依存症
ステップ11:個人の啓示


ステップ11

個人の啓示

基本原則──祈りと瞑想めいそうを通じて,主の御心みこころを知ることができるよう,またそれを実践する力が得られるよう願い求める。

立ち直りのステップを研究し,実践するに伴って,わたしたちは謙遜けんそんさと神のこころの受容を基盤とする生活を,より身近に,また心地よく感じるようになりました。怒りと混乱の時代(たとえ祈ったとしても,頑固で身勝手だったり,くどくどと泣き言を言い,自己憐憫れんびんに浸ったりしながら祈っていた時代)は過去のものとなりました。わたしたちはまさしくエズラ・タフト・ベンソン大管長が預言の霊に促され語った次の勧告を生活に反映し始めたのです。「心に絶えず浮かんできて,わたしたちのすべての思いと行いを左右する言葉に,『主よ,わたしは何をしたらよいのでしょうか』(欽定訳使徒9:6)というものがあります。この問いに対する答えは,キリストの光と聖霊を通してしか得られません。この二つに満ちあふれるような生活を送る人は幸いです。」(「イエス・キリスト──待ち望んだたまもの」『聖徒の道』1977年4月号,234-235)

ステップ11の中で,わたしたちは主のこころを知り,それを実行に移す力が持てるように,生涯にわたって日々努力すると約束しました。わたしたちの最大の望みは,聖霊の導きを受ける能力や,その導きに従って自分の生活を管理する能力を高めることでした。この望みは,かつて依存症の中で自分を見失っていたころのわたしたちの態度と比べて,なんと大きな違いがあることでしょう。

もしもあなたがわたしたちと同じであったのならば,立ち直り始める前のあなたは,希望や喜び,平安,充足感などはこの世のものが与えてくれると考えていたはずです。あなたがよりどころとしていたものがアルコールや薬物であれ,性的行為,ギャンブル,不正な浪費,不健全な食習慣,共依存,そのほかどんな依存症であれ,その行為は,あなたにとって混乱,喪失,孤独に満ちたこの世で,何とか生きるための手段だったのです。ほかの人々があなたに愛を示そうとしたとき,多分あなたはその愛を感じることができませんでした。彼らの愛に満足することは決してなかったのです。どんなものもあなたが感じていた飢餓感を満たすことはできませんでした。しかし,立ち直りの原則に従って生活するにつれて,あなたの心と生活に変化が起こりました。

あなたは救い主,イエス・キリストの必要性と,あなたの人生における救い主の役割を理解し,感謝し始め,キリストの光を尊ぶようになってきました。良心の導きを感じるとき,それは単に頭に浮かんだ独り言ではないと分かり始めました。最初はぎごちなく,たどたどしく感じたかもしれませんが,今では,御父とより親密な関係を築くためにキリストのによって御父に祈っています。あなたは意識的に,「預言者たちと使徒たちが書き記してきたイエスを求め」(エテル12:41)ているのです。

あなたは聖文を研究しています。なぜなら,聖文は,至る箇所でイエスについてあかししているからです。特にモルモン書においては,そうです。繰り返し証を述べる中で,モルモン書の預言者は,聖霊を通して御父についてもっとよく理解できるように,祈り求め,そして見いだすように勧告しています。あなたはこれまで聖文にある言葉を試し,それらが真実であることを知りました。祈りと瞑想めいそうは,あなたの新たな生活に欠かせない活力の源となりました。かつて祈りと瞑想は,あなたにとって,つい怠りがちな義務にすぎませんでした。しかし今,あなたが心から願っていることは,少なくとも朝と夜,御父の前にひざまずき,イエス・キリストと聖霊に対する感謝をもって,御父にあなたの心を注ぎ出すことなのです。

ステップ11に取り組むうちに,御父が自分に何を望んでおられるのかに関する知識や啓示を聖霊を通して受けられることがさらによく理解できるようになるでしょう。またあがないを通して,あなたは御父のこころを遂行する力(あるいは賜物たまもの)を得るでしょう。あなたは栄えある三人の御方,すなわち父なる神とイエス・キリスト,聖霊を通して,自分が祝福と助けを受けていることを知るでしょう。この御三方は,あなたに不死不滅と永遠の命をもたらすという目的と力において一致しておられるのです。

聖文を学び,学んだことについて祈り,瞑想めいそうするにつれて,誘惑を退けるあなたの能力は増すでしょう。啓示を受ける力をはぐくむには,訓練と忍耐が必要です。預言者や使徒がこれまで語ってきた事柄について学び,彼らの教えに従って生活するよう努めるうちに,あなたは自らを備えることができます。さらに,与えられた導きを受け入れ,書き留め,それについて考え,従うことによっても,自らを備えることができます。あなたがこれまで受けた数々の祝福に対して主に感謝を表すときに,あなたの導きを受ける能力は増すでしょう。

