リーハイの末の子供の一人であるヤコブは,自分と弟ヨセフは「主に対して〔彼らの〕務めを尊んで大いなるものとした」(モルモン書ヤコブ1:19)と言っています。彼らの「務め」,すなわち彼らの割り当てや召しは,ニーファイ人に神の言葉について教えることでした。
教会の指導者がわたしたちに,自分の召しを「尊んで大いなるものとする」よう励ましているのを聞いたことがあるかもしれません。しかし,それはどういう意味でしょう?
時には,もっと働くという意味だと思うことがあるかもしれません。しかし,それはその言葉のほんとうの意味ではありません。虫眼鏡や顕微鏡で何かを見るとき,実際に物が大きくなるわけではありません。変わるのはあなたの視点と焦点だけなのです。
主がわたしたちに与えてくださる召しや招きについて,わたしたちもそのように考えるべきなのかもしれません。神はあなたが最善を尽くすことを望んでおられます。しかしそれは,疲れ果てるわけでも,大量の仕事をするわけでもありません。そうではなく,自分の視点と焦点が正しい場所にあることを確認し,主があなたの努力を十分なものにしてくださると信頼することかもしれません。
それでは……あなたはほかの人々を神の子供として愛そうとしていますか。御霊に従うことに集中していますか。割り当てを果たすうえで,救い主の助けに頼っていますか。
今度召しを果たすことについて不安を感じたときは,それらの努力が最も重要であることを思い出してください。