宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的
    脚注

    1

    目的

    イエス・キリストの福音の教師には,神聖な信頼が置かれている。彼らの目的は,単にレッスンを教えることだけにとどまらない。ダリン・H・オークス長老は次のように述べている。「福音の教師はメッセージを伝えたり,教えを説いたりするだけで満足することは決してありません。優れた福音の教師は主の子らに永遠の命をもたらす主の業を助けることを願います。」(「福音を教える」『リアホナ』2000年1月号,96)

    「宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的」は,主の業を助ける働きに関して教師と指導者に明確な指示を与えるものである。

    わたしたちの目的〔1.1〕

    わたしたちの目的は,以下のことができるよう,青少年とヤングアダルトを助けることです。イエス・キリストの教えとあがないについて理解しそれに頼る。神殿の祝福を受ける資格を得る。天の御父とともに永遠の命にあずかるため,自分自身と自分の家族と周りの人々を備える。

    天の御父は,御自分の子供たちのそれぞれが永遠の命を得ることを望んでおられる(モーセ1:39参照)。救い主は次のように教えられた。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」(ヨハネ17:3)したがって,宗教教育が焦点を当てているのは,生徒が天の御父と御子イエス・キリストを知って愛するように助けること,また救い主の教えと贖いについて理解しそれに頼るように助けることである。

    イエス・キリストのしょくざいは,救いの計画の中心を成すものである。その基本的な真理の上に福音の教義と原則が打ち立てられている。イエス・キリストの贖罪がすべての福音を教え学ぶ中心でなければならない。ボイド・K・パッカー長老は次のようにあかししている。「(贖罪は)キリスト教の教義の根本です。皆さんは枝が茂った木のように福音に対する知識は豊富かもしれませんが,もし枝葉の部分しか知らず,しかもそれが根に関係のない,真理から離れたものであるならば,そこに命も実質も贖いもありません。」(「仲保者」『聖徒の道』1977年10月号,488)

    生徒は,イエス・キリストについて学び,イエス・キリストの教えと模範に従い,自分の生活の中にイエス・キリストの贖罪の効力を及ぼすとき,強さを得,ゆるしといやしと改心を経験する。ヘンリー・B・アイリング管長は次のように教えている。

    「わたしたちは目標をより高く持たなければなりません。登録,定期的な出席,卒業,聖文の知識,聖霊が真理を確認してくださるのを感じる経験など,これまで掲げてきた目標を保たなければなりません。さらに,伝道地と神殿を目指さなければなりません。しかし,生徒には,生徒である間に必要なものがもっとあります。……

    イエス・キリストの純粋な福音が,聖霊の力によって生徒の心に植え付けられなければなりません。……わたしたちの目標は,彼らがわたしたちと一緒にいる間に,イエス・キリストの回復された福音にほんとうに帰依するようにすることです。」(“We Must Raise Our Sights”〔モルモン書に関するCES大会,2001年8月14日〕,2)

    真の改心は,イエス・キリストの福音がもたらす最高の祝福に至るものである。最高の祝福は神殿の儀式によって得られる。生徒は神殿の聖約を忠実に交わしてそれを守るとき,昇栄と永遠の命を含むそれらの祝福にあずかる資格を得る。霊的な強さが加えられ,より大きな平安を与えられ,さらに個人の啓示を受けるであろう。

    Dieter F. Uchtdorf

    生活の中心を救い主と神殿に置く生徒は,世の誘惑と欺きに対してより大きな守りを得ることができ,また天の御父から求められるすべてのことを成し遂げる,より良い備えをすることができる。永遠の命に至る道に確固としてとどまる強さを得ることができ,また自分の家族とほかの人々が同じ弟子の道を見いだし,従えるように,より良い助けを与えることができる。

