教える準備をする
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教える準備をする

個人的な準備〔4.1〕

ボイド・K・パッカー長老は次のように述べている。「教師が個々のレッスンの準備のためだけでなく,たまと調和した生活を続ける準備のためにもできるかぎりすべてのことを行うとき,力が与えられる。霊感を求めて御霊に頼ることを学べば,霊感を受けて教えることができるという,はっきりした知識をもって,……生徒の前に立つことができる。」(Teach Ye Diligently改訂版〔1991年〕,358-359)

福音の教師の準備として最も重要で基本的なことは,自分自身を霊的に備えることである。そのような備えをする際に考慮すべき重要なこととして,福音に従って生活すること,助けと導きを祈り求めること,信仰を働かせること,現職訓練集会(教師会)に参加することなどがある。

福音に従って生活する〔4.1.1〕

教師がどれほど忠実に福音に従って生活しているかが,その教え方に影響を及ぼす。聖霊を伴侶として導きを得るのにふさわしい生活をすること以上に大切な準備はない(2ページの第1.2項「生活する」を参照)。

助けと導きを祈り求める〔4.1.2〕

祈りは教える準備をするのに欠かせないものである(教義と聖約42:14104:79,82参照)。教師は,聖文と福音の原則を理解する際にたまの助けを祈り求め,また御霊によってそれらの原則を教える最良の方法を判断する際に知恵を祈り求めることができる。各クラスを始める前に助けと導きを祈り求め,また御霊によって感じ,学ぶ生徒の自発性を祈り求めることができる。各生徒をもっとよく理解するために識別のたまものを求め,奮闘している個々の生徒に手を差し伸べるために助けを求め,またほかの生徒よりも愛することが難しい生徒を愛するために慈愛の賜物を主に求めることができる(モロナイ7:48参照)。

girl praying

信仰を働かせる〔4.1.3〕

「宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的」の「教える」の段落には,効果的に教える教師は神の言葉の力を信頼し,主と聖霊を信じ,生徒を信頼しているはずであるという意味が含まれている。教師が良い働きができないとき,これらの要素を欠いていることがよくある。

ことの力を信頼する。教師は,生徒は聖文研究をすることが好きではない,あるいは毎日聖文を教えていると生徒の興味を引き続けることができないと思う誘惑に駆られることがある。しかし,聖文には「命の言葉」が記されており(教義と聖約84:85),その言葉は「剣やそのほか……どのようなことよりも」心に「力強い影響」を及ぼす(アルマ31:5)その言葉は「剣やそのほか……どのようなことよりも」心に「力強い影響」を及ぼす(

ヘンリー・B・アイリング長老は次のように述べている。「皆さん自身のために,また生徒のためにお願いします。生徒は〔聖文を〕読みたいと思うだろうという信仰を持ってください。生徒を聖文に駆り立てるには及びません。信仰が生徒を聖文に引き寄せるでしょう。……主がその書をお書きになったのです。皆さんを引き寄せるようにそれを書く方法を,主はニーファイに示されました。そして,それは皆さんの生徒を引き寄せるでしょう。」(“The Book of Mormon Will Change Your Life”〔モルモン書に関するCESシンポジウム,1990年8月17日〕,2)

主とたまを信じる。青少年とヤングアダルトに福音の原則を教える責任は困難で圧倒されてしまいそうだと感じるかもしれない。しかし,それは主の業である。主は信仰をもって主に心を向ける人々を助けてくださる。モルモン書はこう教えている。「キリストは言われた。『あなたがたはわたしを信じるならば,わたしの心にかなうことを何事でも行う力を持つであろう』と。」(モロナイ7:33

教師は,主が各生徒の必要を理解し,祝福を授けたいと思っておられるという信仰を持たなければならない。また,聖霊が各生徒に福音のメッセージを伝え,生徒の必要と状況に応じて福音の原則を応用するように促してくださると信じなければならない。教師は,聖霊が「真理を教えるために遣わされた慰め主」であられることを覚えておかなければならない(教義と聖約50:14)。

