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第3課:神権を尊ぶ


第3課

神権を尊ぶ

目的

神権の聖なる力について理解を深め,神権を尊ぶ気持ちを増す。

導入

「香港で伝道している二人の宣教師が,ウォン兄弟姉妹のアパートに招待され夕食をごちそうになった。テーブルの上には,ブリキ製のどんぶりと皿がきれいに並べてあった。ウォン姉妹は部屋の片隅で料理をしながら,宣教師たちに丁寧にほほえみかけた。間もなく,料理を盛った大皿とどんぶりがテーブルに置かれた。宣教師たちは驚いてしまった。ご飯はお皿に山盛りによそわれ,そのほかエビ料理など中華風のごちそうがいっぱいに並んでいたからである。それは,この貧しい難民の家族にはとても考えられないものであった。ウォン兄弟が祝福して,食事が始まった。しかし,ウォン兄弟姉妹は,自分からほとんどはしを付けようとせずに,二人の宣教師にごちそうを勧めた。長老たちはその態度に真心を感じた。今食べている食事は,ウォン家族がこれまで口にしたことのないようなごちそうで,恐らくその費用は1ヵ月分の給料に相当するだろう。そのことに気づいても,長老たちは家族の気持ちを傷つけたり,拒んだりすることはできなかった。その食事には,彼らの払った犠牲がありありとうかがわれたからである。

食事がなかなかのどを通らなかった。彼らの真心からの贈り物を喜んで受けたいと思った。しかし,この贈り物のために,彼らが払った犠牲と空腹の日々のことが頭に浮がぶ。ウォン兄弟姉妹と息子たちは,ほんのしるし程度にはしを付けただけだった。それでも食事が終わると,みんなおいしかったと言い,長老たちが十分に満足のいくほど食べたかどうか熱心に聞いてきた。ウォン姉妹が皿を片付けるので全員が立ち上がったとき,長老の一人がウォン兄弟の手を取り,感激して言った。『どうして,こんなにたくさんのお金を使ってまで,わたしたちをもてなしてくださったのですか。』ウォン兄弟は穏やかなほほえみをたたえた。祖国と家を離れ,慣れない土地で真理を受け入れた人だからこそできるほほえみだった。そしてこう言った。『お二人は神権者ですし,わたしたち家族を教えるために神が遣わされた方だからです。』」(Life and Teachings of Jesus, New Testament Volume 1 [Church Educational System manual,1974年,134)

  • ウォン兄弟姉妹は,神の神権を持つ人々に対する尊敬をどのように表しただろうか。

  • わたしたちが持っている神権を尊ぶことがなぜ大切なのだろうか。

神権-地上における最も大いなる力

神権はこの地上において最も大いなる力である。それは神の業を遂行するために地上の人々に授けられる力であり,天の御父とイエス・キリストが業を行われる力である。事実,救い主が地球を創造されたのは神権の力を通してであった。

  • 視覚資料3-a「地球は神権の力を通して創造された」を見せる。

神権とその力を授かることは,偉大な特権の一つである。

神権の正しい名称は,「神の御子の位に従う聖なる神権」である。しかし,「神の御子」の名をしばしば使うことを避けるために「メルキゼデク神権」と呼ばれている。しかし神権はまさに救い主の神権である。

多くの神権者は,神権の持つほんとうの力を理解していない。エノクの時代に,神は次のような約束を与えられた。「この位と召しに従って聖任された人は皆,信仰により,山々を崩し,海を分け,水を干上がらせ,その流れを変える力を持つであろう。また,もろもろの国の軍勢をものともせず,地を分け,あらゆる縛目を解き,神の前に立ち,神の御心みこころと命令のとおりにすべてのことを行〔う〕力を持つであろう。」(ジョン・テーラー,The Mediation and Atonement1882年,85,下線付加。ジョセフ・スミス訳創世14:30-31も参照)

神権を持つわたしたちは,キリストを代表する者である。したがって,主がその力を持つ人々に期待しておられることを行わなければならない。わたしたちが神権を行使するときには,常に主の戒めに従い,キリストがわたしたちに望まれるように神権を行使するよう務める必要がある。

「神権の権能と神権の力との間に相違があることがわかる。……わたしたち神権者は皆,主の代理を務める権能を与えられている。しかしその権能の効力,すなわちふさわしいときに権能を通じてもたらされる力は,わたしたちがどのような生活を送っているかに左右される。それはわたしたちの義の度合いによる。」(H・バーク・ピーターソン,「神権-その権能と力」『聖徒の道』1976年8月号,342)

わたしたちはふさわしければ,家族を祝福し,神権の召しに関する啓示を受け,奇跡を行い,サタンに打ち勝つ力を得ることができる。神権は儀式を執行し,神殿活動を行い,福音をべ伝える力である。この神権の力がなければ,わたしたちはいかなる儀式も祝福も受けることはできないのである。

