2000–2009
主の方には誰が立つや
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主の方かたには誰たれが立つや

皆さんが主の側にとどまっているならば,敵対するものはそれを越えて皆さんを誘惑しに来ることはできません。

愛する兄弟姉妹,わたしは,預言者と十二使徒が地上にいて霊感と導きを与えてくれる時期と時代にわたしたちが生きていることを感謝します。モーセやアブラハム,そしてこの世に存在したほかのすべての預言者と同じように,ヒンクレー大管長が確かに神の預言者であることを証あかしします。今朝,大管長から与えられた勧告に感謝するとともに,この総大会の終わりにもう一度お話を聞けることをうれしく思っています。

今日きょうわたしは,特に教会の若い男性と若い女性の皆さん,そして両親および青少年の指導者に向けて話したいと思います。また,神の王国で奉仕するための驚くべき才能と能力,そして可能性を備えたヤングシングルアダルトの皆さんにも話します。

ヒンクレー大管長は皆さんの世代について次のように話しました。「このような時代はかつてありませんでした。世界の歴史の中で,生を受けるのにこれほどすばらしい時はありません! これほど立派な青少年のいた時代は今までありませんでした。……皆さんは確かに『選ばれた世代』なのです。」(Way to Be!,2002年,3)

シオンの若者である皆さんにはなすべき偉大な業があります。住む場所を問わず,皆さんには天の御父が期待されているとおりに主の御み心こころを実践するためのあらゆる才能と機会が与えられています。今日話すことが,主の御心を行おうと努力する皆さんの役に立つよう祈っています。

1852年2月,イングランドのヤーマスでハンナ・ラスト・コナビーという若い女性がバプテスマを受けました。多くの改宗者が経験するような,静かで敬けい虔けんなバプテスマ会ではありませんでした。ハンナはその日のことを次のように書き残しています。「暴徒の一団に取り囲まれた家から,わたしたちはやっとの思いで抜け出しました。……水辺に着く前に大勢の暴徒に追いつかれてしまったので,夫はたくさん石を投げつけられ罵ば声せいが浴びせられる中でわたしにバプテスマを施しました。……しかし,まるで降り注ぐ雹ひょうのようにわたしたちのそばを飛んで行った石は一つとして体に当たらず,わたしたちはこの奇跡的な助けに感謝しながら,無事に家へ帰り着くことができました。」(ハンナ・コナビー,Autobiography and Poems〔1881年〕,24-25)

彼女の人生はその後も決して楽なものではありませんでしたが,後に,彼女は次の言葉を残しました。

主の方には

誰が立つや

恐れず聞かん

時は至る

(「主の方には」『賛美歌』165番)

現在はあまり頻繁に歌わない賛美歌の歌詞ですが,真理と義への決意を表したこの歌は,わたしの好きな賛美歌の一つです。「主の方には誰が立つや」という言葉は,世界中の若い男性と若い女性一人一人が自問するべき問いかけです。そしてわたしは,皆さんが大声で「わたしです!」と答えてくれると信じています。

主が父リーハイを通し,真しん鍮ちゅうの版を手に入れるためニーファイと兄たちにエルサレムへ戻るよう命じられたとき,ニーファイの心の中にあったのがこの問いかけでした。レーマンとレムエルがつぶやいたとき,ニーファイは「主の方には誰が立つや」という質問に答える必要がありました。そして「わたしです!」と言ったのです。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられており,それでなくては,主は何の命令も人の子らに下されないことを承知しているからです。」(1ニーファイ3:7

旧約聖書の若きダビデの場合も同じでした。まだ年のいかない羊飼いのダビデが前線にいる兄たちを訪れたときのことを思い出してください。ダビデはペリシテ人びとの大男ゴリアテがイスラエルの兵士たちに戦いを挑むあざけりの声を聞きました。イスラエルのすべての戦士はゴリアテと戦うのを恐れました。「主の方には誰が立つや」という問いかけに対する彼らの答えは,「わたしです」ではなく,「だれ?わたしなの?」でした。

しかし,少年ダビデは違いました。石と質素な羊飼いの石投げだけを手に持って大男に立ち向かい,次のように言いました。「おまえはつるぎと,やりと,投げやりを持って,わたしに向かってくるが,わたしは万軍の主の名……によって,おまえに立ち向かう。

きょう,主はおまえをわたしの手にわたされるであろう。わたしは,……イスラエルに,神がおられることを全地に知らせよう。」(サムエル上17:45-46)このときダビデは恐る恐るではなく, 走ってこの大男に立ち向かって行ったのです。そして神への信仰によってゴリアテを倒し,イスラエルは勝利を収めることができました。

若い兄弟姉妹の皆さん,わたしは訪問するあらゆる地で,皆さんのように気高い青少年に会う機会があります。若い皆さんは,主と交わした聖約と主から与えられた標準を破らせようと誘惑する現代のゴリアテに絶えず直面しています。不敬な言葉,社会で容認されている不道徳,不謹慎な行為,ポルノグラフィー,テレビやインターネットを含むメディアが流す不適切な映像や情報,そして蔓まん延えんする薬物やアルコールなどに絶えず取り囲まれている今,これはよりいっそう重要になっています。つまり,どのような形にせよ,「主の方には誰が立つや」と尋ねられない日は1日としてないのです。皆さんがこの質問に正しく答える備えができるよう,二つの短い提案をしたいと思います。