生徒を信頼する。教師は,適切に導き励ませば生徒は聖文を理解し,教義と原則を見つけるようになり,ほかの人々に福音を説明し,福音の教えを生活に応用できるという信仰を持たなければならない。J・ルーベン・クラーク・ジュニア管長は,セミナリーとインスティテュートの生徒の幾つかの特質について述べている。

girls reading together

「教会の青少年は,御霊に関することに飢えています。彼らは福音を学びたいと切望しています。福音を薄めることなく純粋なまま学びたいと思っています。……

……皆さんは,このような霊的経験の豊かな青少年に対して,ご機嫌取りをする必要もなければ,宗教について耳にささやきかける必要もありません。まっすぐに面と向かって話せばよいのです。宗教的な真理を世俗的な事柄で覆い隠す必要はありません。皆さんはこれらの真理を包み隠さず,ありのままに教えることができるのです。」(『教育に関する教会の指針』改訂版〔1994年〕,4,12)

生徒の外見や行動,あるいは福音学習に対する対応を見ると,「御霊に関することに飢えて」いないかのように思われることが時折ある。このような状況で,教師にとって特に重要なのは,クラーク管長の教えを信じる信仰を働かせることである。ヘンリー・B・アイリング長老は,次のように力強い約束の言葉を述べている。「生徒は,で気を失うということを知らないかもしれません。しかし,神の言葉は,生徒自身が渇いていることを知らなかったその渇きを癒します。そして,聖霊はそれを生徒の心の中に記してくださることでしょう。」(“We Must Raise Our Sights”〔モルモン書に関するCES大会,2001年8月14日〕,3)

御言葉の力を信じる信仰,主と聖霊を信じる信仰,また生徒を信じる信仰を働かせることによって「セミナリー・インスティテュートの目的」を達成しようと努める教師は,絶えず以下のことを自問しなければならない。

わたしの教え方は,

  1. 神の言葉に対する理解と愛を深めるように促しているだろうか。

  2. 聖霊を招き,教化に結びついているだろうか。

  3. 信仰をもって個人的に福音を学び,福音に従って生活するように各生徒を促すものだろうか。

  4. 生徒がイエス・キリストをもっとよく知り,愛し,イエス・キリストに従ううえで助けとなるものだろうか。

現職訓練集会(教師会)に参加する〔4.1.4〕

セミナリー・インスティテュートは,教師と指導者に現職訓練の機会を提供する。現職訓練はおもに,教授法を改善し,福音の知識を増し,教師がセミナリーとインスティテュートにおける管理運営の方法を学ぶのを助けることを意図している。

この訓練の一つの面は,公式の現職訓練集会(教師会)である。現職訓練集会(教師会)は定期的に行われ,教師と指導者が出席するように期待されている。この集会で,参加者は聖文について学び,話し合って,その理解を深める。生徒を鼓舞する教授法を学び,練習する。また,生徒の登録,出席,修了を増やすためのアイデアを分かち合い,現在必要とされている事項について協議し,また管理運営上の責任を果たす方法を学ぶ。

現職訓練のもう一つの面は,クラス参観に関するものである。教師は,自分の教授法を見て有益なフィードバックをしてくれるようにコーディネーターや校長,同僚の教師に依頼すると非常に役立つであろう。参観者には,しばしば,教師が伸ばそうと努めている特定の教授技術に関して具体的なフィードバックをするように依頼できる。機会がある所では,教師はほかの教師を見ることからも益を得られる。

