インスティテュート
御言葉の力


御言葉の力

『聖徒の道』1986年7月号,79-82より抜粋

現代は大きなチャレンジの時代です。この時代について主は「平和が地から取り去られ,悪魔が自分の領域を支配する力を持つ時」と語られました(教義と聖約1:35)。また黙示者ヨハネはこの時代についてこのように預言しています。「龍は,女に対して怒りを発し,女の残りの子ら,すなわち,神の戒めを守り,イエスのあかしを持っている者たちに対して,戦いをいどむために,出て行った。」(黙示12:17)龍はサタンであり,女はイエス・キリストの教会を表わしています。証を持ち,戒めを守ろうとしている教会員に対して,サタンは戦いを挑んでいます。そして多くの教会員は忠実で堅固な信仰を持っていますが,揺らいでいる者もあり,倒れる者もあります。また,サタンとの戦いで聖徒が打ち負かされるというヨハネの預言を成就する者もあります(黙示13:7参照)。 ……

使徒パウロもまた現代を予見して,現代を多くの者が神をそしり,不正直で乱暴な者,無情で高慢な者,快楽を愛する者となる,と説明しています(2テモテ3:1-7参照)。またこのように警告しています。「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて,悪から悪へと落ちていく。」(2テモテ3:13

古代の預言者によるこのような恐ろしい預言は,もしこの同じ預言者が同時にその解決の道を示していないのならば,大きな恐怖と失望を招くことでしょう。彼らの霊感あふれた勧告の中に,わたしたちは現代の霊的な危機に対する答えを見いだすのです。

リーハイはその夢の中で,暗黒の霧の中で人々を導いてくれた鉄の棒を見ました。もし人々がその棒にしっかりとつかまっているならば,汚れた川を避け,禁じられた道へ踏み迷わず,破滅へと続く違った道へさまようことがないのです。後にリーハイの息子のニーファイは,鉄の棒の象徴についてはっきりと説明しています。レーマンとレムエルが「鉄の棒は何を意味するのか」と尋ねたとき,ニーファイはこのように答えました。「それは神の言葉であって,(次の約束に注目してください)だれでも神の言葉に聞き従って,それにしっかりつかまる者は,決して滅びることがなく,また敵対する者の誘惑や火の矢も,彼らを打ち破って盲目とし,滅びに至らせることはない……。」1ニーファイ15:23-24,強調付加)神の言葉はただ全てに勝る祝福へとわたしたちを導くだけではありません。わたしたちは神の言葉の中に,また神の言葉を通して,誘惑に打ち勝つ力,すなわちサタンとその使いの業を覆す力を見いだすのです。

パウロもリーハイと同じことを述べています。将来(彼にとっては将来ですが,わたしたちにとっては現在です)に起こる恐ろしい罪悪について描写した後,パウロはテモテにこのように述べています。「しかし,あなたは,自分が学んで確信しているところに,いつもとどまっていなさい。 ……

幼い時から,聖書に親しみ,それが,キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を,あなたに与えうる書物であることを知っている。」(2テモテ3:14-15;強調付加)

愛する兄弟の皆さん,これは現代のチャレンジヘの答えです。聖典,生ける預言者の言葉,そして個人の啓示の中に見いだされる神の言葉には,聖徒を強め,御霊で守る力があります。その結果,聖徒たちは悪に立ち向かい,善を固く守って,人生に喜びを見いだすことができるのです。 ……

…… 最近,わたしたちは何度も皆さんに勧告してきました。ある活動は他の活動よりも大きな霊的祝福をもたらします。1970年,ハロルド・ B・リー大管長は地区代表の集まりでこのように述べました。

「わたしたちの会員は,純粋で真理と英知に満ちた福音を渇望しているに違いない。……ところが全ての悪に対抗するよう主がわたしたちに与えられた最も力強い武器は,主御自身の言葉であり,聖典の中に見いだされる救いに関する単純明快な教義であることを忘れているかのように,思える人がいる。」(地区代表セミナー,1970年 10月, 6)

