だい8しょう
イエス・キリストの教会を立てるじゅんび
(1830年3月-4月)
イエスは,『モルモン書』にはふくいんがのせられている,とおっしゃいました。『モルモン書』はしんじつです。イエスは,人びとが『モルモン書』をしんじるようにのぞんでおられます。『モルモン書』は,神にしたがうのにやく立ちます。
イエスはご自分について,人びとをたすけるために神からつはなかわされた,とお話しになりました。サタンはイエスにわるいことをさせようとしましたが,イエスは耳をかしませんでした。
イエスは,人びとのわるい行いをかなしまれました。そして,すべての人にかわってちをながし,くるしみをおうけになりました。わたしたちはくいあらためるなら,そのくるしみをうけなくてすみます。
わるい人たちは,イエスを十字架につけて,ころしました。
イエスの友だちは,イエスをはかにおさめました。
3日目に,イエスはふっかつされました。よみがえられたのです。
イエスがこのようになさったのは,くいあらためる人をたすけるためです。イエスは,しんじてバプテスマをうける人のためになくなられたのです。くいあらためる人はつみをゆるされて天国に行くことができますが,くいあらためない人はすくわれません。
イエスは,バプテスマについてこう言われました。「バプテスマをうけたい人は,くいあらためて,わたしをあいし,わたしにしたがわなければならない。また,8才になっていなければならない。」このような人は,バプテスマをうけて,キリストの教会に入ることができます。
イエスは,バプテスマの正しいほうほうもお教えになりました。パプテスマをほどこせるのは,アロンしんけんのさいしか,メルキゼテクしんけんをもっている人です。けんのうをさずけられている人は,バプテスマをうける人とともに水の中に入り,とくべつなおいのりをします。
それから,バズテスマをうける人を水の中にしずめ,そしてふたたび水から出します。
パプテスマをうけるとき,わたしたちは,イエスにしたかうことをやくそくします。パプテスマをうけた人は,よいことを語り,行わなくてはなりません。
イエスは,赤ちゃんのしゅくふくについてもお話しになりました。メルキゼデクしんけんをもっている人は,赤ちゃんにしゅくふくをさずけることができます。赤ちゃんをだいて,一人の人が名前をつけ,しゅくふくをあたえます。
イエスは,せいさんについてもお話しになりました。教会いんは,しばしばせいさんをうけなければなりません。わるいことをした時は,せいさんをうけるべきではありません。くいあらためるなら,うけることができます。
せいさんをうけるのは,イエスのことをおぼえるためです。パンは,イエスの体を思い出させてくれます。パンを食べて,イエスがわたしたちのために,十字架におかかりになったことを思い出すのです。
水は,イエスのちを思い出させてくれます。水をのむことによって,イエスがゲツセマネのそのでちをながし,くるしまれたことを思い出します。
せいさんをうけるとき,わたしたちは,イエスのようになることをやくそくします。どんな時にもイエスをおぼえ,いましめをまもることをやくそくするのです。このやくそくをまもるなら,イエスのみたまをうけることができます。