教会歴史
教会本部


「教会本部」教会歴史のテーマ

「教会本部」教会歴史のテーマ

教会本部

1833年,ジョセフ・スミスと大管長会は,シオンの町の見取り図を作成しました。シオンとは,末日聖徒が主の再臨に備えて集合する町のことです。この町は,24の神殿からなる複合施設を中心に構成されました。この見取り図から分かるのは,この町にある施設は教会員の礼拝と,教会の管理運営,教育のために使われ,教会のいろいろな定員会や組織が活動する場を提供していたということです。この町も神殿も,築かれることはありませんでしたが,教会本部の初期のひながたとなりました。1

1830年から1847年,つまり,教会の最初の2代の大管長ジョセフ・スミスとブリガム・ヤングはあちこちに移動していて定住することがなかったため,大管長の住居のある都市が教会本部になっていました。しかし,聖徒たちがソルトレーク盆地に到着してからは神殿建設の計画が立てられました。すると,ブリガム・ヤングは早速,ソルトレーク・シティーにある自宅の隣,つまり,神殿の敷地から1区画東に,教会の大管長の執務室を建てたのです。2

長年にわたり,神殿のある一画を囲む地域が教会の本部になり,全世界に広がる組織に必要な機能が果たせるよう進化していきました。ソルトレーク・シティーにあるこの数区画は,礼拝と管理の務め,教育,公的な行事その他の目的で使われてきました。これから,テンプルスクウェア周辺を表す地図を,3つの時代にわたってお見せします。最も有名な建物の写真を幾つか添えています。

19世紀半ばから後半

画像
1867年当時の教会本部の地図
画像
ソルトレーク神殿の基礎

1.ソルトレーク神殿の建設現場

ソルトレーク神殿の建設現場です。末日聖徒たちがソルトレーク盆地に着くと間もなく,ブリガム・ヤングは神殿用地を選びました。建設は1853年2月に始まりました。この神殿が完成して奉献されたのは,1893年です。

画像
旧タバナクル

2.旧タバナクル

テンプルスクウェアにまず建てられた主要な建物は,初代タバナクルです。近くに建つ現代のタバナクルの前の代の建物として,後に「旧タバナクル」と呼ばれるようになりました。初代タバナクルは,現在アッセンブリーホールがある場所に,1851年から1852年にかけて建設されました。日干しれんが作りの低い壁に大きくカーブを描く屋根,地面より下にフロアのある旧タバナクルを設計したのは,建築家トルーマン・O・エンジェルです。この建物は,ざっと2,500人を収容できるものでした。

画像
ソルトレークタバナクル

3.タバナクル

旧タバナクルに代わる新しいタバナクルの隅石が据えられたのは,1864年7月です。この建物は,ウィリアム・H・フォーソンが設計し,ヘンリー・グローが建築の総監督を務めました。そしてトルーマン・O・エンジェルは,建物の完成後にバルコニーを設計しています。このタバナクルでは1867年から通常の集会が行われるようになり,1875年10月に奉献されました。

画像
エンダウメントハウス

4.エンダウメントハウス

エンダウメントハウスは生者のためのエンダウメントを行う場所として,1855年5月5日,ヒーバー・C・キンボールによって奉献されました。ブリガム・ヤングはこの建物を「主の宮」と名づけ,一時的な神殿とみなしていました。ほかの神殿が建築途上にあったころ,34年間にわたってエンダウメントハウスには何千人もの末日聖徒が参入しました。そして,1889年にその役割を終えて取り壊されたのです。

画像
カウンシルハウス

5.カウンシルハウス

カウンシルハウスは,1850年代を通してユタ準州の行政府であり,1850年から1883年までは,教会執務ビルでもありました。1888年に使われたのを最後に,その後取り壊されています。この建物の2階では,1851年から1855年にかけて,2,000人以上の末日聖徒がエンダウメントを受けました。

画像
デゼレトニュースビル

6.デゼレトニュースビル

デゼレトニュースビルは最初1870年に,現在ジョセフ・スミス記念館のある場所に建てられ,ユタでいちばん古い新聞であるデゼレトニュースの編集室と事務室,印刷所がありました。教会初の放送は,1922年にこのビルの屋上に建てられたトタン小屋で,屋上に据えつけられた送信機から送信されたのです。

画像
ビショップの倉

7.ビショップの倉と什分の一集積所

ビショップの倉と什分の一集積所は,什分の一が集められる中心の場所でした。当時の末日聖徒は,一般的に,什分の一を農産物で物納していたのです。ビショップの倉と什分の一集積所は,1860年から1902年にかけてほかにも作られ,貧しい移民のための住居も同時に作られました。しかし,1909年以降,これらの建物は,末日聖徒の大学のキャンパスの建物として使われるようになりました。