  • 日常生活の中で,神権の力はどのように現れるだろうか。

ある若い宣教師は,次のような経験を通して神権の力について理解を深めた。

宣教師はレッスンをするために,同僚と二人である市の貧民街に入って行った。その日教えた求道者の若い夫婦はほんとうに貧しかった。彼らの最も価値ある財産と言えば幼い女の子であった。しかし,その子も当時重い病気にかかっていた。小さな顔は血のけが引いて紫色になり,眠っているかのように目を閉じたままである。両親はただおろおろして泣くだけであった。この大切な子は死ぬかもしれない。とっさにこの若い宣教師に一つの強い思いが走った。「神権を使え!」彼は父親の許可を得て幼い子供をその手に抱いた。そして同僚とともに小さな頭に手を置き,二人の信仰によって幼子おさなごを祝福した。御霊みたまの声は,娘が健康を取り戻して立派な女性に成長するという祝福を授けるように告げた。この祝福は成就し,幼い娘は完全に健康を回復した。

若い宣教師は,主のしもべとして働く機会に恵まれたことを喜んだ。それは心躍る経験であったが,あくまで厳粛なものであった。その経験から,彼は神権を通して神の僕が現す神の偉大な力の一端を学んだのである。

  • 神権の力を行使するときに,わたしたちの信仰が大切になるのはなぜだろうか。

神権を尊重する

神権は救い主の神権であるから,キリストが望んでおられるようにわたしたちは神権を尊ばなければならない。神の戒めを守り,神権において求められる業を行う人は,自分の持つ神権と主を尊重している。神権者として,わたしたちは常に義にかなった行動をとらなければならない。

ジェームズ・E・タルメージ長老は,神権に聖任され,神権を尊重しようと努力したときのことを,次のように述べている。

「わたしは聖任を受けるとすぐに,筆舌に尽くし難い思いに駆られた。幼いわたしが,神から神権の召しを受ける光栄にあずかるなど考えてもみなかったのである。……わたしは自分がわずか11歳の少年にすぎないことを忘れていた。わたしは主がわたしについていてくださること,わたしが求められてなすことはすべて主が助けてくださると心に強く感じていた。……

こうしてわたしは〔執事に〕聖任されることによって,少年時代の生活が一変することとなった。わたしは自分が何者かを忘れることも何度かあったと思う。しかし,幸いにも,わたしはこれまでしばしばそれを思い起こし,それによって自分をさらに改善することができた。学校のグランドでの試合のさなかに不正な行為をする誘惑に駆られたとき,あるいは友達と大げんかをしたとき,わたしはいつも思い出した。『ぼくは執事なんだ。執事はこんなことをしてはいけないんだ。』この言葉は大声でどなられているような効果があった。また試験の日に,友達の答案を写し……そうになって,わたしは再びこう自分に言い聞かせる。『ぼくがこんなことをするのは,友達が同じことをするよりずっと悪いことだ。ぼくは執事なんだから。』

……わたしは聖任されたことを大きな栄誉だと思っていたので,どんなことでも喜んで果たすことができた。……

こうして執事のときに心に覚えた感銘は,今もって色あせることなく,生きている。神権者として,主の特別な業に働くよう召されたのだという気持ちは永年にわたってわたしの力の源となってきた。後にわたしが教会でさらに高い神権の職に聖任されたが,その度に同じような確信を得たのである。つまり,わたしはほんとうに天から力を豊かに受け,主はわたしがその権能を尊ぶように命じておられると感じたのである。そしてわたしは順次,教師,長老,大祭司,最後には主イエス・キリストの使徒に聖任された。しかも聖任を受ける度に,わたしはいつも新たな,心高まる思いを覚えたのである。それは,わたしが執事に召され,主の業に働くようになったときに初めて知ったあの感動と同じものであった。」(Course of Study for the Quorums of the Priesthood: Deacons『神権定員会用学習コース,執事』1914年,135-136)

どのような方法で,神権を尊ぶことができるだろうか(『神権の義務と祝福A第1課参照)。

ブリガム・ヤング大管長は,かつて次のように述べている。「聖なる神権〔を有し〕,永遠の命の言葉を全世界の人々にもたらす責任を負う者は,その言葉と行いにおいて絶えず向上に努め……いと高き神に仕える代理人として,神権の召しと職にかかわる偉大な権威を尊ばなければならない。」(Discourses of Brigham Young, sel. John A. Widtsoe,1954年,130)

威厳を持って神権を担う

ハロルド・B・リー大管長は,次のように述べている。

「あるとき,軍人の一人から,こんな話を聞いたことがある。彼は将校クラブで開かれたカクテルパーティーに招待された。かなり酒も入り,人々もにぎやかに騒いでいた。ふと見ると,会場の中に皆から一人離れて,パーティーとは関係ないといった顔をしている人がいた。そこで彼は,自分と同じく輪の中に入ろうとしないその男の方へゆっくりと近づいてこう言った。『君はこのようなパーティーがお気に召さないようだね。』するとこの青年は背筋を伸ばしてこう言った。『はい,おっしゃるとおりです。わたしがこのようなパーティーに加わらないのは,わたしがイングランドの王家の一員だからです。』それを聞いて末日聖徒の将校は誇らしげに言った。『わたしもそうです。わたしは神の王家の一員だからです。』」(Ye Are the Light of the World,1974年,22)

