インスティテュート
福音を教える


福音を教える

『リアホナ』2000年1月号,93-97参照

教師の影響

全国的に有名なある文筆家が,自分にとって最も偉大な存在であった教師について1冊の本を著しました。この大学の教師が生徒に対して力強い影響を及ぼしたのは,生徒に確信を与えたからでした。この教師は,生徒に対して本当の関心を寄せ,生徒が幸福になるために役立つことを学び,実行してもらいたいと考えていることを確信させたのです。著者は次のような質問を投げかけて教師を称賛する言葉で結んでいます。「あなたは本当の教師に出会ったことがあるだろうか。磨かれていないあなたを見て,知恵によって磨きをかけるなら宝石のように大きな輝きを放つ原石であることを見抜いている教師に。もし幸運にもそのような教師に出会っていれば,あなたはいつでもその教師の元へ助けを求めに行けるだろう。」1 ……

教え方には様々な方法がありますが,優れた教え方は皆,一定の基本原則に基づいています。わたしは全てを完璧にお話しするのでなく,むしろ,福音の教授に関する6つの基本原則を挙げて,それらを説明したいと思います。

神と教える人々を愛する

最初は愛です。二つの表現があります。教える召しを受けるときに,わたしたちは永遠の父なる神と御子イエス・キリストを愛しているためにその召しを受け,そして教えるべきです。そのうえで,福音の教師は生徒を愛する気持ちで常に教えなければなりません。わたしたちは「この愛で満たされるように,……熱意を込めて」祈るようにと教えられています(モロナイ7:48)。わたしたちを奉仕に駆り立てる最も崇高な動機は,神に対する愛と神の子らに対する愛です。愛に基づいて教える人は,奉仕する対象となる人々にとって,神の御手に使われる者として大いに尊ばれることでしょう。

生徒の必要に焦点を当てる

第2は,福音の教師は,わたしたちが仕える主がされたと同様に,教えを受ける人に対して全身全霊を傾けることです。羊が必要としていること,つまり生徒のためになることに全神経を集中させるのです。福音の教師は自分のことを中心に考えたりしません。この原則を理解している人は「レッスンを提示すること」が自分の召しであるとは考えません。なぜならば,レッスンの提示に重点を置いた考え方は,教師の視点に基づいたもので,生徒の立場に立って教えるものではないからです。

生徒の必要に日を向けている福音の教師は,自分の立場を高めることに努めたりはしません。また,自分が関心を持っている事柄の知識を誇示してレッスンの焦点をぼかし,救い主に対する生徒の理解をあいまいにするようなこともしません。これは,福音の教師は決して祭司の偽善売教に身を任せてはならないという意味です。祭司の偽善売教とは「利益と世の誉れを得るために,説教をして自分自身を世の光とすること」です(2ニーファイ26:29)。福音の教師は「人望を得る」ために(アルマ1:3),あるいは「富と誉れを得ようとして」教えを説くようなことをしません(アルマ1:16)。彼らはモルモン書のすばらしい模範に従います。すなわち,「教えを説く者は聞く者よりも偉いわけではなく,教える者は学ぶ者よりも偉いわけではない」のです(アルマ1:26)。教師と生徒はともに主を仰ぎ見るのです。

正規の教師用手引きを使って教える

第3に,福音の優れた教師は正規の教師用手引きを使い,イエス・キリストの福音の教義,原則そして聖約を教えることに,最も力を注ぎます。このことは近代の啓示で戒めとして与えられています。主はこのように言われました。

「この教会の……教師は,聖書と完全な福音が載っているモルモン書の中にあるわたしの福音の原則を教えなければならない。

また,彼らは聖約と教会の規定とを守って実行しなければならない。また,御霊に導かれるままに,これらを彼らの教えとしなければならない。」(教義と聖約42:12-13参照)

福音の原則と「王国の教義」(教義と聖約88:77)を教えるように命じられている教師は通常,特定の規則や応用方法を教えることを慎むべきです。例えば,完全な什分の一とはどのようなことかを規定したり,安息日を聖く保つために行ってよいこと行ってはならないことの一覧表を作って教えたりするようなことをしません。教師が聖文と生ける預言者から教義とそれに関連する原則を教えたら,その後の具体的な応用方法や規則については通常,個人や家族の責任となります。

規則を与えるより,教義と原則を十分に教える方が,行動に対しはるかに大きな影響力を及ぼします。わたしたちは福音の教義と原則を教えると,教えを承認する御霊の証と導きを受けることができます。そして,生徒が信仰を行使して,それらの教えを個々の生活で応用するときに同じ御霊を求めるよう奨励します。 ……

