2010–2019
羊飼いとなる
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羊飼いとなる

ミニスタリング先の人々が皆さんを友人として見ることができるように,あなたという支援者,良き相談相手がいることを実感できるようにと願っています。

1年前,チリで会った初等協会の男の子が,わたしを笑顔にしてくれました。こう言うのです。「ねえ,僕ばくはデビッドっていうんだ。ばくのことを総大会で話してくれないかな?」

静かな時間に,デビッドの予想外のあいさつについて思い巡らしました。人は皆,認められたいと願っています。大切にされたい,覚えていてもらいたい,愛を感じたいと思うのです。

姉妹と兄弟の皆さん,皆さん一人一人は大切な存在です。総大会の話に登場しなくとも,救い主はあなたを御存じで,あなたを愛しておられます。ほんとうだろうかと疑うなら,主が「あなたを〔御自分〕の手のひらに彫り刻〔まれた〕」ことをじっくりと考えるだけでよいのです。1

救い主がわたしたちを愛しておられることを知ると,今度はどうしたら主への愛を最もよく示せるだろうかと思うかもしれません。

救い主はペテロにこう尋ねられました。「『わたしを愛するか』。」

ペテロは答えました。「『主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです』。イエスは彼に『わたしの小羊を養いなさい』と言われた。」

「わたしを愛するか」という質問を2度目,3度目と尋ねられたペテロは,心を痛めつつも,主への愛を確かにします。「『主よ,あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは,おわかりになっています』。イエスは彼に言われた,『わたしの羊を養いなさい。』」2

ペテロは自分が愛するキリストに従う者であることを,すでに証明していたのではなかったでしょうか。海岸での最初の出会いから,ペテロは救い主に従おうと「すぐに」網を捨てたのです。3ペテロはまことの人間をとる漁師になりました。救い主御自身が教導の業に携わっておられる間,ペテロは主と行動を共にし,人々にイエス・キリストの福音を教える助け手となってきました。

しかし,復活を経て,もはやペテロのそばにいられないことを御存じであった主は,いつ,どのように仕えるべきかをペテロに示されたのです。救い主が不在となった場合,ペテロは御霊の導きを求め,自ら啓示を受ける必要があり,さらに行動する勇気と信仰を持たなければならなくなります。救い主は御自分の羊のことを考え,御自身が地上にいたらなさるであろうことを行うようペテロに望まれました。主はペテロに,羊飼いとなることを求められたのです。

今年の4月,ラッセル・M・ネルソン大管長も同じようにわたしたちを招きました。ミニスタリングを通して,御父の羊をより神聖な方法で養うよう求めたのです。4

この招きに実際に応じるには,羊飼いのような心を育み,主の羊が何を必要としているかを理解しなければなりません。それでは,主が望まれているような羊飼いとなるには,どうすればよいでしょうか。

すべての質問と同様,わたしたちは良い羊飼いである,救い主イエス・キリストに目を向けることができます。救い主は御自分の羊を知り,数えておられます。御自分の羊を見守り,神の群れに集めておられるのです。

知り,数える

救い主の模範に従おうと努めるなら,わたしたちはまず,主の羊を知り,数えなければなりません。主の群れの中にいる全員が確実に覚えられ,だれも忘れられることがないように,わたしたちには心を配るべき特定の個人や家族が割り当てられています。しかし,数えるとは,数字に集中することではありません。それは,主に代わって奉仕するだれかを通して,一人一人が確実に救い主の愛を感じられるようにするということです。それにより,愛に満ちた天の御父が自分のことを御存じであるとすべての人が認識できるのです。

最近出会ったある若い女性は,自分の5倍近くの年齢になる姉妹をミニスタリング先として割り当てられていました。ともに過ごすうちに,二人とも音楽が大好きであることが分かりました。この若い女性が訪問すると,二人は一緒に歌を歌い,お気に入りの音楽を分かち合います。二人は友情を培いながら,お互いの生活に祝福を見いだしているのです。

