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第10課 神の王国を築く


第10課

神の王国を築く

目的 神の王国を築くために時間,才能,財産をささげる。

すべての人には時間,才能,財産が与えられている

十二使徒定員会のトーマス・S・モンソン長老は,奉仕と犠牲について次のように語っています。

「旧メキシコ出身のホセ・ガルシヤ兄弟は,貧しい家庭に生まれましたが,幼いころから信仰を育まれてきました。そして伝道の召しに備えていました。彼の推薦書が大管長のもとに届いたとき,ちょうどわたしもそこにいました。推薦書には次のように書かれていました。『ガルシヤ兄弟が伝道に出るのは,家族にとって大きな犠牲です。彼は家族の生活を支える働き手です。彼の持ち物はただ一つ,宝物のように大切にしている切手のコレクションしかありません。もし必要であれば,彼は伝道のためにそれも喜んで売るつもりでいます。』

キンボール大管長はこの言葉が読まれるのを注意深く聞くと,次のように答えました。『彼に切手を売るように言ってください。この犠牲は彼にとって大きな祝福になるでしょう。』」(「宣教師の信仰」『聖徒の道』1979年2月号,83,94参照)

わたしたちは教会員として,地上に神の王国を築く責任が与えられています。神の王国とは末日聖徒イエス・キリスト教会のことです。わたしたちはこの責任を果たすとき,大きな犠牲を求められることがあるかもしれません。

  • 次のように自問してみてください:神の王国を建設するというこの偉大な業を進めるために,主はわたしに何を与えてくださっているだろうか。

天父はわたしたち一人一人に,時間と才能と財産を与えてくださいました。主は,これらの賜物を使って,教会の業をさらに進めるように望んでおられます。教会での奉仕は,自らの意志により,無報酬で行われます(2ニーファイ26:31参照)。すべての会員は,指導し,教え,支持し,参加するように求められています。与えられた時間や才能,財産を喜んで惜しみなくささげることによって,伝道活動を助け,王国を建設する業の一翼を担うことができるのです。

だれにでも1日24時間という時間が等しく与えられています。ブリガム・ヤング大管長は次のように言っています。「姉妹の皆さん……皆さんの時間は金と同じ価値を持つと考えてください。時間は確かに富です。……このことを心に留めましょう。腕組みをして椅子にもたれ,時間を浪費することのないようにしてください。地上に神の王国を建設するためにできることをすべて行うのが,男女を問わず,すべての人に与えられた義務だからです。」(Discourses of Brigham Young,ジョン・A・ウィッツオー選,1954年,214)

  • 教師または指導者の責任を受けている一人の生徒に,召しを果たす際の時間の管理について話してもらう。

  • 神の王国を築くために,時間をより賢明に用いるにはどうしたらよいでしょうか。

わたしたちはまた,神の王国を建設するために才能と財産が与えられています。これらは天父から与えられた貴い賜物です。

ブリガム・ヤング大管長は次のように勧告しています。「神の王国建設のために何かをささげるときには,自分の持つ最高のものを差し出してください。神の王国にささげなければならない最高のものとは何でしょうか。それは神から与えられた才能です。能力のかぎりを尽くして神の王国を築くために努めましょう。そうすれば,それを完全に果たすことができるでしょう。」(Discourses of Brigham Young,445)

タバナクル合唱団の指揮者ジェロルド・D・オトリー兄弟の妻,ジョアン・オトリー姉妹は次のように語っています。

「主は夫とわたしに音楽の才能を与えてくださいました。わたしたちはこの才能を伸ばすために,大半の時間を勉学に費やしてきました。また才能を用いることに関して,何度も決断を迫られました。ヨーロッパに留学していたとき,特に重大で難しい決断を下す必要がありました。そのままヨーロッパにいれば,多くの機会に恵まれて成功できることが分かっていました。しかし,わたしたちは何よりも主の望まれることをしたいと思っていました。主に従順でいることと,それ以上に,主の御手に使われて地上に神の手国を築く助けをすることを心から願っていました。

わたしたちは御霊の導きを求めて,また主の御心を知るために,繰り返し断食して祈りました。その答えを受けたのは,断食期間の最後に出席した聖餐会のときでした。二人とも,本国で働くべきであるという同じ導きを御霊によって受けたのです。それで合衆国に戻ることになりました。

それからの何か月間は,勉学,準備,そして試練のときでした。その後,主はわたしたちがソルトレーク・シティーに戻れるようにしてくださいました。わたしはタバナクル合唱団の一員になり,夫はユタ大学の音楽部に籍を置きました。

夫が大管長会からタバナクル合唱団の指揮者としての召しを受けたのは,それから間もなくのことでした。主はまさに,特別な奉仕のためにわたしたちを備えてこられたのです。

わたしたちの時間や才能や財産は,自分のものではなく,すべて主のものです。この地上で得られる最大の喜びは,神の王国を建設するためにそれらを役立てることなのです。」(“The Apples in a Seed,” in Turning Points,1981年,23-29)

