2000–2009
主を覚え,悔い改め,変わる
脚注

Hide Footnotes

テーマ

主を覚え,悔い改め,変わる

幸福と平安へのいちばんの近道は,できるかぎり早く悔い改めて自分を変えることなのです。

救い主に感謝しています。「キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい」と,救い主がわたしたちすべてを招いておられることに感謝しています。1わたしは,救い主を覚え,悔い改めて自分を変えていくことについて,最近わたし自身が考え,感じていることを皆さんに伝えたいと願っています。ある3人の女性について話し,そこからわたしが学び取った事柄を説明します。それが,わたしの感じてきたことを表現するのにいちばんいい方法だと思うのです。

まず,ルース・メイ・フォックスの話から始めましょう。昔,中央若い女性の会長を務めた人です。彼女は84歳までこの召しを果たしました。フォックス姉妹はイギリスで生まれ,13歳のとき開拓者かいたくしゃの一団とともにソルトレーク盆地ぼんちまで移動したのですが,そのほとんどの行程こうていを歩き通しました。赤ん坊のころに母と死別したため,最初の十数年は様々な家族のもとを転々としました。「手の焼やける子」だからという理由で祖母には引き取ってもらえなかったそうですから,扱いにくい子供だったのでしょう。2

後にルースは結婚して12人の子供の母親となります。強い証あかしを子供たちに伝え,働く傍かたわらで子供たちに福音を教えましたが,上の子たちに対するしつけは厳しすぎたと自分でも認めています。気が短く,カッとなったときに「10まで数えて」3怒りを冷ますということがなかなかできなかったからです。けれども,懸命けんめいな努力によってルースはこの欠点を克服こくふくし,心の優しい奉仕の人として知られるようになりました。

フォックス姉妹は104歳まで生きました。長い生涯で大きな喜びもつらい試練も経験してきた彼女はこう教えています。「人生では往々おうおうにして,つらい経験から学ばされることがあります。温室育ちの植物が弱いように,問題を避さけて通っていては強靭きょうじんな人格は育ちません。4

去年,ワイオミング州のインディペンデンス・ロックに行き,ソルトレーク盆地に向かう旅の途中で当時13歳のフォックス姉妹が自分の名前を彫ほった場所を探しました。140年の風雪ふうせつを経てほとんど消えかけていたものの,「1867年,ルース・メイ」という文字をわたしはどうにか確認することができました。この偉大な指導者でありイエス・キリストの弟子であった女性についてさらに興味をそそられました。彼女は生涯人格を磨みがき続け,「神の王国がすべてであり,そのほかの事柄はどうでもよいことです」5をモットーとしました。

次の話は,ある女性の話です。仮かりに「メアリー」としておきましょう。福音のために多くを犠牲ぎせいにした信仰深い開拓者の両親のもとに生まれた娘です。神殿で結婚し,10人の子供の母親となりました。才能豊かな女性で,子供たちに祈りの仕方や勤勉の大切さ,互いに愛し合うことを教えました。什分じゅうぶんの一も払っていましたし,日曜日には家族そろって幌ほろ馬車で教会に通っていました。

けれども,知恵の言葉に反すると知りながらコーヒーを飲む習慣がついてしまい,オーブンの後ろにコーヒーポットを置くようになりました。彼女に言わせれば,「たかがコーヒーくらいで,主から天の祝福を取り上げられるはずはない」ということでしたが,そのコーヒーを飲んでいるというただ一点のために彼女は神殿推薦状しんでんすいせんじょうを受ける資格を失い,一緒にコーヒーを飲んでいた子供たちもその資格を失ったのです。長寿だった彼女は,晩年には再び参入資格を得て神殿で奉仕しましたが,10人の子供たちの中で神殿結婚したのはたった一人だけでした。そして,今では5世代目になる子孫の非常に多くは,彼女が信じ,その先祖が多大な犠牲を払って擁護ようごしした回復された福音の祝福にあずかってはいないのです。