一つ目は,自分が何者であるかを決して忘れないことです。初等協会でわたしたちの多くが習った「神の子です」(『賛美歌』189番)という賛美歌の中には簡潔な真理が込められています。賢明で心優しい天の御父は,わたしたちをこの地上に送っただけで後はほうっておくようなことはされません。神は,わたしたちが御父の望まれることを達成できるよう,案内人を用意してくださったのです。御父は,わたしたちを助け,愛し,教えてくれる家族,そしてわたしたちを導く生ける預言者を与えてくださいました。さらに,大管長会を通して,小冊子『若人の強さのために』にある標準と,次のような約束も与えてくださいました。「皆さんにお約束します。これらの標準に従い聖文にある真理を守って生活するなら,人生の務めに知恵をもって巧みに対処することができ,また,これまで以上の勇気を得て試練に耐える力が与えられるでしょう。聖霊の助けが得られるでしょう。」(『若人の強さのために』,2)

わたしはいつも携帯版の小さな冊子を持ち歩いています。いつもです!皆さんも同じことをするようにお願いします。そうすれば,バスを待っているときや少し時間が余ったときに取り出して読み,この冊子に書かれている標準を守るという決意を新たにすることができます。そのようにすれば,幸福と平安,そしてあふれる勇気と自尊心が得られることを約束します。

選択の自由を使うとき,皆さんは独りではないことを覚えておいてください。心優しく思慮深い天のお父様のほかにも,皆さんが賢明な選択をするように祈っている人たちがいます。若いころ,わたしはデートをしたり友人と出かけたりした後,家に戻ったことを両親に報告していました。ノックして両親の部屋のドアを開け,「ただいま」と言ってから床に就いていました。ある夜のこと,デートから帰りいつものようにノックしてドアを開けました。すると,廊下の明かりが,ひざまずいて祈っている優しい母の姿を照らしました。その姿を見たとき,わたしには母がだれのために祈っているのかが分かりました。その経験を忘れたことはありません。今も母がわたしのために祈ってくれているという事実がわたしを勇気づけ,自分がだれであるかということ,そして決して独りではないことを思い起こさせてくれます。

二つ目の提案は,自分の思いをコントロールできるようになることです。天の御父が下さった幸福の計画によって,わたしたちは試しを受けるためにこの地上に送られました。常に誘惑が存在するのはそのためです。末日聖徒であるわたしたちは,サタンが仕掛ける誘惑があっても神の戒めを守らなければなりません。わたしの経験から言っても,思いをコントロールすることができれば,誘惑を避けて戒めを守ることがとても容易になります。音楽や聖文,良い詩を暗記して,心の中に悪い思いが浮かんだときに思い出すことは特に効果的です。

ボイド・K・パッカー会長は,賛美歌を暗記して,不適切な思いが心に浮かぶときにその賛美歌と置き換えるようにと勧告しています。この教えを実践したある友人は次のように話してくれました。「ある日,わたしは昼食を食べようと事務所を出ました。2ブロックほど歩いたところで,ふと自分がお気に入りの歌,『神の子です』をハミングしているのに気がつきました。どうしてこの歌が出て来たのだろうかと思い返してみると,事務所を出て道を横断したときに目の前を不適切な服装をした若い女性が通ったことを思い出しました。その瞬間,自分でも気づかないうちに,心の中で『神の子です』の歌詞とメロディーが流れ,不適切な思いを追い払っていたのです。」その日,友人は自分の思いをコントロールする能力について大事な教訓を学んだのでした。

このことに関して,ジョージ・アルバート・スミス大管長はすばらしい勧告を残しています。「主の領域と悪魔の領域との間には,はっきりと定められた境界線があります。あなたがこのまま主の側にとどまっているならば,敵対するものはそれを越えてあなたを誘惑しに来ることはできません。……しかし,……もしあなたが境界線を越えて悪魔の側に行くならば,あなたは悪魔の領域に入ったことになり,……悪魔はあなたに働きかけて,その境界線から悪魔の領域へできるかぎり引っ張り込もうとするでしょう。悪魔は,安全な場所から引き離すことがあなたを滅ぼす唯一の手段であることを知っているのです。」(Conference Report,1945年10月,118参照)

2007年のミューチャルでは,この賢明な勧告に聞き従う人に与えられている約束がテーマになっています。「絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。そうするときに,神の前においてあなたの自信は増し,……聖霊は常にあなたの伴はん侶りょと……なるであろう。」(教義と聖約121:45-46

神が生きておられることを証します。わたしたちが神の子であり,神はわたしたち一人一人を名前で知っておられ,重要な決断に迫られるときにわたしたちを独りにはなさらないことを知っています。日々,皆さんは選択をします。その選択によって境界線のどちら側にいることになるかが決まるのです。わたしはこの声の届くすべての青少年に,すなわち世界中の高貴な生得権を持つ青少年の皆さんにお願いしたいと思います。善と悪を選ぶとき,心の中に「主の方には誰が立つや」と問う声が聞こえたら,力のかぎりに「わたしです!」と答えてください。そう答えられるような生き方をしてください。イエス・キリストの御み名なによって,アーメン。