    生活する〔1.2〕

    わたしたちはイエス・キリストの福音に従って生活し,たまはんりょとするため懸命に努力します。〔1.2.1〕

    生徒が「セミナリー・インスティテュートの目的」の項で概説されている目的を達成するのを助ける際に,教師ができる最大の貢献の一つは,イエス・キリストの福音に一貫して忠実に従うことである。教師は,キリストのような人格をはぐくむように努力し,また自分の人生のあらゆる面で天の御父を知り,御父に喜ばれるように努めるとき,神聖な力を祝福として与えられる。その力は,生徒が福音のメッセージをどのように受け入れ,理解するかに影響を及ぼすであろう。

    教師は,福音に従って忠実に生活するとき,聖霊を伴侶とする資格を得る。この聖霊を伴侶とすることは,教師がセミナリーとインスティテュートで立派に務めを果たすうえできわめて重要である。教義と聖約の中で,主は次のように強調しておられる。「御霊を受けなければ,あなたがたは教えてはならない。」(教義と聖約42:14)ロバート・D・ヘイルズ長老は次のように述べている。「宗教教育セミナリー・インスティテュートにおける教師の責任は数多くありますが,これらの責任を果たすために,教師はまず,個人の義を確立するように努めなければなりません。教師として,常に御霊がともにいてくださるように,福音に従って生活しなければなりません。」(“Teaching by Faith”〔ロバート・D・ヘイルズ長老との夕べ,2002年2月1日〕,1)

    わたしたちは,家庭,教室,地域社会にあって,行動においても人との交わりにおいても模範となります。〔1.2.2〕

    教師は,高潔な生活をし,自分が教える教義と原則にふさわしい模範となる責任がある。あらゆる状況で,主を愛し聖霊を伴侶とする人が行うように,語り,仕え,生活しなければならない。

    最も重要なのは,自分の家の人目に触れない所でどのように行動するか,また伴侶と子供にどのように接するかである。「説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により」この最も重要な関係が保たれていなければならない(教義と聖約121:41)。エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように述べている。「夫婦として皆さんの関係がすばらしいものであるようにと願っています。皆さんの家庭に平安と救い主の愛があり,皆さんの家庭を訪れるすべての人がそれを感じるようにと願っています。皆さんの家庭に口論や不和があってはなりません。……皆さんは,行うすべてのことと皆さんがどう見えるかで,夫婦として大管長会を代表しているのです。」(“The Gospel Teacher and His Message”CES宗教教育者への講話,1976年9月17日〕,7)

    Neal A. Maxwell

    教師は教室で,慈愛,忍耐,優しさ,尊敬,神聖なものを敬うことなど,キリストのような特質を表す機会が毎日ある。教師は,生徒と良好で適切な関係を維持しなければならない。しかし,特定の人に優しくしすぎて誤解を招いたり,憶測やうわさのもとになったりしないようにしなければならない。

    教師は,学校や地域や教会の活動や行事に参加したり,出席したりする際に,キリストのような振る舞いをするように努めなければならない。親や同僚,宗務指導者,地域社会の人々と適切かつ協力的な関係を築き,維持するように努めなければならない。いつもこれらのことを行って,イエス・キリストの福音に従って生活するという純粋な心からの決意を示すと,人々の生活に良い影響を及ぼす力が増し加えられる。

    わたしたちは,絶えず自分の働き,知識,態度,人格を向上させるように努めます。〔1.2.3〕

    教師は神の子供として,神性の一部を内に備えている。それは,向上し,進歩し,もっと天の御父とイエス・キリストのようになりたいという望みを持たせるものである。教師は,絶えずこの望みを深め,また主とほかの人々の助けを得て,向上したいという気持ちをもって行動しなければならない。ゴードン・B・ヒンクレー長老は,個人として成長し続けることの必要性を強調して次のように述べている。

    「わたしは向上できると信じています。成長を信じています。……

    兄弟姉妹,あなたが30歳であろうと,あるいは70歳であろうと,成長し続けてください。」(“Four Imperatives for Religious Educators”CES宗教教育者への講話,1978年9月15日〕,2)

