2016年
メーベル姉妹の歌声
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熟考

メーベル姉妹の歌声

メーベル姉妹の歌にかける情熱は,痛々しいほどに,とどまるところを知りませんでした。

Sister Mabel, Singing

親友はわたしの笑いを止めようと,脇を肘でこづいてきました。何しろ,聖餐会で聖餐の賛美歌を歌っていたのですから。

でも,笑わないではいられませんでした。パットもうまく笑いをこらえられてはいませんでした。

わたしたちは当時15歳で,何でも知っていました。ワードのみんなは完全であるはずなのに,そうではないことを知っていました。霊的に鼓舞されるはずの聖餐会の話の大半は退屈だということも知っていました。また,世界で一番歌の下手な人が一緒に座っていて,この人のおかげで,思いを天に向けてくれるはずの賛美歌が台なしになり,皆の思いが別の方に向いてしまうことも知っていました。

わたしたちは耳を手で覆って顔をゆがめるしかありませんでした。時折笑うと少し気が紛れるような気がしました。

メーベル姉妹(彼女の名前。誰もがそう呼んでいたと記憶しています)が,自分の歌声が聴くに堪えないことを知りながら気に留めなかったのか,それとも周りに与える影響を重々承知していたのか,定かではありません。誰もその話題を彼女の前で持ち出さなかった可能性は大いにあります。彼女は高齢でしたが,強烈な女性でした。体格ではなく,活力の点においてです。何をするにも声を張り上げながらエネルギッシュに行うのでした。特に歌うときはそうです。

彼女の歌への情熱は,集会中に皆と歌うときだけではなく,ワードの聖歌隊でも発揮されました。そのような場での情熱はとどまるところを知りませんでした。会衆と一緒に歌うときに歌声を抑えていた記憶はありませんが,聖歌隊ではさらに威勢よく,高音から低音まで,世界中のどんな歌姫も出したことのないであろう,または出そうと願ったこともないであろう音域の歌声を張り上げるのでした。

さて,これはずっと前の話です。その後メーベル姉妹は亡くなり,パットとわたしは別々の人生を歩みました。そして,少なくともわたしは,15歳の時点では自分が思うほど物事を分かっていなかったことに気づきました。人生について,また歌について,この50年間にいくらかのことを学んできました。

情熱をもってエネルギッシュに生きる必要があることを学びました。1分1分は宝物であり,過ぎ去ってしまえば二度と取り戻すことはできず,思い出にかすかに残るだけです。奉仕したり主を礼拝したりしようとするならば,持てる限りの喜びとエネルギーで行うときに最も幸福を感じ,最も功を奏することを学びました。

また,幕のこちら側にいる人で完全な人はいないことも学びました。主がわたしたちに求めておられるのは,できる限り心と勢力,思い,力を尽くすことだけです。主はわたしたちが思う存分にささげるものを,たとえそれがどれほど不出来でも,最大限の献身として受け入れてくださいます。

皮肉なことに,わたしはメーベル姉妹よりも歌がうまいわけではないことにも気づきました。わたしがメーベル姉妹に抱いていた慈愛よりももっと大きな慈愛をワードの会員がわたしに抱いてくれるよう願っています。メーベル姉妹がまだここにいたら,歌を歌ってもらったことでしょう。彼女の天使のような歌声を懐かしく思います。