教授法,技術,採り上げ方
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教授法,技術,採り上げ方

教えることは,複合的かつ多面的な職務である。教える方法や技術をリストにすれば,そのリストは多くのアイデアと実例を含み,何冊もの本になるであろう。しかし,これらの事柄は,効果的な教授に不可欠な幾つかの一般的な教授法,技術,採り上げ方に分類することができる。本章ではこれらの重要な分野の幾つかを紹介する。

教える際にどの方法を用いるかを決めるとき,方法と技術はそれ自体が目的ではなく,目的を達成する手段にすぎないことを覚えておくことが重要である。教師は,生徒が特定の聖句ブロックの内容,教義,原則を理解するのに最も役立つ方法,ならびに教化と応用を促す方法を選ばなければならない。特定の技術を使用する目的を心に留めておくことは,もっと有意義な方法でそれを用いるのに役立つであろう。また,たまがなければ,最も効果的な教授法と採り上げ方を用いたとしても成功は得られないということも覚えておくことが重要である。

質問〔5.1〕

Henry B. Eyring

効果的な質問をすることは,教師が伸ばすことのできる最も重要な技術の一つである。質問によって,生徒は聖文を理解する過程に入り,重要な福音の真理を見つけて理解できるようになる。また,生徒は福音が自分の生活にどのような影響を及ぼしてきたかをよく考え,現在,また将来,福音の原則をどのように応用できるかについても考えるようになる。効果的な質問をすることは,選択の自由を行使し,学習の過程において自分の役割を果たすことによって学習経験の中に聖霊を招くように生徒を促すものである。

レッスンを準備する段階で,生徒が学ぶときに理解できるように導く質問と,生徒の思いと心を引きつける質問を努めて注意深く考えておくのは価値のあることである。教師は,質問を考えるとき,その質問をする目的をまず決めなければならない(例えば,聖句から情報を見つけてもらいたい,聖句の意味について考えてもらいたい,あるいは原則が真実であるというあかしを分かち合ってもらいたい,など)。その後,その目的を心に留めてよく考えて質問を組み立てなければならない。質問によって望んだ結果が得られるかどうかは,注意深く選んだわずかな言葉によって大きく左右される。

教師は,考え,感じるように促す質問を準備して,その質問をするように努力しなければならない。一般的には,単純に「はい」か「いいえ」で答えられる質問や,答えがはっきりしすぎて生徒に考える気持ちを起こさせない質問は避けるべきである。また,論争を招く可能性のある質問も避けるべきである。これは生徒を混乱させるとともに,クラスに不和を生じさせ,御霊を悲しませるからである(3ニーファイ11:29参照)。

クラスで質問するときは,答えについて考える時間を与えることが重要である。時折,教師が質問をして1,2秒待ってだれもすぐに返事をしてくれないと,うろたえて自分で答えを言ってしまうことがある。しかし,効果的な質問に対してしばしば必要とされるのが,考え,熟考することである。また,生徒は聖文の中から答えを見つけたり,意味のある答えを考えたりするのに時間を必要とする場合がある。時には,言葉で述べる前に答えを書き出す時間を生徒に与えると効果的である。

偉大な教師であるイエス・キリストは,様々な手法で質問をし,御自分が教えた原則を考えて応用するように人々を促された。イエス・キリストの質問は,御自分が教えている相手の生活に何をもたらそうとしておられたかによって様々であった。ある質問は,「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか」と尋ねられたときのように,考えて聖文から答えを引き出すように聞き手を促すものであった(ルカ10:26)。また,別の質問は,「あなたがたはどのような人物であるべきか」と尋ねられたときのように,決意を引き出そうとするものであった(3ニーファイ27:27)。

教師は多種多様な質問をすることができるが,福音を教え,学ぶのに特に重要な質問は一般的に4種類である。

  1. 情報を探すように生徒に勧める質問

  2. 分析して理解するように生徒を導く質問

  3. 気持ちと証を促す質問

  4. 応用するように促す質問

情報を探すように生徒に勧める質問〔5.1.1〕

class studying

探す質問は,聖句ブロックの内容に関する大切な細かい事項を調べるように勧めることによって,生徒が聖文の基本的な理解を得られるように助けるものである。探す質問は聖句の中の情報を探すように促すものであるため,先にこのような質問をしておいてから,答えが出ている節を読んでもらうとよい。これによって生徒の注意力を高め,聖句の中から答えを見つけ出してもらうことができる。

探す質問には,だれが,何を,いつ,どのように,どこで,なぜなどの言葉がしばしば含まれる。以下は,情報を探すように生徒に勧める質問の幾つかの例である。

  • マタイ19:22によれば,なぜ金持ちの青年は悲しみながら立ち去ったのでしょうか。

  • サムエル上17:24で,イスラエルの人々はゴリアテを見たとき,どのように振る舞ったでしょうか。26節で,ダビデはどのように振る舞ったでしょうか。

  • アルマ38:5-15で,アルマは息子シブロンにを勧告しているでしょうか。

探す質問に対する答えは,基本的な理解の基盤となるものであり,ほかのタイプの質問はその基盤の上に加えられるもので,より深い理解と応用を促す。「人々は人の子をだれと言っているか」という救い主の質問は,情報の背景を与えている(マタイ16:13)。そして,弟子たちの返答は,「それでは,あなたがたはわたしをだれと言うか」(マタイ16:15)というさらに深い,さらに鋭い質問に対する準備となった。

分析して理解するように生徒を導く質問〔5.1.2〕

分析する質問は通常,生徒が学んでいる聖句についてよく知るようになった後で尋ねる。この質問によって,学習者が聖文をより広く,またより深く理解しようとする気持ちを抱くように促すことができる。また,生徒が関係とパターンを調べたり,聖文内の対比を見つけたりするのに役立つ。分析する質問はほとんどの場合,その答えが複数ある。

class studying

分析する質問は一般に,3つの目的のうちの少なくとも一つを果たすものである。それは生徒にとって次のことの助けとなる。

  • 聖文の背景と内容をもっとよく理解する。

  • 福音の原則と教義を見つける。

  • それらの原則と教義をより深く理解するようになる。

生徒が聖文の前後関係と内容をもっとよく理解するのに役立つ。分析する質問は,生徒の歴史的また文化的背景の面から,あるいはほかの聖句と照らして聖句を調べてもらうことによって,聖文と出来事に対する理解を深める助けとなる。また,このような質問は,生徒が言葉や語句の意味を明確にするのにも役立ち,また,話の流れの詳細を分析してより深い意味を知るのにも助けとなる。このプロセスによって,生徒は原則と教義を見つけることができるように備えられる。

