2000–2009
天使の務め
脚注

Hide Footnotes

テーマ

天使の務め

困難に直面するわたしたちを神がほうっておかれることは決してありません。神は必ず助けてくださいます。

アダムとエバは自ら進んで死すべき世での生活を始めたとき,この星の栄えの世界には,いばらとあざみ,そしてあらゆる種類の苦難が待ち受けていることを知っていました。しかし恐らく,二人が最も困難だと感じたのは,耐えるべき苦難や危険ではなく,神から遠ざかってしまったこと,ともに歩み,言葉を交わし,顔を合わせて助言を受けていた御方から離れてしまったことだったでしょう。意識的に行ったこの選択の結果について,創造の記録にはこう記されています。「主を目にすることはなかった。彼らは主の前から締め出されていたからである。」1あらゆる不安の中で二人が何よりも心配していたのはこのことだったに違いありません。

しかし神は二人が直面する困難を御存じでした。時にはひどい孤独を感じ,悩みを抱えることを確かに御存じでした。このため,神は現世の家族を絶えず見守り,常に祈りを聞かれました。そして,教え,助言を与え,導くために預言者(後に使徒)を遣わされました。特に必要のある場合は,天使すなわち神の使者を遣わして,御自身の子供たちに祝福を授け,天がいつもすぐ近くにあり,神の助けをいつでもすぐに得られることを告げ,安心させられました。実際,アダムとエバは荒涼とした寂しい世界に来てから,すぐに天使の訪れを受け,2犠牲をささげることの意味と,来るべき約束の贖あがない主による贖しょく罪ざいの役割について教えを受けました。

救い主の降誕が近づくと,天使がマリヤに遣わされ,神の御子の母となることを告げました。3その後,幼いイエスがお生まれになった夜には,天の軍勢が歌うために遣わされました。4それから間もなく,天使がヨセフを訪れ,赤ん坊に危険が迫っていること,安全のために,この小さな家族はエジプトへ逃れなければならないことを告げました。5危険が去った後,家族は天使からそのことを告げられて,3人で受け継ぎの地に戻りました。6

初めから,後の神権時代に至るまで,神は天使を使者として使い,御自身の子供たちに愛と関心を示されました。聖典や末日の歴史には,天使が地上の人々を教え導いた記録が随所に記されていて,この限られた時間では,その一端を説明することもできません。しかし,天使の務めに関する教義には大きな価値があり,末日の教会の歴史には非常に多くの実例を見ることができます。

通常,天使の存在は目に見えませんが,見えるときもあります。見えても見えなくても,いつも近くにいるのです。天使は世界全体に影響を及ぼすほど大きな使命を担うこともあります。もっと個人に向けたメッセージを携えて来ることもあります。時には警告を目的とすることもあります。しかしほとんどの場合,困難なときにあって慰めを与え,何らかの形で憐あわれみに満ちた関心を示し,導くために訪れるのです。夢の中で,リーハイは恐ろしい場所にいました。自ら「暗くて寂しい荒れ野」と書いています。リーハイは天使に出会いました。「その人……は白い衣を着ていて,……わたしに言葉をかけて,後について来るように言った」7と記しています。リーハイは天使の後について行き,安全な場所,そして最終的には救いの道へと導かれました。

わたしたちは皆人生の旅路において,「暗くて寂しい」場所,つまり悲しみや恐れ,失意といった状況に身を置くことがあります。現在,世界中の人々が,財政危機,エネルギー問題,テロリストの攻撃,自然災害などに苦しんでいます。これらのことは,個人や家族に,住む家や食糧の不安だけでなく,子供たちの将来の安全と幸せについて,また,末日の預言にある地球の行く末について不安を抱かせることになります。これら以上に深刻であり,時にこれらと関連を持つのが,倫理,道徳,霊的な事柄についての堕落です。これは,人の住む所であれば規模を問わず,家庭の内外で起きています。しかし天使は,アダムとエバ,預言者,そして世の救い主をも助けるために遣わされたように,わたしたちを助けるために今でも遣わされていることを証あかしします。マタイは福音書の中で,サタンが荒れ野でキリストを誘惑した後,「御使みつかいたちがみもとにきて仕えた」8と記しています。神御自身である神の御子でさえ,地上におられた間,天の慰めを必要とされました。ですから,天使は時の終わりまで,義にかなった人々を教え導くでしょう。後に天使となった息子のモロナイにモルモンが語ったとおりです。

