福音を教え学ぶときの基本
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福音を教え学ぶときの基本

「宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的」では,「教える」際の3つの主要な目的が示されている。管理者と教師は,宗教教育セミナリー・インスティテュートの目的を達成するためにこれを行うように努める。

  1. わたしたちは生徒に,聖典と預言者の言葉に見いだされるままの福音の教義と原則を教えます。

  2. これらの教義と原則を,彼らが理解し,教化されるような方法で教えます。

  3. わたしたちは,生徒が学習の過程における自らの役割を果たすよう助けます。また,福音を他の人々に教える備えができるよう彼らを助けます。

これらの目的を達成できるよう助けるために,セミナリーとインスティテュートの教師と生徒は,「福音を教え学ぶときの基本」を実行するように特に勧められている。

これらの原則と実践と結果は相互に関連し合っている。これらの基本的な事柄を,賢明に,また相互に調和を保って実行するとき,生徒は,聖文と聖文に含まれている教義と原則を理解する能力を身に付けることができる。また,福音の学習における役割を積極的に果たすよう生徒に促し,福音に従って生活して福音をほかの人々に教える能力を増し加える。

たまによって教え,学ぶ〔2.1〕

福音を教え学ぶことは,聖霊の力によって行われる。御霊による教授と学習は,聖霊が役割を果たされるとき,すなわち聖霊が教師,生徒,またはその両者とともに働かれるときに行われる。御霊によって教え学ぶことによってのみ,生徒はイエス・キリストの教えとあがないについて理解しそれに頼るようになり,永遠の命の資格を得ることができる。

ヘンリー・B・アイリング管長は,霊的な学習において聖霊が果たされる重要な役割を強調し,次のように教えている。「生徒は,聖なる御霊によって教えられないかぎり,神について知ることはできませんし,本来あるべき愛し方を知ることもできません。御霊によってのみ,生徒は,神がわたしたちを深く愛してわたしたちの罪を償うために御子を遣わしてくださったこと,イエスが神の御子であられること,またキリストが罪の代価を支払ってくださったことを知ることができるのです。御霊によってのみ,モルモン書が神の真実の言葉であることを知ることができるのです。そして,霊感によってのみ,永遠の命を受けるために必要な儀式を与えてくださっている御父と御子の愛を感じることができるのです。聖霊によって心の中に深く植え付けられるそれらのあかしを得ることによってのみ,生徒は,確かな土台の上に足を置き,人生の誘惑と試練を通じてしっかりと立てることでしょう。」(“To Know and to Love God”〔ヘンリー・B・アイリング管長との夕べ,2010年2月26日〕,2)

woman teaching

以下のリストは,福音を教え学ぶ際に聖霊が果たされる役割に関連してその働きの幾つかを述べたものである。

教師は,霊的な学習における聖霊の重要な役割を理解すると,これらの働きを果たされる御霊を招くために,自分が行えることをすべて行うであろう。これを行うために,個人としてふさわしくあるように努めるであろう。「信仰の祈り」をささげ(教義と聖約42:14),またそれぞれのレッスンの準備を十分に行おうとするであろう。生徒の学習経験に焦点を当てるようにし,またほかのことに心を奪われたり心配したりせずに心を穏やかにするように努めるであろう。謙虚な探究心を持つであろう。また,学ぶ過程で聖霊を招くように生徒に勧めるであろう。

教師と生徒は,聖霊を受けやすくする助けとして以下のことを行える。

  • 有意義なディボーショナルを行う。

  • 聖典と預言者の言葉を読み,教える。

  • 救い主の模範と救い主に関する話し合いに焦点を当て,救い主について証を述べる。

  • 福音の教義と原則について簡潔明瞭めいりょうに述べる。

  • 静かな中で霊感を受けられるように深く考える時間を取る。

  • 適切な個人の経験を分かち合い,教義と原則について証する。

  • 霊を鼓舞する音楽を使う。

  • 互いと主に対して愛と感謝を表す。

Jeffrey R. Holland

教師は次のような質問を考えることによって,クラスに御霊の働きがあるかどうか知ることができる。

  • 生徒は,救い主,福音,聖文に対する愛が増していると感じているだろうか。

  • 生徒は,教えられている原則をはっきりと理解しているだろうか。

  • 生徒は,教化され,学んだ原則を行動に表す促しを感じているだろうか。

  • クラスの和合一致が増しているだろうか。

  • 証を述べ,証を強くしているだろうか。

  • 生徒は,学ぶことに興味を持ち,学び続けているだろうか。

  • 教室に「愛,喜び,平和,寛容,慈愛,善意,忠実」の気持ちがあるだろうか(ガラテヤ5:22)。

いかに才能があっても,あるいは忠実であっても,御霊の働きをなせる教師はだれ一人としていないことを覚えておくことが重要である。時折,霊的な経験を作り出そうとする教師がいる。ボイド・K・パッカー長老は次のように教えている。「霊的な事柄に無理強いはききません。……豆に無理に芽を出させたり,卵にひなにかえるように命じたりすることができないように,無理に御霊から答えを引き出すこともできません。皆さんにできるのは成長を促す環境作りをし,養い,守ることであり,無理強いはできません。成長を待たなければならないのです。」(「主のともしび」『聖徒の道』1983年10月号,40参照)

御霊によって教えようとする教師は,自分の知性や教える技術,人柄だけに頼ってはならない。聖霊の影響力に頼るようにしなければならない(2ニーファイ4:34参照)。また,感情をあおったり,あるいは御霊がある証拠として意識的に涙を誘おうとしたりすることは避けなければならない。ハワード・W・ハンター会長は次のように注意している。「毎日教室で教えている教師……として,わたしたちは,気をつけなければ,ふさわしくない作為的な手段によって主の御霊の真実の影響を模倣しようとし始めるかもしれません。感情の高まりや流れ出る涙が御霊の臨在と同一視されるような状況をわたしは心配します。確かに主の御霊は,涙など,情緒的な強い感情をもたらすことがあります。しかし,その外面的な現れを御霊そのものの臨在と混同してはなりません。」(“Eternal Investments”〔ハワード・W・ハンター会長との夕べ,1989年2月10日〕,4)

教師は,「御霊から……と告げられました」とか,「……するようにと御霊が言いました」などという言葉の使い方には気をつけなければならない。故意であろうとなかろうと,このような言葉は,自分で自分を宣伝するものと思われたり,霊的水準が高いという過大評価をほのめかすことになったりしかねず,結局は霊的な事柄を無理強いするものである。通常,教師は,自分が御霊に促されていることを公言せずに,御霊の促しに従って行動すればそれで十分である。

ヘンリー・B・アイリング長老はこのように勧告している。「生徒に御霊を伴う経験を与えることは,それについて話すことよりもはるかに重要です。また,御霊について経験することは人によって少し違うということを知っておいてください。……それは非常に個人的なものであるので,あまり多く具体的な話をしないように少し慎重になった方がよいと思います。御霊を伴う経験は……『御霊を感じていますか』と言い続けるよりもよいのではないかと思います。『御霊を感じていますか』と言い続けることは逆効果になる危険性があると思います。」(“Elder Richard G. Scott and Elder Henry B. Eyring Discussion”CES訓練衛星放送,2003年8月〕,8)

教師は,御霊によって教えるということは,指定された教科課程用資料を使うことを含め,熱心によく考えてレッスンを準備する責任を排除するものではないということに留意しなければならない。他方,祈ることや考えること,あるいは可能な変更を加えることをせずに,教科課程用資料のすべての提案に従うというのではなく,御霊によって教えるにはそれ以上のことが必要である。さらに教師は,レッスンの概要に厳密に従うことに集中するあまり,心を開くことをしない,つまりクラスの時間中に御霊を受けて御霊からの印象に従わないということのないようにしなければならない。

愛と敬意と目的意識のある学習環境を作る〔2.2〕

教師と生徒が,主と互いと神の言葉を愛し尊ぶとき,学習が促される。目的意識を共有すると,努力と期待を集中させ,また教室での経験が方向づけられる。愛と敬意と目的意識のあるこのような環境を作ることは,教師と生徒の両方の責任であり,聖霊の影響力による教化をもたらす。

愛と敬意〔2.2.1〕

愛は心を和らげ,聖霊の影響力を招く。教師は,救い主が人々を愛されるように愛するとき,救い主が御覧になるように人々を見る。教師は,キリストのような愛があれば,若い男性と女性一人一人が真の改心を遂げられるように助けることを決してやめない。ダリン・H・オークス長老は次のように教えている。「教える召しを受けるときに,わたしたちは永遠の父なる神と御子イエス・キリストを愛しているためにその召しを受け,そして教えるべきです。そのうえで,福音の教師は生徒への愛をもって常に教えなければなりません。……わたしたちを奉仕に駆り立てる最も崇高な動機は,神に対する愛と神の子供たちに対する愛です。愛に基づいて教える人は,自分が仕えている御方のに使われる者として尊ばれることでしょう。」(「福音を教える」『リアホナ』2000年1月号,95参照)

