総大会
個人の啓示の枠組み
2022年10月総大会


個人の啓示の枠組み

わたしたちは聖霊が働かれる際の枠組みを理解する必要があります。わたしたちがその枠組みの中で行動するとき,聖霊は驚くべき洞察を解き放つことがおできになるのです。

わたしは皆さんの多くと同じように,何年にもわたり,ディーター・F・ウークトドルフ長老から大きな影響を受けてきました。わたしが使おうとしている例え話は,その一例です。1ウークトドルフ長老には申し訳ないのですが……

よく訓練された飛行機のパイロットは,飛行機を性能の範囲内で飛ばし,滑走路の使用や飛行経路について,航空管制官の指示に従います。簡単に言えば,パイロットは枠組みの中で操縦するのです。どんなに優秀で才能があっても,パイロットはこの枠組みの中で操縦することによってのみ,飛行機の大いなる可能性を安全に引き出し,奇跡的な目的を達成することができます。

同じように,わたしたちは枠組みの中で個人の啓示を受けます。バプテスマの後,荘厳でありながら実用的な賜物,聖霊の賜物を授かります。2わたしたちが聖約の道にとどまるように努めるとき,3「聖霊は,[わたしたち]がなすべきことをすべて[わたしたち]に示され」ます。4迷いや不安があるとき,わたしたちは神に助けを求めることができます。5救い主の約束は,これ以上ないほど明確です。「求めよ,そうすれば,与えられるであろう。……すべて求める者は得……るからである。」6聖霊の助けにより,わたしたちは神から受け継いだ特性を永遠の行く末に変換できます。7

聖霊を通して個人の啓示が与えられるという約束は,空を飛ぶ飛行機によく似て,畏敬の念を引き起こします。そして飛行機のパイロットのように,わたしたちは,聖霊が個人の啓示を与えるために働かれる枠組みを理解する必要があります。わたしたちがその枠組みの中で働くとき,聖霊は驚くべき洞察や導き,慰めを解き放つことがおできになるのです。どんなにすぐれた才能がある人でも,その枠組みの外では,欺かれ,砕けて,焼けてしまいます。

聖文は,個人の啓示を受けるための枠組みの第一の要素です。8聖文にあるように,キリストの言葉を味わうことにより個人の啓示を受けやすくなります。ロバート・D・ヘイルズ長老はこう語っています。「神に話しかけたいときには,祈り,神から話しかけてもらいたいときには,聖文を読むことができます。」9

聖文はまた,個人の啓示を受ける方法を教えています。10そしてわたしたちは正しく,善いことを求め11,神の御心に反することは求めません12。わたしたちは自分自身の思いを達成する,あるいは自分自身の楽しみを満たすなど,不適切な動機から「悪い求め方」をしたりしません。13何にもまして,わたしたちは受けると信じて15,イエス・キリストの御名によって天の御父に願い求めるのです。14

枠組みの2番目の要素は,個人の啓示は自分自身の権限の範囲内で与えられ,ほかの人のためには与えられないということです。言い換えれば,自分に指定された滑走路を使って飛び立ち,着陸するのです。滑走路が明確に定義されることの重要性は,回復の歴史の初期の出来事が教えています。モルモン書の「八人の証人」の一人,ハイラム・ページは,教会全体に対する啓示を受けたと主張しました。数人の会員は欺かれて,誤った影響を受けました。

それに対して,主はこう啓示されました。「わたしの僕ジョセフ・スミスのほかに,だれもこの教会で戒めと啓示を受けるために任命される者はいない。……彼に変わる別の者を……任命するまでは……。」16教会のための教義や戒め,啓示は,生ける預言者がその権限により,イエス・キリストから受けます。17それが預言者の滑走路です。

わたしは数年前,不法侵入で逮捕された人から電話を受けました。彼は,侵入しようとした建物の床下にもう一つの聖文が埋められているという啓示を受けたと言いました。そして,その聖文を手に入れたら,翻訳の賜物が与えられ,新しい聖文を世に出して,教会の教義や指示を刷新できると主張しました。彼に間違っていることを告げると,それについて祈るように懇願されました。わたしは,祈りませんと言いました。彼は口汚くののしると,電話を切りました。18