わたしは,ミニスタリング先の人々が皆さんを友人として見ることができるように,あなたという支援者,良き相談相手,すなわち自分の状況に気づき,自分の望みや心に抱く夢をサポートしてくれる人がいることを実感できるようにと願っています。

最近,わたしはある姉妹をミニスタリングする割り当てを受けました。同僚もわたしもよく知らない姉妹です。ミニスタリングの同僚である16歳のジェスと話し合うと,ジェスは賢明にもこう提案してくれました。「彼女と知り合いになる必要があるわ。」

そこで,すぐに決めたのは,まず自撮りの写真と紹介メールを送ることでした。わたしは携帯を持ち,ジェスがボタンを押して,写真を撮りました。同僚との共同作業が,わたしたちにとって最初のミニスタリングの機会となったのです。

初めての訪問で,わたしたちの祈りに入れてほしいことがあるかどうかその姉妹に尋ねました。彼女は心を痛めている個人的な試練について分かち合うと,祈ってくれるのはうれしいことだと言いました。彼女の誠実さと信頼が,すぐさま愛のきずなをもたらしたのです。日々の祈りで彼女を思い起こすことができるのは,何とすばらしい特権でしょう。

祈る中で,皆さんはミニスタリング先の人々に対するイエス・キリストの愛を感じることでしょう。その愛を彼らに分かち合ってください。皆さんを通して彼らが主の愛を感じられるよう助ける以上に,主の羊を養うのに良い方法があるでしょうか。

見守る

羊飼いのような心を育てる2番目の方法は,主の羊を見守ることです。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員として,わたしたちは,ほとんど何でも移動,修理,修復,復元できます。援助の手,あるいは一皿のクッキーで,わたしたちは素早く必要を満たします。しかし,これだけではないようです。

わたしたちの羊は,わたしたちが愛をもって彼らを見守っており,彼らを助けるためには行動を起こすことを知っているでしょうか。

マタイ25章にはこうあります。

「『わたしの父に祝福された人たちよ,さあ,……あなたがたのために用意されている御国を受けつぎなさい。

あなたがたは,わたしが空腹のときに食べさせ,かわいていたときに飲ませ,旅人であったときに宿を貸し……てくれたからである』。

そのとき,正しい者たちは答えて言うであろう,『主よ,いつ,わたしたちは,あなたが空腹であるのを見て食物をめぐみ,かわいているのを見て飲ませましたか。

いつあなたが旅人であるのを見て宿を貸し……ましたか。』」5

兄弟姉妹の皆さん,鍵となるのは見るという言葉です。正しい者たちが助けの必要な人々を見いだしたのは,彼らを見守っており,気にかけていたからです。わたしたちも,助けや慰めの必要性や,お祝いの機会に気づいたり,人の可能性さえも見ることのできる目を持つ者となれます。実際に行動を起こすとき,わたしたちはマタイによる福音書にある約束を確信することができるのです。「『……これらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである』。」6

ある友人(ジョンと呼ぶことにします)が,表面的には気づきにくい必要を見いだした際に起こり得ることを分かち合ってくれました。「わたしのワードのある姉妹が自殺しようとしました。2か月後に分かったのは,この心に傷を残すような経験に向かい合おうと,その姉妹のご主人に働きかけた人が定員会の中にだれもいなかったということです。残念なことに,わたしもそれまで何もしていませんでした。ようやくわたしはその兄弟を昼食に誘いました。内気で,たいてい感情を表に出さない人でしたが,わたしから『奥さんのことを聞きました。ほんとうに大変だったでしょう。よかったら話していただけませんか』と言うと,彼は人目もはばからずに涙を流しました。わたしたちは心のこもった深い話し合いをし,数分のうちに特別な親密さと信頼を築くことになったのです。」

ジョンはこう付け加えています。「思うにわたしたちは,誠実さと愛をもってそのような機会に足を踏み入れる方法を見いだすよりも,ただブラウニーを持って行くだけになりがちです。」7

