インスティテュート
常に御霊を伴侶としなければならない


常に御霊を伴侶としなければならない

2003年 2月7日,「ゴードン・ B・ヒンクレー大管長との夕べ」での説教

兄弟姉妹の皆さん,皆さんのすばらしい奉仕に感謝し,称賛いたします。皆さんの多くは並並ならぬ犠牲を払っています。皆さんは若人の生活にすばらしい貢献をしています。しかし,わたしたちはもっと貢献しなければなりません。

あまりにも多くの生徒たちが霊的に弱くなってきています。確かに,ふさわしい備えをして伝道に出たり,神殿に参入したりする人は大勢います。しかし,伝道や結婚が失敗に終わったというかつての教え子たちの名前や顔を思い浮かべるとき,わたしたちの心は非常に痛みます。

一人でもそのような悲劇を味わわせてはいけません。つい5年前まで生徒たちが直面していた問題や誘惑は,今の状況に比べれば大したものではありませんでした。しかし,もっと困難な時代が前途に横たわっています。わたしたちがこれまでしてきたことや,現在の取り組み方では不十分なのです。生徒の心と生活に福音をしっかり根付かせる,より大きな力をわたしたちは必要としています。

神は常にわたしたちに必要な助けを用意しておられます。神はわたしたちが教える力を増し加えられるように,多くの手段を用いられます。わたしは神が望んでおられることを全て知っているわけではありません。神が今後求められることは,目新しいことではないでしょう。つまり,神が常に求めてこられたことに対して,さらによい働きをするということです。

わたしたちがしなければならない最も肝要なことは,よく知られた聖句の中に簡潔に記されています。教義と聖約第42章の聖句です。「御霊は信仰の祈りによってあなたがたに与えられるであろう。そして,御霊を受けなければ,あなたがたは教えてはならない」(教義と聖約42:14)。

御霊を得る方法を知ることがなぜこれほど大切なのか,ご理解いただけると思います。生徒たちが,世にあって汚れなく平安に暮すためには,福音と神の言葉についての知識以上のことが必要となります。すばらしい組織や心を鼓舞する歴史,偉大な教会指導者について知っているだけでは不十分なのです。生徒たちは大きな誘惑と試練に直面しても,主の戒めに従うことを選ばなければなりません。彼らはイエス・キリストを信じる信仰からそのようにしなければなりません。そして信仰は,御霊による証を通してのみ得られるのです。

力を持って教えるためには,御霊を常に伴侶としなければなりません。皆さんの生徒も,御霊を伴侶としなければ霊的に生き長らえることはできません。わたしたちにはお互いに,御霊の力を受ける権利があります。それには,信仰を込めて祈ることや,戒めに対して従順になることが求められます。何度も祈る必要のある人もいるでしょう。誰もがもっと信仰を持たなければなりません。御霊がともにいてくださるという揺るぎない確信を持つ必要があります。それは生徒たちも同様です。わたしたちは,教えるときや生活を送るときに御霊が導いてくれるという確信を持って祈らなければなりません。このような信仰には決意が伴います。御霊を求めて祈るとき,わたしたちは御霊の導きに従うことを決意するのです。

わたしたちの信仰が十分であり,いつも従順であることを主が確信されるとき,主は御霊を送って,わたしたちにもっと明確にもっと頻繁に教えてくださいます。信仰の祈りには,従うという決意が常に含まれます。従順は,最終的には,イエス・キリストの贖いを通して,わたしたちがこの世では平安を,後の世では永遠の命を得るのに必要な人格の変化を生じさせてくれます。神はわたしたちに,また生徒たちにそれを求めておられるのです。

このようにすれば,皆さんは御霊からさらに力と導きを受けられるようになります。今後,皆さんは御霊をもっと受けられるようになるのです。皆さんの祈りは,もっと心のこもったものとなり,従おうという決意は増し,不穏な時代にあって,御霊が平和をもたらす事柄を教えてくれることを知るでしょう。また,贖いが,生徒の心に変化をもたらすことを確信するでしょう。生徒が力と幸福を増し加えていく姿は,皆さんにとって喜びとなります。

父なる神は生きておられます。御子は救い主です。ジョセフは預言者であり,ゴードン・ B・ヒンクレー大管長は生ける預言者です。信仰の祈りにより,神の声に耳を傾けるなら,御霊が注がれるでしょう。イエス・キリストの御名によって,アーメン。