡単な」こと,すなわち神が行うよう求めておられる「小さな」ことを行うと決意し,できるかぎり完璧にそれらを行うならば,大きなことは自然についてきます。

完璧に行うことのできる「小さな簡単な」ことには毎日の祈り,聖文研究,知恵の言葉を守ること,教会への出席,誠意をもって祈ること,什分の一と献金を払うことなどが含まれます。

したくないと思ったときでも,これらを行ってください。これらの「犠牲」は小さく思えるかもしれませんが,「いけにえ」は「天の恵み」をもたらす大切なものです。3

ある意味で,皆さんの「小さな簡単な」犠牲は日常の点の数々であり,それらが皆さんの人生という名画を作り出すのです。今は点がどのようにつながるのか分からないかもしれませんし,まだ知る必要もありません。まずは今生きている瞬間に必要なだけの信仰を持ってください。神を信頼するならば,「小さなことから大いなることが生じ」ます。4

神への信頼

今,皆さんはこう考えているかもしれません。「ウークトドルフ長老,それはすてきな話ですね。でもあなたは使徒です。わたしは違います。わたしは神にとって重要ではありません。祈りにもこたえてくださいません。わたしの人生に導きはありません。わたしのための計画があるとしたら,それは格安版の計画です。または『おさがり』の計画,『よしよし,君はこれで満足してね』という計画でしょう。」

愛する友人の皆さん,スティーブ・ジョブズの言葉を思い出してください。「先を見通して点と点をつなぐことはできない。点をつなぐことができるのは後で振り返ったときだけだ。」

わたしが皆さんの年齢だったとき,自分の人生がどこに向かっているのか,分かりませんでした。点がつながるのが見えたことは一度もありませんでした。

しかし,わたしは神を信頼しました。愛する家族と賢明な友人のアドバイスを聞き,一歩ずつ信仰をもって進みました。そのときの最善を尽くせば,全体のことは神が面倒を見てくださると信じました。

主は実際そうされました。

主はわたしが知らない初めのうちから結末を御存じでした。

わたしには将来が見えませんでしたが,主は御覧になれました。

自分が見捨てられたと感じたときにも,主はわたしとともにおられました。今ではそれが分かります。

箴言には次の偉大な約束があります。「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない。すべての道で主を認めよ,そうすれば,主はあなたの道をまっすぐにされる。」5

この聖句の終わりには疑問符はないはずです。

むしろ感嘆符を付けるべきだと思います。

ですから,皆さんはこう自問しなければなりません。「神を信じるのに十分な信仰を奮い起こすことができるだろうか。主が自分を愛し,導くことを望んでおられることに信頼を置こうとしているだろうか。」

実際,多くの場合,自分だけの力で行ってもまずまずの結果にはなります。しかし,歩みを導いてくださる神に頼る方が,はるかに人生は良いものとなることを,どうか信じてください。主は皆さんが知ることのできないことを御存じであり,皆さんが想像することのできないような未来を皆さんのために備えておられます。偉大な使徒パウロはこのように証しました。「目がまだ見ず,耳がまだ聞かず,人の心に思い浮びもしなかったことを,神は,ご自分を愛する者たちのために備えられた。」6

皆さんは天の御父に導かれ,祝福され,支えてほしいと思っているでしょうか。

そうならば信じてください。

主を愛してください。

心を尽くして主を求めてください。

主の道を歩んでください。すなわち,戒めを守り,聖約を尊び,預言者の教えに従い,御霊の促しに耳を傾けてください。

そうすれば神は皆さんを「今あるより千倍も多くし,また〔皆さん〕に約束されたように,〔皆さん〕を恵んでくださ」います。7

わたしたちは神に答える

これが言うに易し,行うに難しだと思う人もいるでしょう。現代の文化に深く首を突っ込んで,一般的に神に関することや特にこの宗教に対する信仰をくじいたり,ばかにするような否定的な声に耳を貸す必要はありません。

そのような声は,比類ないコミュニケーションの発展によって増幅されています。

これは皆さんの試練です。しかし,特権でもあります。

皆さんが主の方法でそれらに向き合うすべを見いだせることを確信しています。

これは,皆さんの死すべき世の旅の一部です。皆さんがそれをどう行うかは,皆さんの将来とこの地上で皆さんが果たす役割に大きな影響を与えます。

しかし,皆さんが人生で経験していることは,自分だけが経験していることではありません。神を信じる信仰によって試練やあざけりを受けた世代は,皆さんの世代だけではありません。実際,それは神のすべての子供がこの世で受ける試験のようです。

イエスは弟子たちにこう言われました。「もしあなたがたがこの世から出たものであったなら,この世は,あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし,あなたがたはこの世のものではない。かえって,わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから,この世はあなたがたを憎むのである。」8