主を愛し,自分たちに対する主の愛を知っている教師と生徒は,主に近づき,もっと主のようになりたいと心から望むようになる。教師と生徒は,主の言葉と預言者の言葉を尊び,敬うと,熱心に聖文を研究し,学ぶことを応用し,また学んでいることをほかの人々と分かち合いたいと思うようになる。

生徒は,教師やほかの生徒から愛され,尊敬されていると分かれば,学ぶ準備が整っているクラスにやって来るであろう。受け入れられ,愛されていると感じれば,心が和らぎ,恐れが薄れ,自分の経験と気持ちを教師やクラスのほかの生徒と分かち合いたいという望みとそれに必要な自信を持つようになるであろう。

students talking to teacher

教師は,生徒がしょくざいを理解するように助けることにより,生徒に彼らの神聖な性質と,天の御父と御子にとって無限の価値があることを教えることにより,また適切に敬虔けいけんな方法で御二方について語りあかしすることにより,生徒の主に対する愛と尊敬の気持ちを養うことができる。

教師は,生徒に対して抱いている愛と尊敬の気持ちを増すようにしなければならない。そうすることは,生徒に対してキリストの純粋な愛を放つのに役立ち,また忍耐と思いやりをもって教えるのに役立つであろう。教師は,生徒の名前を覚え,彼らの関心事,才能,努力目標,能力を知るように努めることができる。生徒全体のために,また各々のためにも祈ることができる。クラスに来るすべての生徒を自ら歓迎し,またすべての生徒に参加する機会を与えることができる。生徒が質問するときや自分の考えや気持ちを分かち合うときに,注意深く耳を傾けなければならない。さらに,生徒が参加する催し物やスポーツ競技,その他の行事に行くとよい。生徒を愛するように努力はしても,親や神権指導者に代わろうとしたり,生徒の個人的な相談相手になろうとしたりしてはならない。

ほとんどの教師には,ある程度,能力に限界のある生徒や心身に障がいのある生徒がクラスにいるであろう。彼らも天の御父の子供であり,現世で経験する問題や制限にかかわりなく福音を学ぶ必要がある。預言者ジョセフ・スミスはこのように教えている。「神がかつて世に送られたすべての精神と霊は,成長することができます。」(『歴代大管長の教え-ジョセフ・スミス』〔2007年〕,210)教師は,生徒の全員にこまやかに気を配り,レッスンを準備し,行うときに彼らの個人的な必要と能力を考慮する必要がある。

教師が生徒に対する真心からの愛を増すために行える最も有益なことの一つは,心から祈って慈愛のたまものを求めることである。預言者モロナイはこのように教えている。「したがって,わたしの愛する同胞はらからよ,あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,また神の子となれるように,熱意を込めて御父に祈りなさい。」(モロナイ7:48

目的意識〔2.2.2〕

教師と生徒が目的意識を共有すると,信仰が増し,教室での経験の指針が定まり,経験が意義深いものとなる。生徒は,天の御父と御子イエス・キリストを知るようになるために,また聖典と預言者の言葉を研究することによって永遠の命に向かって進むためにクラスに出席しているということを理解するであろう。また,生徒は,探究と祈りの姿勢で主に近づくことによって,聖霊により教えられ教化されることができると信じるであろう。教師と生徒が,たまによって学べる,また互いから学べるという期待をもって聖文研究に取り組むとき,啓示を招く環境が整えられる。

教師は以下のことを行うことによって教室で目的意識を持つように促すことができる。

  • 学習者としての役割を果たすことを生徒に期待する。目的意識があるクラスでは,教師は生徒に学習者としての役割を果たすことを期待し,そうすることによって生徒を助けている。また,そのようなクラスでは,生徒は有意義な方法で貢献するという信頼を得ている。生徒を心から愛し,目的意識を持っている教師は,わずかな努力で満足しないで生徒の成長と成功に十分に気を配る。このような教師は,愛をもって励まし,生徒が学習者としてもイエス・キリストの弟子としてもその潜在的な能力を発揮するように彼らを高めるであろう。

  • 聖文と福音について誠実で,熱心で,精力的である。生徒は,教師が話し合いの対象となっている題材に熱意と信仰を持っていると感じるとき,通常,目的を持って学びたいという,より大きな望みを持つものである。

  • 教化するレッスンを準備する。教師は,教化するレッスンをよく準備してクラスに来て,従うように導かれた指示を信頼するとき,生徒に目的意識が伝わり,生徒はそれを容易に理解することができる。

  • 必要な資料と機器を準備する。教師は,必要な資料と機器を準備するために,生徒よりも先に教室に到着しなければならない。そうすれば,到着する生徒の一人一人にあいさつすることができる。生徒は,時間どおりに教室に来て,クラスが始まる前に机に向かい,聖典やマーカーペン,日記など,然るべき学習教材をすべて準備しておくようにしなければならない。

  • 時間を無駄にしない。クラスが時間どおりに始まり,無駄な時間はないと生徒が分かるとき,生徒は目的意識を感じるであろう。

  • クラスの手順を定めておく。クラスでしばしば繰り返す物事の手順を定めておくことは,秩序感覚と目的意識をもたらす。クラスの手順はすべての生徒の参加を促し,教師と生徒が貴重なクラスの時間をもっと有効に使うのに役立つ。聖典と学習教材を受け取り,片付ける,心を啓発するディボーショナルを計画し,提供する,配付物や資料を配り,集めるなどの作業の手順を定めておくことができる。発表事項を伝えること,生徒の出席記録をつけること,割り当てを確認すること,その他の事務を行うことは,ディボーショナルとレッスンの前に済ませておくのがよい。

適切な学習環境を作るための追加の提案〔2.2.3〕

愛と敬意と目的意識のほかに,理想的な福音の学習環境には,秩序,敬虔けいけん,平安な気持ちもある。ボイド・K・パッカー長老は,「霊感は穏やかな環境の中ではいっそう容易に与えられ」,また「敬虔さが啓示をもたらす」と教えている(「啓示をもたらす敬虔さ」『聖徒の道』1992年1月号,23)。以下に挙げるのは,福音を学ぶ助けになる環境を設け,維持するために教師が用いることのできるその他の提案である。

物理的な学習環境を整える

物理的な環境は生徒が福音の学習で経験することに影響を及ぼすことがある。教師は,生徒が快適に感じ,レッスンに集中できるように,教室の準備をするためにできることをすべて行わなければならない。考慮すべき事柄として以下のことがある。

座席。何か特別な事情がないかぎり,生徒皆が楽に座り,書いたり,聖典や学習教材を置いたりする席がなければならない。また生徒が教師や教師の用いる視覚資料を見やすい座席配置でなければならない。可能な場合,様々な学習活動に応じて座席配置を変えてもよい。席を決めておくと,教師が生徒の名前を早く覚えるのに役立ち,小人数のグループ学習やマスター聖句の活動のためにクラスを編成するのに便利であり,またレッスン中に互いにおしゃべりをしがちな生徒を引き離すことができる。教師は,集中できないあるいは視力障がいのある生徒によく気を配って席を配置し,レッスンへの参加を促すようにする。

気を散らすもの。教師は,教授と学習を妨げかねないような,気を散らすものを取り除くように努めなければならない。家庭で教える場合は,特に難しいことがあるかもしれない。しかしその場合でも,入念に計画すれば,妨げとなるものを最小限に抑えることができる。

教室の環境。福音に関連した絵や写真,イラスト,ポスターなどの展示で学習環境を良くすることができる。きれいで,清潔で,整頓された教室も人を敬虔にし,たまの影響を受けやすくする環境となる。

object lesson

教師の外見。教師の服装と身だしなみが慎み深く,適切であり,福音のメッセージの神聖さを反映するものである場合,生徒はもっと学習経験の重要性を理解しやすくなる。

ディボーショナルを効果的に行って御霊を招く。

クラスの始めに短いディボーショナルを行わなければならない。ディボーショナルは,思いと心を霊的な事柄に向けさせることによって生徒を結束させるすばらしい方法である。それによって,教師と生徒は御霊を感じ,学ぶ準備をすることができる。ディボーショナルは通常,賛美歌,祈り,聖文を読んで得た考えから成る。生徒が個人の聖文研究で得た気持ちと洞察を分かち合い,あかしを述べるとき,それは非常に効果のあるものとなる。時間の長い,あるいは手の込んだディボーショナルでは,レッスンの時間が短くなるだけでなく,実際に御霊が退いてしまう恐れがある。ディボーショナルにリフレッシュメントを出すと,霊的というよりも,軽々しい陽気な雰囲気になってしまう。教師は,ディボーショナルの目的と,ディボーショナルを改善するために行える事柄と,すべての人に参加を促すことのできる方法について,生徒たち,特にクラスリーダーと時間を割いて話し合う必要がある。