わたしは一つの簡潔で深遠な理由から,この要請に応じて祈る必要はありませんでした。それは,預言者だけが教会のための啓示を受けるということです。ほかの人がそのような啓示を受けることは,「神の摂理に反します。」19これは預言者の滑走路なのです。

個人の啓示は,正当に個人に属するものです。例えば,あなたはどこに住むか,どの職業に就くか,あるいはだれと結婚するか,啓示を受けることができます。20教会指導者は,教義を教え,霊感を受けて助言をしますが,これらの決定を下す責任は本人にあります。それはあなたが受ける啓示であり,あなたの滑走路なのです。

枠組みの三番目の要素は,個人の啓示が神の戒めや,わたしたちが神と交わした聖約と調和しているということです。次のような祈りについて考えてみましょう。「天のお父様,教会の礼拝行事は退屈です。安息日に山の中や海岸で礼拝してもいいですか?教会に行って聖餐を取らなくても,安息日を聖く守る者に約束された祝福を受けることはできませんか?」21そのような祈りに対して,神がこうお答えになると予想できます。「わが子よ,わたしは安息日に関するわたしの思いをすでに啓示している。」

神がすでに明確な指示を与えておられることについて啓示を求めるとき,わたしたちは自分の感情を間違って解釈したり,自分の聞きたいことだけを聞いたりすることに自身をさらしてしまいます。ある男性が,家族の経済状況を安定させるために悪戦苦闘したことについて話してくれました。彼は解決策として資金を横領することを思い付き,それについて祈り,肯定的な啓示を受けたと感じました。わたしは彼が欺かれていることが分かりました。神の戒めに反する啓示を求めたからです。預言者ジョセフ・スミスはこう警告しています。「神の御霊を受けていると思っていながら偽りの霊の影響下にあることほど,人の子らにとって大きな害悪はない。」22

ニーファイはラバンを殺したときに戒めを破ったと指摘する人がいるかもしれません。しかし,この例外は,個人の啓示が神の戒めと調和するというルールを否定するものではありません。この出来事ついて完全に満足のいく簡単な説明はできませんが,幾つかの点を強調させてください。この出来事の始まりは,ニーファイがラバンを殺してよいか尋ねたことではありません。それはニーファイが望んでいることではありませんでした。ラバンを殺したのは,ニーファイ自身の利益のためでなく,将来の国民と聖約の民に聖文を提供するためでした。そしてニーファイはそれが啓示であり,事実,この場合,神からの戒めであることを確信していました。23

枠組みの4番目の要素は,神からさらなる啓示を受けることに心を開きながらも,すでに与えられた個人の啓示を受け入れることです。神が祈りに答えられても状況が変わらなかった場合,なぜ異なる答えを期待するのでしょうか。ジョセフ・スミスは1828年に,問題のある状況に陥りました。モルモン書を翻訳していた最初のころに,後援者であり初期の筆記者であったマーティン・ハリスは,翻訳した原稿を持ち出して妻に見せる許可をジョセフに求めました。どうすべきか分からなかったジョセフは,導きを求めて祈りました。主は,マーティンが原稿を持ち出してはならないと告げられました。

マーティンはジョセフに,もう一度神に尋ねるように求めました。ジョセフがそうすると,当然のことながら,答えは同じでした。しかし,マーティンはジョセフに3度目を求め,ジョセフはそうしました。このとき神は,だめとは言われませんでした。その代わりに,こう言われたかのようでした。「ジョセフ,あなたはこれについてわたしがどう感じているか知っているが,あなたには選択する自由がある。」制限を解かれたと感じたジョセフは,マーティンが116ページの原稿を持ち出して少数の家族に見せることを許可することに決めました。その翻訳原稿は失われて,二度と戻って来ませんでした。主はジョセフを厳しく叱責されました。24

ジョセフは,モルモン書の預言者ヤコブが教えたことを学びました。「主に助言しようとしないで,主の手から助言を受けるようにしなさい。……主[は]……知恵……をもって助言を与えられる……からである。」25ヤコブは,わたしたちが求めるべきでないことを求めるときに,好ましくないことが起ると警告しました。そして,エルサレムの民が「自分たちの理解できないものを求め」,「的のかなたに目を向け」,世の救い主を完全に見過ごしてしまうと預言しました。26彼らは自分たちが理解していないことや理解できないことを求めたために,つまずいたのです。

