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第31課 決断


第31課

決断

目的 賢明な決断を下せるようになる。

なぜ決断を下さなければならないか

「『もっと速く行けないの。』わたしは買ったばかりの中古車に乗って,どこまでも続く砂利道を見詰めながらじれったそうに言いました。

『なぜそんなに急ぐの。』母は笑いながら,かまうように言いました。

『靴を買いたくて待ち切れないのよ。』わたしはとても興奮していました。それと言うのも,靴を買いに行くのは1年ぶりだったからです。

わたしの家から大きな店のある町まで6.5キロほど離れていたので,町に着くまで気が遠くなるようでした。

わたしは,車が店の所に着くなり急いで飛び出して,店に駆け込みました。そのとき,ある靴が目に止まりました。傾きかげんに置かれた中央のたなの上に,目の覚めるような深紅の靴が銀製の台に載せて並べられていました。わたしは立ち止まって,思わず息をのみました。その色の美しさといったらありません。サンダルタイプのひももすてきでした。……

わたしは後ろから来た母の手を引いて,まっすぐそのたなの前まで歩いて行きました。

『これにしてもいい?』わたしはせがむように言いました。母は,しばらく靴をながめ回した挙げ句,こう言いました。

『実用的じゃないわね。』

『大切にするわ。ねえ,お願いだから。』わたしは必死に頼みました。

店員が出てきて,わたしのサイズを計りました。

『この靴は半サイズ小さいですね。今ここには,これ1足しか置いてないんですよ。』それを聞いたわたしがあまりがっかりした顔をしたので,店員はあわててこう言いました。『でも,この手の型は普通の靴よりも少し融通が効きますから,よろしければ履いてごらんになりますか。』……

母は,今はちょうどよい大きさでもすぐに履けなくなるのだから,少し大きめの靴を買うようにと言って,わたしを思い止まらせようとしました。……

履いてみるとつま先からかかとまできつく感じましたが,それでも割合すんなりと履くことができました。わたしは立って,うっとりと靴を見ていました。

『これにしてもいいでしょう。』きつめのひもも少し履けば伸びると思って尋ねました。

靴は見たところ,それ程小さいという感じはじませんでしたが,母は成長期のわたしには,もう少しゆとりのある靴の方がよいと思っていたようでした。……

わたしは,母が向こうへ行ってわたしの足に合いそうな茶色の靴を持ってきたのを見て,……内心がっかりしました。

『この靴を履いてごらんなさい。その後で自分の好きな方を選んだら。』

わたしはとてもうれしくなりました。今まで自分で決めたことはありましたが,こんなに大切な決断を下すことは一度もなかったのです。……

わたしは,赤い靴と比べて履き心地がよいかどうか試すために,茶色の靴に片足を通して,ベルトを留めてみました。両方の靴の長所と短所を公平に判断しようと思ってしばらく考えました。茶色の靴は長く履けるし,履き心地もよいけれど,色がどこにでもある茶色で,デザインはありきたりだし,今までの靴と大して変わらない型でした。それに引き替え,赤い靴は見栄えがしました。それに,今までとは違ったデザインの靴を履きたい気持ちもありました。……サイズから言って明らかに小さいのですが,1日や2日ぐらいなら痛くても我慢できると思い,……わたしは最終的に赤い靴を選びました。……

それから2日間,辛抱してその靴を履いた結果,とうとう両足に靴ずれができてしまいました。足の痛みは次第に激しさを増しました。……

そのうち,痛みに耐えられなくなってしまいました。わたしは目に涙をため,赤い靴をしっかりと持って母の所に行きました。唇が震えてしかたがありませんでしたが,それでも泣くまいと心に決めていました。……ちょっと立ち止まって平静を取り戻そうと努めてから,言う言葉を考えました。

ところが母の前に出たわたしは思わず,『きつすぎて靴ずれができちゃったの』と正直に言ってしまいました。

わたしは母の返事を聞いて,返す言葉がありませんでした。母はこう言ったのです。

『人はいつも正しい決断を下すとは限らないわ。判断を誤るとそのときは苦しくても,その経験を生かして,次にはもっとよく判断できるようになるものよ。』」(レナ・マエ・ハンセン,“A Pinch of Hurt,” New Era,1977年3月号,49-50)

