2010–2019
あなたがたの喜びが満ちあふれるためである
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あなたがたの喜びが満ちあふれるためである

イエス・キリストはあらゆる癒し,平安,永遠の進歩の源であられます。

兄弟姉妹,皆さんとともにいられることは喜びです。今朝皆さんにお伝えしたいのは,満ち満ちる喜びを得るということについてです。

最近のニュースの見出しにこうありました。「災害,国家と世界を揺るがす。」1ハリケーンや洪水,酷暑や干ばつに至るまで,また山火事や地震,戦争や致命的な病に至るまで,「全地が混乱し〔ている〕」2ように思われます。

こうした試練によって,何百万もの人々が行き場を失い,数え切れないほどの人々の生活に混乱が生じています。家庭や社会における争いだけでなく,恐れ,疑い,満たされない望みとの内面的な葛藤も,わたしたちを混乱に陥れます。リーハイの教えた,人生の目的である喜び3を感じるのが難しくなるのです。わたしたちは皆,こう尋ねたことがあるでしょう。「どこで平安を得られるのだろう。慰めはどこにあるのだろう。……」4わたしたちは,現世で数々の困難を経験する中,どのようにして喜びを見いだせばよいのだろうかと思い悩みます。

あまりにシンプルだと思われるかもしれませんが,アダムの時代から,真実だと証明されている答えがあります。永続する喜びは,救い主イエス・キリストに心を向け,主が実践し,教えられた福音に従って生活することで得られるのです。イエス・キリストについて学び,主に対する信仰をもち,主に倣う ことです。そうすればするほど,わたしたちは主が,あらゆる癒し,平安,永遠の進歩の源であられると理解できるようになります。主は御自分のみもとに来るようわたしたち一人一人を招いておられます。5ヘンリー・B・アイリング管長が「だれもが受け入れることのできる最も重要な招き」6と特徴づけている招きです。

イエス・キリストに学ぶ

キリストのみもとに行くには,どうすればよいのでしょうか。今年の4月,ラッセル・M・ネルソン会長とM・ラッセル・バラード長老は,救い主について学ぶ取り組みの一環として,「生けるキリスト」7を研究するように勧めました。このチャレンジを受け入れ,祝福を受けた人が大勢います。つい先ごろ,ある親友は,大人になった子供たち一人一人にこの文書を渡しました。それぞれの言葉を分かりやすく描いた福音の絵が添えられたものです。彼女は,孫たちがその文書を理解し,暗記するのを助けるよう子供たちに勧めました。しばらくして,その友人が一つの動画を見せてくれました。見ると,6歳になる孫娘のレイニーが,熱心に,落ち着いた様子で「生けるキリスト」を暗唱していました。6歳の子供にできるのであれば,わたしにだってできる!と思いました。

いっそう集中してイエス・キリストの生涯と教えについて研究し,全力を傾けて「生けるキリスト」を暗記するうちに,救い主に対する感謝と愛が深まりました。この霊感に基づく文書の一文一文に教えが含まれており,そこから主の神聖な役割と地上における使命に関するわたしの理解が深められました。今回の研究と熟考を通じて学び,感じたことのおかげで,イエスが真に「世の光,命,そして希望で〔ある〕」8という確信が得られました。主をたたえる古代の聖文と末日の預言者の言葉は,書かれたものであれ語られたものであれ,次のことを証しています。「イエス・キリストの道は,この世においては幸福に,後の世においては永遠の命に至る道です。」9

イエス・キリストを信じる信仰をもつ

様々な方法でキリストの生涯と教えについて研究すると,主を信じるあなたの信仰は強まります。主があなたを個人的に愛し,完全に理解しておられることを知るようになります。33年にわたる生涯で,キリストは拒絶,迫害,肉体の飢えや渇き,疲労,10孤独,言葉や身体的な虐待に耐え,ついには罪人らの手によって,堪え難い死に苦しまれたのです。11ゲツセマネの園とカルバリの十字架上で,主はわたしたちの苦痛,苦難,試練,病,弱さのすべてを身に受けられました。12

わたしたちが耐えているものが何であれ,キリストは癒しの源であられます。何らかの虐待,計り知れない喪失,慢性的な疾患や生活に支障を来すほどの苦難,虚偽の非難,激しい迫害,罪や誤解がもたらす霊的な損失,これらを経験した人も皆,世の贖い主によってすっかり元どおりになるのです。しかし,招かれることなしに主が入られることはありません。わたしたちは主のみもとに行き,主が奇跡を行われるようにする必要があるのです。

ある美しい春の日のこと,わたしはドアを開けたままにして,新鮮な空気を満喫していました。すると,開いたドアから小鳥が飛び込んできました。小鳥はすぐに,そこが望んでいた場所ではないと気づきました。小鳥は死に物狂いで部屋の中を飛び回り,逃げ出そうと何度も窓ガラスに衝突しました。開いたドアの方にそっと導こうとしたのですが,小鳥は怖がって飛び続けました。疲労困憊した小鳥は,とうとう窓際のカーテンの上の方に止まりました。わたしはほうきを取ると,その毛先をおびえた様子でとまっている小鳥の方へゆっくりと伸ばしました。小鳥の脚の横にほうきの先端を持っていくと,小鳥はためらいながらも毛先に乗ったのです。ゆっくり,ほんとうにゆっくりと,わたしはほうきをできるだけしっかりと握ったまま,開いたドアの方に歩み寄りました。開いたドアにたどり着くやいなや,小鳥は勢いよく外の自由な世界へと飛び立っていきました。