霊的な学習の原則について話し合う。

教師は,年度の始めに生徒を交えて,どのような状態であれば霊的な学習が促されるかについて話し合うとよい(1コリント2:10-11教義と聖約50:17-2288:121-126参照)。これらの話し合いでは,福音を学ぶときにともにいるように主の御霊を招く態度と,また御霊が退く原因となる態度にも焦点を当てるとよい。教師と生徒は,御霊を招くために同意した事柄を実践するために絶えず互いに励まし合わなければならない。このような努力は,生徒と教師の両方が,学ぶ過程で御霊を招くために果たす役割を理解し,その役割を果たすのに役立つであろう。

学習活動を注意深く選ぶ。

教師は,様々な学習活動が生徒の気持ちや態度を様々に変えるということを知っておかなければならない。例えば,クラスの始めににぎやかなゲームをして教えた後,レッスンを霊的に終えることができなくなって困った教師がいる。また,クラスの間にリフレッシュメントを出したときに,規律の問題がさらに大きくなるということを知った教師もいる。

生徒の行動に注意を払い,適切に対応する。

教師は,レッスン中に起こっていることに気を配り,適切な方法で対応しなければならない。生徒が退屈そうであったり,落ち着かない様子であったりする場合,それは,レッスンに集中していないか,あるいは,教えられている事柄を,もしくはそのレッスンが自分にどう当てはまるかを理解していないためと考えられる。教師は,生徒が集中するのを助けるために,レッスンの提示方法を何か変える必要があるかもしれない。生徒が不適切な行動をし,クラスから御霊を退かせるような原因を作っている場合,それを無視するのではなく,霊感を求めてその問題に対処する必要がある。教師は,ほかの生徒との会話がない生徒や孤独に見える生徒にも気を配らなければならない。そのような生徒には,教師やクラスのほかの生徒からの個人的な関心がさらに必要かもしれない。そのような場合,教師は,知っておく必要のある根本的原因や事情があるかどうか確認するために親と神権指導者に話すとよい。

秩序を乱す行為や不適切な行為を正す。

教師が教室に適切な秩序と敬意をもたらすのに役立つ,心に留めておくべき一般的な原則が幾つかある。秩序があるとは,必ずしも完全に沈黙するということではなく,またクラスが楽しく愉快な所であってはならないということでもない。しかし,秩序を乱したり不敬な言動をしたりする生徒やグループは,学習に悪い影響を与えたり,聖霊の影響力が及ぶのを妨げたりすることがある。

生徒の一人あるいはグループの行儀が悪いと,それによって教師とほかの生徒がいらいらすることがある。そのような場合,教師にとって特に大切なのは,自分の感情をコントロールし,御霊の影響力を求めることである。起こっている出来事に教師がどのように対応するかは,出来事そのものよりも重要であり,生徒の敬意と信頼感を増すこともあれば,減じることもある。教師は,不適切な行為を正す場合,確固とした姿勢を示しながらも,優しさと公平と心配りも示し,その後すぐにレッスンに戻る必要がある。生徒を公然とあざけることは,一時的に生徒の行為を正すのに役立つかもしれないが,教師と生徒のどちらをも教化しない。また,ほかの生徒たちが教師を恐れたり,信頼しなくなったりするという結果を招く危険性もある。教師は,説得,寛容,温厚,柔和,偽りのない愛,優しさという義にかなった影響力のことを心に留めておかなければならない(教義と聖約121:41-42参照)。

Thomas S. Monson

問題が起きたときに,教師がその問題を処理するために取れる具体的な方法が幾つかある。これらの方法を使えば,すべての生徒やあらゆる状況に同じ方法では対応できない規律の問題に対処できる可能性がある。

  • 目を合わせる。生徒は,教師に気づかれないと考えて,不適切なときにおしゃべりをすることがある。そのような場合,教師はその生徒たちの方を向いて目を合わせ,起きていることに教師は気づいているということを知らせる。

  • 話すのを中断する。話を聞くべきときにおしゃべりをしている生徒がいる場合,教師は,必要であれば話している途中であっても,話すのを中断する。彼らより大きな声を出して話しても,通常は問題の解決にはならない。

  • 近づく。不適切な行動を直接に指摘せずに正すもう一つの方法は,問題の生徒に近づいて,傍らに立つことである。この方法を取ると教師はレッスンを続けることができ,生徒も通常は教師の存在を感じて,していることをやめるものである。

  • 質問する。不適切な行動そのものには触れず,問題の生徒にレッスンに関連した質問をする。そうすれば,恥ずかしい思いをさせずに,生徒をレッスンに引き戻すことができる。

あまり直接的でないこれらの方法に生徒が反応せず,まだクラスの妨げとなることがあるかもしれない。その場合,以下のようなもっと直接的な方法を取って,秩序の維持を図ることができる。

  • 問題の生徒と個人的に話す。主は,もしだれかがほかの人に害を及ぼした場合,害を受けた人が自分に害を与えた人と「二人だけで」話し合わなければならないと述べておられる(教義と聖約42:88)。教師は,生徒が不適切な行動を取っている理由について本人と話し合い,態度を変えなければならないこと,そうしなければほかの手段を取るようになることをその生徒に知らせる。教師は,生徒の行動とその個人の価値とを区別するようにしなければならない。「人の価値が神の目に大いなるものである」ことを覚えておくことが重要である(教義と聖約18:10)。教師は,好ましくない行動は容認できないが,その生徒は価値ある存在であることを生徒に伝えなければならない。また,主の勧告に従うことを心に留めて,「あなたの責めた人……にいっそうの愛を」示さなければならない(教義と聖約121:43)。

  • 妨害する生徒たちを引き離す。

  • 親や神権指導者と相談する。容認できない行動が続く場合,教師がその生徒の親と相談することはしばしば有益である。問題を解決するのに役立つさらなる洞察とアイデアを親から得られることがよくある。生徒のビショップから助けが得られる場合もある。

  • 生徒をクラスから出す。デビッド・O・マッケイ大管長は教師に次のように勧告している。「〔あなたの努力が〕実を結ばなければ,その親に訴え,『もし行動がこのまま改まらなければ,登録を取り消さざるを得ません』と話してもよい。これは非常に厳しい処置である。教師は〔生徒〕の登録を取り消すことができる。ただし,そうする前にほかのあらゆる手立てを尽くすべきである。しかし,秩序がなければならない。それは人の成長に必要なものであり,一人〔の生徒〕が,あるいは二人〔の生徒〕がその要素を生み出すことを拒むなら,彼らを去らせなければならない。クラス全体が徐々に毒されていくよりは,一人〔の生徒〕が飢える方がよい。」(“The Teacher’s Greatest Responsibility” Instructor1965年9月号,343)

生徒に長期間の出席停止を伝える前に,教師は,親,セミナリーとインスティテュートのスーパーバイザー,また担当の神権指導者と相談しなければならない。そのような場合,教師にとって大切なのは,次の点を生徒と親が理解できるように助けることである。すなわち,容認できない行動を選ぶということはセミナリーに出ない選択をするに等しい。容認できないのは妨害行為であり,生徒ではない。選びを変える生徒はクラスに戻ることができる。

Jeffrey R. Holland

毎日聖文を研究し,コースの聖典を読む〔2.3〕

毎日聖文を研究する〔2.3.1〕

毎日の個人の聖文研究は,教師と生徒にとって,福音を学び,あかしを増し,主の声を聞く絶えざる機会となる。主は教義と聖約の中で次のように述べておられる。「聖文が,あなたがたを教えるためにわたしから与えられている。(教義と聖約33:16)預言者ニーファイは,「キリストの言葉をよく味わいながら力強く進み,最後まで堪え忍ぶならば,……永遠の命を受ける」と教え(2ニーファイ31:20),また「キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げる」とも教えている2ニーファイ32:3)。

末日の預言者は,毎日聖文を学ぶことの重要性を強調している。ハロルド・B・リー大管長は次のように忠告している。「もし毎日聖文を読んでいないとしたら,わたしたちの証は次第にやせ細り,霊性が深まることもありません。」(『歴代大管長の教え-ハロルド・B・リー』〔2000年〕,70)ハワード・W・ハンター長老も次のように教えている。「毎日聖文を勉強する人の方が,長時間勉強したかと思うとぱったり休むという人よりも,はるかにはかどることは確かです。」(「聖典を読む」『聖徒の道』1980年3月号,87)