「奇跡の日は終わってしまったと言えるであろうか。

天使が人の子らに現れることは,終わってしまったのであろうか。神は聖霊の力を人の子らに与えられなくなったのであろうか。時が続くかぎり,大地が存在するかぎり,地の面に救われる人が一人でもいるかぎり,神は聖霊の力を与えるのを控えられるであろうか。

見よ,そうではないと,わたしはあなたがたに言う。……天使が人に現れて教え導くのも,信仰による。……。

見よ,天使はキリストに従っており,深い信仰と確固とした心をもって,あらゆる方法で神を敬う者に自分自身を示し,キリストの命じられる御言葉みことばのとおりに教え導いている。」9

わたしの声の届く所にいるあらゆる人にお願いします。勇気と信仰を持ってください。そして,御自分が「〔わたしたちの戦い〕と,〔わたしたちの〕子供たち〔の戦い〕と,〔わたしたちの〕子供たちの子孫……の戦いを戦う」10と言われた主の御言葉を覚えていてください。そのような守りを受けるために何をすればよいのでしょうか。「熱心に探し,常に祈り,そして信じていなさい。〔わたしたち〕がまっすぐに歩み,……交わした聖約を思い起こすならば,万事が〔わたしたち〕の益となるようにともに働くであろう。」11末日は恐れおののく時ではありません。。信じて,聖約を思い起こす時です。

必要なときに,祝福を授けるために遣わされる天の助け,すなわち天使について話していますが,神の御手みてに使われる者という意味では,すべての天使が幕のかなたから遣わされるのではないということを覚えておきましょう。ここで,今,そして日々,ともに歩き語り合う人の中にも天使はいます。近所に住む人の中にもいます。わたしたちを産んでくれた人たちもそうです。わたしにとっては,結婚してくれた人も天使の一人です。善良で清い人々の,親切で献身的な行いの中に神の愛を見るときほど,天を身近に感じるときはありません。彼らの善良さと清さを言い表すのに「天使のような」という言葉以外は思い浮かびません。さきほどの開会の祈りの中で,ジェームズ・ダン長老が,初等協会から成る聖歌隊の子供たちを表現するのにこの言葉を使いました。それは当然のことです。この子供たちの気持ち,顔,そして声を心にとどめ,目に焼きつけながら,わたしの友人であり,ブリガム・ヤング大学の同僚であった故クライン・D・バラス兄弟の経験談を,彼の妻マリリンと家族の許しを得て紹介しましょう。

アイダホ州の大きな農場での少年時代を振り返りながら,バラス兄弟は,乳搾りの時刻までに牛を集める夜の仕事について話しました。牛は,時折洪水を起こすティートン川流域の草原に放牧されていたため,洪水が起きやすい春の間は,たとえ牛が危険を冒して川を渡ろうとしても,子供たちは決して後を追いかけてはならないというのがバラス家の厳しい規則でした。必ず家に戻って,大人の助けを求めることになっていました。

バラス兄弟が7歳の誕生日を迎えて間もないある土曜日,両親は,家の手伝いを時間内に終えたら,夜,映画に連れて行ってくれると約束しました。クラインが牧場へ行くと,捜していた牛が,洪水の警戒水位を越えた川を渡ってしまっていることが分かりました。心待ちにしていた夜の映画に行けなくなるかもしれないと思った彼は,何度も警告されていたにもかかわらず,独りで牛を追いかけることにしました。

年老いた馬のバナーに乗り,彼は急いで,冷たく,流れの速い川に入りました。増水し,馬の頭がやっと水面に出るほどです。馬に乗った大人であれば大丈夫だったかもしれませんが,まだ小さいバラス兄弟の全身は水中に潜ってしまいました。馬が呼吸をしようと何度か顔を上げるときだけ,クラインも顔を水面から出してあえぐように空気を吸うことができました。