    向上するには,望みと熱意と忍耐が,また熟考と祈りによって求める主の助けが必要である。ヘンリー・B・アイリング長老は,自己改善について重要な原則を教えている。「ほとんどの人は,自己を改善するように努力した経験が多少はあります。わたしは自分の経験から,人々と組織の改善法について学びました。最も大切な注目すべき点は,わたしたちのよく行う事柄の中に小さな変化を起こしていくことです。着実に,また繰り返し行うことには力があります。変わるために適切な小さな事柄を選ぶよう霊感による導きを得ることができれば,従順であり続けることによって大きな改善がもたらされます。(“The Lord Will Multiply the Harvest”〔ヘンリー・B・アイリング長老との夕べ,1998年2月6日〕,3)

    セミナリーとインスティテュートで,教師は,絶えず自分の働き,知識,態度,人格を向上させるように努めなければならない。

    働き。教師は,教える責任と管理運営する責任における働きを向上させるようにいつも努めなければならない。基本的な原則と技術を理解し応用するようにバランスよく,着実に,熱心に努力することによってそれを行うことができる。セミナリーとインスティテュートの資料に,またスーパーバイザー,同僚,生徒,神権指導者,そのほかの人々に助けを求めることは,教師と指導者が自分の働きについてもっと正確な評価を得るのに,また最も必要な分野を改善するために必要な導きを得るのに役立つであろう。

    知識。教師は,聖典と預言者の言葉の背景と内容,ならびにそれに含まれている教義と原則を研究するように一貫して努めなければならない。そうするときに,救い主の福音としょくざいについての理解が増し,もっと生徒の人生に祝福をもたらすことができるようになるであろう。教師は,聖文ならびにセミナリーとインスティテュートの資料に含まれている原則と効果的な教授法について知識と理解を増すようにしなければならない。適切な管理運営の原則に精通し(7ページの第1.4項「管理運営する」を参照),またセミナリーとインスティテュートの方針と業務を理解しなければならない。

    Gordon B. Hinckley

    態度。教師の態度によって,かなりの程度,教師自身の幸せと生徒に良い影響を及ぼす能力が決まる。元気であるように絶えず努め(教義と聖約68:6参照),ほかの人々に仕えるように努め,一致を得ようと努力し,難しい状況で最善を尽くす教師は,かかわる生徒と同僚の人生に祝福をもたらすであろう。

    人格。福音に従って生活するように努力し,自分の働き,知識,態度を向上させるように一貫して誠実に努める教師は,「セミナリー・インスティテュートの目的」を達成するのを助けるために必要な人格が自然にはぐくまれるであろう。リチャード・G・スコット長老は次のように教えている。「わたしたちは,自分がそうありたいと願う人物になります。そのためには首尾一貫して毎日,自分がそうなりたいと願う人物であらねばなりません。義にかなった人格は,皆さんがなろうとしている人物が備えるべき大切な特質です。義にかなった人格は,今手にしているいかなる物質,学習によって得たいかなる知識,あるいはこれまでに達成したいかなる目標よりもずっと大切です。」(「本質を変える信仰の力と人格」『リアホナ』2010年11月号,43)

    結局,自分の働き,知識,態度,人格を向上させるように努めるときに大切なのは,イエス・キリストの模範に従うことである。ハワード・W・ハンター大管長は次のように述べている。「主イエス・キリストの教えと模範は,生活のあらゆる面でわたしたちの行動を形づくり,人格を形成し〔ます。〕それは,主のを冠した教会への献身にとどまらず,家庭,職場,地域社会などの多岐にわたる私生活にまで及んでいます。」(「神の証人になる」『聖徒の道』1990年7月号,64参照)

    教える〔1.3〕

    わたしたちは生徒に,聖典と預言者の言葉に見いだされるままの福音の教義と原則を教えます。〔1.3.1〕

    イエス・キリストの福音の教義と原則に関する知識,理解,あかしは,天の御父の御心みこころにかなう選択をする指針と十分な強さを生徒に与えるであろう。

    教義とは,イエス・キリストの福音の基本的な不変の真理である。ボイド・K・パッカー長老は次のように教えている。

    「真実の教義を理解すれば,人の態度や行動は変わります。

    福音の教義を研究することは,人の行動を研究することよりも,ずっと速やかに行動を改善する力があります。」(「幼き子ら」『聖徒の道』1987年1月号,18-19)

