2010–2019
小さな,簡単なこと
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小さな,簡単なこと

小さく思えることを積み重ね,時を経ることで,大いなることが成し遂げられるということを,わたしたちは思い起こす必要があります。

Ⅰ.

愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さんと同様,メッセージや音楽,そしてこの時間にともに感じた気持ちに,わたしも深く感動し,教化され,霊感を受けました。主の御手に使われる者として,この時間をともにする効果を強めてくれた兄弟姉妹に対して,わたしは聴衆を代表して,感謝をお伝えします。

復活祭の日曜日に,皆さんに向けてお話しできることに感謝します。今日わたしたちは,ほかのキリスト教徒の皆さんとともに,主イエス・キリストの復活を祝います。イエス・キリストが文字どおり復活されたことは,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員にとって,信仰の柱です。

わたしたちは聖書やモルモン書に記された,イエス・キリストの文字どおりの復活に関する記録を信じているので,この地上に生を受けたすべての人もまた同様に復活するという聖典の数々の教えも信じています。復活はわたしたちに,使徒ペテロが語った「生ける望み」(1ペテロ1:3)を与えてくれます。この生ける望みは,死がわたしたちの存在の終わりではなく,天の御父がその子供たちの救いのためにお立てになった憐れみの計画における,必要なステップに過ぎないという確信です。その計画の中で,人は死すべき状態から不死不滅の状態に移行します。  その移行の中心となるのは,死という日没と,主であり救い主であられる御方の復活によって可能になった栄えある朝であり,わたしたちはその復活を,この復活祭の日曜日に祝います。

Ⅱ.

エライザ・R・スノーが書いたすばらしい賛美歌にはこうあります。

救いの計画

いかに尊し

憐れみと愛の

神の恵み1

この神の計画を推し進めるために,わたしたちはこの総大会も含めて集会に集い,互いに教え,励まし合います。

今朝わたしは,モルモン書の中でアルマが息子ヒラマンに教えた「小さな,簡単なことによって大いなることが成し遂げられる」ことについて話すべきだと感じました。(アルマ37:6

わたしたちはイエス・キリストの福音の中の小さな,簡単なことを数多く教えられています。小さく思えることを積み重ね,時を経ることで,大いなることが成し遂げられるということを,わたしたちは思い起こす必要があります。このテーマについては,教会幹部や尊敬すべき教師たちが数々の説教を残していますが,このテーマは非常に重要なので,もう一度話したいと感じています。

散歩のときにあるものを見かけて,小さくて簡単なことの持つ力を思い出しました。これがそのとき撮った写真です。分厚く,強固なコンクリートの歩道にひびが入っています。大きく,突き動かす強力な力が働いたためでしょうか。そうではありません。歩道の脇の木から伸びた1本の根が,ゆっくりと少しずつ成長したためです。これは別の道路で見た,同じような例です。

重いコンクリートの歩道にひびを入れた,突き動かす力は,1日,あるいは1か月単位で見たら,ごくわずかで測れないほどですが,時間をかけて与えた影響は,信じられないほど強力なものでした。

聖典の中で,あるいは生ける預言者によって教えられている,小さな,簡単な事柄が長年かけて引き起こす強力な影響についても同じことが言えます。日々の生活に取り入れるように教えられている聖文研究について考えてみてください。あるいは,忠実な末日聖徒が習慣としている個人の祈りや,家族がともにひざまずいてささげる祈りはどうでしょうか。青少年のためのセミナリーや,ヤングアダルトのためのインスティテュートクラスに参加することについて考えてみましょう。これらの習慣は小さくて簡単に思えますが,時を経て,力強い霊的な高まりと成長につながります。これらの小さな,簡単なことの一つ一つにより,聖霊を伴侶とすることができるので,このような結果が生じるのです。アイリング管長が説明したように,聖霊は証をする者として,光を与え,真理に導いてくださいます。