以下はこのタイプの質問の例である。

  • マタイ13:18-23のイエスの説明は,3-8節のイエスの教えを理解するのにどのように役立つでしょうか。

  • 天使の指示に対するレーマンとレムエルの対応とニーファイの対応はどのように違っていることが分かるでしょうか(1ニーファイ3:314:1-7参照)。

  • 主はジョセフ・スミスに「人を神よりも恐れてはならなかった」と勧告されましたが,116ページを紛失するに至った原因は何でしたか(教義と聖約3:7)。

生徒が福音の原則と教義を見つけるのに役立つ。生徒は,聖文の背景と内容を理解するようになると,聖文に含まれている原則と教義を見つける能力が増す。分析する質問は,生徒が結論を引き出し,聖句ブロックに見いだされる原則や教義を分かりやすく説明する助けとなる(26ページの2.5.1項「教義と原則を見つける」を参照)。

以下はこれらの質問の幾つかの例である。

  • 大変な困難に遭ったにもかかわらずニーファイがしんちゅうの版を手に入れることに成功したことによって,どのような原則が明らかにされているでしょうか(1ニーファイ3-4章参照)。

  • 最初の示現から神の属性についてどのような教義を学べるでしょうか(ジョセフ・スミス-歴史1:15-20参照)。

  • 長血を患っていた女性が救い主にさわろうとしたことと,その行為に救い主が対応されたことから,どのような教訓を学べるでしょうか(マルコ5:24-34参照)。

生徒が原則と教義をより深く理解するようになるのに役立つ。生徒は原則と教義を有意義に応用できるようになるには,それを見つけるほかに,理解する必要がある。特定の原則や教義の意味をもっとよく理解する助けになる質問や,原則を現代の状況に照らして考えるように生徒を促す質問,あるいは原則をどのように理解しているか説明するように促す質問は,特に有益である。以下はその幾つかの例である。

  • わたしたちが「勢力と思いと力」を尽くして神を愛した証拠として,どのようなことが挙げられるでしょうか(モロナイ10:32)。

  • ほかの人々に思いやりのない言葉をかける誘惑や,御霊を侮辱するような催し物に参加する誘惑などに打ち勝つために必要な霊的強さを得るうえで,常に祈ることはなぜ助けとなるでしょうか(教義と聖約10:5参照)。

  • キリストの基の上に築かれた人の生活には,どのような行動と特質が見られるでしょうか(ヒラマン5:1-14参照)。

  • アルマ40章で学んだことを用いて,わたしたちの教会の会員ではない友人に復活の教義をどのように説明できるでしょうか。

気持ちとあかしを促す質問〔5.1.3〕

生徒が福音の原則と教義について考え,理解するのに助けとなる質問もあれば,霊的な経験についてよく考えさせ,福音の原則や教義が真実であり,生徒の生活にとって重要であることをもっと深く感じるように導く質問もある。多くの場合,そのように感じると,もっと忠実に福音の原則に従って生活しようという,より強い望みを心の中に持つようになる。教会教育システムの宗教教育者への話の中で,ヘンリー・B・アイリング長老は,この種の質問について述べ,次のように語っている。

student raising hand

「霊感を招く質問があります。偉大な教師はそのような質問をします。……霊感を招かない可能性のある質問として,次のようなものがあります。『真実の預言者はどのようにして分かりますか。』この質問に対する答えは,リスト形式で,聖文と生ける預言者の言葉についての記憶から引き出されます。多くの生徒が参加して答えることができます。ほとんどの人が少なくとも一つはまずまずの意見を述べることができます。そして,思いが鼓舞されるでしょう。

しかし,少し変えて,次のように質問することもできます。『皆さんはいつ,自分は預言者の前にいると感じましたか。』この質問は,記憶の中の自分の気持ちを思い出すように促します。質問した後,少し時間を置いてからだれかに答えてもらうのが賢明です。話をしない人々も霊的な経験について考えることでしょう。それが聖霊を招きます。」(“The Lord Will Multiply the Harvest” 6)

このような質問は,過去のことをよく考え,「記憶の中の自分の気持ちを」思い出し,今話し合っている福音の教義や原則に関する自分の霊的な経験について考えるように促すものである。しばしば,これらの質問から,生徒がその気持ちと経験について話したり,教義や原則について証を述べたりすることがある。これらの質問は,福音を生徒の思いから生徒の心に移す助けとなる。また,福音の教義や原則が真実であり重要であると感じるとき,それを自分の生活にもっとよく応用するようになる。

以下に挙げるのは,感じるように促し,証を述べるように勧める質問の幾つかの例である。

  • ほかの人をゆるすことから得られる平安と喜びを,いつ感じましたか。

  • 自分の理解に頼るよりも主に信頼したことで,主から導かれて物事を決めることができたときのことを考えてください(箴言3:5-6参照)。そうすることによって,どのように祝福されましたか。

  • あなたのために払ってくださった犠牲について救い主に個人的に感謝を述べることができるとしたら,何を述べたいですか。

  • 聖なる森で起こったことのために,あなたの生活はどのように変わりましたか。

  • 信仰をもって試練に対応している人々を見たのは,いつですか。その経験からどのような影響を受けましたか。

注意-この種の質問に対する答えは,特に個人的なものであり,よく気を配る必要がある。教師は,質問に答えるように,自分の気持ちや経験について分かち合うように,あるいは証を述べるように強いられていると決して生徒に感じさせないようにしなければならない。さらに教師は,個人の霊的な経験は神聖なものであることを生徒が理解するように助け,そのような経験については適切に話すように勧めなければならない(教義と聖約63:64参照)。

応用するように促す質問〔5.1.4〕

結局,福音を教える目的は,生徒が聖典に見いだされる原則と教義を応用し,忠実で従順な人々に約束されている祝福を受ける資格を得られるように助けることである。過去に福音の原則に従って生活することによってどれほど祝福を受けたか理解することのできた生徒は,さらに大きな望みを持ち,将来福音の原則をよく応用するためにより良い備えをするであろう。生徒が現在の状況の中でこれらの原則をどのように応用できるかを知り,また将来どのようにそれらを応用できるかを考えるように促すのに,質問はきわめて重要な役割を果たす。