依存症の束縛から逃れているとき,あなたはもっと聖霊の導きを受けられるようになります。十二使徒定員会のダリン・H・オークス長老は次のように教えています。「聖霊は,わたしたちが欺かれないように守ってくださいます。このすばらしい祝福を得るためには,たまがとどまってくださるために必要な事柄をいつも行っていなければなりません。戒めを守り,導きを求めて祈り,毎週教会に出席して聖餐せいさんにあずかるのです。御霊を遠ざけるようなことは決してしてはなりません。具体的にはポルノグラフィーや酒,たばこ,薬物を遠ざけ,常に純潔の律法を守ることです。主の御霊を遠ざけるようなものを身体に取り入れたり,禁じられていることを行ったりすると,霊は欺かれやすくなってしまうのです。このようなことを決してしてはなりません。」(「欺かれてはならない」『リアホナ』2004年11月号,46)

祈りと瞑想めいそうは恐れや落胆に対する力強い解毒剤となります。あなたは「もしキリストを信じる確固とした信仰をもってキリストの言葉に従い,人を救う力を備えておられるこの御方の功徳にひたすら頼らなかったならば,……ここまで進んで来ることさえできなかった」のです(2ニーファイ31:19)。イエス・キリストを通じ,イエス・キリストのによって,またイエス・キリストのたまを身に受けて御父のもとに来ることによってのみ,あなたは霊的に成長し,進歩し続けることができるのです。ステップ11は,日々導きを求め,戒めに従うことを生涯にわたって実践することを通して,神との関係を改善する決意を表すものです。

行動のステップ

個人の祈りと瞑想めいそうを通じて導きと力を受けるために,イエス・キリストのによって御父のもとに来る。祝福師の祝福を受け研究する

立ち直りの経過に伴って,わたしたちの多くは早起きをし,研究し祈るために一定の時間,独り静かに過ごすようになりました。まだ,そのような習慣が身に付いていないなら,祈りと瞑想めいそうの時間を取るよう計画してください。できるなら,朝が良いでしょう。この時間の間,だれよりもまた何よりも神を優先させることができます。肉体的に可能ならばひざまずいてください。度々声に出して御父に祈り,導きを与えてくださるたまを求めてください(ローマ8:26参照)。それからあなたの瞑想の導き手となる聖文や現代の預言者の教えを研究してください。度々祝福師の祝福を読み返し,その中に見いだされる指針について祈りの気持ちで深く考えてください。(まだ祝福師の祝福を受けていないならば,受ける機会についてビショップと相談してください。)

自分の思いや感情を日記に記録するならば,今再び,書くことが自己表現と自己評価のための非常に有効な手段となります。さらに聖霊を通して与えられた助言や慰めや悟りから,あなたが感じたことを記録することもできます。

この貴重な個人の瞑想めいそうの時間が終わっても,祈ることはやめないでください。心と思いの奥深くでささげられる静かな祈りは,生涯を通じてあなたの思考様式となるでしょう。ほかの人々と交わるとき,決断を下すとき,そして様々な感情や誘惑に対処するとき,主に助言を求めてください。主のたまがいつもともにいてくださり,正しいことを行う導きが得られるように,主の御霊を招き,求めてください(詩篇46:1アルマ37:36-373ニーファイ20:1参照)。

一日を通して,聖文やそのほかの霊感あふれる書物について瞑想めいそうする。祈り続ける

多くの点でステップ11は,生活の中で常に真理を意識し続けるために,ステップ10での取り組みを自然な形で継続することです。日々の計画を立てるとき,活動に取り組むとき,夜とこに就くとき,絶えず心を神に向けて祈ってください。一つの方法として,朝の聖典学習のとき読んだ事柄から思い浮かんだことについて,日常の活動の間,何度も思い返し,瞑想めいそうするのも良いでしょう。この方法は,あなたの心を真理と調和させるのに役立つでしょう。

わたしたちは皆,生来,規律を嫌う傾向があります。しかし,イエス・キリストとイエス・キリストが示された模範に目を向けるなら,御父に従い続ける主の謙遜けんそんさに気づくでしょう。一日を通して,救い主のように,「みこころが行われますように」と心から言えるようになるでしょう(マタイ26:42)。キリストの光は,あなたが聖霊と親密な交わりを持てるようにあなたを導き,備えてくれるでしょう。以前にも増して聖霊を伴侶とすることができるようになるでしょう。そして,真理を認識し,証するあなたの能力は高まるでしょう。

研究と理解

以下の聖句と教会指導者の言葉を研究してください。あなたの理解を深め,学習の手助けとなるはずです。瞑想めいそう,個人の勉強,またグループ討論を祈りの気持ちで行う際にこれらの聖句や言葉,質問を活用してください。

主に近づく

「わたしに近づきなさい。そうすれば,わたしはあなたがたに近づこう。熱心にわたしを求めなさい。そうすれば,あなたがたはわたしを見いだすであろう。求めなさい。そうすれば,与えられるであろう。たたきなさい。そうすれば,開かれるであろう。」(教義と聖約88:63