リチャード・G・スコット長老は次のように勧めている。「どうぞ大切な青少年一人一人の思いと心に聖文への愛を燃え上がらせてください。青少年一人一人の中でその消すことのできない炎が燃え上がるようにしてください。炎は,それを感じた人々を,絶えず主の言葉を知り,主の教えを理解し,それを実践し,それをほかの人々と分かち合いたいという望みを持つように動機づけることでしょう。……

まず,生徒が主の神聖な言葉について多くを学ぶとき,一歩一歩生徒とともに歩んでください。聖文に対する皆さんの熱意と敬意と愛を彼らが感じられるようにしてください。

第2に,生徒が聖文を読み,深く考え,ひそかに祈るようにして,聖文からわき出る力と平安を見いだせるように助けてください。(“Four Fundamentals for Those Who Teach and Inspire Youth”〔旧約聖書に関するCESシンポジウム,1987年8月14日〕,5)

Ezra Taft Benson

生徒が聖文を大切にして日々研究するようになるのを助けること以上に,教師が生徒の生活により力強く永続的な良い影響を及ぼせることはほとんどない。教師が自分の生活で日々の聖文研究の模範を示すことから,しばしばこれが始まる。毎日有意義な個人の聖文研究を行う教師は,自らの生活における聖文の価値について個人の証を生徒に述べる資格がある。このような証は,生徒が自分自身で定期的に聖文を研究しようと決意するのに役立つ重要な要素となる。

教師は,日々の個人の聖文研究の背景となる教義と原則を一貫して教えるべきである。教師はまた,個人の聖文研究の時間を毎日取るように生徒一人一人を励まし,また実績が分かる適切な確認方法を使って,毎日研究するという責任を生徒が引き受けるように助け,さらに個人の聖文研究で学び,感じていることを幾らか互いに分かち合う機会をクラスで定期的に与えることができる。毎日の聖文研究を促すときは,自分で聖文を研究しようと懸命に努力している生徒を当惑させたり,やる気を失わせたりしないように気をつけなければならない。

識字障がいなどの学習障がいがある生徒には,音声や手話,点字など,生徒の必要により合った方法で聖文を学ぶ選択肢を与えるようにしなければならない。読むのに苦労する生徒の多くにとって,ほかの人が声に出して読んでいる間,そのページを目で追うことは有益である。

聖文研究の技術と方法

生徒が個人の聖文研究をよく行えるようにするために,教師は,生徒が聖文研究のいろいろな技術と方法を身に付けて活用するのを助けることができる。以下に挙げるすべての技術と方法,ならびにこの手引きに述べられていないその他の技術と方法を指導して,生徒がたまによって学び,聖文を理解し,福音の教義と原則を見つけ,それらを生活に応用する際の助けとする。

聖典研究補助資料を使う。教会は広範囲にわたる聖典研究補助資料を作成し,幾つかの言語で標準聖典に載せている。(ほかの言語でも『聖句ガイド』として準備されている。)補助資料として,脚注,章の前書き,項目別索引,『聖書辞典』(Bible Dictionary),地図などがある。これは,教師と生徒が聖文を研究するときに利用できる最も価値のあるものである。教師は,この研究補助資料をクラスの間に適切に使って,生徒がこれに精通するように助けることができる。教会はまた,その他の有益な研究資料をオンラインで利用できるようにしている。

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印を付け,注釈を施す。教師と生徒にとって,学んだことに注意を払い,忘れないようにするための最も有益な方法の一つが,聖文に印を付け,注釈を施すことである。印を付けるとは,明示する,区別する,際立たせる,あるいは留意を促すことである。そのために,聖文の大切な言葉や語句に傍線を引いたり,色を塗ったり,要点を書いたりする。注釈を施すとは,解説の言葉を書き加えることである。聖文の注釈の例として,個人として感じたこと,預言者の注解,相互参照,言葉の定義,クラスの生徒のコメントから得た洞察を,特定の聖句の隣の余白部分に書くことなどがある。

聖文に印を付け,注釈を施すことは,教師と生徒にとって次の点で役立つ。

  • 重要な言葉,語句,概念,真理,人物,出来事を思い出すことや見つけることが容易になる。

  • 聖文の意味が明確になり,よく分かる。

  • 自分が得た洞察とほかの人々から得た洞察を残しておける。

  • ほかの人々に福音を教える準備ができる。

教師は生徒に次のように言って,聖文に印を付けるように促すことができる。「この聖句を調べるときに,皆さんが見つけた大切な原則に印を付けるようにしてください。」「これは大切な相互参照聖句です。聖典の余白に書いておくとよいでしょう。」聖文に印を付けることについては,特定の方法を教えるよりも,年度を通してその基本要素を教え,説明し,実行する方がよい。

深く考える。深く考えるとは,ある事柄についてめいそうする,あるいは熟考することを意味し,それにはしばしば祈りが伴う。生徒が個人の聖文研究のときに深く考えるようになると,御霊がしばしば真理を明らかにし,どうすればもっとイエス・キリストのようになれるかを知る助けを与えてくださる。

救い主はニーファイ人を教えた後,彼らに次のように言われた。「わたしが述べたことを深く考えなさい。」(3ニーファイ17:3)霊的にレッスンに参加し,学んでいることを実践して理解を深めるように生徒を促す一つの方法は,学んだことについて瞑想する時間をクラスで与えることである。そのようなときに,教師は,主の助けを求めるように生徒に勧めなければならない。

Jeffrey R. Holland

質問する。聖文を研究するときに質問をして答えを求めるようにすることは,生徒が身に付けられる最も重要な聖文研究技術の一つである。質問をする生徒は,聖文の背景と内容をもっとよく理解できるようになり,また福音の重要な教義と原則を見つけて理解できるようになる。生徒は,質問をするようになると,自分が学んでいることは真実であり重要であると感じるようになり,また学んでいることをどのように実践すればよいか分かるようになる。

難しい言葉と語句の意味を明確にする。生徒が難しい言葉と語句を理解するのに,辞書,生徒用資料,脚注,聖典研究補助資料がしばしば役立つ。

思い描く。思い描くとは,聖文の話の中で起こっていることを心の中で想像することである。例えば,生徒は,救い主に向かって水の上を歩いているペテロ(マタイ14:28-29参照)や,火の燃える炉の中に投げ込まれたシャデラク,メシャク,アベデネゴ(ダニエル3:19-25参照)を想像することができる。思い描くことは,生徒にとって,聖文の話をもっと鮮明で生き生きしたものとするのに役立つ。

聖文を自分に当てはめる。聖文を自分に当てはめるとは,自分自身の生活になぞらえることである。生徒は次のように自問することができる。「自分の生活でどのような事情や状況が,聖文のこの箇所の事情や状況に似ているだろうか。」「自分は今聖文で学んでいる人物にどのように似ているだろうか。」生徒は,自分の経験と聖文中の経験の類似点に目を向けるとき,福音の教義と原則を見つける能力を増すことができる。また,自分自身の生活のよく似た状況でこれらの原則をどのように応用できるか知ることもできる。

相互参照する。相互参照とは付加的な聖文の参照箇所のことであり,これによって,学んでいる箇所に関する情報と洞察をさらに得ることができる。相互参照する,すなわち「リンクさせる」とは,生徒が聖句や教義,原則を理解するのに助けとなる聖文の参照箇所をつなぎ合わせることである。有益な相互参照は,脚注とその他の研究補助資料,教師用手引きと生徒用資料,また総大会の話の中に見つけることができる。教師と生徒は,自分で学んでいるときにも関連ある相互参照を見つけることができる。

比較し,対比する。聖句や教義,原則は,何かほかのものと比較あるいは対比するときに,明確になることがよくある。教えや人物,出来事の類似点または相違点に留意すると,福音の真理にさらによく集中することができる。例えば,ベニヤミン王の統治とノア王の統治を対比すれば,義にかなった指導者が受ける祝福と邪悪な指導者の招く破滅を非常にはっきりと知ることができる。ヤコブとアルマの生涯と教え,証を,シーレムとコリホルの思想や生涯と比較することによって,生徒はもっと容易に今日こんにちの世の偽りの思想を見分け,それと闘う方法を知ることができる。イスラエルの子ら,リーハイと家族,ヤレド人が旅した約束の地への行程を比較し対比することから,教師と生徒は原則を学び自分の人生における旅に役立てることができる。

リストを作る。リストとは,一連の関連する考え,概念,教えのことである。教師と生徒にとって,聖文中にリストを探すことは,記録者が強調している要点を明確にするのに役立つ。例えば,十戒は一つのリストである(出エジプト20章参照)。至福の教えもリストと見なすことができる(マタイ5:3-123ニーファイ12:3-11参照)。教義と聖約4章には,主に仕える召しを受ける人々の資格についてのリストがある。

