2016年
清い信心を実践する
戻る 次へ

清い信心を実践する

2015年1月13日,ブリガム・ヤング大学アイダホ校のディボーショナルで行われた説教“Pure Religion”から。全文(英語)はspeeches.byu.eduからご覧いただけます。

幸せになり,聖霊を感じ,もっと救い主に近づきたいと望むのであれば,清い信心を実践することです。

Pure Religion

「清い信心」アニー・ヘンリー画

数年前のこと,一人の青年(ここでは仮にジョンと呼びます)がわたしのオフィスにやって来ました。少し前に伝道から帰還した青年です。

「クラーク長老,わたしには助けが必要です。」とても不安そうに言いました。「わたしは伝道が大好きでした。伝道のおかげでわたしは変わりました。でも今は,伝道中のように神聖で特別な思いを感じることが難しくなっているのです。伝道していたときのように感じるには,どうしたらよいのでしょうか。」

わたしはこのような事例を多く見てきました。その青年の質問の趣旨はこうです。「幸せになり,聖霊を感じ,救い主に近づくためには,何をしたらよいのでしょうか。」わたしたちは皆,毎日そう尋ねてみる必要があります。

その日の午後,オフィスで新約聖書のヤコブの手紙第1章27節を開き,二人で読みました。「父なる神のみまえに清く汚れのない信心とは,困っている孤児や,やもめを見舞い,自らは世の汚れに染まずに,身を清く保つことにほかならない。」

次にアルマ書第34章28節を読みました。—「もし乏しい人や着る物のない人を追い払ったり,病気の人や苦しんでいる人を見舞わなかったり,自分には持ち物がありながら,それを必要としている人々に分け与えなかったりするならば,あなたがたに言うが,もしあなたがたがこれらのことのどれも行うことがなければ,見よ,あなたがたの祈りはむなしく,何の役にも立たない。あなたがたは信仰を否定する偽善者と同じである。」

次に,ペテロと他の弟子たちが漁に出ていた話が載っているヨハネによる福音書を読み直しました。彼らは全く魚が捕れませんでしたが,救い主に言われるままに舟の反対側に網を降ろしてみると,153匹もの魚が捕れたのです。食事を済ませると,ペテロと救い主が話し始めます。救い主は御自分の教えている相手が,やがて終わりの時代の一つを担って預言者になり,教会を管理するようになることを御存じでした。

「あなたは……わたしを愛するか」と救い主はお尋ねになります。

ペテロはこう答えました。「主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです。」

すると救い主は「わたしの小羊を養いなさい」と言われました。

救い主は同じ質問をもう2回繰り返し,やがてこう指示なさいました。「わたしの羊を養いなさい。」(ヨハネ21:3-17参照)

ペテロはまさにこのとき,清い信心を実践するよう,つまり人々に関心を寄せるよう教えを受けていたのです。現在の神の預言者もまた,人々に関心を寄せ,人々を愛しています。トーマス・S・モンソン大管長はこの清い信心を実践する者として大いなる模範となっています。大管長は,人々を愛し,世話することにその生涯をささげてきました。

わたしはこれまで,友人のジョンのような帰還宣教師を数多く見てきました。彼らにどうして伝道が好きだったのかと尋ねれば,おそらく異口同音に,人々を愛していたからだと答えることでしょう。宣教師は,自分自身のことよりも他の人々に関心を寄せ始めたその日に,幸せを感じるようになります。それはわたしたち全てにも当てはまります。他の人々に関心を寄せ,愛するなら,わたしたちはいつでもより幸せになります。

「人に関心を寄せる」ことの反対は,自分自身,つまり自分の車,自分の学業,自分の仕事,自分の問題について考えることです。いつも自分のことしか考えていないと,天とのつながりは,本来持てるほどには強くありません。

わたしはジョンに,もし清い信心を実践したら,きっと幸せになり,伝道中に感じた気持ちを味わうことができるとアドバイスしました。同じように,もし皆さんも幸せになり,聖霊を感じ,もっと救い主を近くに感じたいと望むのであれば,清い信心を実践することです。先ほどの聖句から,清い信心とみなせる4つの大切な実践方法を学ぶことができます。

1.やもめを見舞い,世話する

Sacrament. Passing and partaking

ジョンは大学に戻り,わたしたちが話し合ったことを行動に移しました。その後メールをくれ,介護施設にいる年配の人たちに教会機関誌にあった霊感あふれる記事を読んで聞かせた経験を紹介してくれました。

