2016
ピーター・F・マーズ長老
2016年5月


ピーター・F・マーズ長老

中央幹部七十人

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ピーター・F・マーズ長老

ピーター・マーズ長老は若い頃,耕作機械を「何でも修理する」店を経営する隣人の隣に家族とともに住んでいました。ピーターと彼の親友は,農機具をいじったり,ミニバイクやゴーカートを組み立てたりしながら,その店で多くの時間を費やしました。マーズ長老は,後にオーストラリア・メルボルンにあるモナッシュ大学で機械工学を学びました。

自らの学業を追求しながら,18歳のときに,教会の宣教師として伝道に出るために2年間休学させてほしいと大学に伝えました。大学からは1年間しか休学できないと伝えられました。それ以上長く休学すると,自分の専攻における学籍を失うことになるというのです。マーズ長老は伝道に出ないことに決めました。

しかしながら,その少し後で,スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)が総大会で,全てのふさわしい若い男性は伝道に出るべきであると宣言するのを聞きました(「豊かで満ち足りた人生を計画する」『聖徒の道』1974年9月号,417参照)。

「キンボール大管長は,まるでわたしに対して話しているようでした。その言葉はわたしの全身を貫いたのです」とマーズ長老は回想しています。長老は結局,伝道に出ることにしました。出発の1週間前,長老は大学から2年間の休学を認める旨の手紙を受け取りました。

マーズ長老は伝道後,大学に戻りましたが,その宣教師としての奉仕の時間は,「今まで受けた中で最高の教育でした」と言っています。「人々が成功するよう助けることが最も重要な指導の原則である」ことを福音を通して学びました。

機械工学の学士号を取得後,マーズ長老はエッソオーストラリア社でプロジェクトエンジニアとして働き,ウォーリーパーソンズリミテッド社の設立パートナーとなりました。最近までは,フォーテスキューメタルズグループの開発のディレクターを務めていました。

伝道後,長老が親友と呼ぶ女性,マキシン・イブリン・サッチャーと1979年1月2日にニュージーランド・ハミルトン神殿で結婚しました。夫妻には4人の子供と9人の孫がいます。

マーズ長老は,1956年12月21日,オーストラリア・ビクトリア州ワーナンブールでフレデリック・マーズとロイス・ジョーンズ・マーズ夫妻のもとに生まれました。これまで,長老定員会会長,ワードオルガニスト,ワード若い男性会長,ステーク若い男性会長,広報ディレクター,支部会長,地方部会長,ビショップ,ステーク会長,地域七十人など,多くの召しを果たしてきました。