  • この少女はどのような教訓を得ましたか。

  • この母親は,娘に決断を下すことについて学ばせるために,何をしましたか。

  • あなたはどのような事柄について,子供が自分で決断を下せるように助けますか。

賢明な決断が下せるように子供たちを教えることは,両親に与えられた責任の中でも特に重要なものです。

賢明な決断

スペンサー・W・キンボール大管長は次のように述べています。

「わたしたちは,教会の青年男女が自分たちには1回だけ,ある決意をする必要があるということを,これまで以上によく認識できるよう手助けしたいと思っています。わたしは以前この説教壇から,自分がまだ若いころに,ある決意をしたという話をしたことがあります。その決意はわたしにとってきわめて大きな助けとなりました。それ以来,年がら年中,決意をする必要がなくなったからです。わたしたちは一度,あることを片付けてしまえば,もう二度とそれにはかかわる必要がなくなります。ただ一度決意をするだけで,それを生活の中に取り入れ,さらにわたしたちの特性とすることができます。そうすればわたしたちが何をし,何をしないか何百回も思い悩み,再三再四決定する必要はなくなるのです。

優柔不断な態度や落胆した態度は,悪魔が付け入る格好の材料です。悪魔は,そのような状況にある人々の中から,数多くの犠牲者を引き出すことができるからです。皆さんがまだそうした決意をしていなければ,今,決心するよう心に決めてください。」(「少年は身近に英雄を必要としている」『聖徒の道』1976年8月号,359)

  • なぜ賢明な決断をすることを学ぶ必要があるのでしょうか。

わたしたちは毎日多くの決断を迫られ,判断の難しさも様々です。中には,それほど重要でないものもあれば,結果が永遠の生活にかかわるようなきわめて重要なものもあります。

わたしたちに物事を決断する機会があるのは,選択の自由という権利が与えられているためです(第2課『選択の自由と個人の責任』参照)。この賜物には,決定した事柄に対する責任が伴っています。ですから,決断の結果について真剣に考えることが大切です。

  • すべての人がしなければならない決断には何がありますか。答えを黒板に列記する。

  • その結果としてどのようなことが起こるでしょうか。決断する事柄の横に考えられる結果を列記する。

  • 列王上18:21を読む。

  • 神の戒めに従う決意をすると,ほかの決断を下す場合にどのように役立ちますか。(神の戒めに従うことを決意すれば,必要なのは主の御心を知ることだけであり,それによって多くの事柄は決まってしまう。主の標準に照らして決断できるようになる)

  • 教会員となるという決意は,ほかの決断にどのような影響を及ぼしますか。(教会の律法と標準を受け入れ,福音の原則の下に決断するようになる)

若いころから基本的な事柄を決めておけば,多くの日常的な問題について一々決断しなくてもすみます。例えば,知恵の言葉に従って生活する決心がついていれば,目の前にたばこやアルコール性飲料を差し出されても迷うことはないはずです。

  • いったん決心しておくと,ほかの物事を決める場合に迷わなくてすみます。その基本的な決心にはどのようなものがありますか。(正直,純潔,神殿結婚)

多くの場合,若いころ決断した事柄は永遠にわたって人に影響を及ぼします。若人にとって最も大切な決断の一つは,だれを伴侶にするかでしょう。したがって,デートについての決定は特に重要と言えます。

  • 伴侶を選ぶ際に,どのようなことを基準に決断しなければならないでしょうか。(活発な教会員,家族の面倒見のよい人,子供を愛する人,伝道の経験者,よく祈る人)

  • 若い女性が賢明で御心にかなう決断をする方法について学ぶ必要があるのはなぜですか。

「わたしたちは絶えず……決定をしていて,その結果が人生の成功や失敗を決めます。そこで,決断の時がやって来る前に,あらかじめ予想し,進路を定め,少なくとも幾らかは備えをしていることが大事なのです。」(トーマス・S・モンソン「求む,仕上げ職人」『大会報告1970-72』313-14,1972年4月)