以下は,生徒が自分の生活に原則と教義を応用できる方法について具体的に考えるのに役立つ質問の幾つかの例である。

  • 安息日をもっとよく聖日として守り,もっと十分に世の汚れに染まらないようにするために,何を変える必要があるでしょうか(教義と聖約59:9-13参照)。

  • 預言者から勧告されていることでもっと厳密に従えることは何でしょうか(アルマ57:1-27参照)。

  • 最初に神の国を求めるならば人生のほかの事柄に祝福を受けるという原則は,これから2,3年先の目標と活動に優先順位をつけるうえで,どのように役立つでしょうか(マタイ6:33参照)。

クラス討論〔5.2〕

有意義なクラス討論は,福音を教え学ぶにきわめて重要な役割を果たす。クラス討論は,学習を促す方法として教師が生徒と言葉を交わし,生徒が互いに言葉を交わして交流するときに行われるものである。良い討論は,生徒が重要な質問に対する答えを求めることの大切さと,ほかの人々のコメント,アイデア,経験を聞いて学ぶことの価値を学ぶのに役立つ。また,生徒がクラスで一定レベルの集中と参加を維持するのにも役立つ。その結果,生徒はしばしば,話し合っている福音の教義と原則をもっと深く理解し,学び,感じる事柄を応用したいという望みをさらに心の中に強く持つようになる。

class discussion

以下は,教師がクラス討論を行い,促すのに役立つ幾つかのアイデアである。

討論を計画する。ほかの教授法と同様,討論も入念に準備し,たまの影響の下で行う必要がある。教師は,生徒が学ぶ必要のある事柄を理解するのに討論がどのように役立つか,その目的を達成できる質問は何か,最も効果的にそのような質問をするにはどうすればよいか,生徒の答えで討論が望ましくない方向にそれた場合どのように対処するか,あらかじめ考えておく必要がある。

教師は解説しすぎないようにする。討論のテーマに関する解説をしすぎる教師は,生徒の参加意欲をそぐ可能性がある。教師が答えを与えたくてたまらないということを生徒が知るからである。教師が解説しすぎると,生徒は自分が貢献する価値はないと感じ,興味を失うことになる。

参加するように生徒全員に勧める。教師は,有意義な討論に参加するように生徒全員に適切に勧める方法を見つける努力をしなければならない。様々な理由で参加をためらう生徒にも勧める。教師は,答える準備ができていないと分かっている生徒を指名して困惑させることのないように気をつけなければならない。

時折,一人の生徒や少数の生徒がクラス討論を支配する傾向がある。教師は,そのような人と個人的に話し,彼らの参加意欲を感謝し,クラスの全員に参加を促すことがどれほど重要であるかを述べ,また彼らが進んで答えようとするときに指名されない可能性がある理由について説明する必要があるかもしれない。

生徒を名前で呼ぶ。生徒を名前で呼んで質問に答えてもらったり,意見を述べてもらったりすると,愛と敬意のある学習環境を設けるのに役立つ。

沈黙を恐れない。効果的な質問をするとき,生徒がすぐには返答しないことが時折ある。沈黙が長すぎるのでなければ,教師はこの沈黙を心配することはない。往々にして生徒は,質問された事柄とその質問への答え方についてよく考える機会が必要である。このようによく考えることによって,聖霊による教えが促される。

質問を別の言葉で言い換える。時々,質問の意味がよく分からなくて,生徒が返答に窮することがある。教師は質問を別の言葉で言い換えるか,あるいは質問の意味が分かったかどうか生徒に尋ねるとよい。生徒が深く考えて適切な答えをまとめられるように適切な時間を与えることなく,次々と質問をするようなことは避けなければならない。

注意深く耳を傾け,関連質問をする。教師は時々,次に言うべきことや行うべきことに気を取られて,生徒の発言に注意を払わないことがある。教師は,生徒を注意深く観察し,耳を傾けることによって,彼らの必要を見分け,聖霊の指示の下で討論を導くことができる。教師は生徒の答えを確実に理解するために,次のように尋ねるとよい。「それはどういう意味かわたしが理解できるようにしてもらえますか。」「具体的には,どのような例がありますか。」関連質問をすることによって,生徒が考えていることと感じていることをもっと話してもらい,またしばしばその返答にあかしの霊を招く。教師は,同様に互いの意見に耳を傾けること,また人が発言しているときは口を挟まないことを,生徒に留意させる。

生徒の意見や質問をほかの生徒に向ける。多くの場合,クラス討論は,教師が質問して生徒が答え,その後教師が生徒の答えに自分の考えを追加し,さらに次の質問をするというパターンで行われる。教師が一人の生徒からの質問や意見をほかの生徒たちに向けるとき,討論はもっと有意義で,活発で,効果的なものとなる。「何か追加したいことがありますか」「その意見についてどう思いますか」というような簡単な質問で,生徒が生徒に答えるというパターンができる。これによってしばしば学習経験が非常に豊かになる。通常は,時間に制限がないかぎり,意見を述べたい生徒の全員に話す機会を与える。

生徒の答えに肯定的な態度で感謝を述べる。生徒が返答したとき,教師は何らかの方法で感謝を伝える必要がある。「ありがとう」と言うだけでもよいし,その答えに対するコメントでもよい。正しくない答えが返ってきたとき,その生徒に恥ずかしい思いをさせないように配慮する必要がある。効果的に教える教師は,生徒が述べた正しいコメントの一部を引用して説明を加えるか,生徒がもう一度自分の答えについて考えるように関連質問をする。

クラスで一緒に聖文を読む〔5.3〕

クラスで聖文を読むことは,生徒が学んでいる聖句に精通し,それをもっとよく理解する助けになる。また,自分自身で聖文を読む能力にもっと自信を持つようになるのにも役立つ。しかし教師は,よく読めない人や非常に恥ずかしがりの人を当惑させないように気をつける必要がある。声に出して読むのを好まない生徒に無理強いしてはならない。しかし教師は,生徒がもっと気楽に参加できる方法を工夫して,生徒の参加を促すとよい。例えば,生徒に前もって短い聖句を割り当ててその生徒が読めるようにしておくことは,その生徒がクラスに参加するのに適切な方法である。

