その他のリソース
第35課 感謝の心


第35課

感謝の心

目的

わたしたちにとって大切な感謝の心を培い,それをまわりの人々に示せるようになる。

天父に感謝を述べる

感謝とは,受けた好意をありがたいと感じる気持ちのことです。わたしたちは,なにげない親切に深く心を動かされることがよくあります。そのようなときには,親切にしてくれた人に真心から感謝の気持ちを伝えます。感謝の思いは,何らかの形で示すか,言葉で述べるかしなければ相手には伝わりません。それにはただ礼儀を尽くせばよいというものではなく,真心を込めて感謝を述べる必要があります。

管理監督会のH・バーク・ピーターソン副監督は,スペンサー・W・キンボール大管長が感謝の心を身に付けていることについて次のように語っています。

「2週間前,ある集会に急いでいると,キンボール大管長がわたしを追い越して行きました。そのとき,大管長は立ち止まってわたしの手を取り,目を見詰めてこう言いました。『忙しいことが多くてすみません。あなたをどんなに愛しているか,またどんなに感謝しているか,久しくお伝えしていなかったと思います。』

わたしは大管長の真心を感じ,その言葉を信じ,わたしの霊は新たに高められたのです。」(「毎日の愛」『聖徒の道』1977年10月号,503参照)

キンボール大管長は天父に愛を示す必要があることについて,次のように語っています。

「よくあることですが,わたしたちは太陽や空気,健康,機会など,様々な祝福が与えられるのを当然のことのように考えます。また,恵みや名誉,特権などを毎日受けていても……感謝の言葉を口にしません。バスの中で座席を譲ってくれる人,車で送ってくれる人,食事代を出してくれる友人,子守りをしてくれる人,芝生を刈ってくれる少年など,わたしたちは多くの人に感謝をすると思いますが,すべてを与えてくださる御方に感謝しているでしょうか。」(Faith Precedes the Miracle,1972年,202)

  • 視覚資料35-a「十人のらい病人」を見せる。

  • ルカ17:11-19を読む。

  • 主は癒された人に何を期待されましたか。(主に感謝すること)

  • 主は数えきれないほど祝福を受けているわたしたちに,何をするように期待しておられますか。

ハワード・W・ハンター長老は,十人のらい病人のたとえ話を引用して,天父に感謝を述べる必要があることを強調しています。

「癒された十人のうち,戻ってきて感謝を述べたのはたった一人でした。救い主はこのことで失望されたに違いありません。しかし,祝福を受けている大勢の人が,また人生でよきものに恵まれている多くの人が,それを与えてくださる御方に,すなわち神に,感謝の気持ちを表すために時間をとることも,努力することもしていません。祝福を受けても,真心からの感謝の気持ちを感じて言葉に表さなければ,完全な幸福と喜びを味わうことはできないのです。」(Conference Report, Denmark, Finland, Norway, and Sweden Area Conference,1974年,27)

救い主でさえ,御自身が受けた祝福を天父に感謝しておられるのは意義深いことです(3ニーファイ19:20,28参照)。

  • 教義と聖約59:7を読む。

  • 主はわたしたちに何をするように命じておられますか。(すべてのことに感謝する)

聖文には至る所に,すべてのことについて神に感謝するように記されています。わたしたちは,多くの祝福に対する感謝の気持ちを覚えてそれを表すことにより,日々の生活の中に主の御手があることを認めるとき,主に対する感謝の思いがさらに強くなります。

  • どのような祝福について天父に感謝する必要がありますか。(生徒の答えを黒板に列記する。救い主,贖い,健康,家族,仕事,友人,福音などが含まれるであろう)

わたしたちはイエス・キリストに対して,贖いの犠牲に感謝するという特別な負債があります。わたしたちは,ゲツセマネの園や十字架の上で主が受けられた苦しみを完全に理解することはできませんが,言葉と行いによってこの偉大な賜物に感謝を示すことができます。

  • モーサヤ2:19-22を読む。

  • この聖句は,どのようにして天父に感謝を表すように教えていますか。(黒板に答えを列記する。感謝と賛美をささげる,主に仕える,戒めを守る)

教義と聖約136:28には次のように記されています。「あなたは楽しければ,歌と,音楽と,踊りと,賛美と感謝の祈りをもって主をほめたたえなさい。」わたしたちは喜びにあふれた賛美と感謝の祈りをささげることも必要です。巧みな言葉は無用です。むしろ,日々受けている祝福について率直に,また具体的に感謝するのです。

