だい63しょう
ロッキーさんみゃくのせいと
(1847年7月)
それから,町をく切って,どのかぞくも家とはたけをもてるようにしました。かいたくしゃたちは,家をたて,さくもつをうえ,一生けんめいはたらきました。ブリガム・ヤングは,ひつようなものをえるためにははたらかなければならない,と教えました。
また,人びとを5つのワードに分けました。人びとは,教会をたてはじめました。ぼんちには,つぎつぎにかいたくしゃがやって来て,間もなくワードの数は19になりました。
学校もはじまりました。学校と教会のしゅうかいは,同じたてもので行われました。しばらくして,日曜学校もはじまりました。
ブリガム・ヤングは,海のむこうの国にせんきょうしをおくりました。ある国では,わずかの人しか教会に入りませんでした。
しかし,ある国では,たくさんの人がせんきょうしの教えをしんじて,教会に入りました。多くの人は,グレート・ソルトレークぼんちのせいとといっしょにすむことをのぞみ,船で海をわたりました。
にぐるまでへいげんをわたる人もいましたが,にぐるまを買うお金のない人もいました。その人たちは,手ぐるまを作りました。そして,それににもつをぜんぶつんで,おしたり引いたりしながら,へいげんをわたりました。そのたびはとてもつらく,びょうきになって,しぬ人もいました。
ブリガム・ヤングは,すぐれたしどうしゃでした。カリフォルニアや,アイダホ,アリゾナ,ワイオミングにも人びとをおくって,せいとの町をきずいたのです。家をはなれるのをかなしむ人もいましたが,ブリガム・ヤングのことばにしたがいました。
せいとたちは,多くのくなんにあいました。さくもつがそだたなかったり,こうずいにはたけをながされたりしたのです。インディアンにぬすまれたり,ころされたりすることもありました。
ブリガム・ヤングは,せいとたちに,インディアンに親切にするように言いました。そこでせいとたちが,インディアンに食べものを分けてあげると,多くのインディアンが,せいととなかよくなりました。
1853年に,せいとたちは,ソルトレーク・シティーにしんでんをたてはじめました。このしんでんがかんせいするまでには,40年かかりました。その間に,せいとたちは,セント・ジョージしんでん,ローガンしんでん,マンタイしんでんの3つのしんでんをたてました。