わたしは定員会と扶助協会を訪問したときに,『歴代大管長の教え』の提示のしかたと受け止め方に全体としては満足し,感動を受けました。けれども,決められた章を通り一ぺんに触れただけで,残る時間を使って教師が選んだ資料からレッスンを提示し,話し合いを展開している教師に出会うことが時々ありました。これは正しいことではありません。福音の教師が召されているのは,レッスンのテーマを自由に選ぶためではなく,指定された事柄を教え,話し合うためです。福音の教師は自分の気に入ったテーマや個人的な憶測,異論のあるテーマを避けるように注意しなければなりません。この点に関して主の啓示と僕たちの指示は実に明確です。福音の教師は「招待客」であると語ったスペンサー・ W・キンボール大管長の偉大な教えを心に留める必要があります。

「彼は正式な地位を与えられ,承認の印が押されているのです。彼から教えを受ける人々は,正式に選ばれ支持されているので教師が教会を代表しており,教師が教える事柄は教会の承認を受けていると考えることができます。教師はどれほど聡明であろうとも,どれほど多くの真理を見いだしたと考えても,それらに関係なく,教会のプログラムを飛び越えて行く権利を与えられているわけではないのです。」6

レッスンの準備と教授を効果的に行う

第4,福音の教師は最も効果の高い手段を使って決められたレッスンを実施するために熱心に準備し,努力します。 ……

御霊によって教える

福音を教える第5の基本原則として強調したいのは,福音の教師は「わたしの福音の原則を教えなければならない。……また,御霊に導かれるままに,……そして,御霊を受けなければ,あなたがたは教えてはならない」という先に引用した主の戒めです(教義と聖約42:12-14)。個人の都合や力量に基づいて数えることをかたくなに求め,決めるのでなく,教える事柄が御霊によって導かれ,確認されるまでに高められた弟子となることを追求するのは福音の教師の特権であり,義務です。新しい『教会指導手引き』に記されている「福音の教授と指導」の章に記されているすばらしい原則には以下の事柄が含まれています。

「教師および生徒は,レッスン中に御霊を求めるべきである。深遠な真理が教えられ,生徒たちは興味深い話し合いを行うかもしれないが,御霊がおられなければ,これらの事柄が強く心に刻まれることはないであろう。 ……

福音を教えるに当たって御霊がともにおられるとき,『聖霊の力が〔メッセージを〕人の子らの心に伝える。』(2ニーファイ33:1)」7

御霊によって教えるという戒めがもたらす結果について語ったヒンクレー大管長は,次のようなチャレンジを与えました。

「わたしたちは教師に……書物からでなく,心の底から語ることによって,主とこの大切な業に対する愛を伝えさせなければなりません。すると教師の教えは,教えを受ける人々の心に火をともすのです。」8

これがわたしたちの目標です。すなわち,神の愛とイエス・キリストの福音に対する献身によって,教えを受ける人々の心に「火をともす」ことです。

相手を助けるように教える

この延長線上に,第6の原則,最後の原則があります。福音の教師は教えがもたらす結果に関心を抱きます。そのような教師は,自分の教えと証がもたらした成果を,生徒の生活にどのような感化を及ぼしたかによって測ります。9福音の教師はメッセージを伝えたり,教えを説いたりするだけで満足することは決してありません。優れた福音の教師は主の子らに永遠の命をもたらす主の業を助けることを願います。

ハロルド・ B・リー大管長はこのように述べています。「福音の教師の召しは世界中で最も高貴なものの一つです。良い教師の異なる点は,少年少女,成人男女の生活を変え,その最も気高い使命を果たすよう霊感を与えることです。ダニエル・ウェブスターは教師の大切さを,美しくも次のように表現しています。『大理石に手を加えても,それは壊れてしまう。真鍮に細工しても,時とともに削られる。しかし死ぬことのない心に手を施し,原則をしみ込ませ,神への正しい畏れと隣人への愛を浸透させるならば,それは永遠に輝きを放つ板に刻み込むことになるのだ。』」10

わたしはこれが神の業であり,わたしたちは神聖な責任を有する主の僕であることを証します。その責任とは,あらゆる時代を通して,最も偉大なメッセージであるイエス・キリストの福音を教えることです。わたしたちはこのメッセージを伝えるにふさわしい教師をさらに必要としています。わたしたちが皆,優れた福音の教師になるように,イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

  1. ミッチ・アルボム,Tuesdays with Morrie(1997年),192 ……

  2. The Teachings of Spencer W. Kimball, エドワード・ L・キンボール編(1982年),301

  3. Church Handbook of Instructions, Book 2: Priesthood and Auxiliary Leaders(1998年),300

  4. Teachings of Gordon B. Hinckley(1997年),619-620

  5. ヘンリー・ B・アイリング「教義を教える力」『リアホナ』1999年7月号,86-89参照

  6. The Teachings of Harold B. Lee, クライド・ J・ウィリアムズ編(1996年),461