彼のメールです。「多くの人は,御霊が簡潔な真理や証について証してくれたとき,救い主からのあふれんばかりの愛と支えを感じました。わたしは,自分とほとんど関係のなかった人たちから,あるいはその人たちに対して,そのような愛を感じられるとは夢にも思っていませんでした。でも,その優しい人たちに対する救い主の愛を感じたのです。こうした人たち,つまり,現在認知症や肉体の病を患っている人たちに,幕の向こう側で会うことになるということが,わたしにとって明白になったのです。幕の向こう側から彼らをずっと見守ってきた,彼らの伴侶にもいつか会うことになるのです。祖父の存在を強く感じました。会ったことがないのに,わたしが祖母と一緒に座っていると,祖父の霊がわたしを強め,支えてくれたのです。祖父はただ立ち寄っただけのわたしに感謝してくれていることが分かりました。」

ジョンはこう続けています。「わたしにそのような深い憐れみを見いだすことができるとは,誰も思わなかったでしょう。そのような経験をした後で,家に帰ってテレビを見たり,何か他の息抜きをしたりするのは,非常に無意味に感じられました。わたしの心は変わりました。わたしたちが聖徒として他人に焦点を当て,何らかの形で助けようと努めるときには,1日のうちのどんな瞬間であってもそのような憐れみを感じる経験ができるということに気づくのです。」

皆さんも同じことができます。主は,ジョンになさったように皆さんも祝福してくださいます。

2.孤児を助ける

世界にはたくさんの孤児がいます。そのような孤児の一人と定期的に連絡を取ったり,手紙を書いたりできるとしたら,すばらしいと思いませんか。

息子のネイトも,伝道から帰還すると,友人のジョンと同じような気持ちになりました。そこでネイトは,1対1で支援してくれるつながりが必要な子供たちを成人と結びつけるプログラムで,相談役としてボランティアをすることにしました。奉仕活動を通して,ネイトの大学での体験は一変しました。現在では既に結婚しているネイトは,妻カーラとともに,このプログラムを通じて,再び「養子縁組」をしました。二人の結婚生活において,自分たちの持っているものを,必要としている人々と分かち合うのは,大きな祝福となってきました。

妻のメアリー・アンとわたしがボリビア・サンタクルーズ伝道部で奉仕していたとき,親のない宣教師がいました。家族がいなかったのです。主は,その長老がホーキンズ長老のトレーナーになるよう割り当てられました。わたしはその長老が最も優れたトレーナーだったと思っているわけではありませんが,主の宣教師の一人となった家族のいない青年にとって,ホーキンズ長老はこの上ない同僚でした。

ホーキンズ長老の両親は,この宣教師に伝道中ずっと手紙を書き,今に至るまで15年間それを続けてきました。ホーキンズ長老と家族のおかげで,かつて身寄りのなかった少年は,愛され,大切にされ,今では幸せな結婚をし,仕事にも就き,イエス・キリストの福音に活発に関わっています。わたしたちは誰でも身寄りのない子供たちに変化をもたらす助けができます。

3.貧しい人や困っている人の世話をする

Service

聖文は,貧しい人や困っている人を助けることがいかに大切か,常に思い起こさせてくれます。わたしたちには皆,その責任があります。1断食献金を惜しみなく納めることは,貧しい人や困っている人をもっと助ける方法の一つです。ブリガム・ヤング大管長(1801-1877年)はこう述べました。

「この盆地に来た最初の年は,収穫まで家族が生き抜けるだけの十分な小麦粉がありませんでした。……それでも,人々はパンを求めて毎日わたしの家にやって来ました。〔そのことで〕気持ちが沈んでいたある日のことです。古いとりでまで出かけて行き,自宅に戻って来るまでには,わたしの心はすっかり癒やされていました。わたしは妻に言いました。『我が家に食糧を求めて来る人を,一人たりとも手ぶらで帰すことがないようにしてほしい。そのようなことがあれば,わたしたちは収穫前に苦しむことになるだろう。しかし,我が家に来る人たちに一人残らず与え続けていたら,わたしたちにはきっと生き抜くのに十分なものが残るだろう。』……