信仰をもって,また学んで改善したいという心からの望みをもって現職訓練に臨む人々は,着実な成長と進歩を経験するであろう。

生徒の準備〔4.2〕

聖典には,霊的な学習に努める人々の心と思いの備えの状態のことが述べられている。例えば,旧約聖書の中の祭司であり学者であるエズラは,「心をこめて主の律法を調べ……た。」(エズラ7:10)使徒行伝には,「心からおしえを受けいれ〔た〕」忠実な聖徒のことが述べられている(使徒17:11)。救い主は,ニーファイの民を訪れたとき,「明日のために心〔を〕備え……なさい。わたしはもう一度あなたがたのところに来るであろう」と言われた(3ニーファイ17:3)。

man teaching class

生徒は学習経験の中で教化をもたらす聖霊の影響力を感じるために,「ことを聞く用意」ができていなければならない(アルマ32:6)。クラスで,生徒は,思いを研ぎ澄ますとき,学習経験に注意を集中するとき,またたまによって教えられることを喜んで受け入れる気持ちを示すとき,学ぶ準備が整っている。生徒が福音を学ぶためにその心と思いを備えられるように,教師は以下のことを含め,多くのことについて助けを与えることができる。

生徒のために祈る。教師は,「喜んで」「御言葉を受け入れるように……心を備えさせるために」生徒に御霊を注いでくださるよう主にお願いすることができる(アルマ16:16-17)。

愛と敬意のある雰囲気をはぐくむ。教師やほかの生徒から愛され,信頼され,価値ある者と認められていると感じている生徒は,もっと御霊の影響を受け,参加したいという強い望みをもってクラスに来るであろう。

目的意識を確立する。教師は,クラスに出席するのは天の御父と御子イエス・キリストを知るようになるためであり,また聖典と預言者の言葉に見いだされるままの福音を学ぶことによって永遠の命に向かって進歩するためであると,生徒が理解できるように助けなければならない。

興味を引く,時宜にかなった,教化するレッスンを行う。教師が教化するレッスンを準備していつもそれを行うと,生徒は,クラスに出席する度に何かを学べると期待するようになる。ボイド・K・パッカー長老は次のように教えている。「あなたがクラスを教えている場合,……〔生徒は〕何かを学ばないかぎり,熱い思いをもって戻って来ることはない。戻って来たいと思う何かを学ばなければならない。クラスで得るものがあれば……自発的に,実に熱心に来るであろう。(Teach Ye Diligently182)

クラスの始めに聖霊を招く。祈り,賛美歌,聖文を読んで考えたことの発表を含む,よく準備された,生徒が司会するディボーショナルは,しばしば御霊を招き,生徒を一致させ,霊的な学習に対して生徒の思いと心を備えさせる。

生徒の興味を引き,維持する。教師は,生徒の興味を引き,より大きな目的をもって聖文を調べるように生徒を導く方法で毎回のレッスンを始めることによって,生徒の心を学習経験に集中させることができる。例えば,教師は,ホワイトボード(または,黒板)に興味を引く質問を書いたり,物や絵,写真を見せたりして,クラスに来る生徒の興味を引くことができる。

多くの生徒が注意力を持続できる時間には限度があるので,賢明な教師は,レッスン中に何度か生徒の興味と熱意を再び引き出す方法を探すものである。これは,学んでいる聖文に生徒の注意を集中させる方法で行わなければならない。

学習者としての役割をよく果たすように生徒を備える。教師は,参加するように生徒に勧める前に,生徒から尋ねられたことについてはっきりと説明し,模範を示し,準備し実践する時間を生徒に与え,その後,学習の過程において生徒が自らの役割を果たすように勧め,また彼らが努力していることを認めなければならない。学習者としての役割を果たすように生徒を備える教師は,「セミナリー・インスティテュートの目的」の達成についてはるかに大きな成功を収めるであろう。

レッスンの準備〔4.3〕

レッスンの準備のための資料〔4.3.1〕

聖典

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4つのセミナリーコースと,承認されているインスティテュートのコースのほとんどで,標準聖典を学ぶ。これらのコースで教える事柄を決めるときの第1の資料は,聖典そのものである。セミナリーとインスティテュートの教師への話の中で,エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように教えている。「聖典と生ける預言者の言葉の代わりを十分果たせるようなものなどないことを,常に覚えておいてください。聖典と生ける預言者の言葉を基本の資料としなければなりません。」(“The Gospel Teacher and His Message”CES宗教教育者への講話,1976年9月17日〕,3)