    リチャード・G・スコットスコット長老はこう強調している。「原則は真理を凝縮したものであり,異なった状況に広く応用できるものです。真の原則が分かれば,最も混乱した,またどうしようもない状況においても確信をもって決断することができます。」(「霊的な知識を得る」『聖徒の道』1994年1月号,97参照)

    聖典と預言者の言葉には,教師と生徒が理解し,教え,応用するように努めなければならない福音の教義と原則が含まれている。末日に福音を教える人々に,主は次のように指示しておられる。「『聖書』と完全な福音が載っている『モルモン書』の中にあるわたしの福音の原則を教えなければならない。」(教義と聖約42:12)主はまた,末日の預言者の教えを理解し,それに従うことの重要性を断言しておられる。「彼が……わたしの言葉と戒めを受けるとき,あなたがた……は,彼があなたがたに与えるそれらのすべてを心に留めなければならない。……あたかもわたし自身の口から出ているかのように,彼の言葉を受け入れなければならない。」(教義と聖約21:4-5

    scriptures

    1938年に,J・ルーベン・クラーク・ジュニア管長は,大管長会を代表して,セミナリーとインスティテュートの教師に歴史的な講演をし,次のように述べている。

    「皆さんがまず関心を払うべきこと,皆さんの最も大切な,また唯一の義務は,この末日に啓示されたままに,主イエス・キリストの福音を教えることです。皆さんは資料とし,典拠として,教会の標準聖典と,この末日に主の民を導くように神より召された人々の言葉を使って,この福音を教えなければなりません。……

    皆さんは職の高低にかかわりなく,教会の標準聖典に宣言され,主の思いと御心を教会に伝えるように権能を与えられた人々のべた教会の教義を,変えたり修正したりしてはなりません。」(『教育に関する教会の指針』改訂版〔1994年〕,12-13参照。教義と聖約42:12-13も参照)

    これらの教義と原則を,彼ら〔生徒〕が理解し,教化されるような方法で教えます。〔1.3.2〕

    教師は,福音の教義と原則を教える方法を決めるとき,生徒がこれらの重要な真理を理解し,聖霊によって教化され高められるような方法を選ばなければならない。教師と生徒は,教義と原則を理解すると,その意味が分かり,それらとほかの原則と教義との関係を知り,救いの計画における,また自分自身の人生におけるその重要性が分かる。人は福音の原則に従って生活し,また心が聖霊によって照らされて初めて,永遠の原則と教義をほんとうに理解できるのである。

    教化は聖文を理解すると同時に起こるものである。「edify」(教化する)という言葉は,ラテン語の語根「aedes」(「住居」または「神殿」の意)と「facere」(「作る」の意)から派生したものである(Collins English DictionaryComplete and Unabridged〔2003年〕,“edify”参照)。したがって,「教化する」とは,神殿の建設に関連しており,霊的に建てる,あるいは強めることを意味している。喜び,平安,啓発,義にかなって生活したいという望みは,教化に関連するものである。教師と生徒が両者ともに教授と学習の過程でたまの指示に従うならば,聖典では次のことが約束されている。「説く者と受ける者が互いに理解し合い,両者ともに教化されて,ともに喜ぶのである。」(教義と聖約50:22

    わたしたちは,生徒が学習の過程における自らの役割を果たすよう助けます。また,福音を他の人々に教える備えができるよう彼らを助けます。〔1.3.3〕

    改心を促し,福音が生徒の心の中に根づくのに助けとなる福音の学習には,教師の側の熱心な努力以上のものが必要である。霊的な学習には,学習者の努力と選択の自由を使うことが必要である。ヘンリー・B・アイリング長老は次のように教えている。「真の改心は,大きな努力とともに,生徒が信仰をもって自由に求めることにかかっています。」(“We Must Raise Our Sights,” 4)デビッド・A・ベドナー長老は,生徒の払う努力がその心に聖霊の影響力を招くことを強調している。