以下は,クラスで一緒に聖文を読む幾つかの方法である。

  • 生徒に一人一人順番に,あるいは全員一緒に,声に出して読んでもらう。

  • 生徒同士で互いに読み合ってもらう。

  • 生徒に聖句を黙読してもらう。

  • 物語の中に出て来る様々な人が語った言葉を別々の生徒に割り当てて読んでもらう。

  • 教師が声に出して読み,生徒は各自の聖典のその箇所を黙読する。

教師の提示〔5.4〕

生徒が学習の過程において役割を積極的に果たそうとすることは,聖文を理解し応用するうえで重要であるが,生徒が耳を傾ける様々な機会に教師が適切に情報を提示することの必要性に代わるものではない。この手引きの目的上,教師が語り,生徒が耳を傾けるこのような時間を,「教師の提示」と呼ぶ。教師の提示は,適切に利用すれば,ほかの教授法の効果を高めるものとなる。しかし,使いすぎれば,教師が中心のこの活動は,教授の効果を減じ,生徒が研究と信仰によって学ぶ機会を制限することになる。

大量の資料を要約したり,生徒に新しい情報を提示したり,レッスンのある部分から別の部分に移行したり,結論を引き出したりするときに,教師の提示は非常に有効である。教師は,生徒が聖句ブロックの背景をもっとはっきりと理解できるようにするために,説明し,意味を明らかにし,例証する必要があるかもしれない。また,重要な教義と原則を強調し,それを応用するように生徒に勧めることもできる。恐らく最も重要なことであるが,教師は,福音の真理についてあかしし,天の御父と御子を愛していることを述べるとよい。

教師は,何かの教授法を用いるときと同じように,教師の提示を用いるときも,次のように自問して絶えず生徒の受容度を評価しなければならない。「生徒は興味を持ち,集中しているだろうか。」「提示していることを,生徒は理解しているだろうか。」結局,この教授法やそのほかの教授法の有効性は,生徒がたまによって学び,聖文を理解し,学んでいることを応用したいと思っているかどうかによって決まるのである。

教師がこの方法をもっと効果的に利用するために,以下のアイデアが役立つであろう。

レッスンの中で教師の提示を用いる部分を計画する。時々,教師は,レッスンのほかの部分を入念に準備しておきながら,自分がほとんどの時間話をする部分に同じ注意を払わないことがある。教師の提示に関して心配なことの一つは,生徒が受け身で学習経験に参加するだけとなりやすい点である。そのために,教師の提示にも入念な計画と準備が必要である。この入念な計画と準備には,提示を始める方法と筋道立ててレッスンを展開する方法を決めることが含まれる。

girl taking notes

教師の提示の活用を計画するとき,どの部分で生徒が役割を積極的に果たすことが特に重要か,教師は入念に考慮しなければならない。通常,レッスンが聖句ブロックの背景と内容を理解することから原則と教義の発見,話し合い,応用に展開するとき,生徒が役割を積極的に果たすことの重要性が増してくる。

教師の提示をほかの方法と結びつける。クラスで教師の提示をもっと効果的に使うには,レッスンプラン全体の一部としてそれを使い,レッスンの中にほかの方法や採り上げ方を組み込むことである。提示は柔軟であって,生徒が退屈しているか混乱していることが明らかな場合に変更できるものでなければならない。このようにして,教師は話している最中も,生徒と学習に焦点を当て,必要に応じて変更を加えるようにする。教師の提示を真珠のネックレスの糸にたとえた人がいる。真珠は教師の用いる様々な方法(質問,討論,グループ学習,視聴覚プレゼンテーションなど)である。しかし,それらは教師の教えと説明という糸に通して一つにつながれている。糸だけで魅力的なネックレスは作れない。

man teaching

適切な変化をつける。教師の提示に変化をもたせる方法は様々ある。教師は声の抑揚,高さ,大きさを変えることによって,また提示を行いながら部屋を歩き回ることによって,提示が単調にならないようにすることができる。また,提示する資料の種類に変化を持たせることもできる。例えば,教師は,関連する話を紹介したり,適切なユーモアを用いたり,写真やその他の掲示物を見せたり,引用文を読んだり,ホワイトボードや黒板,視聴覚プレゼンテーションを使ったり,証を述べたりすることができる。教師の提示に適切な変化をつけると,聖文を理解し応用する生徒の能力が必ず増すであろう。

物語〔5.5〕

物語は生徒がイエス・キリストの福音を信じる信仰を築く助けになる。物語は興味を引きつけ,生徒が追体験によって福音を理解するのに役立つ。また,生徒が聖句ブロックで見つけた福音の原則を理解するのに特に有効である。聖文の背景のほかに,物語の中の福音の原則を現代の状況に照らして説明することによって,生徒に,福音の原則が自分の生活にどのように関連しているかを理解させ,また福音の原則を応用したいという望みを持たせることができる。

ブルース・R・マッコンキー長老は次のように述べている。「もちろん,現代の信仰を鼓舞する話,すなわちこの神権時代に起こったことを話すのに何ら問題はありません。……事実,これを最大限に奨励するべきです。昔の忠実な人々の間で起こった同じ事柄が聖徒たちの生活の中でも起こっているということを教えるために,わたしたちはあらゆる努力を払わなければなりません。……

恐らく,信仰を鼓舞する話を提示する際の理想的な方法は,聖文に見いだされることについて教え,その後でそれを,この神権時代,この民,また最も理想的にはわたしたち個人に起こった同様かつ同等の事柄を紹介して現実の生活と結びつけることです。」(“The How and Why of Faith-promoting Stories” New Era1978年7月号,4-5)

教師は,預言者の生涯の物語や教会歴史の物語,また総大会の説教と教会機関誌に見られる物語を分かち合うことができる。また,自分の経験から実話を分かち合うこともできる。最も有意義で影響力のある学習経験が得られるのは,福音の原則に従って生活することでどのように祝福されたかを告げる話を,生徒自身の生活の中から話してもらうときである。

物語を用いるに当たっては,幾つかの注意事項と助言に留意しなければならない。

  • 物語を紹介することが教授法や技術の主流となる場合,物語自体がレッスンの中心となって,聖文に使う実際の時間が少なくなり,教える教義と原則が軽視されることになる。