インスティテュートのコースの中には,標準聖典の学習ではなく,福音のテーマに焦点を当てているものがある。これらのコースを教える教師は,準備のための第1の資料として(聖典と同様に)インスティテュートの教科課程で提案されている資料を考慮しなければならない。教師は,これらのコースで教える教義と原則を明らかにし説明するために,聖典と預言者の言葉を使用する機会をいつも探さなければならない。

セミナリーとインスティテュートの教科課程

セミナリーとインスティテュートの教科課程用資料は,効果的なレッスンを準備して教えるのに役立つおもな資料として提供されたものである。教科課程には,聖句とその背景に関する背景の情報,難しい言葉と語句の説明,聖文中で教えられている教義や原則についての中央幹部の見解,またどの内容と教義と原則を教えるかについての提案も書かれている。教師は聖句ブロックの学習に教科課程を活用すると,聖霊の霊感を受け,生徒の必要を満たすレッスンをすることができる。

ヘンリー・B・アイリング長老は,教科課程の準備と活用について次のように説明している。「教会で教える教義が正確であることを確認するために預言者によって召されている人々は,皆さんが受け取るその教科課程の中のすべての言葉,すべての写真,すべての図表を再検討します。教科課程は神から霊感されたものであるという信仰を働かせることによってのみ,教科課程の力を引き出せるのです。……

教科課程の内容とその配列に忠実であれば,わたしたちが持つたぐいない教授のたまものは抑えられることなく,引き出されることでしょう。」(“The Lord Will Multiply the Harvest”〔ヘンリー・B・アイリング長老との夕べ,1998年2月6日〕,4-5)

その他の資料

教師は,聖句ブロックをもっとよく理解する助けとして,教会機関誌,特に総大会からの教えなど,その他の資料を使用することができる。その他の資料を用いて,推測やセンセーショナルな表現に走ったり,教会が明確にしていない概念を教えたりすることがあってはならない。以前に確認され,公表されたものであっても,クラスで使用するのに適切でないものがあるかもしれない。レッスンは生徒の信仰とあかしを築くものでなければならない。

教える事柄とそれを教える方法を決める〔4.3.2〕

教師は皆,レッスンを準備するときに,「何を教えるか」,また「それをどのように教えるか」を決めなければならない。「教える事柄」とは,背景(背後の事情,文化,状況など),内容(話の流れ,人物,出来事,説教,霊感に基づく説明など),また聖句ブロック内にある重要な福音の真理である。「教える方法」とは,生徒に理解させるために教師が用いる方法,採り上げ方,活動(クラス討論,視聴覚資料,筆記活動,小人数のグループ学習など)である。教える方法を選ぶ前に教える事柄を決める必要がある。そうすれば,方法や技術ではなく,いつも直接聖文に焦点を合わせることができる。

教師は,レッスンを準備するとき,教える事柄と教える方法の両方を決めるために十分に時間をかけ,努力しなければならない。レッスンの準備で教える事柄にばかり力を入れると,生徒を学習に参加させる方法を考える時間を十分に取れなくなる。そうすると,レッスンは退屈で,ひどく教師本位なものになる恐れがある。また,教える方法に集中しすぎると,レッスンは,目的と力を欠いた,ちぐはぐなものになってしまう可能性がある。

教える事柄を決める〔4.3.3〕

教師は,教えようとする事柄を準備するときに4つの基本的な段階を踏む。まず,聖句ブロックの背景と内容を理解するように努める。第2に,ブロック内に見られる教義と原則を見つけ,理解する。第3に,生徒が学び,応用するためにどの原則が最も重要かを判断する。第4に,聖句ブロックの各セグメントをどの程度強調するかを決める。

1.教える聖句ブロックの背景と内容を理解する。

教師は,聖句ブロックの背景,すなわち背景を理解し,その内容がよく分かるようになるまでその聖句ブロックに集中するように努めなければならない。聖句に集中するとは,読み,研究し,深く考え,読んだ事柄について霊感と理解を祈り求めることである。