関連性,パターン,テーマを探す。聖文を研究するときに関連性,パターン,テーマを探すように生徒に勧める。デビッド・A・ベドナー長老は次のように語っている。「霊的な知識をさらに加えてくれるのが,関連性,パターン,テーマを探しながら啓示を注意深く調べるという方法です。……救いの計画の理解ととらえ方が広がります。」(「生ける水の源」〔ヤングアダルトのためのCESファイヤサイド,2007年2月4日〕,2)

教師と生徒は,通常,年度を通してクラスでこれらの技術と方法の多くを使うことになる。そうするときに,教師は,時折レッスンを中断して,使っている方法や技術について生徒と短時間話し合い,個人学習で使うように励ますとよい。

コースの聖典を読む〔2.3.2〕

すべての標準聖典,すなわち,旧新約聖書,モルモン書,教義と聖約,ならびに高価な真珠は,霊感によって書かれたものであり,福音の教義と原則が含まれている。標準聖典は人に対する神の業について述べており,イエス・キリストのしょくざいについて教えている。個人にとっても人々にとっても重要なものであり,天の御父によって備えられた福音と救いの計画について,より深い理解を与えてくれる。

生徒と教師は,各学習コースに対応する聖典をすべて読み,研究しなければならない(例外として,旧約聖書については教科課程用資料に挙げられている抜粋箇所を読む)。

Richard G. Scott

聖典と預言者の言葉の背景と内容を理解する〔2.4〕

聖典と預言者の言葉の背景と内容が分かると,教師と生徒は,霊感を受けた記録者の告げようとしていることをよく理解する準備ができる。背景と内容は,ほかの人の経験と教えに記録されている福音の教義と原則を明らかにし,例証する。以下の多くは特に聖典の背景と内容を理解することについて述べたものであるが,同じ原則と考え方が,末日の預言者の言葉とメッセージの研究にも応用できる。

前後関係〔2.4.1〕

背景とは,(1)ある節または一連の節の前後にある聖句,あるいは(2)特定の聖句や出来事,話にかかわる状況あるいは背景となる状況のことである。

背景は,聖文の内容を理解する手段である。聖文の中の物語,教え,教義,原則を明らかにし,理解を深める背景情報を提供する。聖典の各記録者は聖霊に導かれて書いているが,その記録は記録者の描写法と文化の影響を受けている。したがって,記録を理解するために,教師と生徒は,記録者が見たように物事を見ることができるように,努めて心の中で「彼らの世界に足を踏み入れ」なければならない。以下は,様々なタイプの背景の例である。

Thomas S. Monson

歴史的な背景。ジョセフ・スミスが教義と聖約121,122,123章の啓示を受け,記録したのがリバティーの監獄にいたときであったことを考えると,逆境や,力と権能の使用などの事柄に関してこれらの章で教えられている教義と原則に深みと力が加えられる。

文化的な背景。古代イスラエルの祭りの日と休日の背景を知ることによって,それが象徴的に救い主とその使命にどのように関連しているかが明らかになる。サマリヤ人の起源と,キリストの時代にユダヤ人が彼らのことをどのように思っていたかを知ることによって,良いサマリヤ人のたとえがよく理解できるようになり,またサマリヤの井戸での救い主と女性の出会いの意味が深まる。

たとえや出来事,教義,原則を引き出した質問や状況。教義と聖約9章はオリバー・カウドリが翻訳できなかったことに対して与えられたものであることを理解すると,その章で教えられている啓示に関する原則が明らかになる。

Joseph Smith

だれが,だれに,なぜ語っているか。しょくざいと復活,裁き,あわれみ,公正に関するアルマの教えは,その教えの背景が息子コリアントンとの対話であり,息子は自分が犯した重大な罪の結果について心配していたということを知ると,より深い意味を持つ。

地理的な背景。カナンの地勢を知ることによって,ロトとアブラハムが定住した場所,それが彼らの選択にどのような影響を与えたか,またその選択が彼らの家族にどのように影響したかをもっと深く理解できるようになる。

聖典,聖典中にある研究補助資料,教科課程用資料には通常,教師と生徒が聖文の内容を理解するのに助けとなる背景上の情報が十分に含まれている。

内容〔2.4.2〕

内容とは,聖文を構成している話の筋,人物,出来事,説教,霊感に基づく説明である。聖文の内容は,その聖句ブロックに見いだされる教義と原則を生きたものとし,関連性を与える。例えば,しんちゅうの版を手に入れたニーファイの話は,主を信じる信仰を持ち,たまに聞き従うことによって,克服できないように思える問題を克服できるようになるという原則を教えている。エジプト脱出に関する出来事を理解すると,主を信頼し,預言者に従うことによって,民と国家は主が約束してくださった祝福を受けることができるが,民がつぶやき,不従順になると祝福は差し止められるということが明らかになる。

生徒は,聖文に述べられている人々を知るようになると,自分が直面する難問に対処し,信仰をもって生活しようという霊感と励みを得ることができる。リチャード・G・スコット長老は,モルモン書の約束について次のように述べている。

「モルモン書をひもとけば,ニーファイ,ヤコブ,エノス,ベニヤミン,アルマ,アンモン,ヒラマン,モルモン,モロナイ,そのほか大勢の人々の友情と価値ある模範に出会うでしょう。彼らは,もう一度勇気を奪い立たせ,信仰と従順への道を示してくれるでしょう。……

しかしそれ以上に大切なのは,彼らは皆例外なく,皆さんの目を完全無比な友,救い主,あがない主,キリスト・イエスに向けてくれるということです。」(「引き上げてくれる真の友」『聖徒の道』1989年2月号,79)

聖文に注意深く保存されてきた説教は,内容のもう一つの非常に重要な部分である。罪のことで苦しんでいる生徒は,パウロや息子アルマの説教を希望と励ましの源とすることができる。民に対するベニヤミン王の最後の説教では,救い主と主の贖罪の力,およびその重要性が見事に説かれており,また奉仕の意味,従順がもたらす祝福,助けを必要としている人に手を差し伸べることの重要性が明らかにされている。イエス・キリストの弟子になろうと熱心に努力している生徒は,山上の垂訓における救い主の言葉を学び,応用するように努めることによって洞察を得られる。

難しい言葉や語句の意味,たとえや象徴などの解釈を学ぶことも,内容を理解することの一部である。例えば,「味」(マタイ5:13),「すがる」(教義と聖約11:19参照),「裂ける」(教義と聖約45:48)などの言葉や,「腰に帯を締める」(教義と聖約75:22参照),「財布と袋」(ルカ10:4参照)という語句の意味を知ることは,聖文の意味を明らかにするのに役立つ。救い主のたとえで教えられている原則は,高価な真珠(マタイ13:45-46参照),麦と毒麦(マタイ13:24-30参照),迷い出た羊(ルカ15:4-7参照)などのたとえの象徴的な意味が分かると,もっと容易に理解できるようになる。

Christ with sheep

教師は,学び,教えることのできるすべての情報とともに,知恵を働かせて,実際にどれだけの時間を背景と内容に充て,またどれだけの時間を福音の教義と原則を学ぶことに費やすかを決めなければならない。教師は,生徒が聖文の中に見いだされる永遠の真理を理解するのに役立つ背景と内容を提供しなければならない。しかし,そうした背景や細部を強調しすぎて,それがレッスンの中心となってはならない。

福音の教義と原則を見つけ,理解し,それらが真実であり重要であることを感じ,それらを応用する〔2.5〕

福音の教義と原則を見つけ,理解することは,教師と生徒が聖典と預言者の言葉を自分の生活に応用するのに役立ち,また物事を決める際の指針となる。福音の教義と原則が真実かつ重要であり,緊急を要するものであると感じれば,学んだことを応用したいという望みが強くなる。福音の原則を応用すると,約束された祝福がもたらされ,理解力と改心が深まり,教師と生徒がもっと救い主のようになるのに役立つ。

教義とは,イエス・キリストの福音の基本的な不変の真理である。天の御父は骨肉の体を持っておられる,バプテスマは神の王国に入るために必要である,また,すべての人が復活するなど,このような真理は教義の例である。

原則とは,物事を決めるときに指針として取り入れることのできる不朽の真理や決まりである。福音の原則は普遍であり,人々が福音の教義を毎日の生活に応用する助けとなるものである。リチャード・G・スコット長老は次のように教えている。「原則は真理を凝縮したものであり,異なった状況に広く応用できるものです。」(「霊的な知識を得る」『聖徒の道』1994年1月号,97)すなわち,福音の原則は通常,行動ならびにそれに伴う結果を示す。例えば,祈ることは常に誘惑に打ち勝つのに助けとなる教義と聖約10:5参照)。また,わたしたちが聖霊の促しに従えば,主から命じられたことを果たせるように聖霊は助けてくださる1ニーファイ4章参照)。