  • 主はあなたの意志と選択の自由を尊重しておられます。あなたが強いられることなく主に近づく道を選ぶのを待っておられます。あなたが主を身近にお招きするときに,主はあなたのそばに近づいてくださいます。今日こんにち,あなたはどのようにして主のもとに近づくことができるかについて書いてください。

感謝

「絶えず祈りなさい。すべての事について,感謝しなさい。これが,キリスト・イエスにあって,神があなたがたに求めておられることである。たまを消してはいけない。」(1テサロニケ5:17-19

  • 理解できないことも含め,人生のすべてのことに感謝することを覚えておくならば,あなたは常に神との交わりを保つことができます。パウロが「絶えず」祈るよう命じたのは,このためです。ためしに一日中,神に感謝をささげてみてください。そうした試みは,あなたが御霊みたまを身近に感じるうえでどのような影響を及ぼすでしょうか。

キリストの言葉をよく味わう

「天使は聖霊の力で語る。したがって,天使はキリストの言葉を語る。さて,わたしは,キリストの言葉をよく味わうようにあなたがたに言った。見よ,キリストの言葉はあなたがたがなすべきことをすべて告げるからである。」(2ニーファイ32:3

  • この聖句で,ニーファイはキリストの言葉をよく味わうときに,これらの言葉は知る必要があること,行う必要のあることすべてにおいて,あなたを導くと教えています。イエス・キリストが一日中あなたとともに歩み,語ってくだされば,生活はどのように変わるか想像してみてください。その情景を思い描くとき,あなたが感じることについて書いてください。

個人の啓示

「救い主は『聖霊によって,わたしはあなたの思いとあなたの心に告げよう』と言っておられます(教義と聖約8:2,強調付加)……思いに与えられる印象はとても具体的です。あたかも目の前で指示されているかのように,詳細な言葉を耳で聞いたり,体で感じたり,紙に書いたりすることができます。心への通信は,もっと漠然とした印象です。」(リチャード・G・スコット,“Helping Others to BeSpiritually Led,” 教義と聖約および教会歴史に関するシンポジウム,1998年8月11日,2)

  • 個人的な啓示に関する理解が深まるにつれて,あなたは以前にも増して頻繁に,また様々な方法で,個人的に与えられる啓示に気づくようになるでしょう。主から与えられた印象や啓示に関して,どのような経験をしたか書いてください。

「わたしはあなたがたに言う。〔わたしが語ったこれらのこと〕は,神の聖なるたまによってわたしに知らされているのである。見よ,わたしは自分でこれらのことを知ることができるように,幾日もの間,断食をして祈ってきた。そして,これらのことが真実であるのを,わたしは今,自分自身で知っている。主なる神が神の聖なる御霊によってこれらのことをわたしに明らかにされたからである。わたしの内にある啓示の霊によって知らされたのである。」(アルマ5:46

  • アルマは自分が祈り断食したときに,啓示を受ける能力が高まったとあかししています。依存症を断つことは,一種の断食であると考えることができます。悪習から遠ざかることによって,啓示の霊を持つ能力がどのように高められたかについて書いてください。

「聖文を読むことによって,わたしたちは霊感や啓示を受けることができます。この考えにより,聖文はそれが記された時代だけのために限定されるのではなく,今日こんにちの読者にとって意味を持つことも含み得るという真理への扉が開かれます。さらに,聖文を読むことによって,どのようなことであれ主がその時点でその読者に伝えたいと願っておられる事柄について最新の啓示が与えられることもあるでしょう。聖文はわたしたち一人一人が個人の啓示を受けられるように手助けするウリムとトンミムであると言っても過言ではありません。」(ダリン・H・オークス,“Scripture Reading andRevelation,” Ensign, 1995年1月号,8)

  • 聖文の言葉を学ぶのは,外国語を習得することによく似ています。最も効果的な学習法は,その言葉にどっぷりつかり,研究するなど,身も心も学ぶことに没頭することです。あなたの理解の目が開かれ,個人的な啓示を受けるきっかけとなった聖文の一節について書いてください。

主から助言を受ける

「主に助言しようとしないで,主の手から助言を受けるようにしなさい。見よ,あなたがたは,主が,造られたすべてのものに知恵と公正と深いあわれみをもって助言を与えられることを知っているからである。」(ヤコブ4:10

  • かつてわたしたちの祈りは,主に助言することに多くの時間を費やしていたために,その効力を十分に得られなかったのかもしれません。自分たちの決断や行動について主の御心みこころを求めないで,自分が望んでいる事柄について語っていたからです。祈りに関する最近の経験について考えてください。主への助言,主からの助言のどちらがあなたの祈りを占めていましたか。主の助言に喜んで耳を傾け,受け入れようとするあなたの思いについて書いてください。