最後はクリスティーナ(仮名)という女性の話です。彼女は子供のころにバプテスマを受けて家族と結び固められましたが,その後いつしか家族は福音に従うのをやめてしまいました。10代後半になった彼女はそれまで何度か誤った選択をしており,とても苦しんでいました。

ある日わたしは,そんな彼女に『成長するわたし』を渡してこう言いました。「この本に書いてあることを実行すれば,キリストが持っておられる特質を生活に取り入れて,あなたの望むように人生を変えることができるはずよ。今日きょうから,ここに書かれていることを実行してみてくれないかしら。そして,今晩開かれる青少年のファイヤサイドにこの本を持って来てほしいの。どんなことを学んだのかわたしに教えてね。」その晩,彼女は目を潤うるませて言いました。「今日わたしは,『成長するわたし』のプログラムを始めました。」その日以来,彼女はわたしに時々手紙を書いてくれます。彼女は日曜日の集会やミューチャル,セミナリーに再び出席するようになりました。2,3週間後には姉や母親も一緒に教会に来るようになり,後に父親も加わって,今では家族全員が神殿に参入できるようにまでなっています。

さて,これまで話した3人の姉妹の話から,主を覚え,悔い改め,自分を変えることについて,わたしはどんなことを学び取ったでしょうか。

第1の教訓は,だれでも間違いを犯すということです。6最近わたしは,8歳の女の子と一緒に過ごしました。その子はちょうどその日バプテスマを受けたのです。1日が終わるころ,その子は自信たっぷりにこう言いました。「バプテスマを受けて1日が終わったけれど,わたし,一度も罪を犯さなかったわ!」でも,完全な日が永遠に続くわけではありません。今ごろはこの女の子も分かり始めていると思いますが,わたしたちすべてがよく知っているように,どんなに頑張がんばっても,悪い状況や間違った選択を常に避けることはできませんし,自分を常に正しくコントロールできるわけではありません。現代の神権時代が選ばれた貴い世代であるとはよく耳にしますが,「完全な世代」と呼ばれるのは聞いたことがありません。特に攻撃されやすいのは10代の子供たちです。なぜならサタンの力は実際に存在しますし,10代の子供たちは人生で初めて重要な決定を自分で下す時期に来ているからです。これは,生まれて初めて重大な過あやまちを犯す時期に来ているということでもあります。

モルモン書に出てくるコリアントンはそのような経験をしました。コリアントンは忠実に伝道の業を果たすべきでしたが,自分は強くて賢いので,危険な状況や悪い仲間の影響えいきょうを上手にくぐり抜けることができると考えたのです。けれども,ふさわしくない場所に身を置き,よからぬ人々と交わり,間違ったことを行い始めると,足をすくわれて重大な罪を犯してしまいました。7

第2の教訓は,悔い改めは単なる選択肢の一つではないということです。悔い改めは戒めです。8救い主は,悔い改めて幼子おさなごのようにならないかぎり人は神の王国を受け継ぐことができないと言っておられます。9ほんの1杯のコーヒーやたった一つの悪い習慣,たった一度の間違った選択,たった一度の判断の誤りのために生涯にわたって福音の道から外はずれてしまうようなことがあってはなりません。

時々,悔い改めを軽く考えてしまう人がいます。悔い改めは難しすぎるという言葉を聞いたこともありますし,罪悪感にさいなまれるのはもう飽き飽きだとか,悔い改められるよう助けようとしてくれた指導者に不快感を覚えたという言葉を聞いたこともあります。過ちを犯すとあきらめてしまい,もう立ち直れる望みはないと思い込んでしまう人が時々います。そうかと思えば,回復された福音を捨てて教会を離れてしまった方がよほど楽になるだろうと考える人もいます。

間違いを犯した人の心に,もう望みはないという考えを植え付けるのはサタンの仕業しわざです。主イエス・キリストは常にわたしたちに希望を与えてくださいます。主はこのように言っておられます。

「あなたは主の業を行うために選ばれた。しかし,背そむきのゆえに,あなたは用心しなければ落ちるであろう。

しかし,神は憐あわれみ深いということを覚えておきなさい。それゆえ,あなたが行ったことで,わたしがあなたに与えた戒めに反する行いを悔い改めなさい。そうすれば,あなたはまだ選ばれた者であって,再び業に召される。」10