  • 喜びにあふれた態度を取ることは,なぜ天父に感謝の気持ちを示すことになりますか。

わたしたちは,試練や逆境や不幸にも感謝すべきです。苦しい状態の中で感謝するのは難しいこともあります。しかし,著しい霊的成長がもたらされるのは,しばしばそのような状況のときです。七十人第一定員会のマリオン・D・ハンクス長老は次の話の中で,その点を分かりやすく説明しています。

「あるステーク大会に出席したとき,一人の帰還宣教師が証を述べました。時間が短かったので,彼は一つのことに絞って話しました。偉大で謙遜な母親について神に感謝し,その理由を述べたのです。このような話でした。彼は高校生のときに,大好きだった幼い妹が病気にかかって亡くなるという非常につらい試練を受けました。この妹は末っ子で家族のだれからも愛されていました。父親はすでに他界していました。幼い妹が病気になったとき,みんなで祈り,神権の祝福を授け,断食し,懸命に看病をしたにもかかわらず,病状は悪化して,夜に息を引き取ったのです。彼は自分の部屋に入って鍵をかけました。そして,もはや神に自分の思いを素直に打ち明けることができなくなった彼は,壁に向かって胸が張り裂けるほどむせび泣きました。こんなむごいことが起こるのを許した神に対する怒りと反抗心に燃えながら,大声をあげて泣いたのです。もう決して祈るものか,二度と教会にも行かない,こんなことをさせた神など信じるものか。まだ未熟な少年は深い悲しみの中で,非常に重大な決心をしていました。その晩は眠れないまま,やがて来る時を不安な思いで待ちました。それは,多くの末日聖徒の家庭で行うように,朝晩,子供たちが母親のまわりにひざまずいて,祝福への感謝を神にささげる時でした。家族の祈りが習慣になっていたのです。

彼は自分が何を言うべきか分かっていましたが,恐れを感じながらその時を待っていました。母親が『子供たち,いらっしゃい』と呼んだとき,彼は『いやだ』と答えました。

『ひざまずいてちょうだい。』

『僕はひざまずかない。もう二度とひざまずいたりするもんか。』

そのときの母親の言葉に,わたしは深く心を打たれました。だれもが同じ気持ちになると思います。母親はこう言いました。『あなたはいちばん年上でしょう。この家でただ一人の男性よ。お母さんが男性を必要とするとしたら,今がそのときなの。だから,ひざまずいて。』

彼は不承不承ひざまずきました。心から尊敬する母親が自分を必要としていることを知ったとき,母親の深い心の傷と悲しみについて初めて考えました。彼はひざまずきましたが,心の中で思いました。『お母さんは今朝,神に何を感謝しようというのだろう。』彼だけでなく,ほかの子供たちも疑問を抱いていました。そのことを知っていた母親は,ひざまずいて行う朝の祈りの中で,子供たちに福音を教えたのです。彼女は,家族みんなが知っている事柄について,家族が永遠に結ばれているという祝福について神に感謝しました。また,将来に関する指示や目的,導き,確信が与えられていることについて,天使のようにすばらしい子供に恵まれて多くの祝福を受けてきたことについて,これからもずっと家族であることについて感謝したのです。絶望して不平を漏らしたくなる状況の中で,この母親は子供たちに,そのような悲しみの中でも神に感謝することがあると教えました。

その少年が厳しい伝道生活を立派に果たして,献身的な末日聖徒として壇上に立ったとき,勇気ある母親がいることを神に感謝したのです。この母親はあらゆる面で英雄としての資質をそなえ,すばらしい模範を示して深い感銘を与えました。

英雄としての資質とは,正しいことを知る知恵と,どのような犠牲を強いられても,またどのような状態にあっても,それを実行する勇気を意味すると,わたしは単純に解釈しています。」(Heroism, Brigham Young University Speeches of the Year,1959年3月25日,3-4)

  • 母親がささげた感謝の祈りは,この少年にどのような影響を与えましたか。(天父と自分との関係をさらによく理解できた。祈りを通して福音を教えられた)

  • 試練のときにも感謝を述べることが大切なのはなぜですか。(そのようなときにこそ,与えられている祝福に気づき,様々な出来事を永遠の観点から見る必要がある。そうすれば,人生のよい事柄に目を向けることができ,自分をみじめに感じたり,与えられた境遇を恨んだりすることがなくなる)

わたしたちは証を述べるときに,主から受けている数々の恵みに感謝します。そのような感謝の表現は,天父に喜ばれるだけでなく,教会の兄弟姉妹を強めることになります。

『モルモン書』の中で,アミュレクがゾーラム人に与えた次の勧告は,今日のわたしたちにも当てはまるものです。「神を礼拝するように,さらに,神が授けてくださる多くの憐れみと祝福を日々感謝しながら生活するように,わたしは願っている。」(アルマ34:38