また,救い主に従う決意をしたら,大きく広々とした建物に住む人々がそれを非難するのではないかと考えるかもしれません。時に大声で非難をするかもしれません。9皆さんをいじめたり,はずかしめたりするかもしれません。

しかし,皆さんは彼らに答えるのではないことを覚えていてください。皆さんは神に答えるのです。皆さんはいつか神の御前に立って人生の報告をします。

主は皆さんに,この世の誘惑に打ち勝ち,正義の道を歩むために何を行ったかを尋ねられます。そして,救い主に従ったか,隣人を愛したか,弟子としての道にとどまるために熱心に努力したかを尋ねられます。

愛する若い友人の皆さん,兄弟姉妹の皆さん,二兎を追うことはできません。主の弟子が受ける,人の理解を超えた祝福は,バビロン第1ワードに会員記録を置いたままでは受けることができません。愛する兄弟姉妹の皆さん,今こそキリストに従う決意をし,主の道を歩む時です。

今,真理をばかにしている人を含め,神のすべての子供たちはいつか何が正しいかを知ります。彼らはひざをかがめ,イエスがキリストであり,贖い主であり,世の救い主であられることを告白するでしょう。10そして主が自分のために亡くなられたことを知るでしょう。

その日,ほんとうに大切だったのは主の声だけだったことが明らかとなるでしょう。

そして,信仰を持ち続け,神の戒めを守り,同胞に仕え,この地上に神の王国を築いたことによる祝福を皆さんは確かに知るでしょう。愛する友人の皆さん,信じてください。神はともにいてくださいます。主に心を傾けるならば,胸躍るこの死すべき世の大冒険を旅する中で主は導いてくださるでしょう。

問題ではない

さて,神に人生を導いていただくことについて,一つはっきりさせておきたいことがあります。皆さんは今からわたしが言うことが気に入らないかもしれません。人生における選択—時に重要な選択について,どうすればいいのか主に尋ねても,主ははっきりした答えをお与えにならないことがあります。実際,良い選択肢同士から選ぶ際,皆さんが福音の基本的な聖約と原則を守っているかぎり,何を選ぼうが主にとっては問題にならないことがあります。

多くの場合,皆さんが行う選択は,選択の後に行うことほどは重要ではないかもしれません。

例えば,結婚することを選んだカップルの中には,二人が互いにとって完璧な相手ではないと家族のだれかが考えている人たちがいるかもしれません。しかし,その選択の後に,心と思いを尽くしてお互いと主に対して完全に忠実でいるならば,そのような夫婦には大きな希望があると思います。互いに愛と,優しさをもって接し,互いの気持ちや霊的,物質的必要に目を向け,「小さな」ことを常に行うことによって,彼らは完璧なカップルとなるのです。

一方その反対は,「完璧な」相手を選んだと思い,大変な仕事は全部終わったと考えている夫婦です。もしデートや一対一のコミュニケーションをやめてしまい,わがままで自己中心的な生活に戻ってしまうならば,悲しみと後悔へと続く道を歩んでいる可能性が非常に高いです。

同じ原則は職業の選択にも当てはまります。社会的権威がそれほど高くはない職業を選びながらも,自分の仕事を面白く,やりがいのあるものとする方法を見いだすために最善を尽くす人には大きな希望があると思います。

立派だと人から思われるような職業を選びながらも,成功するために必要な情熱を途中で失ってしまう人にはそれほど希望はないと思います。実際,職場において変化にうまく対応することは,皆さんの世代がこれから身につけなければならないであろう最も重要な能力です。

では,主は皆さんがどのように重要な選択を行ってほしいと望んでおられるでしょうか。

オリバー・カウドリとジョセフに対する主の教えは,わたしにとって大きな助けとなっています。主はこう教えられました。 「あなたは心の中でそれをよく思い計り,その後,それが正しいかどうかわたしに尋ねなければならない。」11

天の御父は皆さんに頭脳と心を与えられました。主を信頼するならば,主は皆さんが意思決定においてこの二つを適切に使うのを助けてくださるでしょう。

多くの決断において,良い選択肢は複数あるものです。ジョセフとジョセフの同僚がそのような場面に遭ったとき,導きを求める彼らに対して主は興味深い言葉を用いられました。その言葉とは,主にとっては「問題ではない」ということです。12

しかし,主はそのすぐ後に「忠実で〔ありなさい〕」と付け加えています。13

皆さんの仕事は,福音の価値観や原則に根差した情報に基づいて最善の選択をすることです。そして,取り組んでいることにおいて成功するために全力を尽くして努力し,忠実でいることです。

そうすれば点と点はつながっていきます。

神が皆さんの人生の旅のために詳細な日程表を必ずしもお渡しにならないと聞いて,がっかりするかもしれません。しかし,皆さんは人生のすべての細かい事柄について導きが欲しいとほんとうに思いますか。