霊的な高まりと成長のもう一つの源となるのは,ささいに思える小さな罪であっても,悔い改めを続けることです。霊感を受けて自分自身を評価することにより,足りない点や,改善できる点を知ることができます。このような悔い改めを,毎週聖餐を受ける前に行うとよいでしょう。この悔い改めを行う中で考慮すべき事柄が,賛美歌の「今日われ善きことせしか」の中に示されています。

今日われ善きことせしか

人を助けしか

悲しきをも慰めしか

かくせずば悪し

人の重荷軽くして

わが手貸したるか

病みて疲れし者助け

そこにわれおりしか2

これらは確かに小さなことですが,アルマが息子ヒラマンに教えたことを示す良い例であることも確かです。「主なる神は偉大な永遠の目的を達するために,様々な手段によって事を行われる。また,ごく小さな手段によって,主は……多くの人を救われる。」(アルマ37:7

ブリガムヤング大学ハワイ校のスティーブン・C・ホイールライト学長は,大学の聴衆に向けて,アルマの教えについて次のように語りました。「アルマは息子に,主が従われる規範を教えました。それは,わたしたちが主への信仰を行使し,小さな簡単なことにおいて主の勧告に従うとき,主は日々の小さな奇跡をお与えくださり,また時を経て,驚嘆すべき業を示してくださるということです。」3

ハワード・W・ハンター大管長は次のように教えています。「世の人たちが偉大だとする行いと比較してみても,わたしたちが行っている平凡な務めこそ,ほかの人の生活に最も良い影響を与えることが多いのです。」4

これと同じ原則について,インディアナ州の前議員であるダン・コーツ氏が説得力に満ちた,この世的な言葉でこのように述べています。「人生,あるいは国家を変え得るような,深遠な決断ができるように備える唯一の方法は,半分無意識に行っているものの,自分がどういう人かを定義付けるような決断,一見ささいに思えるような何百,何千という決断を自分でしていくことなのです。」5

これらの「ささいに思える」個人的な決断には,時間の使い方,テレビやインターネットで見る内容,読む物,職場や家庭で自分の身の周りに置く美術品や音楽,求める娯楽,正直であり,誠実であるという決意をどのように実践するかなどが含まれます。小さくて簡単に思える別の事柄といえば,人付き合いにおいて親切で,明るくあることです。

このような小さくて簡単な好ましい事柄は,絶えず続けていかなければ,わたしたちを偉大な事柄に導いてはくれません。ブリガム・ヤング大管長はこのように語ったと言われています。「わたしたちの生活は,小さくて簡単な状況からできており,それらが積み重なって大きなことにつながり,男性や女性の人生を創り上げるのです」6

わたしたちはメディアの影響や文化の退廃にさらされており,それらはわたしたちが拒絶し続けない限り,わたしたちを下へ下へと流そうとします。永遠の目標に向かって上流に進むためには,常にこぎ続けなければなりません。ともに舟をこぐ乗組員のように,わたしたちが仲間と一緒にこぐなら,助けになります。さらに言えば,もしもこぐのをやめてしまえば,世の潮流は非常に激しいので,望まない所まで流されてしまいます。絶えず前進しようと努力しなければ,必ずそうなってしまうのです。

小さく思える出来事が偉大な結果を招くことについて述べた後,ニーファイはこのように書いています。「このようにして,主は小さな手段によって大いなることを成し遂げられることが分かるのである。」(1ニーファイ16:29)これについて,印象深い例が旧約聖書に記されています。イスラエルの民が毒蛇によって病気になったことが書かれています。多くの人が毒蛇にかまれて死にました(民数21:6参照)。救いを求めてモーセが祈ると,「青銅で一つのへびを造り,それをさおの上に掛けて置〔く〕」ように霊感を受けました。そして「すべてへびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生き」ました(9節)。そのように小さなことから,そのような奇跡が起きたのです!しかし,ニーファイが主に背く人々にこの例を話して聞かせたように,癒されるために簡単な方法を主が用意してくださっても,「その方法が単純であったため,すなわち容易であったために,死んだ人が大勢いました。」(1ニーファイ17:41)。

この例とこの教えは,方法が単純で,命じられた事柄が容易であったとしても,義にかなった望みを達成することが取るに足りないという意味ではないことを思い起こさせてくれます。