画像
旧タバナクル

8.ビーハイブハウスとライオンハウス,管理事務所

ビーハイブハウスは,最初1855年にブリガム・ヤングの主要な居住地としてソルトレーク・シティーに建てられ,1898年から1918年までは,教会の大管長の自宅でもありました。1920年から1959年までは,若い女性相互発達協会がこの建物を若い女性の寄宿舎として活用し,1961年には改修して博物館になりました。ライオンハウスはブリガム・ヤングの妻たちの居住地として1856年に建設され,後に管理業務や教育施設,宿泊所として使われるようになりました。管理事務所,つまり大管長の執務室は,1853年から1917年まで,教会の指導者たちが使っていました。

20世紀初頭から半ばまで

画像
1925年当時の教会本部の地図
画像
アッセンブリーホール

9.アッセンブリーホール

アッセンブリーホールは,ソルトレークステークのタバナクルとして,1877年に建築が始まりました。1882年に完成したときには,教会の行事や,社交的な行事,教育目的の行事のために人が集まる場所として使われました。

画像
神殿別館

10.神殿別館

神殿別館は,神殿参入者に待合室を提供するために,1893年に建設されました。1960年代に,この別館の翼棟は廃されて,新たに別館が建てられました。

画像
デゼレト博物館

11.案内所とデゼレト博物館

案内所が最初に建てられたのは1904年で,テンプルスクウェアを訪れる旅行者の案内をしていました。この案内所は拡張してデゼレト博物館も併設されるようになり,1978年には訪問者センター南館に取って代わられました。

画像
ソルトレークアカデミー

12.ソルトレークアカデミー

最初「ソルトレークアカデミー」として1886年に創設された末日聖徒の大学は,後に「末日聖徒大学」と呼ばれるようになり,あちこちに所在地を変えながら,最終的には1901年に,テンプルスクウェアをキャンパスにすることで落ち着きました。1930年代にこの教育機関が移転して名称が「LDSビジネスカレッジ」に変更されると,教会は,その建物の部屋を執務室として使うようになりました。この建物は1962年に取り壊され,その跡地に教会本部ビルが建てられました。

画像
ビショップのビル

13.ビショップのビル

ビショップのビルは1910年から1962年までの間,管理ビショップと中央扶助協会会長その他の教会指導者たちに執務を行う場を提供していました。

画像
デゼレト体育館

14.デゼレト体育館

デゼレト体育館は1910年から1962年までの間,レクリエーション活動を行うための施設となっていました。

画像
ホテル・ユタ

15.ホテル・ユタ

ホテル・ユタは1911年に「什分の一集積所」の敷地に建てられ,ソルトレーク・シティーの著名なホテルとして1980年代まで使われていました。1993年,このホテルの建物の大部分が改修されて教会の執務室になり,名称も「ジョセフ・スミス記念館」になりました。レストランや食堂は,今でも地域の社交の場として使われています。

画像
教会執務ビル

16.教会執務ビル

教会執務ビルは,1917年に建てられ,教会の大管長の執務室をはじめとする上級指導者の執務室が入っています。ソルトレーク神殿やカンファレンスセンターの建築に使われたのと同じ花崗岩で建てられました。

画像
ミッショナリーホーム

17.ミッショナリーホーム

ミッショナリーホームは100人までの宣教師を収容することができる施設で,1週間にわたるオリエンテーションや訓練プログラムを行うことができました。宣教師の言語訓練が教会の大学で行われることが多くなってきたため,この施設は1960年代に閉鎖されました。

21世紀初頭

画像
21世紀初頭の教会本部の地図
画像
ジョセフ・スミス記念館

15.ジョセフ・スミス記念館

教会はホテル・ユタを改修してジョセフ・スミス記念館を建てました。この記念館は,訪問者や旅行者のための設備や施設を兼ね備えた執務ビルで,レセプションホールや食事のサービス,映画館もあります。

画像
扶助協会ビル

18.扶助協会ビル

扶助協会ビルは,補助組織の執務室を作るために1956年に建設され,1970年代には,全世界の女性のためのリソースセンターの役割を果たすようになりました。中央扶助協会と中央若い女性,中央初等協会の各会長会は,21世紀に入っても,引き続きこの建物を使っています。

画像
教会本部ビル

19.教会本部ビル

この28階建ての教会本部ビルは,増え続ける教会の部署や職員に対応するために,1972年に建設され,1975年に奉献されました。

画像
カンファレンスセンター

20.カンファレンスセンター

2000年に奉献されて以来,カンファレンスセンターはソルトレークタバナクルに取って代わる総大会の主要な会場になっています。この建物は館内に2万1,000人以上を収容することのできるホールで,しばらくの間,扇型のホールとしては世界最大のものでした。

画像
教会歴史博物館

21.教会歴史博物館

元々は1984年に教会歴史芸術博物館として建てられた教会歴史博物館は,貴重な末日聖徒の工芸品や手作りの品の現物を保管・展示しています。

画像
家族歴史図書館

22.家族歴史図書館

家族歴史図書館は1985年に建設され,系図の探求サービスと系図記録を一般市民に提供しています。

関連テーマ:「ソルトレーク盆地」Salt Lake Temple(ソルトレーク神殿)」「エンダウメントハウス」「広報活動」「放送メディア」