  • 教師は自分自身の生活からあまり多くの話を紹介すると,個人的な称賛を得て,「自分自身を世の光とする」ことになってしまう(2ニーファイ26:29)。

  • 物語によって聖文の教えを明らかにし,活気づけ,生徒がたまの力を感じられるようにすることはできるが,決してそれを用いて感情をあおってはならない。

  • 教師は,物語をもっと劇的なもの,あるいは印象深いものにしようとして実話の内容を脚色することのないように気をつけなければならない。

  • 要点を例証するユーモラスな話など,物語が実話でない場合は,話の始めに実話ではない旨をはっきりと伝えなければならない。

小グループ討論と割り当て〔5.6〕

生徒が学習活動や討論に一緒に参加できるように,時折,クラスを二人一組か小グループに分けるとよい。小グループ活動によってしばしば,より多くの生徒が参加できるようになり,生徒が互いに気持ちや考え,あかしを気兼ねなく分かち合える環境を提供することができる。また,これらの活動は,生徒がほかの人々に福音を教える機会となり,将来福音を教える準備をするのに役立つ。小グループでの討論によって,興味と集中力を失っていると思われる生徒を効果的に参加させることができ,また生徒のコミュニケーション技術を伸ばし,適切な社会的また霊的な関係を強化することができる。また,内気な生徒に自信を持たせ,より有意義な参加を促すこともできる。

group study

生徒に二人一組か小グループで討論を行わせるとき,以下の事項を心に留めておくとよい。

  • 教師は,生徒を小グループに分ける前に,活動で何を行うように期待されているか明確な指示を与えなければならない。これらの指示事項をホワイトボード(または,黒板)に書くか,配付資料に印刷し,活動中に生徒がそれを参照できるようにしておくことがしばしば役に立つ。

  • 生徒の生活と状況に関連づける小グループの学習活動は,通常,いっそうの興味と参加を促す。

  • 各グループに生徒のリーダーを割り当て,また時間制限を設けることは,グループで討論を続けるのに役立つ。グループ活動の時間が長いと,しばしば,グループ討論の終わる時間がまちまちとなり,クラス内の秩序が失われる可能性がある。

  • 通常,活動で学んだことをクラスで分かち合う準備をするように,あるいは教える準備をするように事前に生徒に伝えておけば,生徒はもっと興味をもって活動に参加する。これはまた,生徒がほかの人々に福音を教える練習をする機会ともなる。

  • 生徒は一緒に集まる前に個人的に聖文を調べるか,引用文を読むか,何かほかの課題を果たしておくと,しばしば,グループでもっと良い討論を行える。

  • 5人以上のグループでは,各人が有意義な参加を行うのは難しくなる可能性がある。さらに,それ以上の規模のグループでは,討論を続けるのが時間的にもっと困難になる。

  • 小グループ討論は,生徒をグループ分けするのに時間がかかることを考えると,簡単な質問に答えるのに最良の方法ではないかもしれない。

  • グループによる学習活動は,使いすぎれば効果が薄れることがある。

小グループ討論や割り当ての最中に,生徒は,活動の目的から気をそらしたり,個人的なことを話したり,学ぶ努力をなおざりにしたりすることがある。各グループを回り,学習活動を見ながら積極的にかかわりを持つ教師は,生徒がその活動を続けて,その割り当てから最良のものを得る助けができる。

筆記活動〔5.7〕

教師は,ノートをとること,日記を書くこと,ワークシート,個人の思い,エッセイなどの筆記活動に参加するように生徒に勧める。時折,考えるように促す質問に対する答えを書き留めるように奨励することは,深く考えて,自分の考えをはっきりさせるのに役立つ。クラスで自分の考えを分かち合う前に質問に対する答えを書き留めるように勧めると,生徒は自分の考えをまとめることができ,それが聖霊の影響を受ける時間となる。生徒は最初に自分の考えを書くと,その考えをもっと分かち合いたいと思うようになり,分かち合う事柄がもっと有意義なものとなる。とりわけ,筆記の割り当てによって,生徒に次のような機会が与えられる。すなわち,個人として参加する,霊感を受ける,ほかの人々を教えたり自分の気持ちを分かち合ったりする準備をする,自分の生活に主の手を認める,あかしを述べる。教師は学習経験としてどの筆記活動がふさわしいかを判断するとき,デビッド・A・ベドナー長老が述べた次の原則を考慮すべきである。「聖文を研究するとき,学んだことや考えたこと,感じたことを書き留めるのは深く考える方法の一つであり,継続して教えが授けられるように聖霊を招く強力な方法となります。」(「ことが目の前にあるので」『リアホナ』2006年4月号,20参照)

student writing

年齢が若い生徒や十分な能力がない生徒の筆記活動は,それがうまくできるように生徒に合わせて調整しなければならない。例えば,教師は,多くの情報を提供しながら,質問事項の少ない,空欄を埋める問題を用意することができる。このような生徒を助けるために,短い聖句や特定の質問に集中できる筆記の割り当てと,その割り当てを果たす十分な時間を与えるとよい。

生徒は通常,以下のような場合に筆記活動からより多くのものを得られる。

  • 生徒が割り当てを果たす際に絶えず参照できるように,教師は書面にした明確な指示を与える。

  • その活動は生徒個人の状況に関連のある福音の真理に生徒の思いを集中させるものである。

  • その活動は生徒がそれらの真理を個人として応用するうえで助けとなる。

  • 筆記活動の間いつでも生徒は教師から支援と助けを得られる。

  • 活動の難易度に応じて時折時間制限を設ける。

  • 生徒に活動から学んだ事柄について説明してもらったり,分かち合ってもらったり,証してもらったりする。

  • 個人の気持ちや決意に焦点を当てた筆記活動は,生徒の許可なしには教師を含むほかの人々に分かち合うことはないと生徒に保証する。

  • その活動はレッスンプランの有意義な一部であり,「時間つぶしの活動」や行儀が悪いときの罰として行うものではない。

  • 文章を書くのが難しい生徒に対しては,別の方法で思いや考えを記録できるようにする。ほかの生徒に筆記者となってもらう,録音機材を使うなどの方法がある。

  • 筆記活動を使いすぎない。

ホワイトボードまたは黒板〔5.8〕

よく準備してホワイトボードや黒板を使うと,教師が十分に準備していることが伝わり,クラスの目的を果たすという気持ちの表れにもなる。レッスン時に効果的に使うと,生徒は学ぶ準備ができ,特に視覚によって学ぶ傾向がある生徒に対しては有意義な参加が促される。ホワイトボードや黒板を使う場合,教師は,全員が見えるようにはっきりと大きく書き,間隔をあけて整然と読みやすくするということを覚えておかなければならない。ホワイトボードや黒板を使えない所では,大きな紙かポスターボードで代用してもよい。

whiteboard

教師は,ホワイトボードまたは黒板に,レッスンの要点や原則をまとめたり,教義や出来事を図解したり,地図を描いたり,フローチャートを描いたり,聖文中の事柄を絵にしたり,歴史的な出来事を表にしたり,生徒が聖文から見つけたことをリストにしたりすることができる。あるいは,学習効果を高めるその他の多くの活動を行える。