その小鳥のように,わたしたちも信頼する勇気を持てないことがあります。神がわたしたちを完全に愛し,助けたいと望んでおられることを理解していないからです。しかし,天の御父の計画とイエス・キリストの使命について研究すると,わたしたちの永遠の幸福と進歩こそが,御二方の唯一の目的であると分かります。13わたしたちが求め,捜し,たたく14ならば,御二方は喜んでわたしたちを助けてくださいます。信仰を働かせ,へりくだって御二方からの答えに耳を傾けるなら,わたしたちは自分の誤解や思い込みの束縛から解放され,前進するための道を示されるのです。

イエス・キリストは平安の源でもあられます。主はわたしたちに「〔御自分の〕大きな腕に頼る」15よう招き,「人知ではとうてい測り知ることのできない……平安」16を約束しておられます。この平安は,わたしたちがどのような試練に取り巻かれようとも,主の御霊が「わたしたちの霊に平安を告げ〔る〕」17ときにもたらされます。神の独り子が,痛みを抱えた霊を静める力をお持ちであると信頼するなら,それが個人的な試練であれ,家族の問題であれ,地域社会に迫る危機であれ,平安はもたらされるのです。

クロアチアのカルロバツに住む少数の聖徒の一人,スネジャナ・ポドビンスキーは,昨年,6か月のうちに夫と両親を亡くしたとき,救い主に頼りました。悲しみに打ちひしがれながらも,家族は永遠であるという証があった彼女は,貯金をはたいて神殿まで旅し,そこで夫と両親に結び固められました。神殿で過ごした日々について,人生において輝けるときだったと話しています。イエス・キリストとその贖いについて確固たる証があった彼女は,平安を感じ,癒しを経験しました。それは彼女の周囲の人々にとっても力となっています。

イエス・キリストを信じる信仰は,癒しや平安だけでなく,さらに多くの賜物をももたらしてくれます。ヘンリー・B・アイリング管長はこう語っています。「わたしが平安を必要としていたときに,様々な方法で主はわたしに慰め主を下してくださいました。そのことにこれまでずっと感謝してきました。しかし,天の御父は,わたしたちの慰めだけでなく,わたしたちの成長についても関心を持っておられます。」18

贖いと復活の賜物を含むイエス・キリストの贖罪のおかげで,わたしたちは悔い改め,変わり,永遠にわたって成長することができます。わたしたちは,従順になるときに主が与えてくださる力のおかげで,自力ではとうていなり得ないほどの人物になることができます。そこにたどり着く方法を完全には理解できないかもしれませんが,キリストを信じる信仰が増し加わるのを感じる人は皆,自らの神聖な特質と目的に対する理解を深め,その知識にかなう選択をすることができるようになるのです。

世の人々がわたしたちを「単なる動物」19のレベルにまでおとしめようとしても,神がわたしたちの御父であられると知ることで,わたしたちは自らの神聖な可能性と気高い約束を確信することができます。世の人々が人生は死んだら終わりだと言ったとしても,神の独り子がわたしたちの贖いと復活を可能にしてくださったと知ることで,永遠の進歩への希望を抱くことができるのです。

イエス・キリストに倣う

イエス・キリストについてさらに学ぶと,主を信じるわたしたちの信仰は増し,自然と主の模範に従いたいと思うようになります。主の戒めを守ることは,わたしたちの最大の望みとなります。キリストと同じように,わたしたちも人々の苦しみを和らげたいと切に望み,自分たちの見いだした平安と幸福を得てほしいと思うようになるのです。

主の模範に倣うよう努めることには,なぜそれほど大きな影響力があるのでしょうか。わたしたちが信仰を行動に移すとき,聖霊が永遠の真理について証してくださるからです。20イエスは弟子たちに戒めを守るよう教えられました。なぜなら,主の模範に従うとき,わたしたちは喜びを経験し始め,主の道を歩み続けるとき,わたしたちが満ち満ちる喜びに到達することを御存じだからです。イエスは次のように述べておられます。「わたしがこれらのことを話したのは,わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため,また,あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。」21

わたしたちの証は,イエス・キリストとその福音の堅固な基の上に築かれているでしょうか。人生の嵐が押し寄せてくるとき,わたしたちは躍起になってマニュアル本やインターネットの投稿に助けを求めるのでしょうか。時間を割き,イエス・キリストについての知識と証を築き,強める人は,試練や逆境にあって豊かな報いを受けることでしょう。毎日聖文を読み,生ける預言者の言葉について深く考え,個人で意義深い祈りをささげ,毎週心して聖餐を取り,救い主に倣って奉仕する,こうしたシンプルな行いの一つ一つが,喜びに満ちた生活を築く土台となるのです。

あなたに喜びをもたらしてくれるものは何でしょうか。長い1日の終わりに目にする,愛する人たちの姿ですか。仕事がうまくいったという達成感ですか。だれかの重荷をともに負ったときに,相手の目に輝く光ですか。心の琴線に触れる賛美歌の歌詞ですか。親友から求められる握手ですか。受けた祝福について深く考える個人的な時間を設け,次にその祝福を分かち合う方法を見つけてください。近所で,あるいは混乱を極めるこの世界のどこにあっても,手を差し伸べて奉仕し,兄弟姉妹を鼓舞するときに,さらなる平安と癒し,進歩をも感じることでしょう。

主のみもとに来てください。イエス・キリストを生活の中心に据えるなら,どのような状況にあっても,自らの置かれた環境で喜びを見いだすことでしょう。実に,「唯一の御方である主」22こそ,答えなのです。熱心に研究すること,主を信じる深い信仰を育むこと,さらに主に似た者となるべく努めることにより,イエス・キリストを知るための時間を設け,また時間を割いてください。そうするとき,わたしたちも,幼いレイニーとともにこう言いたくなることでしょう。「わたしたちは御子という比類ない贈り物を授けてくださった神に感謝しています。」23イエス・キリストの清く聖なる御名により,アーメン。