幸福と平安へのいちばんの近道は,できるかぎり早く悔い改めて自分を変えることなのです。

第3の教訓は,わたしたちはそれを自分独りで行うのではないということです。自分の力だけで自分を真に変えることは不可能です。意志の力と心からの正しい動機どうきだけでは不十分なのです。過ちを犯したり望ましくない選択をしたりしてしまった場合,救い主の助けなしに正しい道に戻ることはできません。わたしたちは毎週毎週聖餐せいさんを取ることにより,救い主にはわたしたちを変えることがおできになるという信仰を示しているのです。わたしたちは罪を告白し,その罪を捨てることを約束します。11

どんなに努力しても力が及およばないときに,さらに努力し続けられるよう力が与えられるのは主の恵みによるのです。12主はこう言っておられます。「もし人がわたしのもとに来るならば,わたしは彼らに各々の弱さを示そう。わたしは人を謙遜けんそんにするために,人に弱さを与える。わたしの前にへりくだるすべての者に対して,わたしの恵みは十分である。もし彼らがわたしの前にへりくだり,わたしを信じるならば,そのとき,わたしは彼らの弱さを強さに変えよう。」13

自分を変えるために主の助けを求める人には,次のような約束が与えられています。「自分の罪を悔い改めた者は赦ゆるされ,主なるわたしはもうそれを思い起こさない。14主はわたしたちをお見捨てになりません。こう言っておられます。「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」15赦されたのだと分かったときにわたしたちが味わう喜びと平安は神からの祝福です。主が定められた時に主の方法によってではありますが,そのような平安は確かに与えられます。

最後の教訓は,わたしたちは自分を変えることができるということです。救い主を覚えてその模範もはんに従う機会は日々新たに与えられます。悔い改めなしに成長することはあり得ません。16悔い改めが福音の第二の原則であるのはこのためです。17

自分の欠点について言い訳をするのではなく,日々良い習慣しゅうかんとキリストのような特質を身に付けることができるよう努力しましょう。スペンサー・W・キンボール大管長はこのように言っています。「キリストのような特質を身に付けるのは,骨の折れる過酷かこくな仕事です。それは時々気が向いたときに行えばよいというものではありませんし,常に自分を成長させようと不断ふだんの努力を重ねる覚悟かくごのない人に達成できるようなことでもありません。18クリスティーナの模範を見て,キリストのような特質を生活に取り入れることは,自分が変わりつつあることのしるしであるということを学びました。

わたしたちは人間ですから,だれでも過ちを犯します。悔い改めは単なる選択肢の一つではなく,必ずしなければならないものですが,自分独りだけでできるものではありません。わたしたちには救い主がいて,悔い改めができるよう助けてくださいます。救い主の特質を生活に取り入れることによって,自分が変わり,救い主に近づいて行くのが分かるようになります。

福音は「誘惑からわたしを守る外套がいとうであり,悲しむときに慰なぐさめを与えるものであり,人生を通じてわたしの喜びと栄光であり,永遠の命への希望を与えてくれるものです」とフォックス姉妹は言っています。19彼女は「神の王国がすべてであり,そのほかの事柄はどうでもよいことです」という言葉を自分のモットーとしました。なぜなら,心を尽くして福音に従うとき,救い主がわたしたちすべてに与えてくださった次の約束を受けられることを知っていたからです。「悔い改めて,わたしの名によってバプテスマを受ける者はだれであろうと,満たされるであろう。そして,最後まで>堪たえ忍しのぶならば,見よ,わたしはその者を,わたしが立って世の人々を裁くその日に,わたしの父の御前みまえで罪のない者としよう。」20

わたしは,悔い改めを通して救い主を知ることができました。自分を変えてくださいと救い主に助けを求めるとき,信仰も救い主への信頼も増し加わります。救い主の実在と,その力について証します。イエス・キリストの御名みなにより,アーメン。