わたしたちの羊は,傷を負い,迷っているか,あるいは故意にさまよっているかもしれません。わたしたちは羊飼いとして,羊の必要を最初に見いだす者となることができます。わたしたちは耳を傾け,裁くことなく愛し,希望を与え,聖霊の導きを識別できるよう助けることができるのです。

姉妹と兄弟の皆さん,霊感を受けた皆さんの親切な行いによって,世界はさらに希望に満ちた,喜ばしいものとなります。ミニスタリング先の人々に主の愛を伝える方法,その必要を見いだす方法について主の導きを求めるなら,わたしたちの目は開かれます。神聖なミニスタリングの割り当ては,皆さんに霊感を受ける神聖な権利をもたらします。皆さんは,確信を持ってその霊感を求めることができるのです。

神の羊の群れを集める

3番目に,わたしたちは羊を神の群れの中に集める必要があります。そうするには,彼らが聖約の道のどこにいるかをよく考え,彼らの信仰の旅路を喜んでともに歩まなければなりません。わたしたちには,彼らの心を理解し,救い主に向かわせるという神聖な特権が与えられています。

フィジーに住むヨシビニ姉妹は,自分の進む聖約の道が見えにくくなっていました。文字どおりの意味です。彼女の友人は,ヨシビニ姉妹が聖文を読むのに苦労している姿を目にすると,ヨシビニ姉妹に新しい老眼鏡と明るい黄色の色鉛筆をプレゼントし,モルモン書でイエス・キリストについて述べられている箇所すべてに線を引けるようにしました。奉仕したい,聖文研究を手助けしたいというささやかな願いから始まったことが,ヨシビニ姉妹が初めて神殿に参入するという結果をもたらしました。彼女がバプテスマを受けて28年後のことです。

羊が強いか弱いか,喜んでいるか苦しんでいるかにかかわらず,わたしたちはだれもが一人で歩くことのないように計らうことができます。霊的な面でどこにいるかにかかわらず,彼らを愛し,次の段階へと進めるように助けや励ましをもたらすことができるのです。わたしたちが祈り,彼らの心を理解しようと努めるときに,天の御父がわたしたちを導き,主の御霊がわたしたちに伴ってくださることを証します。主が彼らに先立って行かれるときに,わたしたちには,彼らの「周囲にい〔る〕」「天使たち」8となる機会が与えられているのです。

主は御自身がなさるように,御自分の羊を養い,群れを見守るよう,わたしたちを招いておられます。主は,わたしたちがすべての国民と国々に対して羊飼いとなるように招いておられるのです。(ウークトドルフ長老,もちろんドイツの羊飼いも必要です。〔訳注:ジャーマン・シェパード(「ドイツの牧羊犬」の意味)という犬種名を使ったユーモア。土曜午前の部会のウークトドルフ管長の説教を参照〕。)また,主は若い人々がこの大義に加わることを望んでおられます。

教会の青少年は,とても力強い羊飼いとなれるのです。ラッセル・M・ネルソン大管長が話したように,彼らは「主がこれまでにこの地上に送ってこられた人々の中でも選りすぐりの人々です。」「高貴な霊」であり,救い主に従う「最も優れた選手たち」なのです。9そのような羊飼いたちが羊の世話をする際にもたらす力を想像できるでしょうか。青少年とともにミニスタリングに携わるなら,驚くべきことを目にするでしょう。

若い女性,若い男性の皆さん,わたしたちには皆さんが必要です!ミニスタリングの割り当てを受けていない場合は,扶助協会や長老定員会の会長に話してください。彼らは,主の羊が知られ,数えられ,見守られ,神の羊の群れに集められるようにしたいと願う皆さんの意欲を知って喜ぶことでしょう。

主の羊の群れに養いを与え,愛する救い主の足もとにひざまずく日が来たら,ペテロのごとく答えられるようにと祈っています。「主よ,そうです。わたしがあなたを愛することは,あなたがご存じです。」10これらのあなたの羊は愛されており,無事にたどり着きました。イエス・キリストの御名により,アーメン。