実物と絵〔5.9〕

実体のない福音の様々な事項について教えるのは,多くの場合難しい。霊的な原則を生徒が理解する助けとして実物と絵を用いるのは,一つの効果的な方法である。例えば,石けんのようなよく知られている物は,悔い改めのようなより抽象的な原則を理解するのに役立つ。救い主は,聞き手が霊的な原則を理解できるように,しばしばこの世の物(パン,水,ろうそく,升など)を引き合いに出して述べられた。

student holding picture

実物と絵を用いると,生徒が聖文中の人物,場所,出来事,物,象徴がどのようなものであるかを思い描くのに助けとなる。教師は,くびき(マタイ11:28-30参照)についてただ話すのではなく,クラスにくびきを持って来るか,その絵を見せるか,黒板にそれを描くとよい。生徒は「野の花」(マタイ6:28-29)について読むとき,花のにおいをかぎ,花に触れることもできる。種入れぬパンを味わってみるのもよい。

地図やチャートを含めて,実物と絵は,生徒が聖文を思い描き,分析し,理解するのに役立つものである。特に討論を促すために使うと有効である。生徒がクラスに入って来るときに実物や絵が展示されていると,学ぶ雰囲気が高められ,生徒の探求心が深まる。

実物と絵を使うときに考慮すべき注意事項が二つある。第1に,それはレッスンから気をそらさず,常にレッスンの目的を強化するものでなければならない。第2に,出来事の背景と詳細をクラスで討論する資料として使うものは,その出来事や物語についての画家の解釈ではなく,常に聖文でなければならない。

視聴覚プレゼンテーションとコンピュータープレゼンテーション〔5.10〕

主が主の子供たちに目と耳を通して教えを理解させようとされた話が,聖典には満ちてい(1ニーファイ11-14章教義と聖約76章モーセ1:7-8,27-29参照)。視聴覚資料およびテクノロジーリソースは,適切かつ効果的に用いるとき,生徒がもっとよく聖文を理解し,福音の真理を学び,応用するのに役立つ。

視聴覚資料は,聖典の重要な出来事を描写し,生徒がこれらの出来事を思い描き,体験するのに役立てることができる。これらの資料によって,人が課題や問題を克服するために福音をどのように応用できるかを劇化することができ,また真理についてあかしする機会をたまに与えることができる。

教師は,コンピューター技術を使ってビデオの一部を見せ,重要な質問や画像,中央幹部の話の引用を表示し,レッスン中に見つけた原則と教義を強調することができる。レッスンの要点をまとめ,参照聖句を表示し,グループや個人の学習活動に対する指示を視覚で伝えるために,ホワイトボードや黒板を使うのと同じようにコンピュータープレゼンテーションを使用することもできる。これらの方法でテクノロジーを用いることは,視覚で学ぶ生徒にとって役立ち,また生徒が学んでいる事柄を組み立て,もっとよく理解する助けとすることができる。

teacher showing vido on laptop

視聴覚資料,コンピューターリソース,あるいはその他のテクノロジーリソースを使うとき,それはレッスンが明瞭で,興味深く,記憶に残るものとなるのに役立つようでなければならない。生徒が御霊の影響を感じるのを阻害するようであってはならない。

視聴覚プレゼンテーションは,思いと気持ちを鼓舞して生徒を聖文に向かわせるために使用するならば,生徒が福音の原則を学び,応用するのに非常に良い助けとなる。生徒が探す具体的な事柄やプレゼンテーションを見たり聴いたりするときに考える質問をホワイトボード(または,黒板)に書いておくと効果的である。プレゼンテーションを中断して,質問をしたり,生徒に役立つ情報を指摘したりすることも効果がある。教師の目的を達成するのに視聴覚資料の一部分だけでよいという場合も多い。教師がメディアやテクノロジーと合わせて,討論や筆記活動など,ほかの方法を組み入れると,生徒が福音の原則を理解して自分のものとする可能性が増す。利用できる場合に視聴覚プレゼンテーションの字幕機能を用いると,生徒,特に耳の不自由な生徒が理解する助けになり,定着率が高まる。

レッスンで視聴覚資料やコンピューター技術を使う場合,教師は,クラスが始まる前に機器をセットし,それが正しく動くことを確認しなければならない。また,学習者の全員が自分の席からそのプレゼンテーションを視聴できることも確認する。クラスの前に,レッスンで必要な適正な箇所から始まるように視聴覚資料またはコンピューターリソースの準備をしておかなければならない。また,レッスンで使用する前にプレゼンテーション用のテクノロジーの使い方を練習しておくのも教師にとって良いことである。

指針〔5.10.1〕

視聴覚資料とテクノロジーを使う場合,恐らくほかの教授法以上に,幾つか固有の問題が起こり,うまくいかなくなる可能性がある。教師は,視聴覚プレゼンテーションやコンピュータープレゼンテーションが適切であって学習経験に役立つかどうか判断する際に,知恵を使わなければならない。テクノロジーを過信すると,聖文に基づく,学習者に焦点を当てたレッスンではなく,テクノロジーとメディア主導のレッスンになることがある。以下の問いは,教師が視聴覚資料とコンピューターリソースを使用する際に賢明な判断を下す助けになるであろう。

  1. そのリソースは生徒が重要な事柄を学ぶのに役立つだろうか。視聴覚プレゼンテーションは生徒に非常に楽しい気持ちや強い印象を与えるものではあるが,それはレッスンの目的を達成し,生徒が学ぶ必要のある事柄を学ぶのに直接役立つだろうか。楽しみのために,あるいは余った時間を埋めるためにこれらのリソースを使うのは,それを使用する十分な理由とはならない。教師はクラスで使用する前にプレゼンテーションを視聴し,それが聖文ならびにレッスンで教える教義と原則を補強あるいは立証するものであることを確認しなければならない。

  2. それはレッスンの資料だろうか,それともレッスンの中心となるものだろうか。ボイド・K・パッカー長老は次のように助言している。「クラスで用いる視聴覚教材は,その使い方によっては,祝福にもなり,のろいにもなる。これらの教材は,食事の際の香辛料や調味料にたとえられる。レッスンにアクセントをつけたり,レッスンを興味あるものにしたりするために控えめに用いるべきである。」(Teach Ye Diligently改訂版〔1991年〕,265)

  3. それはふさわしい内容で,教会の標準に合っているだろうか。それは人を教化するだろうか。世の中で作られるものには,良いメッセージを伝えるものも多くあるが,御霊に背く好ましくない内容,あるいは福音の教えと調和しない考え方を容認する好ましくない内容のものもある。ビデオやオーディオの一部が適切であっても,それが不適切な内容を含むものから取ったのであれば,使用してはならない。一般的に議論を招くものや興味本位のものは,信仰とあかしを築かない。