教義と原則の違いを見分けることは時折難しい。ヘンリー・B・アイリング長老は次のように述べている。「ところで,わたしは,原則と教義をはっきり区別するのに多くの時間をかけたいとは思いません。その種のことはあまり役立たないという話を聞いたことがあります。」(“Training Guidelines and Resources: Elder Richard G. Scott and Elder Henry B. Eyring Discussion,”CES衛星訓練放送,2003年8月〕,10)

教義と原則を見つける〔2.5.1〕

聖文の主要な目的の一つは,福音の教義と原則を教えることである。マリオン・G・ロムニー管長は次のように説明している。「人は実に,福音の原則を学ぶことなしに聖文を研究することはできません。なぜなら,聖文は,わたしたちを益するために原則を書き残したものだからです。」(“The Message of the Old Testament”〔旧約聖書に関するCESシンポジウム,1979年8月17日〕,3)ボイド・K・パッカー長老は次のように教えている。「〔原則は〕聖文の中に見いだせます。それは啓示の本質であり,啓示が与えられる目的です。」(“Principles,”Ensign1985年3月号,8)この神権時代に,主は聖典に見いだされるままの福音の原則を教えるようにと主の教会の教師と指導者に命じておられる。「さらにまた,この教会の長老と祭司と教師は,『聖書』と完全な福音が載っている『モルモン書』の中にあるわたしの福音の原則を教えなければならない。」(教義と聖約42:12

聖典に見いだされる福音の教義と原則を見つける方法を学ぶには,思慮深く努力し,実行する必要がある。この努力について,リチャード・G・スコット長老は次のように語っている。「原則を探求することです。原則と,その説明のために用いられている枝葉的な事柄とを注意深く識別しましょう。」(「霊的な知識を得る」97)

教師は,クラスで時折,教義と原則を指摘する時間を取る。また別の時間に,生徒を導き,励まし,生徒自身が教義と原則を見つけるようにする。教師は,生徒が自分で教義と原則を見つける能力を身に付けられるように熱心に助けなければならない。

教義と原則によっては,はっきりと述べられていて見つけやすいものもある。このような明白に述べられている原則の前には,しばしば「これによって分かるように」「したがって」「それだから」「見よ」などの言葉が見られる。これらの言葉は,聖典の記録者がその言わんとすることを要約したり,結論を引き出したりしていることを示す。

例えば,ヒラマン3:27は次のとおりである。「これによって分かるように,主は,真心から主の聖なる名を呼ぼうとするすべての人にあわれみをかけられる。」

アルマ12:10は次のとおりである。「したがって,心をかたくなにする者はわずかなことしか受けないが,心をかたくなにしない者は,さらに多くの御言葉を与えられて……。」

エペソ6:13では次のように教えられている。「それだから,悪しき日にあたって,よく抵抗し,完全に勝ち抜いて,堅く立ちうるために,神の武具を身につけなさい。」

アルマ41:10には次のようにある。「見よ,あなたに言っておくが,悪事は決して幸福を生じたことがない。」

聖典の記録者は,多くの原則を言葉で直接に述べるのではなく,言外に伝えている。言外に伝えられる原則は,聖典の書全体,章,あるいは単独の節から得られこともあり,あるいは聖典の話の筋や出来事,たとえの中に示されていることもある。言外に伝えられる原則を見つけることには,聖典の話の中で述べられている真理を見分けることと,それを明確かつ簡潔に述べることが含まれる。そのためにはしばしば,時間をかけて注意深く考えることが必要である。リチャード・G・スコット長老は次のように教えている。「集めた真理を組み立てて簡潔な原則を生み出そうと努めるのは,有意義なことです。」(「霊的な知識を得る」97参照)

言外に伝えられる原則は,聖句ブロック内の原因と結果の関係を探すことによって見つかることがよくある。聖典の話に出てくる人や人々の行動,態度,行いを分析し,また祝福や結果を見つけることによって,福音の原則がよりはっきりと分かるようになる。

言外に伝えられる原則は,以下のような質問をすることによっても見つけることができる。

  • その話の教訓と要点は何だろうか。

  • 記録者がこの出来事や言葉を入れたのはなぜだろうか。

  • 記録者はわたしたちに何を学ばせようとしたのだろうか。

  • この言葉の中で教えられている基本的な真理は何だろうか。

以下は,言外に伝えられる原則の幾つかの例である。

息子アルマまたはパウロの生涯における出来事から学べる原則:真理を受け入れて罪を悔い改める人は,ほかの人々を福音の祝福に導くことができるアルマ36:10-21使徒9:4-20参照)。

10人のおとめのたとえから学べる原則:わたしたちは,忠実に霊的な備えをしておけば,主が来られるときに用意ができている。しかし,霊的な備えを怠れば,来臨のときに主に受け入れられないマタイ25:1-13参照)。

David abd Goliath

ダビデとゴリアテの話から学べる原則:わたしたちは勇気と主を信じる信仰をもって行動するときに,人生における大きな難問に打ち勝つことができるサムエル上17:40-51参照)。

以下は生徒が原則と教義を見つけられるように助けるための幾つかの方法である。

  • 学んでいる概念を,「もし……なら,……である」という表現で書いてもらう。

  • 学んだ真理を,「これによって分かるように」という書き出しでまとめるように割り当てる。

  • 聖句ブロックの中で人が取った行動を見つけ,その行動がもたらした祝福または結果を探してもらう。

  • 聖文中の原則と教義を見つけるかぎの言葉または語句に傍線を引くように勧める。

  • 聖句ブロック中の教義または原則をホワイトボードまたは黒板に書く。そして,生徒に,そのブロックを調べ,それが原則であるとした根拠を見つけるように言う。

原則と教義を見つけたら,それを明瞭かつ簡潔に述べることが重要である。「『真理を知らせるには,べ伝えなければならない。より明確に,より完全に伝えることができれば,聖なるたまが人の心にこのわざの真実性を証されるのに,いっそう好都合である。』〔New Witnesses for God全3巻(1909年),第2巻,ⅶ〕」(BH・ロバーツ。ジェームズ・E・ファウスト「伝道に出る前に息子に知ってほしいこと」『聖徒の道』1996年7月号,49に引用。『わたしの福音を宣べ伝えなさい』〔2004年〕,182)

見つけた原則や教義をホワイトボードまたは黒板に書くことや,生徒に書き出してもらったり聖句に傍線を引いてもらったりすることは,生徒の心にこれらの真理をはっきりと刻みつけるのに役立つ一つの方法である。

教義と原則を理解する〔2.5.2〕

福音の教義や原則を理解するとは,見つけた真理,主の計画におけるほかの原則や教義とその真理との関係,またどのような状況でその原則を生活に応用できるかを生徒が理解するということである。教師や生徒は,教義や原則を理解すると,その言葉にどういう意味があるかだけでなく,その教義や原則が自分の生活にどれほど影響を及ぼすかについても知ることができる。教義や原則を見つけ,理解できると,それをもっと容易に応用することができる。

教師と生徒は,以下のことによって福音の教義と原則に対する理解を増すことができる。すなわち,関連ある教えの聖句と追加の洞察を調べる,末日の預言者と使徒の言葉や教えに心を向けることによって学んでいる福音の真理をほかの人々に説明する,また,聖霊の助けを祈り求める。原則を応用すると,理解がさらに深まる。

stripling warriors

教師は,生徒が教義と原則を理解する助けとして,その意味を分析するように導く質問をすることができる。例えば,モルモン書の2,000人の若い戦士の話から,疑わなければ神は救ってくださるという原則を学ぶことができる(アルマ56:47-48参照)。この原則が意味することについてもっと深い理解を得るために,教師と生徒は,以下のような質問について考えてみるとよい。

  • 若い戦士が疑わなかったことは何だろうか。

  • これらの若い戦士が疑わなかったというどのような証拠があるか。

  • 神はその若い戦士をどのようにして救われただろうか。

  • 今日こんにちの教会の青少年が戦っている「戦い」としてどのようなものがあるだろうか。

  • 神はそのような戦いからどのような方法で青少年を救ってくださるだろうか。

  • アビナダイ,ジョセフ・スミス,あるいはシャデラク,メシャク,アベデネゴの経験は,救われるということの意味について何を教えているだろうか。

旧約聖書のナアマンとエリシャの話から,わたしたちはへりくだって,預言者の勧告に進んで従うならば,いやしを得ることができるという原則を学ぶことができる(列王下5:1-14参照)。この原則が意味することを理解するために,教師と生徒は,以下のような質問について考えてみるとよい。