聖典の内容を理解するために行える最も有益な方法の一つが,話題や行動が変わる聖句ブロック内の自然な変わり目に注意することである。教科課程と自分自身の洞察を用いて,これらの自然な変わり目に基づき,聖句ブロックをより小さなセグメント,すなわち節のまとまりに分けることができる。これらの小さなセグメントは重要な基礎ブロック,すなわち構成要素となり,教師は後に準備をするときにこれを用いて,レッスンの流れを組み立て,また聖句ブロック内のすべての内容に少なくともある程度の注意を向けることができる。

また,この方法で聖句ブロックの要点をまとめるとき,重要であると思われる人物,場所,出来事,原因と結果の関係について,また,難しい言葉や語句の意味について理解を増すように努めなければならない。内容を十分に理解するために,複数の聖句ブロックを読む必要のあることがよくある。

2.教義と原則を見つけ,理解する。

教師は,背景と内容を理解することに加えて,聖句ブロック内の教義と原則を注意深く見つけて理解し,また教科課程で提案されている教義と原則を検討しなければならない。教科課程に書かれていなければ,教義と原則を分かりやすい簡潔な言葉で書き出すように努力しなければならない。こうすることは,原則とその意味の両方を心の中でしっかりとまとめるのに役立つ。これはまた,レッスンで学習活動を指導するのに役立ち,生徒が理解力を増し,応用にもっと集中できるようにする助けともなる。

3.生徒が学び,応用するためにどの原則が最も重要かを判断する。

普通の聖句ブロックには,ほとんどの場合,クラスの時間内に有意義な話し合いを行える以上の多くの題材がある。教師は聖典と教科課程を研究した後,生徒が理解し応用するためにどの教義と原則が最も重要であるかを判断する必要がある。この判断をする際に,教師は以下のことを考慮しなければならない。

聖霊の促し。教師は,レッスンでどの原則と教義を強調するか判断する際に,絶えず聖霊の導きを求めなければならない。

mormon

霊感を受けた記録者の意図。教師は,預言者である記録者が何を伝えたいと思っていたか見極めるようにしなければならない。エズラ・タフト・ベンソン大管長は次のように述べている。「彼ら〔記録者〕がわたしたちの時代を見,わたしたちのためになることを選んでくれたとしたならば,なおさらモルモン書を研究する必要があるのではないでしょうか。『これを記録するように主がモルモン(モロナイあるいはアルマ)に霊感をお与えになったのはなぜだろうか,現代の生活への教訓として何を学べるのだろうか』と絶えず自問する必要があります。」(「モルモン書-わたしたちの宗教のかなめ石」『リアホナ』2011年10月号,56)教師は,教える聖典のコースが何であっても,レッスンを準備するときに同様の質問について考慮しなければならない。

教師はまた,聖典中の預言者の主要な目的は常にイエス・キリストについてあかしすることであるということを心に留めておかなければならない。「わたしが一心に志すのは,人々がアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神のもとに来て救われるように,説き勧めることである。」(1ニーファイ6:4)したがって,教師は,「この聖句ブロックは,生徒がイエス・キリストの教えとしょくざいについて理解しそれに頼れるようにイエス・キリストの何を教えているだろうか」と自問しなければならない。

教師は,霊感を受けた記録者の意図を判断しようとするとき,聖典に明らかにされている事柄を越えないように注意しなければならない。ヘンリー・B・アイリング長老は次のように注意を喚起している。「記録者が言おうとしたすべての事柄,あるいは彼らが述べていない事柄を自分は知っていると装ってはなりません。」(“‘And Thus We See:’ Helping a Student in a Moment of Doubt”〔ヘンリー・B・アイリング長老との夕べ,1993年2月5日〕,6)

改心を促す原則と基本的な教義。教師は,教える事柄を決めるとき,次のことを考慮しなければならない。「この聖句ブロックで強調できるすべての真理のうちでどれが,生徒を天の御父と救い主に近づけ,救いに導くのに役立つだろうか。」ヘンリー・B・アイリング長老は次のように助言している。「レッスンを準備するとき,改心を促す原則を探してください。……改心を促す原則とは,神の御心みこころに従うように導く原則です。」(“Converting Principles”L・トム・ペリー長老との夕べでの話,1996年2月2日〕,1)