同様に,たとえ小さくても,不従順な行いをしたり,義にかなった行動を取らなかったりすることで,避けるよう警告されている結果に近づいてしまうこともあり得ます。知恵の言葉は,その一つの例です。1本のタバコや1杯のアルコール,1度の麻薬が体に及ぼす影響を測ることはできません。しかし,時がたつにつれ,その影響は強大になり,後戻りできなくなるかもしれません。木の根が少しずつ伸びてきて歩道にひびを入れたことを思い出してください。確かなことは,体に害を及ぼす麻薬や,思いを堕落させるポルノグラフィーのように,依存を引き起こすものを取り入れることによって起こる結果は,避けられるということです。そのためには,決して,1度たりとも試してみないことです。

何年も前に,M・ラッセル・バラード会長は総大会で「ごくささいなことが,人の救いにどれほど否定的で破滅的な作用を及ぼすか」について話しました。バラード長老はこう説いています。「ちょうど弱い繊維が集まって糸になり,さらにひものようになって最後に太い綱となるように,小さなことも積み重なれば,容易に元へは戻せなくなってしまうのです。霊性を伸ばすには,小さな,簡単なことの持つ力を絶えず心に留める必要があります。同時に,小さな,簡単なことを用いてサタンがわたしたちを絶望と悲惨に陥れようとしていることを,常に忘れてはなりません。」7

ホイールライト学長は,ブリガム・ヤング大学ハワイ校の聴衆にも同じような注意を与えました。「小さな,簡単なことを怠るとき,信仰は揺らぎ,奇跡は止みます。主と主の王国に近づく歩みは,最初はとどめられ,やがて,神の王国を求めることよりもこの世的なことを求め,この世的な野心を満たすことが優先されるときに破綻し始めます。」8

わたしたちの霊の成長に破滅的な影響を与える負の連鎖から守るために,小さな簡単なことの霊的な規範に従う必要があります。デビッド・A・ベドナー長老は,ブリガム・ヤング大学の女性のための集会でこの原則について次のように語りました。必要とされないかもしれない場所に大量の水を流したり,まいたりすることと対比して,「非常にゆっくりなペースで,水を土に落としていく技術から,わたしたちはこの霊的な規範の性質と重要性について多くを学ぶことができます。」

そして,こう説明しました。「一貫したペースで滴る水は,土の奥底まで沁み込み,土を非常によく湿らせるため,植物はよく成長することができます。同じように,皆さんもわたしも集中して,滴り落ちる霊的な養いを,絶えず,頻繁に受けるならば,福音は心に深く根を下ろしてしっかり固定され,基礎を据えられ,たとえようもなくおいしい実をつけることができるのです。」

ベドナー長老は続けてこう言いました。「小さな,簡単なことによって偉大なことが成し遂げられるという霊的な規範は,堅固で,確固たるものを生み,忠誠心を深め,主イエス・キリストとその福音に対してさらに完全な改宗をもたらします。」9

預言者ジョセフ・スミスは教義と聖約に書かれている次の原則を教えました。「だれにも,これらのことをささいなことと思わせてはならない。聖徒たちに関して将来起こる多くのことは,これらのことにかかっているからである。」(教義と聖約123:15

ミズーリ州で初めて教会を組織しようとしたことについて主は「すべてのことは時節にかなって起こる」(教義と聖約64:32)と述べて,忍耐するように勧告された後,この偉大な教えをお授けになりました。「それゆえ,善を行うことに疲れ果ててはならない。あなたがたは一つの大いなる業の基を据えつつあるからである。そして,小さなことから大いなることが生じるのである。」(教義と聖約64:33

わたしたちが皆,「聖約の道」を前進するようにというラッセル・M・ネルソン大管長の勧告に従いたいと願っていると,わたしは信じます。10それを行う決意は,イエス・キリストの福音と主の教会の指導者が教える「小さなこと」に絶えず従うことによって強められます。わたしは主を証し,主の聖約の道を歩み続けようとするすべての人に主の祝福を願い求めます。イエス・キリストの御名により,アーメン。