自分の問題に当てはまる個人の啓示を受けていて,その状況が変わっていなければ,神はすでにわたしたちの問いかけに答えておられます。27例えば,わたしたちは赦されていることを再度確認するために何度も祈り求めることが時々あります。わたしたちが悔い改め,喜びと良心の平安に満たされ,罪の赦しを受けているならば,再度求める必要はありません。神がすでに答えを与えてくださっていると信頼することができます。28

神から以前与えられた答えを信頼しながらも,わたしたちはさらなる個人の啓示に対して心を開いておく必要があります。結局,人生において無着陸飛行で到達できる目的地はほとんどありません。わたしたちは個人の啓示が「教えに教え,訓戒に訓戒を加え」るように与えられることと29,啓示される導きが多くの場合徐々に与えられることを理解しなければなりません。30

個人の啓示の枠組みを構成する要素は,互いに重なり合い,強化し合っています。しかし,その枠組みの中で,聖霊はわたしたちが飛翔して聖約の道に留まるための推進力を維持するために必要なすべてのことを啓示することがおできになり,そのようにしてくださいます。こうして,わたしたちはイエス・キリストの力により祝福を受けて,天の御父が望んでおられるような人になることができるのです。わたしは皆さんに,神から啓示が与えられることを理解し,神の預言者を通して与えられた聖文や戒めと調和して生活し,自分自身の権限と選択の自由の範囲内で,自信をもって自らのために個人の啓示を求めるようお招きします。わたしは,聖霊が皆さんの行うべきことをすべて示すことがおできになり,またそうしてくださることを知っています。31イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. ディーター・F・ウークトドルフ長老は,大切な福音の原則を教えるために,飛行機に関するたとえをいつも効果的に使いました。例えば,ウークトドルフ長老は最近「教師のチェックリスト」(〔教師のための放送,2022年6月12日〕,broadcasts.ChurchofJesusChrist.org)の中で,パイロットの飛行前の点検と救い主のように教えるためのチェックリストを結びつけて教えています。

  2. 聖霊は神会の第三の御方で,しばしば御霊または神の御霊と呼ばれ,救いの計画の中で重要な役割を果たされます。聖霊は御父と御子を証し,すべてのことについて真理を明らかにし,悔い改めてバプテスマを受けた人を聖め,「約束の聖なる御霊」として働かれます(「聖句ガイド」『聖霊』scriptures.ChurchofJesusChrist.org参照)。

  3. 2ニーファイ31:19-21モーサヤ4:8参照このほかに,わたしたちが「神の王国に救」われる道はありません。それ以外を望んでも,代わりの道にはならないのです。

  4. 2ニーファイ32:5教義と聖約84:43-44も参照

  5. 2ニーファイ32:4;ラッセル・M・ネルソン「教会のための啓示,わたしたちの人生のための啓示『リアホナ』2018年5月号,93-96参照。

  6. マタイ7:7-8

  7. 家族―世界への宣言」;「若い女性のテーマ」;「総合手引き―末日聖徒イエス・キリスト教会における奉仕」27.027.2,ChurchofJesusChrist.org参照。

  8. 2 ニーファイ32:3参照

  9. ロバート・D・ヘイルズ「聖文―救いを得させる神の力『リアホナ』2006年11月号,26-27。

  10. 聖文は,聖霊の声が大きな声や騒々しい声でなく,ささやくような穏やかで静かな声であると教えています。それは簡潔で,静かで,分かりやすい声です。心を貫き,内に燃やすことができます。心と思いの両方に影響を与え,恐れや不安や心配でなく,平安と喜びと希望をもたらします。悪ではなく,善を行うように勧め,不可解でなく,人を教え導く心地よいものです。列王上 19:11-12オムナイ1:25アルマ32:28ヒラマン 5:30-333ニーファイ11:3モロナイ7:16-17教義と聖約6:22-248:2-39:8-911:12-1485:6;ボイド・K・パッカー「主のともしび『聖徒の道』 1988年12月号,32-37;ラッセル・M・ネルソン「彼に聞きなさい『リアホナ』,2020年5月号,88-92; ラッセル・M・ネルソン「信仰をもって将来を待ち望む『リアホナ』,2020年11月号,73-76;ラッセル・M・ネルソン「教会のための啓示,わたしたちの人生のための啓示」『リアホナ』2018年5月号,93-96参照。