Henry B. Eyring

教師はまた,採り上げる聖句ブロックがセミナリー・インスティテュートによって強調するものとして選ばれている「基本的教義」のどれかを教えるものであるかどうかも判断しなければならない。これらの教義は,生徒が天の御父の計画と教会の基本的な信条を理解できるようにするものである(35ページの第2.7.2項「基本的教義」を参照)。

生徒の必要と能力。教師がよく生徒を知り,理解するようになればなるほど,すぐに応用できる重要な原則を見つけ,強調するのが容易になる。教師は聖句ブロックを研究するとき,自分自身にとって感動的な,あるいは特に深い意義のある教えや概念を見つけることがあるかもしれない。しかし,それが生徒たちの霊的な準備や理解力とはかけ離れている場合がある(例として,1コリント3:2に書かれているパウロの堅い食物と乳についての勧告を参照)。教師にとっては新しくない,あるいは興味を感じない原則でも,生徒にとって非常に重要な場合がある。教師は生徒を教えているのであり,レッスンのためのレッスンをしているのではないということを心に留める必要がある。教師は学習経験の場を与えているのであり,単にレッスンの概要を準備しているのではない。どの原則と教義が生徒にとって最も重要であるかを判断するときに,教科課程は教師にとって特に助けとなる。

リチャード・G・スコット長老は次のように教えている。「皆さんの生徒の個人的な能力と必要に応じて,最も優先順位が高いものは何かを判断してください。生徒が重要な原則を理解し,自分のものとし,人生の手引きの一部とするならば,最も重要な目的が達成されたことになります。」(“To Understand and Live Truth,”〔リチャード・G・スコット長老との夕べ,2005年2月4日〕,2-3)

どの真理を強調するかを決めながら,教師は,聖句ブロックを採り上げる際に焦点を当てる予定のない原則や教義を簡単に指摘するように計画することもできる。こうすれば,レッスンで大きく焦点を当てるわけではないが,生徒個人にとって重要である可能性のある原則を聖霊がその個人に理解させてくださる機会を備えることになる。教師はまた,自分が気づかなかった,あるいは話し合う予定のなかった何らかの福音の真理を,生徒が見つけたり,あるいは話し合いたいと思ったりすることがあるということを心に留めておかなければならない。

教師は,これらのことをすべて考えながら,たまの確認を求めるようにしなければならない。御霊は,霊感を受けた聖典の記録者の意図や生徒の必要,また生徒が天の御父と救い主に近づくのにどの福音の真理が助けとなるかを,教師がもっとよく理解できるように助けるであろう。

4.聖句ブロックの各セグメントをどの程度強調するかを決める。

教師は,聖句ブロックの背景と内容を理解し,それをより小さな,内容に関連したセグメントに分け,生徒が学び応用するための重要な福音の真理を見つけたので,今や,聖句ブロックの各セグメントをどの程度強調するかを決める準備が整っている。教師は,レッスンで強調しようとする教義と原則が含まれているそれらのセグメントを最も強調するのが普通である。すなわち,教師は,これらの節のまとまりについて,生徒がその背景と内容を理解し,その中に見いだされる重要な教義と原則を見つけて理解し,それらの教義と原則が真実であり重要であることを心に感じ,これらの真理を生活に応用できる方法を知るように導くのである。

聖句ブロックの別のセグメントでは,レッスンで強調されている真理にあまり焦点が当てられていないかもしれない。しかし,とばしたり,無視したりしてはならない。教師は,これらの節のまとまりについても同様に,少なくとも要約するように計画しなければならない。

注-準備の時間が無制限にあるということはきわめてまれである。教師がよく犯す間違いは,読み,研究し,教える事柄を決めるのに時間をかけすぎて,教える方法について十分に準備する時間をなくしてしまうことである。毎回のレッスンを準備する際に教師が言う必要のある大切な事柄がある。それは,「教える事柄は十分に理解できたと思う。今,それを効果的に教える方法を決める必要がある」というものである。