    「教師は,説明し,論証し,諭し,あかしすることができ,しかも大きな霊的な力をもって効果的に行うことができます。しかしながら,結局,メッセージの内容と聖霊の証は,受ける人がそれを受け入れるときにのみ心に入るのです。……

    正しい原則に従って行動し,選択の自由を使う学習者は,聖霊に心を開き,聖霊の教えと,証の力と,確信をもたらす証を招き入れます。」(“Seek Learning by Faith”〔デビッド・A・ベドナー長老との夕べ,2006年2月3日〕,1,3)

    David A. Bednar

    聖典では,霊的な学習を求める者は,教えを受けるために自分の思いと心を備え,研究と熟考と祈りによって熱心に知識と理解を求め,また聖霊から受ける気持ちに従わなければならないと教えられている(エズラ7:101ニーファイ10:17-19教義と聖約138:1-11ジョセフ・スミス-歴史1:10-20参照)。多くの生徒にとって,聖文から学ぼうとそのような努力をすることは不慣れであり,多少困難に思われるかもしれない。しかし,教師は,彼らが理解し,受け入れ,福音の学習における役割を果たすのを助けることができる。以下のことを行うように生徒を励ますことによって,彼らが霊的な学習における役割を積極的に果たす方法を学ぶのを助けることができる。

    • 毎日の聖文研究を習慣とする。

    • たまの影響を受けるように心と思いを備える。

    • 自身の生活に関連のある教義と原則を見つけ,自分の言葉で述べる。

    • 熱心な研究とめいそうと祈りによって聖文の理解を深める。

    • 福音と福音を生活に応用する方法をもっとよく理解するのに役立つ質問をし,答えを求める。

    • 洞察と経験と気持ちを分かち合う。

    • ほかの人々に福音の教義と原則を説明し,それが真実であることを証する。

    • 印を付ける,相互参照する,聖典研究補助資料を使用するなど,聖文研究の技術を伸ばす。

    Richard G. Scott

    霊的な学習における自らの役割を果たす生徒は,聖霊から教えを受けようとする意欲を示していることになる。そのような生徒はしばしばもっと聖文に心を向け,感動を覚える。救いの教義と原則をさらにはっきりと理解し,思い出し,また教えられたことをもっとよく応用するようになる。福音の教義と原則を見つけ,質問をし,答えを分かち合うとき,自分自身で研究するための有益な技術も学ぶのである。

    このように参加することによって,生徒は自分の家族や友人,そのほかの人々にもっと効果的に福音を教えることができるようになる。また,将来,宣教師,親,教師,また教会の指導者として福音の教義と原則を教えるための備えがもっとよくできるであろう。

    管理運営する〔1.4〕

    わたしたちはプログラムと資産を適切に管理運営します。〔1.4.1〕

    管理運営するとは,人々を指導し,人々に仕え,またプログラムと資産について指示し管理することと定義づけることができる。イエス・キリストは,すべての事柄について完全な模範を示す御方として,真実の指導者が持つ神聖な特質の手本を示された。現在の割り当てが何であろうと,セミナリーとインスティテュートのすべての指導者と教師は,キリストのような方法で指導し管理する機会と責任がある。

    慈愛,ビジョン,謙遜けんそんという特質を備えている人は,主が望んでおられるように主の業を果たすことができる。慈愛,すなわちキリストの純粋な愛は,教師にとって,生徒,神権指導者,親,同僚,スーパーバイザーとの関係の基でなければならない。慈愛とは,単なる気持ちだけではなく,振る舞い方と生き方でもある(モロナイ7:45参照)。ビジョンを持っている指導者は,霊感による指針を与え,目的意識を生み出し,周囲の人々に熱意を注ぎ込む。聖典では,ビジョンがなければ民は滅びると教えられている(箴言29:18参照)。謙遜な管理者と教師は,自分が主に依存していることをよく理解し,また「セミナリー・インスティテュートの目的」を達成するためにほかの人々と緊密に協力して働こうとする。主は次のように述べておられる。「人は謙遜であり,愛に満ち,信仰と希望と慈愛を持ち,また自分に任せられたすべてのことについて自制しなければ,だれもこの業を助けることはできない。」(教義と聖約12:8