感謝を表す

七十人第一定員会のヘンリー・D・テーラー長老は,次のような話を紹介しました。

「コロンビア警察署で金曜日に,所有者不明の100台の自転車の競売が行われた。最初の競りが始まると,11歳の少年が『1ドル』と言った。しかし,もっと高い価格で競り落とされた。それから自転車が出てくる度に,少年は期待を込めて『1ドル』と叫んだ。

43年間,盗難車や放置された自転車を扱ってきた競売人は,競走用の自転車のときに限って少年の声が高まるのに気づいていた。

いよいよ最後の競走用自転車で,価格は8ドルまで上がった。『その坊やに9ドルで落札!』競売人はそう言うと,自分のポケットから8ドルを取り出し,少年に1ドルを求めた。少年は,1セントや5セント,10セント,25セントの硬貨を探し出して渡し,自転車に乗って帰りかけた。しかし,すぐに止まると,丁寧に自転車を置いて駆け戻り,感謝を込めて競売人の首にしがみついて泣きだしたのだった。」(Conference Report,1959年4月,57)

感謝されたいと思わない人はいません。アメリカの実業家チャールズ・M・シュワブは次のように言っています。「わたしが会った人は皆,どのような境遇にあろうと,批判されるよりも認められる方が良い仕事をするし,一層の努力をします。」(Richard Evans’ Quote Book,1971年,171)感謝を表し,賞賛の言葉を述べると,わたしたちへの信頼感が高まり,相手の進歩成長を促します。

リチャード・L・エバンズ・ジュニア長老は,感謝の必要性について次の2つの話をしています。

「わたしは今朝まで,ひどい重荷を負わされたものだと感じていました。数日前,友人のたっての願いを引き受け,大変な努力の末にその無理な頼みを果たしたのです。ところがそれ以来,友人からは何の音さたもありません。お礼の言葉はおろか,感謝のかけらも,わたしの働きに満足したという話もないまま,沈黙していました。

今朝までまったくのなしのつぶてでした。ところが今朝,心のこもった感謝の手紙がその友人から届いたのです。それはすぐに読めてしまう簡単なものでしたが,わたしの心を温かく包み,それまでの思いを吹き飛ばしてくれました。わずかな時間で書いた手紙でしたが,わたしは十分に報われたと思いました。……

数か月前の経験もよく覚えています。それ程親しくしていない人からあることを頼まれました。……彼は頼むときには,ひどく丁重で熱心なうえ,とても愛想がよかったのですが,彼の望みを引き受けてあげると,それからは何の感謝も示しませんでした。」(リチャード・L・エバンズ,The Man and His Message,1973年,285)

  • 感謝の手紙はエバンズ長老の気持ちをどのように変えましたか。

  • 感謝を示すことが大切なのはなぜですか。

  • わたしたちは,人からしてもらうどのようなことに感謝すべきでしょうか。

  • 家庭や教会,近所,地域社会で感謝を示すには,どうすればよいでしょうか。

救い主は大切な原則を教えておられます。「何事でも人々からしてほしいと望むことは,人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ7:12)人はだれでも感謝される必要がありますし,それを望んでいます。

家庭で感謝することを教える

「あるとき,挫折感を抱いた母親が隣人に,家族のだれも自分の働きに感謝してくれないと不平をもらしました。彼女が家を掃除したり,祭日のための飾りつけをしたり,衣服をきれいにしてアイロンをかけたりしても,だれも何も言ってくれないのです。またどんなにおいしい食事を準備しても,子供たちや夫をきちんと学校や会社へ送り出しても,一言も感謝の言葉を聞くことがありません。……彼女は,家族がそれらを当たり前のこととしか思っていないことに腹立たしさを感じていました。

彼女の不平を聞いていた隣人が言いました。『マリアンヌ,あなたの家はいつもきれいだし,よく整とんされているわ。子供たちだっていつもきれいな身なりで学校や集会へ出かけているじゃない。それにあなたは料理も上手だし,教会の召しだってあなた以上に忠実に果たしている人なんて考えつかないわ。御主人も子供たちも,あなたの努力は賞賛に価するものだということを認めていると思うの。ただあなたの家では,感謝の気持ちを言葉に表すことが習慣になっていないだけなのよ。きっと家族の中にもあなたと同じような気持になっている人がいると思うわ。』」(Relief Society Courses of Study,1976-77年,7)

  • 隣人はマリアンヌに何を気づかせましたか。(家族に感謝することを模範によって教えていなかった)