  4. それは著作権法やその他の適用される法律を犯すものではないだろうか。ビデオや音楽,そのほかの視聴覚資料には,著作権法や利用規約で使用制限を設けられているものがたくさんある。セミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者は皆,自分が教えている国の著作権法に従い,適用される法律と義務を守り,自分自身や教会が訴訟の対象にならないようにすることが重要である。

以下の指針は,すべての国におけるセミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者に適用されるものである。

教会が制作した資料の利用〔5.10.2〕

教会が制作した資料に特別な指示がないかぎり,教師と指導者は,教会が制作したフィルム,ビデオ,画像,音楽録音を,教会ならびにセミナリー・インスティテュートでの非営利の利用のためにコピーすることができ,また見せることもできる。『賛美歌』『子供の歌集』ならびに教会機関誌に出ている音楽も,その賛美歌や歌に特に注意書きがなければ,教会ならびにセミナリー・インスティテュートでの非営利の利用のために使用することができる。セミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者は,教会が制作した資料を,その資料について制限事項が述べられていないかぎり,ダウンロードすることができ,また見せることもできる。

教会以外が制作した資料の利用〔5.10.3〕

原則として,プログラム,ソフトウェア,視聴覚資料は,適切なライセンスを購入していないかぎり,インターネットからダウンロードしたり,クラスで見せたりしてはならない。ビデオ,歌,その他の視聴覚資料は,教会所有のものでないかぎり,どこの国であっても,そのような資料をクラスで使用することは著作権法に違反する危険性が大きい。したがって,原則として,全世界のセミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者は,教会が制作していない資料をクラスで見せるべきではない。

著作権で保護された(楽譜や音楽録音など)音楽を含むメディアを複製することは,著作権者による書面の許可がなければ,著作権法の直接的侵害である。許可がなければ,歌についている著作権で保護された歌詞の複製も違法である。

以下の指針は,アメリカ合衆国の著作権法に対する幾つかの例外を具体的に要約したものである。この例外規定により,アメリカ合衆国内のセミナリーとインスティテュートの教師ならびに指導者は,事前にビデオの著作権者からライセンスを得ないでクラスでビデオクリップを使用することができる。他の国々でも同様の例外があるが,セミナリーとインスティテュートの教師は,商業ビデオのビデオクリップや,放送またはインターネットから録画したプログラムのビデオクリップを見せる前に,その国における特定の法律と例外を知るために教会の知的財産事務所(Intellectual Property Office)に連絡するべきである。

商業ビデオの利用。アメリカ合衆国の法律には,ライセンスを購入しなくても教師と生徒がクラスで商業ビデオを使用できるという例外規定がある。しかし,この例外規定下で商業ビデオを使用することができるのは,以下のすべての条件が満たされる場合のみである。見せるビデオクリップは,(a)法律に従って作成されたものであり,(b)対面して教えるときに使用し(すなわち,セミナリーとインスティテュートの教師や指導者がビデオクリップを見せる場所にいること),(c)教室,または教育の用に供する類似の場所で使用し,(d)セミナリーやインスティテュートのクラスなど,非営利の教育組織によって見せ,(e)娯楽のためではなく,コースの教科課程に直接関係する教授目的のために見せなければならない。レンタルあるいは購入した商業メディアを,レッスン時やその前後に娯楽の目的だけで見せることは,法律に違反し,不正である。最初から最後まですべてを見せる場合はまず間違いなく違法となる。

放送から録画したプログラムの利用。アメリカ合衆国では,一般大衆に無償で提供されている放送から録画したテレビ番組は,以下の条件を満たす場合のみクラスで使用することができる。(a)コピーの保存期間は45日を越えず,その後直ちに消去する。(b)コピーを作成した日から10日以内にクラスでのみ使用する(最初の10日以降は,最初の45日以内であれば,教師の評価のために,あるいはそのプログラムを将来のレッスンで使用するかどうか決めるためにそのコピーを使用できる)。(c)コピーは1回だけ見せる(レッスンを補強する必要がある場合のみ,2回見せることができる)。(d)教室,または教育の用に供する類似の場所でのみ使用する。(e)プログラムの全体のメッセージあるいは内容を変えない。(f)コピーはほかの人に渡すために複製してはならない。(g)すべてのコピーに,録画したプログラムに対する著作権表示をしなければならない。(h)教育資料やその他のものを作るために,別のプログラムのセグメントと(物理的に,あるいは電子的に)結合しない。

前述の要件に加えて,商業ビデオのクリップや,放送またはインターネットから録画したプログラムのクリップは,以下の条件も満たさなければならない。(a)ビデオまたはプログラムの一部のみを見せる。(b)プログラムはいかなる修正も編集も加えずに使用する。(c)プログラムの制作者や所有者が教会やセミナリー・インスティテュートあるいはその教えを推奨しているかのような使い方,あるいは教会やセミナリー・インスティテュートがプログラムやその製作者または所有者を推奨しているかのような使い方をしない。(d)教会やセミナリー・インスティテュートを奨励するかのような使い方をしない。(e)すでに知られている内容の規制と教会の方針に従って使用する。

セミナリーとインスティテュートの教師や指導者は,上記の指針で答えられない質問があれば,教会手引きの第21.1.12項の「著作権表示のある資料」を参照する(『手引き第2部-教会の管理運営』〔2010年〕21.1.12)。その後,必要であれば,下記に連絡する。

Intellectual Property Office
50 E. North Temple Street, Room 1888
Salt Lake City, UT 84150-0018
電話:1−801−240−3959,または1−800−453−3860 内線 2−3959
ファックス:1-801-240-1187
電子メール:cor-intellectualproperty@ldschurch.org