教える方法を決める〔4.3.4〕

教師は普通,自分が教える聖句ブロックと自分が見つけた真理に感動を覚えるものである。教師は,研究し,理解し,たまによって教えを受けるように熱心に努力することによって教化され,自分が準備していたときに学んだ事柄を伝えたいと自然に感じるものである。これが適切なこともあるが,レッスンの目的は,生徒が聖文を理解し,聖霊によって教えを受け,彼らが学ぶことを応用する励ましを感じるようにすることであるのを覚えておかなければならない。つまり,教師自身が聖文から学んだ事柄と,それが重要であると感じる理由を生徒に告げる以上のことが常に必要なのである。また,教師が聖句を読み,それを注釈し,次いで別の聖句を読む以上のことを表している。

生徒は,教師がレッスンの準備中に経験したことと同様の学習の過程を踏むように導かれるときに教化される。理解するために聖文を調べ,自分自身で福音の真理を見つけるように生徒を導かなければならない。自分の言葉で福音を説明し,自分が知っていることと感じていることを分かち合い,あかしする機会を与えなければならない。こうすることは,彼らの頭から彼らの心に福音を移す助けとなる。

生徒はこの方法で絶えず福音を学ぶ経験をすれば,自分自身で聖文を研究し,御霊によって学ぶ自分の能力に自信を持つ。そして,学んでいる事柄を生活に応用したいという望みを感じる。また,自分が信じている事柄をほかの人々に説明し,福音の教義と原則について証を述べる備えももっとよくできるようになる。

教師は,生徒がクラスで一緒に聖文を学ぶときにこの学習の過程を経験するのに役立つ方法を計画しなければならない。教師がレッスンプランを作成するときに,以下の質問に対する答えが教える方法を決める基準となる。

  1. どのような方法または学習活動が,生徒が知る必要のある背景と内容を理解するのに助けとなるだろうか。

  2. どのような方法が,生徒が重要な教義と原則を見つけ,言葉で表現できるようになるのに助けとなり,またほかの教義と原則を見つける機会となるだろうか。

  3. 生徒がこれらの原則と教義を理解するのを助けるのに,最良の方法は何だろうか。

  4. これらの原則が真実であり重要であることを感じるように生徒を導き,それについて分かち合い証するように勧めるために,どのような方法または採り上げ方があるだろうか。

  5. 生徒がこれらの原則を生活に応用できる方法を知るのを助け,またそうするように彼らを励ますのに,効果的な方法は何だろうか。

以下は教える方法を決める際に考慮すべき幾つかの事項である。

教授法が,教えるメッセージに調和しており,御霊の影響を受ける助けになることを確認する。時として教師は,生徒を楽しませようとしたり,彼らの興味を引こうとしたりして,理解と教化に至らない方法を選んだり技術を使ったりすることがある。教授法を選ぶときは,その方法によって効果が高まるか,それとも生徒に取り入れてもらおうとするメッセージから注意がそらされるか考えなければならない。例えば,教えることを目的としたゲームは知識(聖書中の各書の配列順など)を与えるのに楽しく効果的な方法である。しかし,最終的な目標が霊的な気持ちを引き出すということであれば,それはほぼ間違いなく逆効果となる。小人数のグループによる活動も有効であるが,この活動はかなりの時間を必要とするので,簡潔に述べられている原則を見つけるのには最良の方法とは言えない。

教師は,教授法と活動が福音を学ぶ場にふさわしく,だれも怒らせたり傷つけたりすることがなく,御霊の影響を受ける助けになることを確認しなければならない。

教科課程を使用する。セミナリーとインスティテュートの教科課程には,「福音を教え学ぶときの基本」を実行する,教える方法についての提案が書かれている。教師は各レッスンを準備するとき,教科課程を注意深く検討し,聖句ブロックを教えるためにどの情報と方法を使用するかを選ばなければならない。教師は,教科課程の聖句ブロックのための提案のすべて,または一部を選ぶことができる。あるいは,クラスの必要と状況に合わせて提案されているアイデアを変更することができる。