  11. 3ニーファイ18:20モロナイ7:26教義と聖約88:64-65参照

  12. ヒラマン10:5教義と聖約46:30参照

  13. ヤコブの手紙4:3。新しい国際版のヤコブの手紙4:3;2ニーファイ4:35教義と聖約8:1046:788:64-65も参照。

  14. 教義と聖約88:64-65;『聖句ガイド』「祈り」の項,scriptures.ChurchofJesusChrist.orgも参照してください。

  15. 3ニーファイ18:20モロナイ7:26参照

  16. 教義と聖約28:2,7

  17. 教義と聖約21:4-5参照

  18. 幸いなことに,彼が真に必要とする援助と治療を受けられるように手配が行われました。

  19. 『歴代大管長の教え―ジョセフ・スミス』,197

  20. See Thomas S. Monson, “Whom Shall I Marry?,” New Era, Oct. 2004, 4.

  21. 教義と聖約59:9-16参照

  22. Joseph Smith, in Times and Seasons, Apr. 1, 1842, 744, josephsmithpapers.org.

  23. 主はしばしば,啓示した戒めに変更や修正や例外を加えられますが,それらは個人的な啓示でなく,預言的な啓示を通して行われます。預言的な啓示は,神が正式に召された預言者を通して,神の知恵と思いにより,もたらされます。これらの例外には,「あなたは殺してはならない」(出エジプト20:13)という戒めがあったにもかかわらず,モーセとヨシュアにカナンの地の住民を殺すように命じた主の啓示が含まれます。主は御自身の預言者を通して,主の目的のために主の戒めを変えることができますし,そうされるでしょう。しかし,神が預言者を通して主の教会に啓示して確立された戒めについて,わたしたちには,個人の啓示を通して変更を加えたり,無視したりする自由はありません。

    1ニーファイ4:12-18;より充実した話し合いのために,see Joseph Spencer, 1st Nephi: A Brief Theological Introduction (2020) 66–80.

  24. 116ページの原稿に関する詳しい記録については,『聖徒たち―末日におけるイエス・キリスト教会の物語』第1巻「真理の旗」1815-1846年,45-53を参照。教義と聖約3:1-1510:1-5も参照)

  25. モルモン書ヤコブ4:10

  26. モルモン書ヤコブ4:14-16参照。

  27. ジョセフ・スミスは次のように教えました。「わたしたちは,その事例に合った啓示が前に与えられていない場合を除いては,決して神の御手に特別な啓示を求めることはしない。」(in History, 1838–1856 [Manuscript History of the Church], volume A-1, 286–87, josephsmithpapers.org).

  28. モーサヤ4:3参照わたしたちが真心から意識的に悔い改めた後にも引き続き罪の意識や後悔の念を感じる場合,それは通常,イエス・キリストに対する信仰と主が完全にわたしたちを赦し癒してくださる力をお持ちであることへの信仰が足りないからです。時々,わたしたちは赦しはほかの人々のためであって,自分には当てはまらないと思うことがあります。これは,主が無限の贖罪を通して成し遂げてくださったことに対する信仰の単なる欠如です。

  29. イザヤ28:102Ne28:30;David A. Bednar, “Line upon Line, Precept upon Precept,” New Era, Sept. 2010, 3–7 参照

  30. しかし,もし神があなたに啓示を与えてくださらなければ,求め続けてください。リチャード・G・スコット長老は次のように教えています。「信頼を胸に前進してください。……皆さんが義にかなった生活を送っていて,神を信頼して行動しているならば,間違った決定をしている場合,神は警告的な気持ちを与えないまま,皆さんが進みすぎてしまうのを黙って見ているようなことはされません。」(「祈りという天与の賜物を用いる『リアホナ』2007年5月号,10)

  31. 2 ニーファイ32:5 参照