音楽〔5.11〕

音楽,特に教会の賛美歌は,生徒が福音の学習経験で聖霊の影響を感じるのを助ける重要な役割を果たす。教会の『賛美歌』のはしがきの中で,大管長会は次のように述べている。「霊を鼓舞する音楽は,教会の集会に欠かすことができません。賛美歌は主のたまを招き,敬虔けいけんな雰囲気をかもし出し,教会員を一つにし,主に賛美をささげる機会を与えてくれます。

class singing a hymn

賛美歌を歌うことが,すばらしい説教となることもあります。賛美歌は,人を悔い改めと善い行いへと駆り立て,あかしと信仰を強めてくれます。また,疲れた者を元気づけ,悲しむ者を慰め,そして最後まで堪え忍ぶように励ましを与えてくれます。」(『賛美歌』9参照)。ダリン・H・オークス長老は次のように教えている。「集会で,クラスで,家庭で,わたしたちはこの天から授けられた財産を十分に活用しているでしょうか。……

girl playing piano

神聖な音楽は福音を教え,祈る準備をするうえで大きな効果を発揮します。」(「音楽による礼拝」『聖徒の道』1995年1月号,11,13)教師は,生徒が礼拝における音楽の重要性を理解できるように,また御霊がもっとよく働きかける雰囲気を作るのに音楽がどれほど役立つかについても理解できるように助けなければならない。

以下は,教師が音楽を使って生徒の福音の学習経験を豊かにすることのできる幾つかの方法である。

  • 生徒が教室に入って来るときや,生徒がレッスン中に割り当てを受けて何かを書いているときに,霊的な音楽をかける。

  • クラスで一緒に賛美歌を歌うときに積極的に参加するように生徒を誘い,促す。

  • 福音の原則を復習し,その日の教えに直接関係がある賛美歌,または賛美歌の一節を歌って,レッスン中に追加の洞察を与える。そのために利用できる参照聖句索引と主題別索引が『賛美歌』の後部にある。

  • 賛美歌の歌詞を読むことによって,生徒が福音の教義と原則について証を築き,証を述べる機会を与える。

  • クラスで生徒にその場にふさわしい歌を歌ってもらう。

(バックグラウンドミュージック,マスター聖句,暗記など)何かの目的をもってクラスで音楽を使おうとするときは,ボイド・K・パッカー長老が述べた次の注意事項を心に留めることが重要である。「メッセージに若人の心を引きつけたいと思い,神聖な福音のテーマを取ってそれを現代音楽に結びつけようと多くの努力が払われてきた。……それをどのように行って霊性を増すことができるか,わたしは知らない。それは行えないと,わたしは思う。」(That All May Be Edified〔1982年〕,279)結局,学習経験の中で使用する音楽がどれも教会の標準に一致しており,決して主の御霊に逆らわないものであることを確認するのは,教師の責任である。〔1982年〕,279)結局,学習経験の中で使用する音楽がどれも教会の標準に一致しており,決して主の御霊に逆らわないものであることを確認するのは,教師の責任である。

一般的な助言と注意〔5.12〕

教師が生徒と良い関係を築きたいと望むのはふさわしいことである。しかし,無意識であっても自制できない場合でも,称賛されたいという思いがある教師は,生徒が学んで成長するのを助けようとするよりも,生徒からどのように思われるかにもっと気を使うようになる可能性がある。そうすると,聖霊を招くのに役立つ方法ではなく,生徒の目に自分のイメージを焼きつけるのに役立つ方法をしばしば使うようになる。このわなに落ちる教師は偽善売教の罪を犯している。「利益と世の誉れを得るために……自分自身を世の光とする」からである(2ニーファイ26:29)。おもしろがらせること,自分に注意を引きつけること,あるいは生徒の称賛を得ることを目的として,ユーモア,個人的な話,その他の教授法を使うことのないように,教師は気をつけなければならない。そうではなく,宗教教育者は皆,天の御父に栄光を帰し,生徒をイエス・キリストのもとに導くことに焦点を当てなければならない。

ハワード・W・ハンター大管長は次のように教えている。「福音ではなく皆さんに忠誠心を持つように生徒を感化し,説得する危険性があるということに,皆さんは気づいていると,わたしは確信しています。現在,それは取り組まなければならない大きな問題です。皆さん全員がこのようなカリスマ的教師であることを願うばかりです。しかし,ここにほんとうの危険があります。皆さんが聖文の解釈や提示を与えるだけでなく,生徒を聖文そのものの中に招き入れなければならない理由はそこにあります。主のたまに関する皆さんの個人的な思いを伝えるだけでなく,主の御霊を感じるように生徒を導かなければならない理由はそこにあります。結局,どんなに上手な教え方であろうと,キリストの教義を教える人のもとに招くだけでなく,直接にキリストのもとに生徒を招かなければならない理由はそこにあります。これらの生徒が必ずしも皆さんのもとに来られるわけではありません。彼らが高校や大学を出た後,皆さんは彼らの手を取って教えてあげることはできません。また,皆さんには個人的な弟子は必要ないのです。(“Eternal Investments”〔ハワード・W・ハンター会長との夕べ,1989年2月10日〕,2)

さらに,次の助言と注意点が様々な教授法と状況に適用される。

  • 競争の利用。教師は,クラスで競争する方法を利用するとき,特に生徒同士を競争させるときには,気をつけなければならない。競争は口論,落胆,あざけり,当惑を招き,御霊を失う原因となる可能性がある。

  • 否定的なことの強調。教師は,クラスや生徒個人に失望感を伝える際には知恵を使わなければならない。ほとんどの生徒は,ふさわしくないという思いをある程度感じているので,短所を強調するよりも,彼らを褒めて励ますことが必要である。

  • 皮肉。教師が生徒に,あるいは生徒がほかの生徒に言う皮肉は,ほとんどの場合,否定的であり,有害であり,あざけりを招き,御霊を失う結果を招く可能性がある。

  • 不適切なコミュニケーションと言葉。教師は生徒をどなりつけたり,生徒と口論したりしてはならない。宗教教育の場にはぼうとくと俗悪な言葉があってはならない。

  • 体力の使用。教師は体の大きさや力の違いを使って生徒を威嚇あるいは強制して物事を行わせようとしてはならない。ふざけて体に触れることでも,誤解を与えたり,それがエスカレートして何かもっと重大な事態になったりすることがある。教師が生徒の体に触れてよいのは,ほかの生徒を守るためにそうせざるを得ない場合だけである。

  • 性別を表す言葉。教師は聖文中の性別を表す言葉に気をつけ,敏感でなければならない。ある聖文では,聖文の基となった言語の性質上,男性を指す言葉がしばしば使われている。教師は,男性の用語によっては男性と女性の両方を指すものがあるということを生徒に思い出させなければならない。「どこにいる人でもすべての人(英文は,men)が,悔い改めなければならない」と主がアダムに語られたとき(モーセ6:57),主は明らかに男性と女性の両方について語っておられる。男性の用語がそのまま当てはまる場合もある。例えば,神会の方々は男性であり,また神権の義務に関する代名詞は,男性にのみ当てはまる。