導きを受けて賢明な決断を下す

方法を考える

「決断を下すことは,恐らく人がなし得る最も重大な事柄でしょう。人が何かを決めるまでは,何事も起きないからです。」(エズラ・タフト・ベンソン,Family, Country: Our Three Great Loyalties,1974年145)賢明な決断を下せるようになることが大切なのは,このためです。賢明な決断をするには,考え得るかぎりの解決方法をすべて検討してみることです。その中には,事実を確実に把握し,考え出した解決法がもたらす結果を推測,評価することが含まれます。

十二使徒定員会のエズラ・タフト・ベンソン会長は,次に挙げる6項目を判断の基準とするように提案しています。

  1. 自分の霊的,道徳的な成長を遅らせたり,損なったりしないでしょうか。

  2. 心の痛む悲しい思い出にならないでしょうか。

  3. 主の戒めや御心に反していないでしょうか。

  4. 個人や家族,組織に害を与えないでしょうか。

  5. その決断によって,よりよい人間になれるでしょうか。

  6. その行為は祝福をもたらすでしょうか。」(教義と聖約130:20-21参照)(God, Family, Country,151)

  • 以上の点を検討することは,賢明な決断を下すうえでどのように役立つでしょうか。

思いつくかぎりの解決方法とその結果を考え合わせた後で,いちばんよいと思われるものを選ぶ必要があります。この最後の選びが決断を下す際にいちばん難しいのです。

  • 決断を必要とする重要な問題を一つずつ挙げてもらう。それらを黒板に列記する。また,問題の解決方法と結果について話し合う。

主に尋ねる

導きを受けて賢明な決断を下すには,自分で努力するだけでなく,よく祈って考える必要があります。わたしたちは最もよいと思われる方法を選んだ後,最終的な結論を出す前に,主に尋ねなければなりません。

わたしたちは主に尋ねる以外に,夫婦,親子,教会員同士,あるいは友人同士で話し合い,助言を求めることも必要です。ほかの人々の経験を参考にして決断できるように,相談するべきです。また,聖文を読み,その中に記された人々の経験を白分の立場に置き替えてみることによって,問題を解決できる場合もよくあります。

十二使徒定員会のボイド・K・パッカー長老は,次のように提案しています。

「何か問題があれば,まず自分の心の中で考えてみてください。深く考え,分析し,熟考するのです。聖文を読み,その問題について祈るのです。わたしは,重大な決定は強制されるべきものではない,ということを経験から知っています。将来を見通してビジョンを持つ必要があります。……

毎日少しずついろいろなことについて深く考え,一時に数多くの重大な決定をせざるをえないような破目に陥らないようにしてください。……

問題を携えて主のもとへ行き,あなたに代わって決定をしてくださるよう主にお願いしていませんか。自分で考えて,啓示について読み,熟考し,祈り,そして自分で決定を下しているのでしょうか。

善悪をわきまえているのですから,その観点から問題を判断し,決定を下すことです。それから主に,その決定が正しいかどうかを尋ねるのです。」(「自立」『聖徒の道』1976年4月号,206-207)

  • 教義と聖約9:7-9を読む。

  • この聖句は,決断するときにどのような段階を踏むように教えていますか。(心の中でよく思い計る,決断が正しいかどうか知るために祈る)

  • どのようにして正しい決定であることが分かりますか。(「もしそれが正しければ,わたしはあなたの胸を内から燃やそう。それゆえ,あなたはそれが正しいと感じるであろう。」)

必要な段階をすべて踏んでもなお誤った決断をしているときには,主に尋ねることによってそれが分かります。

七十人第一定員会のローレン・C・ダン長老は,この点について次のような体験談を語っています。「今から数年前,重大な決断に迫られていたときのことを今でも覚えています。……わたしは非常に重要な職の誘いを受けていました。そこで,すべての段階を踏み……能力のかぎりを尽くして一つの結論を出しました。その結果,相手と会って,その話を断りました。ところがそれから半日の間,わたしは地獄の苦しみを味わいました。そして,自分の決断が正しくないことを主が教えようとされていると悟ったのです。おもしろいことには,わたしが断ったはずの人が電話をしてきて,もっとよい条件を改めて提示してくれました。条件はどうあれ,わたしが初めのときに決めていれば,こんなに苦しむことはなかったでしょう。わたしがこの例から伝えたいことは,最初の段階を踏んだ後にすべてを主の御手に任せるならば,そしてもしそれが誤った決断であるならば,行動に移すときに実に大変な苦労に遭うということです。主は何らかの方法で,わたしたちが御心にかなった方向へ戻れるように導いてくださるのです。」(Establish Divine Communication, Brigham Young University Speeches of the Year,1970年3月24日,4)