わたしは自分のパンが尽きることがないよう,それを続けるつもりです。もしそうしなければ,パンに不足することになるでしょう。

皆さんはこの原則を信じますか。わたしはこの原則が真実であることを知っています。自分で何度も経験してきたからです。」2

以下に紹介する体験談は,コロラド州に住むある医師が,キリスト教徒向けのウェブサイトに投稿したものです。この医師は,車に異音がしてエンジンが止まってしまい,ようやくガソリンスタンドまでたどり着きました。レッカー車を呼ぶために電話しようとしていると,一人の女性が滑って転んでしまったのが目に留まりました。古い車が給油機のそばに止まっています。

「わたしは彼女が大丈夫かどうか心配になり,すぐに車を出ました。駆け寄って見ると,彼女は転んだというよりも,まるでむせび泣きを抑えられないようすでした。まだ若いのに,本当に疲れ切った表情で,目の下にはくまができていました。起き上がるのを助けるときに,彼女が何かを落としたので拾って渡しました。5セント硬貨でした。

その瞬間,全てがはっきり分かりました。涙を流す女性,家財道具をいっぱいに詰め込み,3人の子供を後ろに乗せた(1人はチャイルドシートに座っていました)旧式の〔車〕,そして,4ドル95セントを表示している給油機のメーター。大丈夫かどうか,そして何か助けを必要としていないかどうか,彼女に尋ねました。すると彼女は,『子供に泣いている姿を見られたくない』という言葉を繰り返しました。」

状況を理解したこの医師は,クレジットカードを取り出し,彼女の車のガソリンを満タンにすると,ガソリンスタンドの隣にあるファストフード店で,彼女と子供たちのために,大きな袋二つにいっぱいの食べ物とギフト券を何枚か買って戻って来ました。

「彼女は名前を告げると,〔ミズーリ州の〕カンザスシティーに住んでいたと言いました」と彼は続けます。「恋人が2か月前に家出し,もう食べる物も尽きたというのです。……絶望のうちに,最後に両親に電話しました。両親とはもう5年も話していなかったのです。カリフォルニア州に住んでいる両親は,彼女が自立できるようになるまで,実家で一緒に住んだらいいと言ってくれたので,彼女は持ち物を全て車に積み込んだのです。」

医師は彼女を抱き締めると,無事に着けるようにと彼女のために祈りをささげました。彼が車に戻ろうとすると,その女性が尋ねました。「あなたは天使か,何かなんですか?」

医師は答えました。「神はときどき普通の人を使われるんですよ。」

そして医師はこう述べています。「誰かの奇跡に少しでも関われるなんて,信じられないような経験でした。そして当然ですが,……わたしが車に戻ると,車はすぐにエンジンが掛かり,問題なく帰宅できました。明日車を点検してもらうつもりですが,修理屋だってどこも悪い所は見つけられないと思います。」3

誰かの祈りの答えとなるために,主はわたしたちを信頼してくださっているでしょうか。わたしたちがいつも聖霊の促しに従うと信頼してくださっているでしょうか。御霊の促しに従えば従うほど,主は誰かの祈りの答えとなる機会をそれだけ多く下さるのです。

4.主の子羊や羊を養う

Compassionate Service

イエスがペテロと話されたとき,イエスの最初の勧告は「わたしの小羊を養いなさい」というものでした。もしわたしたちが子羊を養うなら,行方の分からない羊を探しに行く必要がなくなることを主は御存じなのです。わたしたちの中には,助けを必要としている弟や妹,おいやめいなどがいるという人もいることでしょう。そうした人々のためにわたしたちが大いなる模範となることができますように。そして,わたしたちの助けを必要としている羊を見つけ出すことができますように。

皆さん,子羊を見つけて,助けてくださいませんか。救い主がわたしたちに求めておられるように,羊飼いとして信頼に応えられる者となり,子羊や羊の世話をしてくださいませんか。

救い主のペテロに対する問い掛けは,わたしたち一人一人にも向けられています。「あなたはわたしを愛するか。」やもめを見舞い関心を寄せることにより,また孤児を助け,貧しい人や困っている人の世話をすることにより,そして主の子羊や羊を養うことによって,清い信心を実践するとき,わたしたちは主を愛していることを,救い主に示すのです。そうするならば幸せになり,聖霊を感じ,救い主をさらに身近に感じるようになるのです。

  1. ジェフリー・R・ホランド「わたしたちは皆,物乞いではないだろうか」『リアホナ』2014年11月号,40-42参照

  2. ブリガム・ヤング,“Remarks,” Deseret News, 1856年6月18日付,116

  3. “Friends Are God’s Way of Taking Care of Us,” lisburn.com/stories/friends_are_gods_way.html.