  • オトリー姉妹の話の中で,二人は主に従順であること以上に,主の御手に使われることを願いましたが,それはどういう意味でしょうか。オトリー夫妻はどのようにして,主が二人の才能を使ってしようとしておられることを知りましたか。わたしたちは自分の才能を使って何をするように主から期待されているでしょうか。それを知るには,どうすればよいでしょうか。

  • 視覚資科10-a「金持ちの青年に永遠の命を得る方法について語られるイエス」を見せる。

『新約聖書』の話の中で,ある青年がイエスに「永遠の命を受けるために何をしたらよいでしょうか」と尋ねました。イエスは彼に,戒めを守り,姦淫や殺人,盗み,偽証の罪を犯さず,父母を敬うように教えられました。青年は「それらの事はみな,小さいときから守っております」と答えました。

そこでイエスは言われました。「持っているものをみな売り払って,貧しい人々に施しなさい。……そして,わたしに従ってきなさい。」青年はその言葉を聞いて,悲しみながら去って行きました。彼には「たくさんの資産」があったからです(マルコ10:17-22参照)。

  • 個人の所有物の中で,神の王国を築くために役立てられるものには何がありますか。

だれにでも神の王国を築くために使える所有物があります。わたしたちは困っている人に食物や衣服を与え,家のない人に宿を提供することができます。また,什分の一やささげ物を納めるとき,神の王国の建設を助けています。時には主の業を推し進めるために,さらに多くのものを与えるように,あるいはもっと大きな犠牲を払うように求められることがあるかもしれません。ほとんどの人は,主の業のためにすべての資産をささげるようには言われませんが,もし求められることがあれば,喜んでそれに従うべきです。

何年も前のことですが,タスマニア島の聖徒たちは,ジョセフ・フィールディング・スミス大管長が南オーストラリア伝道部を視察中だと聞きました。謙遜で忠実な185名の聖徒たちは,スミス長老に彼らの教会堂を奉献してもらいたいと望みました。教会堂を主に奉献するには,負債をすべて返済しなくてはなりません。そこで彼らは2日間で返済に十分な金額(1万ドル以上)を集めました。聖徒たちは,神の王国を築くために喜んで自分の財産を犠牲にすることを示したのです。中には必要な資金を集めるために,土地や家具,その他の財産を売り払った人もいました。(ジェシー・エバンズ・スミス,“Now We Can Give the Building to the Lord,” Instructor,1962年6月,184-85)

十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老は次のように語っています。

「わたしたちはバプテスマの水の中で,主を愛し,主に仕え,戒めを守り,生活の中で神の王国のことを第一とすることを聖約しました。主はそれに対して,御父の王国における永遠の命を約束してくださいました。

犠牲の律法とは,わたしたちが所有しているすべてのもの……すなわち家屋,土地,家族などすべてのものを,必要であれば命までも,真理のために喜んで犠牲にすることです。

……所有しているものの多くを犠牲にするように求められる人は,ほとんどいません。……

しかし,……もしそうするように求められたなら,その律法に完全に従うことができなくてはならないのです。」(Conference Report,1975年4月,74-75;Ensign,1975年5月号,50)

  • 「生活の中で神の王国のことを第一とする」とはどういう意味ですか。(まず神の戒めを守り,主の業のために働く。そうすれば,他の価値ある目標をより効果的に達成できる)

神の王国を築くために時間,才能,財産を用いる

  • 神の王国を築くために,わたしたちは時間や才能や財産をどのように用いるように求められていますか。生徒の答えを黒板に書く。

主はわたしたちに多くのものを与えられたので,多くのものを期待しておられます。そして,わたしたちがこの地上において教会で奉仕することにより,時間や才能や財産を有効に使えるように,様々な機会を備えてくださいました。わたしたちは教会で奉仕するときに,人に仕える能力がさらに高められます。また,従順であることを自ら示し,自分自身と他の人々に喜びをもたらすことができます。

十二使徒定員会のブルース・R・マッコンキー長老は,神の王国を築く方法について次のように語っています。「隣人に警告の声を上げ,伝道に出て全世界に住む御父の子供たちに救いの真理を宣べ伝えることは,わたしたちの特権です。わたしたちは教会で数多くの責任に就いて……奉仕することができます。……さらに福祉計画で労働奉仕を行い,系図の探究に励み,神殿で儀式に参加することもできます。

また,什分の一を正直に納め,断食献金,……宣教師基金などを納めることもできます。」(Conference Report,1975年4月,76;Ensign,1975年5月号,51)