Dallin H. Oaks

関連性と目的をはっきりさせる。生徒は,聖句ブロックで学んでいる事柄と自分の状況や事情の関連性を理解するとき,通常,福音の教えを学んで応用するようにもっと動機づけられるものである。また,聖文から実生活の状況の中で導きとなる答えと指示をどのように得られるかを知ることもできる。

したがって,教える方法を準備するとき,教師は,聖句ブロックに含まれている永遠の真理についてよく考え,それを生徒の生活にとって有益で有意義なものにできる方法を検討するとよい。このことを心に留める教師は,しばしば,生徒に関連のある質問,状況,あるいは問題を採り上げてレッスンを始める。そのような質問,状況,あるいは問題を抱えている生徒は,導きと方向づけを与える福音の原則と教義を知るために聖文を調べるようになる。教師は,レッスンを準備するとき,生徒の興味を持続させ,絶えず学習の過程に生徒を引き込む方法も計画しなければならない。

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時間配分を決める。教師は,聖句ブロック全体を採り上げるように熱心に努力しなければならない。しかし,レッスンの様々な部分にどれだけの時間を使うか決めるとき,生徒を教えているのであり,レッスンのためのレッスンをしているのではないということを心に留めることが重要である。教師は,レッスンプランに厳密に従うことに集中するあまり,クラスの時間に霊感を受ける可能性やレッスンプランにない生徒の参加の可能性をなくすようであってはならない。そのためには,レッスンを変える必要がある。

教師が最も犯しやすい間違いの一つは,レッスンの初めの方に時間をかけすぎて時間が足りなくなり,残りの部分を大急ぎで行わなければならないというレッスン展開である。準備するときに,自分が選んだ方法を使うとレッスンの各部にどれくらいの時間がかかるかを予測する必要がある。ほとんどの場合,教師は限られたレッスンの時間内で自分が伝えたいと思うすべてを教えることはできないので,何を強調し,何を要約するかを決める必要がある。

時間配分の必要性は,各レッスンだけでなく,コース全体についても言える。例えば,新約聖書コースで,四福音書に時間をかけすぎれば,残りの書に見いだされる重要な福音の真理を適切に教えることができなくなってしまう。

セミナリーとインスティテュートのほとんどの教科課程には,時間配分の提案とコース全体を採り上げるためのスケジュールが記されている。

生徒が役割を果たすように助けることに焦点を当てる。教師は教えようとする方法の準備をするとき,教える事柄だけでなく,学習者に焦点を当て続けなければならない。また,「今日きょうはクラスで何をしようか」あるいは「生徒に何を教えようか」と単に考えるだけでなく,「今日はクラスで,生徒は何をするだろうか」あるいは「生徒が知る必要のあることを見つけるように,どう助けられるだろうか」と考えながらレッスンの準備を進めなければならない。

様々な方法や採り上げ方を用いる。説得力のある教授技術でも,使いすぎれば,効果がなくなったり退屈なものとなったりする。目先を変えるだけの方法を選んではならないが,効果的に教えている多くの教師は,各レッスンの時間内でも教え方に変化を持たせ,また日によっても変化をつけている。生徒が興味を失った場合や,生徒が望ましい結果に到達するのに今行っていることが助けにならないと思われる場合,レッスン中に方法を変えられるように準備しておかなければならない。

様々な教授法を用いることは,生徒が異なる方法で学べるようにするのにも役立つ。生徒が,視覚や聴覚,触覚などの様々な感覚を使用しなければならない教授法や学習活動を取り入れれば,生徒はもっと参加するようになり,教えられた事柄を記憶するのに助けとなる。

教師は一般的に,用いるのに楽で有効であると思う方法を選ぶべきではあるが,もっと効果的にできる新しい方法や採り上げ方を進んで試してみなければならない。

この手引きの次の章では,教える方法を決めるときに検討できる様々な教授法と採り上げ方を紹介する。