ふさわしい神権者となるために,わたしたちは義にかなった生活をして神権を尊ばなければならない。ハロルド・B・リー大管長は,さらに次のように述べている。「神権者はこう明言すべきである。『生ける神の神権を持つわたしは,天の御父の代理人であり,天の御父はこの神権によりわたしを通して業を行われる。神の神権に関与する者として,わたしは自分の品位を落とすようなことはできない。』……神権者は自分にこう言い聞かせなければならない。『神権者でありながら,世の人と同じように振る舞うことはできない。わたしたちは世の人とは異なるのである。』」(Conference Report,1973年10月,115;Ensign1974年1月,97)

  • 次の説教を読み,威厳を持って神権を担うにはどうすればよいか尋ねる。

ロバート・L・シンプソン長老は次のように述べている。

「神の神権を受ける者として威厳を持つということは……聖餐せいさんのテーブルに立つときだけでなく,職場や学校で,また通勤の途中でさえも,穏やかな威厳をもって行動することである。わたしたちは神権者である。ほかの人とは違うのである。特別に優れているわけではない。しかし,違うのである。神を代表する者はふさわしい服装をし,常に慎み深い。……そして,服装だけでなく肉体も汚れのない清い状態に保っている。……

時折,言葉遣いを改める必要のある神権者もいる。俗語が頻繁に出てくるようでは威厳もない。神聖さを汚す言葉は,神に対する冒涜ぼうとくである。……

什分の一の律法を守らない者は,神のものを盗んでいる(マラキ3:8参照)。神権者が主との財政的問題を精算し,什分の一を完全に納めているときほど威厳を増し加えることはない。

逆に,神権者の威厳が最も損なわれるのは,自分の肉体を神の宮としてふさわしく保たないときである。……兄弟の皆さん,〔酒,タバコ,麻薬などを用いて〕健康に関する天の御父の戒めを破るならば,わたしたちの威厳は完全に失われるであろう。」(Conference Report, Melbourne Area Conference,1976年,38,下線付加)

神権者として威厳を保つために,シンプソン長老はどのような提案をしているだろうか。生徒の意見を黒板に書く。(謙遜けんそん,ふさわしい服装,慎み,純潔,正しい言葉遣い,什分の一,知恵の言葉に従うなどの答えが挙がるであろう。)神権者として威厳を保つために,ほかにどのようなことができるだろうか。

ボーン・J・フェザーストーン長老は,自分の体験を次のように語っている。

「ある日のことである。夜の7時ごろ仕事から帰ると,〔妻の〕マーリンがローレルのクラスを教えるためにちょうど出かけるところだった。『ジルの具合が悪いの。そばにいてくださる。』そこで,わたしはジルと一緒に家に残ることにした。本を読んでやり,30分ほど一緒にテレビを見た。それからゲームを1,2回した。9時半ごろだったと思う。『ジル,気分はどう?』わたしは尋ねた。

『あまり良くないの。ママがね,良くならなかったらパパに祝福してもらいなさいって。パパ,祝福してくれる?』

『もちろんだよ,ジル。』わたしは自分の部屋に行くと,白いワイシャツとスーツを着てネクタイを締めた。それからジルの部屋に引き返し,ベッドの端にジルを座らせ,祝福を与えた。祝福が終わると,わたしはもう一度自分の部屋に戻り,ネクタイを取って白いワイシャツとスーツを脱ぎ,寝る仕度をした。

皆さんは,ジルがこのことをやがて忘れてしまうと思われるだろうか。わたしにはそう思えない。確かに祝福の内容は忘れるかもしれない。しかし,わたしが神権を尊重し娘を敬って,あのときに十分ふさわしい服装で祝福を与えたことは,決して忘れないであろう。」(A Generation of Excellence,145)

まとめ

神権は神の力である。すなわち,地上における最も大いなる力である。わたしたちがこの神権を尊重するためには,自分に神の権能が与えられていることと,その権威を尊ぶよう主から求められていることを忘れてはならない。神権者として威厳をもって行動するには,戒めを守り,義人となるためにできる限りのことをする必要がある。

チャレンジ

  1. 自分の持っている神権についてまじめに考え,こう自問してみる。「わたしは何か神権者としてふさわしくないことをしてはいないだろうか。自分のあらゆる行動に影響を与えるほど,この権能に重きを置いているだろうか。」

  2. タルメージ長老が述べているような思いを持てるよう熱心に祈る。それから,改善点を一つ二つ挙げる。

  3. 生活を向上させることにより,神権者として威厳をもって行動できるように努力する。

参照聖句

1ペテロ2:9(選ばれた種族)

教義と聖約121:39-43(神権者のための指針)

教師の準備

レッスンの前に以下のことを行う。

  1. 『神権の義務と祝福A』第2章「アダムから回復の時代に至るまでの神権」を学習する。

  2. 開会の賛美歌として,2番「山の上に」を歌うようにしてもよい(『福音の原則』297ページ参照)。

  3. 黒板とチョークを準備する。

  4. レッスンの中で話や聖句を読むよう生徒に依頼する。

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地球は神権の力を通して創造された

3-a 地球は神権の力を通して創造された