自分で何とか解決する機会を得る前に,だれかから裏技コードをもらいたいとほんとうに思いますか。それはどのような冒険になってしまうでしょうか。

愛する若い友人の皆さん,この死すべき世の旅は一度きりのものです。人生の偉大な質問すべてに対する種明かしや答えが満載の自分専用の通路を歩いていては,すばらしい達成感や主と自分に対する自信14は損なわれないでしょうか。

神が皆さんに選択の自由を与えられたおかげで,皆さんは多くの行き先を選ぶことができ,充実した人生を送ることができるのです。死すべき世は自由で,行き先を自分で決められる物語なのです。皆さんには戒めや聖約,霊感を受けた預言者の勧告,そして聖霊の賜物があります。皆さんをこの世の幸せと永遠の喜びに導くにはこれで十分すぎるほどです。そしてそれ以上に,完璧ではない選択をしたとしても落胆しないでください。そのようにして学ぶのです。それは旅の一部なのです。

初めから終わりまで順調な旅はありませんが,忠実でいるならば,幸せな結末を確信することができます。エジプトのヨセフの例について考えてみてください。彼は人生で様々な悲惨な目に遭いました。兄たちによって奴隷として売られ,犯していない罪のために牢屋に入れられました。ひどい状況にさらされながらも,ヨセフは信仰を保ちました。神を信頼していました。そして,最善を尽くしました。年月がたち,自分が見過ごされ,見捨てられていたと分かった後も,ヨセフは信じました。いつも心を神に傾けていました。そして,否定的なことを前向きに変えられるのだと神はヨセフに示されました。15

その約4,000年後の現在でも,わたしたちはヨセフの話から霊感を受けます。

皆さんの旅はそこまで劇的なものではないかもしれませんが,良いときもあれば悪いときもあるでしょう。そこで,ヨセフの例を覚えていてください。忠実でい続けてください。信じてください。正直でいてください。人につらく当たらないでください。いじめをしないでください。神と同胞を愛してください。状況が厳しいと感じるときであっても,神を信頼してください。

もっと後にならないと分からないかもしれませんが,振り返ったときに,主が確かに皆さんの歩みを導き,道を示してくださっていたことを知るでしょう。

点と点はつながっていたのです。

覚えるべき5つの事柄

さて,皆さんが今日のこの時間から何を覚えていてほしいとわたしは思っているでしょうか。

第1に,皆さんの最も深い疑問に対する神の答えは,少し時間がかかり,予想していなかった方法で来ることがあると知ってください。しかし,神の答えには永遠の価値があります。待つ価値があります。

第2に,少しの信仰を持ってください。心を神に傾けてください。自分が神にとって重要であると信じ,皆さんが自分で行う以上に神が皆さんの価値を高めてくださることに信頼を置いてください。主について学び,主を愛してください。主を信じ,主と定期的に熱心に話し,主の声を聴いてください。

第3に,弟子としての道を最善を尽くしながら歩んでください。途方に暮れないでください。小さなことをできるかぎり完璧にこなすならば,大きなことは正しい場所に落ち着きます。

第4に,皆さんを落胆させようとする声によって,信仰の旅を諦めたりはしないでください。思い出してください。将来,批判する者に答えるのではなく,天の御父にお答えするのです。大切なのは主の価値観です。

第5に,心と思いに語りかける促しに従うことによって,最善の選択をしてください。そして,それをやり通すために最善を尽くしてください。信仰を持つならば,神は皆さんの永遠の幸いのために皆さんの誠実な努力を神聖なものとしてくださいます。16

これらを行うならば,最終的にすべてうまくいきます。

今日,この新年の初めにわたしからの祝福を残します。神を知るために熱心に努力するならば,皆さんの信仰は強まります。救い主に従おうと努めるならば,皆さんの自信は増します。17そして,忠実さをもって歩み,キリストの光に向かって心を開くならば,皆さんの内にある神の愛が成熟し,隣人を愛する力が精錬されるでしょう。

これらはすべて皆さんに幸福と喜び,

平安をもたらします。

そして,いつの日か永遠の栄光をもたらします。

その日,皆さんはこの死すべき世の思い出深い冒険を振り返るときに,理解するでしょう。点と点が確かにつながって美しい模様となり,皆さんの想像を超えた崇高なものとなるのを目にするでしょう。そして神御自身が,御自分に向かって歩む皆さんを豊かな愛と恵みをもっていつもそばで見守り,祝福し,導かれたことを,言葉にならない感謝とともに知るでしょう。

このことを証し,主の使徒として皆さんに祝福を授けます。わたしたちの主であり,贖い主,そして救い主であられるイエス・キリストの御名により,アーメン。