  • 謙遜けんそんであることは預言者の勧告に従うのにどのように役立つだろうか。

  • ナアマンが最後には進んで「七たび……身を浸〔した〕」ことは,預言者の勧告に忠実に従うとはどういうことか理解するのにどれほど役立つだろうか。

  • 今日,体の病気のほかにどのようなことからの癒しが必要だろうか。

  • 預言者たちは,世の人々には意味がないかもしれないがわたしたちに霊的な癒しをもたらす何を行うように求めているだろうか。

教義と原則が真実であり重要であることを感じる〔2.5.3〕

生徒は福音の原則と教義を見つけ,理解するかもしれないが,たまによってそれが真実であり重要であると感じ,その原則を自分の生活に取り入れる緊急性をある程度感じるまで,応用しないことがよくある。ロバート・D・ヘイルズ長老は次のように説明している。「真の教師は,いったん〔福音の〕真実を教えたら,……〔生徒が〕さらに一歩踏み出して心に霊的なあかしと理解を得て,行動と行いに移るようにします。」(“Teaching by Faith”〔ロバート・D・ヘイルズ長老との夕べ,2002年2月1日〕,5)

Neal A. Maxwell

聖霊は,生徒の思いと心に教義や原則の重要性を銘記し,原則を実行したいという望みとそれを行う力を与えてくださる。教師は,クラスで各生徒がこの経験を得られるようにするために,あらゆる努力を払わなければならない。リチャード・G・スコット長老は,教師に次のように勧めている。「生涯にわたって使えるように生徒の思いと心に真理を深くしみ込ませる方法について,導きを祈り求めてください。皆さんがよく祈ってそうする方法を求めるときに主が導いてくださることを,わたしは知っています。」(“To Understand and Live Truth,”〔リチャード・G・スコット長老との夕べ,2005年2月4日〕,2)

生徒が心の中に御霊の影響を招くのを助け,学んだ原則に従うように生徒を備える最も効果的な方法の一つは,その原則に関する個人の経験についてよく考えるように促すことである(61ページの第5.1.3項「気持ちと証を促す質問」を参照)。これは,原則が自分の生活やほかの人々の生活に及ぼした影響を生徒が理解するのに役立つ。例えば,じゅうぶんの一の律法について話し合った後,教師はこのように尋ねるとよい。「什分の一の律法を守ることによって,皆さんの生活に,あるいはほかの人々の生活に,どのような祝福があったでしょうか。」生徒がこのような質問についてよく考え,クラスで適切な個人的経験を分かち合うとき,生徒自身とほかの人々が福音の教義と原則に従って生活することによって受けた祝福をもっとはっきりと理解できるように,聖霊は生徒を助けてくださる。御霊はまた,生活にこれらの真理を応用したいという,より大きな望みを生徒が感じられるように助けてくださる。教師はまた,自分の生活から,あるいはほかの人々の生活から実話を分かち合い,話し合っている原則の重要性と,その原則に従って生活することの重要性を生徒が感じられるようにする。

教師は,原則と教義が真実であることを証する機会を生徒に与えることができる。また,自分の証を述べる機会を探さなければならない。さらに,聖典の中の人物が述べている証を強調することによって,また,末日の預言者と使徒の証を読んだり聞いたりすることによって,教義と原則が真実であり重要であることを生徒が感じるようにすることができる。

Thomas S. Monson

教義と原則を応用する〔2.5.4〕

生徒が学んだ原則について考え,話し,それに従って生活するとき,応用が行われる。リチャード・G・スコット長老は,原則を応用することの重要性について説明し,次のように語っている。「教室で起こっていることの効果を測る最善の方法は,真理が理解されており,生徒の生活に応用されていることを観察することです。」(“To Understand and Live Truth,” 3)

生徒は,生活に福音の原則を応用すると,約束されている祝福を受ける。また,自分が応用した教義や原則をより深く理解し,証を得ることができる。例えば,安息日を聖日として守る生徒は,守らない生徒よりも,その意味をより完全に理解するであろう。心を尽くして主に信頼しており(箴言3:5参照),逆境や試練のときに強められ慰められている生徒は,そのようにしていない人々よりも,その原則をもっとよく理解できる。

教師は,生徒に,理解し感じたことについてめいそうし,深く考え,あるいは書き留める時間と,生活に応用するための具体的な行動について考える時間をクラスで与えるべきである。そのときに教師は,主の導きと指示を求めるように生徒に勧めなければならない。教師はまた,生徒が経験する可能性のある状況について話し合い,それらの状況で福音の原則を応用することによって生活にどれほどの祝福がもたらされると思うか生徒の考えを分かち合ってもらうことができる。教えられた原則に従って生活するために役立てられる目標を設定するように生徒に提案することができる。配付資料として聖句や引用文,詩,賛美歌の歌詞の一部を準備し,原則を思い出させるものとして生徒が家に持ち帰れるようにしてもよい。

girl studying

福音の原則を応用できる方法を教師と生徒が提案する時間をクラスで持つとよい。このような試みによって,毎日の生活に福音の原則を応用する方法について有益なアイデアを生徒に与えることができる。しかしながら教師は,生徒に特定の応用を課して指示的になりすぎないように注意しなければならない。個人的な応用に対する最も有意義な指示は,聖霊を通じて主の霊感あるいは啓示として個別に与えられるということに留意する。ダリン・H・オークス長老は次のように教えている。「福音の原則と『王国の教義』教義と聖約88:77)を教えるように命じられている教師は通常,特定の規則や応用方法を教えることを慎むべきです。……教師が聖文と生ける預言者から教義とそれに関連する原則を教えたら,その後の具体的な応用方法や規則については通常,個人や家族の責任となります。」(「福音を教える」95)

福音の教義と原則を説明し,分かち合い,あかしする〔2.6〕

教義と原則を説明し,洞察と関連ある経験を分かち合い,神聖な真理について証すると,福音の教義と原則についての理解が明らかになり,ほかの人々に福音を教える能力が向上する。生徒は説明し,分かち合い,証するとき,述べているその事柄についてより大きな証を得られるようにしばしば聖霊によって導かれる。また,聖霊の力によって,生徒の言葉と表現は,それを聞いている友人や人々の心と思いに大きな影響を与えるであろう。

よく考え,よく祈ってレッスンを研究し,準備し,教える教師は,多くのことを学びやすい。この同じ原則が生徒にもそのまま当てはまる。生徒は回復された福音の教義と原則を研究し,互いに教え合うとき,より大きな理解力を得,証が強まるであろう。

説明する〔2.6.1〕

生徒と教師が互いに聖文を説明し合うとき,聖文の理解が増す。ある聖句の意味,あるいは教義や原則の意味を明確かつ簡潔に話す準備をすると,その節を深く考え,自分の考えを整理し,また教えるために聖霊を招くようになるであろう。

スペンサー・W・キンボール大管長は次のように教えている。「わたしたちは行うことによって行うことを学びます。福音を教えるために福音を研究すれば,知識を得ます。なぜなら,明かりを携えてほかの人の道を照らすとき,自分自身の道も照らすことになるからです。ほかの人々にふさわしいレッスンをするために聖文を分析し,準備するとき,自分自身の心がはっきり定まります。すでに知っていることを説明するときに,そのほかの真理も明らかになり,理解が深まり,新たな結びつきができ,実践の力が増すように思われます。」(The Teachings of Spencer W. Kimball〔1982年〕,530)

ほかのだれかに教義や原則を説明する機会を生徒に与えると,生徒は,自分が学んだことをほかの人々に教える前にもっと深く考え,もっと大きな理解力を求めるように促される。教師は,信仰を持つこと,バプテスマを受けること,あるいはじゅうぶんの一の律法に従うことがなぜ重要であるのかを説明するように生徒に頼むことができる。創造,堕落,あるいは家族が天の御父の計画の中心であると信じている理由についてほかのだれかに話すように生徒に勧めることができる。二人一組か小グループで,ロールプレイで,クラス全体で,あるいは書いて,これを行うことができる。親やきょうだい,友人,級友に聖句を説明するように,あるいは教義や原則を教えるように,時々生徒に勧めることも適切である。

分かち合う〔2.6.2〕

教師と生徒は,教義や原則に関する洞察と理解を共有し,それについて個人的に経験したことを伝え合う機会を持つようにしなければならない。また,ほかの人々の生活で見た経験を話すこともできる。

girls discussing

J・・ルーベン・クラーク・ジュニア管長は次のように述べている。「皆さんのセミナリーやインスティテュートにやって来る青少年はほとんど,自分が霊的な祝福を受けていることをよく知っています。また,祈りの効果を目にし,病人をいやす信仰の力をの当たりにし,霊的なほとばしりを見ています。世の人々は一般に,このようなことを知らずにいます。」(『教育に関する教会の指針』改訂版〔1994年〕,11-12)クラスでこのような経験を分かち合う機会を生徒に与えなければならない。(教師は,クラスで分かち合うには適さない非常に神聖な経験,あるいは個人的な経験もあることを生徒が理解できるように助ける必要があるかもしれない。アルマ12:9教義と聖約63:64参照)