ここでバラス兄弟自身の言葉を紹介しましょう。

「ようやくバナーが対岸によじ登ったとき,わたしはもう少しで命を落とすところだったこと,とんでもないことをしたことに気づきました。分かっていながら父の言葉に従わなかったのです。埋め合わせをするには牛を無事に連れ戻すしかないと思いました。そうすれば父は赦ゆるしてくれるかもしれません。しかし,辺りはすでに薄暗くなっており,自分がどこにいるのかもよく分かりません。絶望感に襲われました。びしょぬれで寒く,方角を失い,怖くなってきました。

わたしは地面に降りると,バナーの足もとに倒れ込んで泣き始めました。泣きじゃくりながらも,祈ろうとしました。何度も何度も天の御父に言いました。『ごめんなさい。赦してください。ごめんなさい。赦してください。』

長い間祈りました。ようやく頭を上げると,涙の向こうに白い服を着た人が歩いて来るのが見えました。わたしは暗闇くらやみの中で,祈りの答えとして天使が遣わされたに違いないと思いました。人影が近づいて来ましたが,わたしは身じろぎ一つせず,物音も立てませんでした。目の前の光景に圧倒されていたのです。とても不従順だったわたしに主はほんとうに天使を遣わされたのでしょうか。

すると,聞き覚えのある声がしました。『クライン,ずっと探していたんだよ。』暗がりの中でそれが父の声だと分かったわたしは,走って行って父の広げた両腕に飛び込みました。父はわたしをしっかりと抱き締めて,優しく言いました。『心配したよ。おまえを見つけられてよかった。』

どれほど申し訳なく思っているかを伝えようとしましたが,震える唇から途切れ途切れに出て来たのは『ありがとう……真っ暗……怖い……川……独りぼっち』という言葉だけでした。わたしが牧場から戻らなかったため,父が捜しに来てくれたことは夜になって分かりました。わたしも牛もいなくなっていたので,父はわたしが川を渡り,危険な目に遭っていると分かったのです。辺りはすでに暗く,事態は急を要していたので,父は長くて白い保温下着以外はすべて脱ぎ,靴を首の周りに結びつけて,言うことを聞かない息子を救うために危険な川を泳いで渡ってくれたのでした。」12

愛する兄弟姉妹,わたしは天とこの世に天使がいることを証します。困難に直面するわたしたちを神がほうっておかれることは決してないこと,そして神は必ず助けてくださることを証します。「時が続くかぎり,大地が存在するかぎり,地の面に救われる〔男性,女性,または子供〕が一人でもいるかぎり」,神がわたしたちをお見捨てになることはありません。13全世界のあらゆる人が,あるいは自分だけが,神から遠ざかり,天が閉じられ,暗くて寂しい場所に独りで迷い込んでいると感じることがあるかもしれません。多くの場合,その苦しみは自分の行いが原因なのですが,それでも全人類の御父は見守り,助けてくださいます。そして,目に見えるか見えないか,知っているか知らないか,死すべき体か不死の体かは別にして,天使たちは常に周りにいてくれるのです。

モンソン大管長の好きな聖句の一つには,主が与えられた次の約束が載っています。「わたしはあなたがたに先立って行こう。わたしはあなたがたの右におり,また左にいる。わたしの御霊みたまはあなたがたの心の中にある。また,わたしの天使たちはあなたがたの周囲にいて,あなたがたを支えるであろう」14この約束を今以上に喜んで信じ,さらに感謝できますように。天使の訪れを祈りながら,人に親切な言葉をかけ,助け,信仰と「〔わたしたちが〕交わした聖約」15を宣言することによって,わたしたち自身が,もう少し天使のようになることができますように。そうするなら,だれかが,ひょっとすると初等協会の子供が「……真っ暗……怖い……川……独りぼっち」と叫んでいるとき,わたしたちが神から遣わされる使者となることができることでしょう。そのような神の者になることができるよう,イエス・キリストの神聖な御名みなによって,アーメン。