1976年の大管長会メッセージの中で,〔スペンサー・ W・〕キンボール大管長はこのように述べています。

「わたしたちはそれぞれ,少なくとも一生のうちでいつかは,自分の力で聖文を発見しなければならない。-それも一度だけではなく,何度も何度も再発見しなくてはならない。 ……

……主はこれらのものをいいかげんに与えられたのではない。なぜなら,『多く与えられた者からは多く求められ』るからである(ルカ12:48)。これらのものを手に入れるということは,それに対して責任を持たなくてはならないということである。わたしたちは主の戒めに従って聖文を研究し(3ニーファイ23:1-5参照),聖文に基づいて生活しなければならない。」(『聖徒の道』1985年12月号, 4-5参照) 

1982年4月,ブルース・ R・マッコンキー長老は地区代表たちに,わたしたちの働きにあっては聖典を優先しなければならないと語りました。「わたしたちは様々なプログラムや統計や傾向,土地や金銭などの財産,そして自分たちの優れた仕事が脚光を浴びるような目標を達成することにばかり捕らわれて,『より重要な律法の問題を見落としてしまっている。』……人はどんなに管理の腕があろうとも,どんなに雄弁に考えを述べることができようとも,またこの世の事柄についてどんなに博識であろうとも,もしそれなりの代価を払って聖典を研究し,よく考え,祈らなければ,受けられるはずの甘美な御霊のささやきの祝福も受けることはできないであろう。」(地区代表セミナー,1982年 4月2日, 1-2) ……

…… わたしたちはよくステークでの活動のレベルを高めようと,大変な努力をします。また聖餐会の出席率を上げるために一生懸命働きかけます。さらに宣教師の数や神殿結婚の数を増やそうと努力します。もちろんこうした努力は立派なことですし,王国の発展のために大切なことです。けれども,もし各個人や家族が定期的に続けて熱心に聖典を読むならば,これらの様々な領域の活動は自動的に成し遂げられます。もっと証が深まり,人々はさらに熱心に参加するようになるでしょう。家族が強められ,個人の上に啓示が注がれることでしょう。

預言者ジョセフ・スミスはこのように語っています。「モルモン書はこの世で最も正確な書物であり,わたしたちの宗教のかなめ石である。そして,人はその教えを守ることにより,ほかのどの書物にも増して神に近づくことができる。」(モルモン書「序文」強調付加)これこそわたしたちのワードやステークの会員に求めることではないでしょうか。神に近づくことこそわたしたちが望んでいることではないでしょうか。どうぞ,このすばらしい末日のキリストの証を熱心に研究するように,できる限りの方法を尽くして人々に勧めてください。

聖典を読み研究することは,主から課せられた重荷ではなく,すばらしい祝福の機会であることを,聖徒たちが理解するように助けなければなりません。 ……

兄弟の皆さん,主の御手より受けた偉大なる事柄を軽んじないようにしましょう。主の御言葉は主がわたしたちに与えられた最も大切な賜物の一つです。ぜひとも熱心に聖典を勉強してください。毎日聖典に親しみ,御霊の力を受けて召しを果たすようにしてください。家族の中で聖典を読み,子供たちに,聖典を愛し大切にするよう教えてください。そして祈りをもって,また他の人々の助言を受けながら,教会員があなたの模範に従うようにできるだけいろいろな方法で励ましてください。そうするならば,皆さんはアルマと同じように次のことが理解できるようになるでしょう。「御言葉を説き教えることは民に正しいことを行わせるのに大きな効果があり,まことにそれは,剣やそのほか,これまで民に起こったどのようなことよりも民の心に力強い影響を及ぼした……。」(アルマ31:5

アルマのように,わたしはイエス・キリストの御名によって皆さんに申しあげます。「神の言葉の力を使うのが望ましい」のです(アルマ31:5)。アーメン。