あかしする〔2.6.3〕

福音の原則について説明し,自分の生活に応用した経験を分かち合った生徒は,自分が信じるようになったことについて証する備えがよりよくできていることがしばしばある。

ボイド・K・パッカー長老は,証することによってもたらされる祝福の一つについて次のように説明している。「一つの原則を述べたいと思います。証は実際に証を述べる中で見いだすものです。……

本を読み,人の話を聞いて証を得ることにはそれなりの意義があります。それは最初の段階として必要なことです。しかしそれは,自分が証したことが真実であるというたまの確認を心に受けることとはまったく別の事柄です。」(「主のともしび」42参照)

M. Russell Ballard

証を分かち合うことは,証を述べる本人に祝福をもたらすだけでなく,ほかの人々の信仰と証も強める。証することは,回復された福音に関する特定の教義と原則について聖霊が証を述べてくださる機会ともなる。証は必ずしも,「わたしは証します」という言い回しで始まるわけではない。それはただ,人が真実であると知っていることを心から確信をもって語る言葉だという場合もある。福音の教義や原則をどのように感じているかということと,それによって自分の生活が変わったことについての簡潔な断言とも言える。教師とほかの生徒が福音の原則の価値について証を述べるのを聞くとき,生徒は,それらの原則を自分の生活に応用できる方法をもっとはっきりと理解でき,また応用するようにという促しをもっと感じることができる。

教師は,経験し確信していることを分かち合うように勧める質問をすることによって,福音の真理について証するように生徒を促すことができる(61ページの第5.1.3項「気持ちと証を促す質問」を参照)。また,友人に証するほかの機会を生徒に与えることもできる。教師は,証が個人に与えられる神聖なものであることを心に留めておかなければならない。証を分かち合うように勧めることはできるが,決して強要してはならない。教師は,天の御父と御子イエス・キリストを愛していること,また福音の教義と原則が真実で価値あるものであることについてしばしば証する機会を持たなければならない。救い主が述べられた証と同様に,末日の預言者たちと使徒たちが述べた証にも留意し,それを引用しなければならない。

Robert D. Hales

重要な聖句と基本的教義に精通する〔2.7〕

人がその思いと心の中に永遠の真理を大切に蓄えるとき,聖霊は,必要なときにこれらの真理をその人の記憶から呼び起こし,信仰をもって行動する勇気をお与えになる。ハワード・W・ハンター大管長は次のように教えている。

「皆さんに切にお勧めします。教えるときに聖文を使ってください。また,生徒が聖文を使い,聖文を使い慣れるように,皆さんのできる範囲ですべてのことをして生徒を助けてください。若い人々が聖文を信頼するようになってほしいのです。……

まず,生徒が聖文の力と真理を信頼し,天の御父が実際に聖文を通じて自分に語りかけておられるという確信と,聖文を調べれば自分の問題と祈りに対する答えが見つかるという確信を持ってほしいと,わたしたちは思っています。……

……適切な聖句を探し出せるほどよく聖文を知らないために必要な助けを得られず,びくびくしながら,またはばつの悪い思いで,あるいは恥ずかしい気持ちで教室を後にする生徒が一人もいないようにと,わたしたちは願っています。」(“Eternal Investments” 2)

生徒が永遠の真理を大切に蓄え,聖文についての確信を増すのを助けるために,セミナリー・インスティテュートは,マスター聖句を選び,「基本的教義」のリストを作成している。マスター聖句とこれらの教義の勉強を一緒に進めて,生徒がこれらの教義を自分の言葉で述べられるように,そしてマスター聖句を使ってこれらの真理について説明し証することができるようにしなければならない。

マスター聖句〔2.7.1〕

宗教教育セミナリー・インスティテュートは,4つのセミナリーコースのそれぞれに対して25のマスター聖句を選んでいる。これらの聖句は,福音を理解し,分かち合うために,また信仰を強めるために,重要な聖句による基盤を与えるものである。以下のようにしてこれらの聖句を「マスター」するようにセミナリーの生徒に勧める。インスティテュートの生徒には,これら100のマスター聖句を基礎として,ほかの重要な聖句への理解を深めるように勧めなければならない。

聖句をマスターするために以下のことを行う。

  • 探す。関連する参照聖句を知ることによって聖句を探す。

  • 理解する。聖句の背景と内容を理解する。

  • 応用する。聖句で教えられている福音の原則と教義を応用する。

  • 暗記する。聖句を暗記する。

Richard G. Scott

暗記は,選び抜かれた聖句を生徒が知って大切にするのに役立つすばらしい方法になり得る。リチャード・G・スコット長老は次のように説明している。「主が記録するよう命じられた聖句をそのまま引用すると,ほかの言葉では伝わらない本質的な力を発揮します。」(「主は生きておられる」『リアホナ』2000年1月号,105)しかし,各生徒に寄せる期待はその生徒の能力と状況に合ったものであるように注意しなければならない。暗記できないことで恥ずかしさや困惑を感じさせないようにしなければならない。

教師自身がこれらの聖句をマスターすれば,教師はもっとよく生徒を助けることができるであろう。教師がいつもマスター聖句を引用し,適切な期待を寄せ続け,様々な学習スタイルに訴える方法を用いると,生徒がこれらの重要な聖句をマスターするようにもっとうまく助けることができる。レッスン中に,関連ある教義と原則を明確にするためにマスター聖句を使うようにしなければならない。ディボーショナルのテーマとして使用してもよいし,教室のどこかに掲示してもよい。また,クラスの外で学び,応用するように生徒に勧めなければならない。

two men discussing

複数の教師が一つのクラスを教えている場合,マスター聖句を統一した方法で進めると,生徒の学習が促される。教師が過去の年度のマスター聖句を定期的に復習するようにすれば,生徒は,選び抜かれた聖句のすべてをマスターした状態を保つことができる。

聖句をマスターすることは教科課程の重要な一部であるが,毎日継続して行う聖文研究を軽視させるものではなく,補足するものでなければならない。教師は,マスター聖句に充てる時間について賢明でなければならない。家庭学習コースの教師は,週日のクラスが週日のマスター聖句活動にならないように特に注意を払わなければならない。教師は,聖文の威厳と目的,精神に一致し,争いを防ぐような方法や活動,音楽を選択しなければならない。

基本的教義〔2.7.2〕

セミナリーとインスティテュートのクラスで強調するために,「基本的教義」が発表されている。教師は,生徒がこれらの福音の基本的教義を見つけ,理解し,信じ,説明し,応用することができるように助けなければならない。そうすることは,生徒が証を強め,イエス・キリストの回復された福音に,より感謝する助けとなるであろう。これらの教義を学ぶことは,生徒がこれらの重要な真理をほかの人々に教える準備をさらによく整えるのにも役立つであろう。

たとえ「基本的教義」のリストに挙げられていなくても,ほかの意義深い福音の教義も教えるのを忘れないことが重要である。

宗教教育セミナリー・インスティテュートによって選ばれた「基本的教義」は,以下のとおりである。

  • 神会

  • 救いの計画

  • イエス・キリストのしょくざい

  • 神権時代,背教,回復

  • 預言者と啓示

  • 神権と神権の鍵

  • 儀式と聖約

  • 結婚と家族

  • 戒め

教師は,これらの教義を個人的に学んで理解すると,教えるときにもっと自然にそれを参照し,それについてあかしを述べるようになる。しかし,配列順に聖文を教えることから離れて,これらの教義だけに焦点を当ててはならない。むしろ,聖文と学習コースに自然に出てくるときに,これらの教義に入念にまた絶えず注意を払うようにしなければならない。このようにすれば,「基本的教義」のリストは,生徒にとって非常に価値のあるそれらの永遠の真理に焦点を当てることと,学習コース全体にわたってそれらを強調することを思い出させるものとなる。これらの「基本的教義」はディボーショナルのテーマとして使ってもよい。

また,賢明な教師は,生徒がこれらの教義を理解するのを助ける際に,忍耐と一貫性が重要であることも忘れないであろう。生徒がすぐにすべてを完全に理解することは期待されていない。主は,「教えに教え,訓戒に訓戒」を与えてその子供たちを教えられる(教義と聖約98:12)。教師と生徒は,これらの教義はセミナリーの4年間をかけて理解し,またインスティテュートでも引き続き学ぶものと見なすべきである。