    すべての教師と指導者は,適切にプログラムと資産について指示し管理する機会と責任がある。管理運営上の責任は,個人に祝福をもたらすという霊的な目的のためにある。「予算を立て,レポートを作成し,教会の所有物や資産に配慮し,安全を確保し,プログラムを監督し,評議会に参加〔し,生徒や親,神権指導者と話し合うことは〕すべて,管理運営上のきわめて重要な務めである。」(『適切に管理運営する-教会教育システム指導者ならびに教師用手引き』〔2003年〕,2)ヘンリー・B・アイリング長老は次のように教えている。「皆さんが仕えている人々のために現世の事柄を適切に行うことの霊的な価値を,決して,決して過小評価しないでください。」(“The Book of Mormon Will Change Your Life”〔モルモン書に関するCESシンポジウム,1990年8月17日〕,7)

    わたしたちの働きは,親が家族を強める責任を果たすための助けとなるものです。〔1.4.2〕

    子供にイエス・キリストの福音を教える第一の責任は,親にある。親は子供の社会性の発展,対人関係,服装と身だしなみの標準を監督すること,また教義上の質問に答えることについても責任を負っている。教会の指導者は,親がこの責任を果たすのを助ける。

    セミナリーとインスティテュートの指導者と教師は,第1に,親を支援する。そのために,聖典と預言者の言葉に見いだされるままのイエス・キリストの福音を生徒に教え,教義的に見て家族が重要であることと,家族と家族の活動を優先することの重要性を強調する(『適切に管理運営する』4参照)。教師は生徒に,親を敬い,親に助言と指導を求めるように励まさなければならない。教師はまた,クラスで教えていることを親と分かち合うこともできる。

    わたしたちは,生徒に参加するように勧め,また,生徒が互いに交わり,ともに学ぶための霊的な環境を提供するうえで,神権指導者と密接に協力して働きます。〔1.4.3〕

    宗教教育セミナリー・インスティテュートのプログラムはすべて,適切な神権のかぎを保有している中央と地元の神権指導者の両方の指示の下で運営される。

    青少年とヤングアダルトに祝福をもたらす努力をするに当たって,セミナリーとインスティテュートの指導者と教師は,地元の神権指導者と密接に,また緊密に協力して働くことが重要である。神権指導者の指示の下で,指導者と教師は,話し合い,協力して,確実に各青少年とヤングアダルトが登録し,出席し,適切な学習コースを修了するように彼らに勧め,彼らを励ます。教師と管理者は,神権指導者と積極的に連絡を取り合い,生徒をセミナリーとインスティテュートに登録し定着させるようにしなければならない。クラスに来ている生徒だけを教えることで満足してはならない。

    セミナリーとインスティテュートの指導者と教師は,既定の方針と手続きに添って,神権指導者と密接に協力して,クラスのために設備の準備をし,あかしが強められ福音の知識が増す適切な霊的かつ社交的環境を備える。教師と管理者は,現行のセミナリーとインスティテュートの方針に従わなければならない。また,社交活動と奉仕活動の種類と頻度について地元の神権指導者と協議し,神権指導者や補助組織指導者が計画し実施する活動を妨げず,むしろ支援できるようにする。

    two men talking

    教師と管理者は,若い男性と若い女性の指導者とも緊密に協力して働き,また「神への務め」プログラムと「成長するわたし」プログラムに参加するように適切に青少年を励まさなければならない。可能であれば,セミナリー教師は,青少年が必要としていることについて,青少年のほかの教師やアドバイザー,指導者と相談しなければならない。

    (セミナリーとインスティテュートの管理運営に関する原則と業務の詳細については,手引き『適切に管理運営する』を参照する。)