わたしたちは教会員として,義にかなった多くのことを成し遂げるために力のかぎりを尽くすように期待されています。献身的な末日聖徒は,2マイルの精神を実践することによって,様々な奉仕の仕方を見いだしています。

ワードや支部から遠く離れた地に住むメキシコのビラフランカ姉妹は,自分の住んでいる地域に神の王国を建設する方法を見つけました。彼女は町にある自分の家を日曜学校の集会所として提供したのです。長老たちはそこで求道者のためのクラスを教えることになりました。そして数人の求道者を教え,バプテスマを施しました。6年後には,その地に会員数200名にものぼる支部が組織されたのです。(グレン・V・バード,“Miracle at San Fernando,” New Era,1977年1月号,28-29)

多くの宣教師は,経済的な援助を必要としています。忠実な聖徒たちはしばしば,資格ある宣教師に伝道資金の一部または全額を援助しています。七十人第一定員会のボーン・J・フェザーストーン長老は,自分の経験について次のように語っています。

「わたしがサンアントニオに着任して間もなく,ある長老が伝道本部にやって来ました。彼は大家族の出身でした。父親は息子の伝道費用を助けるために,パートタイムの仕事を見つけました。しかし,それでも足りないので,優しい母親が学校給食の仕事を手伝うことになりました。その仕事なら子供たちの帰宅時間には家にいられるからです。そうした努力にもかかわらず,この長老に送られてくる金額は毎月不足していました。ところで,わたしは親友の一人から,必要なときに使うようにと,数枚の100ドル紙幣を預かっていました。わたしはこの長老と面接をして,財政のことを尋ねました。すると彼は顔を曇らせて,『一生懸命に倹約して使っていますが,家族の送金ではどうしても足りません』と答えました。そしてこう言いました。『伝道部長,わたしは決して無駄遣いはしていません。倹約しようと思って,この3日間,何も食べていません。幼い妹までが,わたしを助けてくれます。誕生日にもらった1ドル札を,自分よりもわたしの方が必要だろうからと言って,封筒に入れて送ってくれたのです。』そう言って彼は泣き出しました。わたしはワイシャツのポケットから手の切れるような100ドル札を2枚取り出して,言いました。『実は,わたしの友人から,これをあなたに渡すように頼まれました。』するとその長老は,両手に顔をうずめて泣きくずれたのでした。」(「伝道の祝福」『聖徒の道』1979年2月号,37参照)

  • この家族は神の王国を築くために,各自の時間,才能,財産をどのように使いましたか。

割り当てを与えておいた姉妹に,才能を伸ばす方法を挙げてもらう。

ドイツ・ハンブルク伝道部のハノーバー地方部の教会員は,合衆国のアイダホ州の町が洪水に見舞われたとき,神の王国を築くために「2マイルの精神」を実践することに決めました。会員たちは,洪水の被害を受けた人々のために,定例の断食日のほかに特別に日を定めて断食しました。またアロン神権と若い女性の青少年たちは,休日を1日返上してアルバイトをし,洪水の義援金に充てました。(“Germans Aid Idahoans,” Church News,1976年8月14日付,10)

ある家族は,自分たちの死後に財産や所有物の幾分かを教会に寄付するという遺書を作成しました。この寄付金は,伝道活動,教会堂や神殿の建築,そのほか神の王国を建設する価値ある活動の資金に充てることになっています。この家族の父親は,家族が「2マイルの精神」を実践したいと望んでいることについて,次のように語っています。「わたしたちが所有しているものは,すべて主のものです。自らの意志で財産の一部を神の王国建設のために差し出すことは,時間や才能,財産を主の業のためにささげるという聖約の中に含まれると,わたしには思えるのです。」(アイザック・M・スチュワート,“I Have a Question,” Ensign,1975年8月,23-24)

まとめ

わたしたちは神の王国の建設を助けるという責任が与えられています。それを果たすために,時には個人的な犠牲を払わなければなりません。しかし,イエスはこう約束されました。「だれでもわたしのために,また福音のために」犠牲を払う者は,「その百倍を受け……また,きたるべき世では永遠の生命を受ける。」(マルコ10:29-30)わたしたちはこの祝福を得るために,自分の時間や才能や財産をどのように使うか,毎日選択していく必要があります。

チャレンジ

神の王国を築くために犠牲を払うことの大切さについて家族と話し合う。主によく仕えることができるように,時間の賢明な使い方を学ぶ。神の王国を築くために,自分の時間や才能,財産をどのように役立てられるか知るために,断食して祈るとよい。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 『福音の原則』第34章「才能を伸ばす」を読む。

  2. 黒板とチョークを用意する。

  3. 『福音の原則』第34章に記されている才能を伸ばす方法を列挙するように,一人の生徒に割り当てる。

  4. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。

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イエスと裕福な若い男性

10-a 金持ちの青年に永遠の命を得る方法について語られるイエス © Providence Lithograph Co.