家族に感謝することを教えるには,まず自分自身が家族に感謝する思いに目覚める必要があります。「家族間で感謝の言葉を述べ合うことは,感謝の言葉を受けると同様に大切なことです。もしわたしたちが人々に模範と指導によって感謝の気持を示すことを教えなければ,彼らはこの大切なエチケットを知らないままでいることでしょう。もし,ある人が今手がけていることを続けてもらいたいと思うなら,そのことをどんなに感謝しているかをその人に知らせることがいちばんです。」(Relief Society Courses of Study,1976-77年,7)

子供が小さいときから,プレゼントを受けたときにはお礼を言い,親切にしてくれた人には感謝するように教えるべきです。

七十人第一定員会のA・セオドア・タトル長老は,ステーク大会のときにある家庭を訪れた経験について次のように語っています。

「今日この中に,先日わたしがステーク大会に出席したときに訪問した家族の息子さんがいます。彼は最近ブリガム・ヤング大学の寮に入って不在だったので,土曜日の夜に彼の部屋に泊めてもらうことになっていたのです。親切な母親が部屋に案内してくれました。彼女が洋服だんすの戸を開けると,ハンガーをかけるところに手紙が止めてありました。それにはこう記されていました。

『お母さんへ

夏の間,色々と心を尽くしてくれてありがとう。お母さんは『世界一の母親』だと思います。僕はお母さんの息子でいられることを神様に感謝しています。

お母さんを愛しています。お母さんが僕にしてくださったすべてのことに感謝しています。11月にまた会いましょう。ポール』

わたしがこの手紙を読むのをじっと待っていたその母親は,こう言いました。『どうぞ御遠慮なく,洋服をおかけになってください。これはわたしの大切な宝物なんです。洋服だんすを開ける度に読み返しています。もうしばらく,ここにかけておこうと思っています。』」(What Kind of Thanks? Brigham Young University Speeches of the Year,1968年11月26日,5)

  • この息子はどのようにして母親に感謝を示しましたか。

  • 母親はそれをどのように感じましたか。

  • 子供たちが家族に感謝を示すには,ほかにどのような方法がありますか。学校や教会の教師に対してはどうですか。

わたしたちは子供に,天父が創造されたすべてのものについて感謝するように教えることができます。子供と一緒に散歩やハイキングに行って天父の創造物を指摘し,花や星や夕日など,あらゆる自然の美しさを教えることができます。四季の移り変わりは,家族が受けている天父からの祝福を思い起こす機会になるでしょう。子供たちにこうした神からの贈り物を尊ぶ心を植えつけたいと思うなら,わたしたち自身が天父の創造物に感謝していることを示すために時間をとる必要があります。

体の不自由な人や恵まれない人々を家族で援助し,子供にも奉仕の機会を与えれば,自分たちが受けている祝福を理解させることができるでしょう。このような奉仕を通して,わたしたちは人々の役に立てるという祝福に感謝していることを示すのです。

家族で感謝と賛美の祈りをささげることが大切です。このことについて,N・エルドン・タナー副管長は次のように語っています。

「ある日,家族の祈りの後で幼い娘が語った言葉にわたしは心を打たれました。『お父さん,わたしたちはもう,もっと祝福をくださいって,お祈りすることないと思うの。だって,神様からとってもたくさんの祝福をいただいているもの。だから,受けている祝福にふさわしい人になるように祈った方がいいと思うの。』それ以来わたしたちの家族は,それまで以上熱心に天父に感謝を述べるようになった。」(Seek Ye First the Kingdom of God,1973年,159-60)

  • 祈りの中で感謝を述べると,与えられている祝福について家族に教えることができるのはなぜでしょうか。

まとめ

感謝とは,個人や家族として,生活のあらゆる面に表すべき気持ちです。わたしたちは天父から多くの祝福を受けています。ですから,常にその祝福を感謝することが大切です。わたしたちが天父や人々に感謝を示すならば,子供たちの心に感謝の思いを育むことができます。そして家族の愛がいっそう深まるのを感じるでしょう。天父はわたしたちに次のような約束を与えておられます。「すべてのことを感謝して受け入れる者は,栄光を与えられるであろう。また,この世のものも百倍,いやそれ以上,加えられるであろう。」(教義と聖約78:19

チャレンジ

自分の力になってくれる人(友人,教師,神権指導者,両親,家族,修理屋など)に感謝を示す方法について考える。

家庭の夕べの時間に感謝について話し合う。子供たちが感謝を示せるように助ける。家族の祈りの中で,これまで以上に感謝を述べるようにする。

感謝したいと思う人を一人選び,今週中に行動を通して感謝を示す。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 黒板とチョークを用意する。

  2. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。

画像
十人のらい病人

35-a 十人のらい病人 ©Providence Lithograph Co.