  • この話は,決断を下すときのどの段階を強調していますか。

  • 決断を下すときに,御霊による確認を受けることが大切なのはなぜですか。

マリオン・G・ロムニー長老は,教義と聖約9:7-9について次のように語っています。「これは,すべてについて応用できる一種の啓示です。人は人生において重大な過ちを犯す必要はありません。この方法に従えば,過ちを避けられるのです。わたしたちが敏感に感じ取るならば,この啓示はあらゆる行いに導きを与えるでしょう。」(Conference Report,1964年4月,125;Improvement Era,1964年6月号,506)

賢明な決断を量後まで貫く

主の導きを受けて賢明な決断を下したら,それを実行するという固い決意をしなければなりません。様々な圧力によって目標を見失ってしまうことがあるので,正しい決断には最後までやり通すという決意が必要であることを忘れてはなりません。わたしたちの決心をぐらつかせようとする人がいても,確固とした態度で接するべきです。

わたしたちは,次のような状態であってはなりません。「彼らは今,サタンによってあちらこちらに誘われている。まるでもみ殻が風に吹かれているようであり,また船が帆や錨のないまま,あるいは舵を取る手段のないまま波間に漂っているようである。彼らは,ちょうどその船のようである。」(モルモン5:18)わたしたちは決断した事柄を最後までやり通すという目的を持った生活をする必要があります。

次に挙げるのは,決心の強さを試され,それを乗り越えた若い女性の話です。

「若い女性のキャサリンは,夏の間,旅行クラブで勧誘の仕事をしようと思いました。この仕事に就けば,週末にはクラブの会員と一緒にカリブ海沿岸地方を巡ることができるのです。この魅力的な仕事に応募した彼女は,面接の最後でこう言われました。『もう一つだけ言っておきますが,あなたのスカートは長すぎますね。お客さんは若くてきれいな女性の勧誘に弱いんですよ。あと10センチは短くしてください。』キャサリンはこの仕事を断念しましたが,もっと価値あるものを得ました。……このような誘いを拒むことによって,キャサリンは小さな誘惑にも負けない強さを持つ女性として,心の中に新たに芽生えた霊的展望を大きく広げたのです。」(モーリン・ジェンセン・ワード,“Growing Up Spiritually,” Ensign,1975年12月号,55)

  • 固く決意した事柄をやり通すことは,人生にどのような方向性を与えますか。

  • 一度決めた事柄を確固として守るなら,どのような力を得ることができますか。

  • 確固とした態度は,将来物事を決定するうえでどのように役立つでしょうか。

まとめ

「『千里の行も足下に始まる。』(老子)この言葉は,万事において常に思慮深くあり,すべての問題を祈りをもって慎重に解決する必要があることを強調しています。また,事を急いで,かたくなな態度で,あるいは先を考えずに出した決定には,知恵も,安全も,保証もないことを教えています。愛に満ちた天父がわたしたちに与えようとしておられる最大の幸福,平和,成長を実現させるためには,千年の旅つまり永遠の旅が『1歩から始まる』ことを心に留めなければなりません。わたしたちはよく考えて慎重に,また祈りをもってすべての問題や選択,決断に当たるべきなのです。(リチャード・L・エバンズ,“With One Step,” Improvement Era,1961年8月号,604)

わたしたちは第1歩を踏み出す前に,その決断のもたらす結果を考えてみる必要があります。祈りによって賢明な決断を下したら,それをやり通す強い決意が必要です。

チャレンジ

家庭の夕べで決断の仕方についてのレッスンをする。その際,本課の要点をすべて家族で話し合う。

毎日決断している事柄について考える。主から導きを受けて賢明な決断ができるようになるにはどうしたらよいか考える。

ベンソン長老が提案した決断を評価するための6つの質問を黒板に書く。重大な決断を下す場合,教義と聖約9:7-96:22-23,それにこれらの質問を参考にする。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 『福音の原則』第8章「天父への祈り」,第22章「御霊の賜物」を読む。

  2. 黒板とチョークを用意する。

  3. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。